嘘だけど、関係ない
文章の推敲していたら一話ぶん丸々投稿し忘れそうになって焦ったわけで。
今回のお話は『付き合いが長くなればなるほど面倒くさい』というお話。
数時間ほどさかのぼる。
「そういえば、剛力。お前さ、早乙女さんのことどう思ってんの?」
「ぶっ!?」
僕こと如月与一が何の気なしに振ってみた話題に対し、剛力武という男は顔を赤らめて驚いたような表情を浮かべるという素直な反応を見せてくれた。
剛力武は太い男だ。眉も太いしモミアゲも太い。腕も足も太い。
柔道部所属で、全国大会出場経験もあり、勉強もかなりできる真面目な奴だ。
質実剛健を絵に描いたような男……それが、剛力武という人物だ。
「い、いきなり何の話だ? なぜいきなり早乙女が出てくる?」
「僕は早乙女さんみたいな女の子女の子した女の子は苦手なんだけどさ、剛力なら相性良さそうだなと思っただけ」
「だからなんで早乙女が出てくるんだ?」
「すっとぼけるか? ああまであからさまな好意に全く気付かないとか言わせんぞ?」
「…………ぐっ」
僕の突っ込みに、剛力は苦悶の表情を浮かべた。
女の子女の子した女の子……かなり回りくどい言い回しだけど、要するに、意中の異性にアピールする能力が高い女の子と言い換えても良い。
態度が極端すぎると、全女性+一部の男性を敵に回す諸刃の剣でもある。
早乙女さんはわんこみたいな感じの女の子なので、その辺は上手くやっているようだけど……僕は、あまりそういう女の子は得意じゃない。
実の母親。もうとっくに亡くなった『元飼い主』がそういうタイプの人だったから。
剛力は大きく息を吐いて、ぽつりと言った。
「どう思っているかと言われれば……好ましく思っては、いる」
「曖昧だなぁ」
「そう言われても……分からんのだ。俺のような鈍感で体を動かすことしか知らんような男に好意を持ってくれる女性など、いるわけがないだろう?」
「そうでもねーよ。筋肉質で無骨なのが良いって女の子もいるんだよ」
女の子二人がものすごく気合いを入れて服を選んでいるので、僕と剛力はフレグランスショップなどを覗いているんだけど、これがなかなか悪くない。
香水をつける趣味はないけど、良い匂いってのは気分転換にはもってこいだ。
適当に香水を物色しながら、僕は思い付いたことを口にする。
「例えば、ウチのクラスの新田俊介だ。あいつは馬鹿でわりと陰口も言う根暗な面が見え隠れする馬鹿だったけど、それでも女の子と付き合っている。ラブラブだ」
「あれには驚いたな……クラスで一番意外なカップルだった」
「例えば、植草五郎という虚弱で成績が悪く自己評価が凄まじく低い男がいる。それでも女の子と付き合っている。ラブラブだ」
「……植草か」
その植草五郎に一蹴されたことのある剛力は、少し苦い表情を浮かべた。
友達としては謝ったり謝られたりして解決しているのだが……柔道をやっている者として、全国大会出場経験のある者として、格下の相手に完膚無きまでに叩きのめされたのは、やっぱり苦い経験だったのだろう。
男のプライドなんて、わりとどうでも良いことの一つだと思うけども。
「ま、分からないなら分からないで、分からないまま『早乙女さんに好かれてるかもしれない』って事実だけは受け止めて、あとは行き当たりばったり、その場の流れで決めたらいいと思うよ」
「凄まじくテキトーだな!」
「恋愛ほどテキトーなもんもねぇよ。好きかもしれないみたいな、テキトーな感情を『私はこの人が好き』に確定させたいから、告白してお付き合いするんだよ」
「……言ってて恥ずかしくないか?」
「建前ほど大事なもんはねぇよ。建前がなかったら恋愛感情なんざ『あ、女の子だ! 繁殖しなきゃ!』になるだろ? それと同じで、例えば人を地面に転がす練習を毎日してる人間が赤子の手を捻るがごとく一蹴された後も人を転がす練習を続けていられるのは、克己心がどうとか精神力を養うだとか、そういう建前があるからだろ?」
「悪態を吐かせたらお前の右に出る奴はいないと思うなァ!」
剛力はちょっぴり泣いていた。半泣き一歩手前くらいだったかもしれない。
人の傷口を抉るのは趣味じゃないので、こほんと一息吐いて口元を緩める。
「まぁ……僕が言えたことじゃないんだけどね。生まれてこの方モテたことは……これっぽっちもないからな!」
「今、ちょっと間がなかったか?」
「そ……そんなことはないぞ、失礼な。それより、香水見るの飽きたから移動しようぜ。次はペットショップか家電量販店がいいな。剛力はペットとか飼ってるか?」
「犬を飼っている。可愛いぞ」
「……土佐犬?」
「俺のイメージで犬種を限定するな! お袋が買って来たポメラニアンだ!」
「ああ、あの犬の中でも筆頭でうるさくてよく噛んで凶暴なやつだろ?」
「そこまでじゃないぞ!? お前はどれだけポメラニアンに恨みがあるんだ!?」
「奴とはいつか決着を付けなきゃいけないんだ」
「小型犬と決着っ!? 発想のスケールが小さ過ぎるっ!」
「まぁ、ポメラニアンも嫌いじゃないけどね。……それじゃあ、ペットショップを見に行こう。剛力のポメの嫁を僕が見つくろってやる。剛力のペットだからどんな雌犬でも『女の子だ! 繁殖しなきゃ!』って感じになるだろうけど」
「……去勢済みだ」
「そうか……まぁ、ペットの宿命みたいなもんだから仕方ないね……犬用のガムでも買って行こうか?」
「そうしよう」
「野郎二人でなにわびしい会話してんのよ?」
と、そこで聞き覚えのある、親しみのある声が背後から響いたので、振り向く。
「鮫島。もう買い物はいいの?」
「まぁね。今は早乙女ちゃんの清算待ちよ」
鮫島ひばり。染色した金髪に黒目。ちょっとふっくらした顔立ち。目立つ化粧にネイルアート。ほんの少々香水を付けている。美人ではなく可愛い系。お洒落頑張ってる。スカート丈は短く目に優しい。身長は160センチ程度。スタイルは普通。
目に優しく、心に優しい、お洒落頑張ってる今時の女子高生。
「意外と早かったね。あと二時間くらいかかると思ってたよ」
「そんなにかからないわよっ!? 確かに少しだけ時間かかったのは認めるけど」
「僕の妹は服を選び出すと三時間とかざらだし……」
「如月の妹さんが優柔不断過ぎるんじゃない?」
「……かもしれない」
姉貴は十分かからず決めるけど、妹はものすごく時間がかかる。妹曰く『お兄ちゃんから《似合うよ》の一言を聞き出すまで私の戦いは終わらない』とのことだけど、妥協ってのも大事だと思う今日この頃。
兄貴が妹のことを手放しで褒めるわけねぇだろ。
と、不意に鮫島は口元を緩め、周囲をキョロキョロ見回してから小声で話す。
「そういえば……さっき、ウチのクラスの結崎が会長さんと一緒にいる所を見たんだけどさ、あれってデートじゃない?」
「結崎? あいつ今日は生徒会だって、空野が言ってた気がするけど……」
「いやいや、如月サン。そりゃ生徒会ってお仕事にかこつけたデェトですよ。……くっくっく、これであの眼鏡の弱味を握れたってもんよ」
「どーかなー……結崎のことだから『で?』とか冷たいこと言われそうな気がする。こういう話題でからかう時は、剛力の方が圧倒的に楽しいんだけどな」
「おいっ!」
剛力のツッコミはとりあえずスルーして、僕は肩をすくめた。
「ま、デートならデートでいいんじゃない? 結崎なら大丈夫でしょ」
「その妙な信頼感はどういうことかしらね? 如月にしちゃ珍しいじゃない」
「信頼ってわけでもないんだけどね……」
適当に言葉を濁しつつ、少し不器用なクラスメイトで友達の眼鏡を思い出す。
結崎はモテる男ではない。気が利くわけでもなく、思春期の男女特有の妙な距離感もなく、軽快なトークに毒を混ぜつつ、極々自然にその場に溶け込み、適度な人間関係を構築するのが上手な男だ。
触れ合わず、離れ過ぎない、そういう距離感を知っている男だ。
僕はその距離感を心地良いと感じるけれど、恋愛をするには、その距離は遠過ぎる。
だから、僕が結崎に抱いているのは『信頼』ではなく――――。
どんな女の子が相手でも多分上手くいかないだろうなという……諦観にも似た、悪い意味での『信用』である。
もっと砕けた表現をするなら、結崎忍は恋愛をするには優し過ぎる。
まぁ、そういう身持ちが固い男は、大抵の場合単純一途なんだけども。
そこまで考えて、思考を打ち切る。
結崎のことは結崎が考えればいい。その程度には、僕は結崎を信用している。
話題を打ち切るために、フレグランスショップで買った一品を鮫島に手渡した。
「ん? なにこれ?」
「この前、三千円借りたお礼」
「え……いや、悪いわよ! 三千円貸しただけだし……ちゃんと返してもらったし」
「いやいや、あの三千円は本当に助かったんだよ。これは三千円借りたってだけじゃなくて、色々諸々含めてのお礼だと思ってくれ。受け取ってもらわないと僕が困る」
「……んじゃ、うん……もらっておくわね。ありがと……」
珍しいことに、鮫島は顔を赤らめて照れたようにはにかんだ。
鮫島が笑った顔はとても可愛い。喜んでもらえてなによりだと、ほんの少しだけほっとして、僕も頬を緩めた。
「っ……あ、あのさ、如月!」
「ん?」
「……さ、早乙女ちゃんの様子見てくるね! なんかちょっと遅いし!」
「ああ……そういえばそうだね。んじゃ、僕らはペットショップの方にいるから」
「うん!」
さすがというかなんというか、鮫島は空気の読める女だった。
結構話し込んだのに早乙女さんが来る気配はない。色々試着しているのかもしれないけど、この後は映画を見る予定で、時間がそろそろ迫っている。
(映画を見たいというより……正直かなり疲れてるしな……休みたい)
午前中は結構動き回ったせいか、頭が少しぼんやりする。
僕が少しだけ熱い息を吐いていると、不意に剛力は口を開いた。
「なぁ、如月」
「なに?」
「お前……鮫島のこと、好きなのか?」
「さすが、ゴリラ・ゴリラ・ゴリラは言うことが違うな。頭のどこをどう経由したらそんな質問が出てくるんだ? 確か剛力はそこそこ勉強ができる設定だったよな?」
「皮肉や悪態にしても酷過ぎるだろ!」
「タイミングが良かっただけだよ」
友達の……とある巨乳のアホメイドの、ちょっとした記念日に、間に合った。
本当は香水くらいじゃ全くもって足りないけど、僕の懐具合じゃこれが精一杯だ。
「タイミング良く助けられたんだから、お礼くらいはいいだろ?」
「それだけには見えなかったが……」
「僕みてーなポンコツを構ってくれるような女の子へのお礼に、多少色が付くのは仕方ないだろーが。……色々考えたけど、鮫島がアロマポット買ったって言ってたしこれが妥当かなと思ったんだよ」
「如月、お前もしかして照れてるのか?」
「………………ッ」
この男は……マジで鈍感だな!
僕みたいなどうしようもない人間でも、女の子相手に多少の見栄は張りたくなる。
それはもう、本当にどうしようもない本能的ななにかで、男の性なのだろう。
僕がなにも言えずにいると、剛力は口元を緩めた。
「はっはっは、そういうことなら鮫島には黙っておいてやろう。しかしアレだな、破廉恥な男かと思っていたが、純情な所もあるじゃないか」
「いや、言いたいなら言ってもいいよ。その代わり早乙女さんと強制的に接着する覚悟は決めておいてもらおう」
「本当に物怖じしないな、お前は!」
「実際は怖がってばっかりなんだけどねェ……ま、お互い様ってことで、ここでのことはお互いに秘密にしておこうよ」
「……そうだな」
互いに顔を見合わせて溜息を吐き、さっさとペットショップに向かうことにした。
こうして秘密は秘密のまま、僕と剛力の間で呑気な秘密が成り立っていった。
呑気……だろう。間違いなく。
結崎が置かれていた状況に比べたら、どう考えても呑気なものだった。
植草美恵子は、時折『やらかす』タイプの女だった。
美恵子は多少なりとも計算を立ててから行動するタイプの女で、無謀なことをしているように見えても、他人の反応や自分の限界を見定めてから事に取り組むのが常だった。
生徒会選挙も『こうすれば受かる』と、思っていたし。
弟のことも『こう育てれば理想の男子』と、確信していた。
他のこともそうだ。まず先に計算が立つ。損得が立つ。多少損をしても後々、結果的にプラスになるなら行動する。
それでも……時折、世界は美恵子の予想を容易く越える。
数年前に家出をした時、自分の家出に付いてくる友達がいるとは思わなかったし。
打算で集めた生徒会メンバーと友達付き合いがあるとは思っていなかったし。
弟に彼女ができるとも、思っていなかった。
「……結崎君の家って幽霊とか出そうだね」
「そうですね」
酷いことを言ったにも関わらず、忍はあっさりと認めた。
それも仕方のないことで……忍の家は、ボロかった。
元々は古き良き一軒家だったのかもしれないが、今はただのボロ屋である。忍曰く『じーちゃんの代から改修なしで使ってるんで、こんなもんですよ』とのことらしい。
床を踏みしめる度に、ギィギィ音が鳴るのが耳障りだった。
「野宿よりはましだと思うけど……予想外だよ。お洒落眼鏡の自宅だから、てっきりテレビとかでよくやってる生活感ゼロのお洒落ハウスだと思ってたのに……」
「両親はそういう家に住んでますけどね」
「へ?」
「オレが子供の頃にじーさんと喧嘩して絶縁して、なぜかオレだけ日本暮らしですけど、なんだかんだで仕事の関係で、今はフロリダに住んでます」
「ぎゃ……ギャルゲーの主人公か!」
「安心して下さい。オレの部屋にはちゃんと鍵付いてますから」
「………………」
貞操の危機を感じさせない、ある意味では拒絶とも取れる発言に、美恵子はなんとなくほんの少しだけむっとした。
(おのれ結崎め……滅茶苦茶言ったのは私だけどさぁ)
少しくらいはなんかこう、年頃の男の子らしい反応しろよ、と思う。
ほんの少しドキドキしている自分が、アホみたいじゃないか。
(反射行動だけどね。こんなもん、男の子と一緒にいれば普通のことだから)
内心で溜息を吐きつつ、美恵子は案内された居間を見て、なんとなく微笑した。
「お年寄りの住んでる空間って感じだね」
「まぁ、中学三年の頃までじーさんと一緒に住んでましたからね」
「えっと……亡くなったってことでいいのかな?」
「はい」
さらっと重いことを言いながら、忍は二人分の座布団を敷いた。
畳敷きの部屋にちゃぶ台。画面は大きくはないがそこそこ新しい型の薄型テレビが設置されており、ポットには十分なお湯が満たされているのが最新式の家電らしく、お湯の残量が分かり易くメーターで表示されていた。
「お茶とか急須は戸棚に入っているんで、飲みたかったらご自由にどうぞ」
「ジュースとかないの?」
「少しは遠慮しましょうよ……冷蔵庫には牛乳しかありません」
「まぁ、飲み物はいいや。それより夕飯どうしよっか? ピザでも取る?」
「あんなクソ高いもん軽々しく頼めるか。レトルトの中華丼なら買い置きがあるんで、今日はそれで済ませましょうよ……」
「絶対に嫌」
「おい!」
「私はレトルト食品が死ぬほど嫌いなの。これだけは譲れないわ」
「なんかトラウマでもあるんですか?」
「別にトラウマってほどのトラウマじゃないよ。小さい頃に一生分食べただけ。同じような理由で持ち帰りのお弁当も苦手。現在進行形で結構食べてるから」
「……なにか作るんで、ここで待っててください」
「よし、それじゃあせっかくだから私が作ってあげましょう。この際だから結崎君に、私の女子力の高さを思い知らせてやるわ!」
「客人は黙って座ってろ」
「……え……あ、うん」
いつになく強硬な物言いに、美恵子は頷くしかなかった。
(焼きそばとか焼うどんとか……そういうものを作って料理ができる男子アピールとか、そういうことはしないよね?)
焼きそばも焼うどんも幼少の頃に食べ飽きている。もしも出てきたらちゃぶ台をひっくり返して、台所に突貫する気満々の美恵子である。
やることもなく、お茶を飲みながらテレビを見て、待つこと一時間ほど。
「できましたよ」
「…………うん」
ご飯、豆腐とねぎの味噌汁、ぶり大根、メカブ、グラタン、マルゲリータピザ。
一品一品を見ると美味しそうなのだがメニューが適当だった。
「和食にグラタンとピザって……」
「和食の部分は昨日の夕飯の余りです……が、どこかの誰かがピザ注文しようとか言うから、食いたくなっちゃったんですよ。ちなみにピザは材料費含めて二百円未満です」
「いただきま~す♪」
「皮肉くらい聞いていただけませんかねェ……」
皮肉は当然のように無視して、夕飯に舌鼓を打つ。
少しだけ味が薄いように感じたが、それは各家庭の誤差というものなのだろう。むしろ弁当屋を営んでいる自分の家の味付けが少し濃いめなのだろうと、美恵子は思った。
(むしろ、普通に自炊してるのに驚きだよ……)
美恵子がもぐもぐとグラタンを頬張っていると、忍は不意に口を開いた。
「そういえば、寝巻とかはどうするんですか?」
「洗いたてのジャージとか借りるね。百回くらい洗って返すから」
「お? 無防備さを装いつつ喧嘩売ってきたな、この生徒会長。いい加減にしねぇと家から叩き出した後にバカップルになっているであろう二人組に通報してやんぞ?」
「あ、そういえば告白は成功したってさ」
「あの甘ったるい空気で成功しない方がどうかしてますけどね」
「中学生の恋愛っぽくて初々しい感じだったよねぇ……私も、あらっちと付き合った時はあんな感じだったよ。小学校の頃の話だし、速攻でふられちゃったけど」
「……へぇ」
「もっと興味持とうよ! ほら、憧れの先輩の初恋がどうだったとかさ!」
「憧れないし、そのテンションをどうにかしない限り、初恋でも百一回目のプロポーズでも、全部同じ結果になりますよ。相手と歩調を合わせることを覚えてください」
「はうっ!?」
気にしていることをざっくりと言われ、美恵子は口元を引きつらせた。
(おのれ、結崎め……如月君や空野君や五郎ちゃんと同じことを言うんだから!)
そこまで言われてなお反省しないあたりが、美恵子の美恵子たる所以であり、最も近しい五郎からも『時々怖い』と言われてしまう理由である。
忍が『他人と積んでいるエンジンが違う』と表現した通り、植草美恵子という女は行動力があり、へこたれず、努力を惜しまず、結果を予測し計算した上で、あえて利潤を捨てて行動することもできる。
美恵子は時代が違えば英雄と呼ばれていたかもしれない逸材であった。
と……不意に、忍は口元を緩めた。
「まぁ、そういうのも……会長らしいっちゃ、らしいですけどね」
「へ?」
「ぶつかって砕けて、そういうことを何十回でも繰り返して諦めなければ、いつか良い男も見つかりますよ」
「五郎ちゃんみたいな?」
「弟からちったぁ離れろ!」
「良い男に限って面食いで巨乳好きなのはなんとかなりませんかっ!?」
「なんでいきなり敬語だよ……残念ですが、美少女が嫌いな男はあんまりいませんし、巨乳が嫌いな男もそうそういないんですよ。巨乳も貧乳も好きな男はたくさんいますが」
「なんでさっ!?」
「顔より前に突き出してて揺れてるもんがあったら、普通見るだろ……」
「まぁ、女の子は顔の次に時計見たりするけどね。女は時計で男の財布の中身を見る。悲しいけど、これ現実なのよね」
「財布の中身より、時計そのものの性能を見てもらえませんかねぇ……」
「楽で優雅で他の女を見下しながら、男の金で生活したいってのが、女の本音よ?」
「男も充実感のある仕事しつつ美味い飯を食って、可愛い女の子とイチャイチャしながら周囲に称賛されて生きたいと思ってるんで、どっこいどっこいだと思いますが」
「なんだよぅ、『女性は大変ですね(軽蔑)』くらい言いなさいよぅ!」
「会長も大変ですね(憐憫)」
「ちくしょう、憐れまれた! ちなみにさっきの『女の本音』ってのは、私が母さんに散々聞かされたことでもあるからね! 死んでも納得しない! 私は自活する!」
「……お風呂できてますから、飯食ったらさっさと入って寝て下さいね」
「ビールとかない?」
「酒は禁止っつっただろうが!」
そんなこんなで、怒鳴ったり怒鳴られたりしつつ、食事はつつがなく進行した。
全体的に薄味ではあったが腹いっぱい食べ、少し狭いが風呂に入り、洗いたての大きなジャージに着替え、用意されていた牛乳を飲み干して人心地つく。
居間に戻ると、忍はちゃぶ台をどかして布団を敷いていた。
「はっはーん……ここから枕を二つ出すつもりねっ!?」
「枕はないんで、座布団を適当に畳んで枕にでもなんでもしてください」
「結崎君はどこで寝るの? 廊下?」
「なんで会長に布団を提供してオレは廊下で寝なきゃいけないんですか……普通に二階の自分の部屋で寝ますよ」
「自室! 家探し! ベッドの下! エロ本!」
「嫌な連想ゲームはやめろ! なんでちょっとわくわくした顔してんだ!」
「男の子がどんな特殊性癖を隠し持っているかとか……気になるじゃない?」
「面倒だからロリコンでいいですよ」
「そんな投げやりなロリコンがいてたまるもんですか! さては人に言えないくらいの、女の子に話したらドン引きされるような性癖なんでしょう!?」
「会長の匂いフェチよりは正常だと思います」
「な、なぜ私のフェティシズムを知っているのっ!?」
「五郎は身内の恥を晒すような男じゃありませんが、平常時は脇が甘い。話の断片から想像することもできますよ。……かまかけに引っかかった会長が一番悪いですが」
「はうっ!?」
「というわけで、さっさと寝て下さい」
「……ぐぎぎ……おのれ、結崎。明日覚えてなさいよ!」
「寝床借りてる身分で、態度だけはでかいんだよなぁ……」
そんなこんな、ひと悶着とは言えないようなことがあって、早めに寝床に付く。
いつもより早い時間のせいか、あるいは他人の家で安心できないせいか、なかなか眠りは訪れず、数回の寝返りをしたところで、美恵子は息を吐いた。
「……参ったなぁ」
本音を言えば、迂闊なことをしてしまったし……忍にも悪いと思っていた。
いつも通りに『やらかして』しまった。
今日は近所で集会があるから、遅くなります。
今日は打ち合わせがあるから、遅くなります。
今日は臨時の発注が大量に入ったので、徹夜になります。
(知ってる。わがままなのは知ってる。不景気なこのご時世にちゃんと食べさせてもらっているのも感謝しなきゃいけない……そんなのは、知ってるけどさぁ)
納得いかない。納得できない。感謝なんてできっこない。
側にいて欲しい時にいてくれなくて、頼りたい時にどこかにいて、いつもいつでも仕事ばかりで、家に帰ればずっと誰かの愚痴ばかり。大人に近づく度に母親の努力や葛藤なんかに共感できるようにはなってきたけど……それでも、感謝も納得もできない。
大人になれば解決すると思っていた。大人に近づく度に怒りだけが燃え上がる。
子供を……私を放って仕事に逃げたくせに、一人前の大人面しやがって、と。
それが我がままだと知っていても、怒りだけが自分の中で燃えているのだ。
「……結崎君でもからかおうかな」
忍宅に宿泊させて欲しいと頼んだのは、決して母親がいつも通りのことを言い出して自棄になったからだけではない。
こいつなら襲われるようなことはなかろうと、計算してのことである。
(ストイックというかなんというか……妙に淡泊な所があるしね、結崎君)
こっそりと布団から起き出し、鞄から録音機を取り出して、地面に伏せて這いずるように移動を始める。古い建物は防音という概念が薄い。普通に階段を上がったりすれば、音で気づかれて対策を立てられてしまう。
(くくく、結崎め……生活音だけでも脅迫には充分だと思い知らせてくれるわ!)
こういう明らかにやり過ぎる所が、男に引かれて速攻でふられてしまう原因の一つなのだが、本人にはあまり自覚がない。
二階に上がると、光が漏れている部屋が一つだけある。音を立てないように手足を使って巧妙に体重移動をしつつ、部屋に前に到着。
聞き耳を立て、録音の準備を進める。
『うっす、しのぶくん!』
『おう』
そんな声が聞こえてきて、真顔になった。
(女の声? ゲーム? 最近のゲームはプレイヤーの声を呼んでくれるって、五郎ちゃんが言ってたような……それにしては音声が生々しいんだけど……)
美恵子の狼狽などお構いなしに、会話は進行していく。
『今日の買い物でさらに親密度が上がった感じがするね! 良い感じです!』
『ほほぅ、そりゃ良かったな』
『あと、如月君は絶対に鮫島さんに気があるよ! 映画館でもさりげなく隣に座ったりポップコーン買ってきたり、間違いないね!』
『いや、それ多分、雪奈が気遣われてたんだよ』
『……へ?』
『与一が鮫島に付きっきりになれば、自然と雪奈と剛力が二人でいる場面が多くなるだろう? 与一はそーゆーことをやっちゃう奴なんだよ』
『む……むぅ』
『まぁ、雪奈よりは鮫島の方が好みだからひいきしただけかもしれんけど』
『それはそれで酷いと思うな!』
自然な会話。テンションが高くも低くもない、ごく自然な対話。
(なんかイラッとするわね……あの結崎に幼馴染っぽい女の子がいるって点が、特に)
恵まれてやがるなぁと心中で毒づいていると、不意に雪奈と呼ばれた少女の声のトーンが少しだけ落ちた。
『そういえば、しのぶくん。今日……会長さんと一緒にいたよね?』
『生徒会の用事でな』
『……実は、デートだったり?』
『はっはっは、実はそうなんだ』
そうじゃないでしょっ!? 否定しろし! なんで軽やかに肯定してんのっ!? あんたそういうキャラじゃないでしょっ!?
思わずツッコミを入れてしまいそうになったが、そこはぐっと堪えた。
『えっと……もしかして、お付き合いしてるの?』
『してる』
『えぇっ!?』
えぇっ!? は、こっちのセリフだよ!
喉元まで出かかった叫びを、これもまたぎりぎりで、本当にぎりぎりで堪えた。
堪えることができた理由は……恐らく、切実なものを感じたからだ。
『みんなには絶対に秘密だぞ? 会長はああ見えて、意外と照れ屋さんでな……周囲にバレると受験にも差し障るし、五郎にもなにかあるかもしれない。そう考えてる』
『へ……へぇ……そうなんだ……』
『あと、窓から侵入するのも今日限りで終わりで頼む。まぁ……前みたいに、なんやかんやで面倒なことになるのは、嫌だしな』
『つ、付き合ってるなら付き合ってるで、言ってくれればいいじゃない!』
『いや、だって付き合いだしたのって今日からだし』
『マジっすかっ!?』
『ちなみに告白はオレからだ』
『想像できない!!』
想像できないも、私のセリフだと美恵子は思った。
目を細め、聞き耳を立てながら、小さく息を吐いて思考を回転させる。
結崎忍が見栄を張るような男ではないことは知っている。見栄のために嘘を吐くような男でもない。その場の勢いで女を襲ったりもしないのだから、当然だろう。
だからこそ安心して『泊めて欲しい』と言えたのだ。
予想はできる。忍がどうしてこんな嘘を吐いているのか……予想はできるが、納得などできるわけもない。
(……さてさて、どうしたもんかね)
色々と、今後の展開に好都合ではある。……が、それとこれとは話が違う。
胸の奥に燻ぶる煙は、烈火の如き怒りの前兆だ。美恵子は自分が怒っていることを、確かに感じていた。
『そういえばね、剛力君の家ってポメラニアン飼ってるんだって』
『マジか。全然想像できない。土佐犬の方が圧倒的に似合うだろ……』
『それ、如月君と発想が同じだよ』
『げはっ!?』
その後の会話は、当たり障りなく、ただのコミュニケーションだった。
色っぽさなどない。当たり前のように自然で、何百回と繰り返してきたような、他愛もない、他人が聞いていても面白くもなんともない会話。
これで最後だと……片方が自覚していないのではないかと、錯覚すらさせるほどに。
自然で、当たり前で、ぎくしゃくしていた。
『んじゃ、しのぶくん。また明日、教室でね』
『おう。今度からは窓からじゃなくて、メールとかで頼む』
『ん……分かったよ』
ガラガラと窓が開き、ピシャンと閉まる音が響き、その後はなにも音はしなかった。
息を吐いて、音を立てずにドアから離れる。聞かなかったことにしようか、翌日問い質した方がいいか、少しだけ迷ったところで、ドアが開いた。
予想はしていたのか、盗み聞きをしていることを知っていたのか、忍は特に驚いた様子もなく、美恵子を見つめていた。
「……会長、あの」
「黙れ結崎。私は少しばかり……結構……いや、わりと怒っています。それでも、まずは謝らなくてもいいから話だけ聞いてちょうだい」
「………………」
「怒っているけど、なんとなく話は読めたし、君の気持ちも分からなくもない。君には一宿一飯の恩義があるし、この怒りはこのまま納めてあげてもいいし、口裏を合わせてあげてもいいと思っているけど……一つだけはっきりさせたいことがあるわ」
「……なんでしょうか?」
「君は、今の会話の相手……早乙女さんのことが、好きなんじゃないの?」
「………………」
結崎忍は、決定的な言葉に、特に反応を見せなかった。
それは、彼にとってはごく自然なことで。
呼吸をするように当たり前のことで。
「はい。オレは雪奈のことが好きです」
自然で、当たり前のように好きで……それだけだったから。
無表情のまま、忍は決定的な言葉を、当たり前のように、口にした。
結崎忍のその表情は、茫洋としていて、告白には程遠い無表情で。
植草美恵子には、どうしてそんな表情で『好き』と言えるのか、理解できなかった。
両親は言う『忍はいつでもフロリダに戻ってきていいんだよ』と。
祖父は言う『本当に迷惑をかける……お前はできた孫だ』と。
元彼女は言う『私、忍君とお付き合いできて幸せです!』と。
幼馴染は言う『しのぶくんは本当に頼りになるね!』と。
それじゃあ、どうしてあなたたちは。
オレの心を削るようなことばかりするんですか?
次回、第六話『好きだけど、関係ない』
ぜったいにゆるさない。