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彼女たちの恋愛を見守るだけの、簡単なお仕事

実は、今回のお話は桜庭文枝ちゃんの恋愛話にする予定もあったんだけど、時間の都合で割愛。

っていうか、マジで面白みのない普通の恋愛になったので省略。

通い妻と地味眼鏡がアパートの一室で恋を深めるだけのお話なんだもの。

甘ったる過ぎて描写しきれなかったってのが、本音です。

 なにも起こらない。





『しのぶくん、今週末にデートすることになったよ!』

『そりゃめでたいな。下着は新品を用意するんだゾ?』

『しのぶくん……私は真面目に相談をしています』

『っていうか、如月と鮫島もくっ付いてくるんだから、そもそもデートじゃないだろ。買い物って口実に便乗したよな?』

『結構一緒にいる所を見るけど、鮫島さんって如月君のこと好きなのかな?』

『露骨に話を逸らすんじゃないよ……一緒にいるからって、好きかどうかってのは分からない。鮫島ならさっさと告ってそうな気もするから、違うんじゃないか?』

『そういうもんかなぁ……』

『ま、コブが付いてくるみたいだけど、精々頑張れ。オレはその日も生徒会だ』

『どういう風に頑張ればいいかな?』

『下着は新品を用意しろ』

『それ以外で!』



 生徒会の仕事をやるはずだったのに、親子連れで賑わう大型デパートの入り口で、忍は口元を引きつらせていた。

「おい、五郎のアホ姉貴」

「遠回しに凄まじい毒を吐くね……休日だけど役職で呼んでもいいんだよ?」

「会長。オレは仕事と言われてここまで来たんだけど……備品の買い出しかなんかですかねェ?」

「備品はちゃんと揃ってるよ。今日のお仕事はデートのフォローです」

「帰ります」

「待って待って。お昼ご飯くらいは奢るから!」

 美恵子の視線の先には、一組の男女がいる。

 一人は銀縁の眼鏡に細い顔立ち。つり上がった目つき。黒い髪を肩まで伸ばしている。背丈は高く百七十センチほど。女性的な凹凸は少ない。運動はできるし、成績も上々。優等生の典型みたいな女の子。少々潔癖気味なのが玉にきずか。

 名前を、桜庭文枝という。生徒会副会長で、美恵子の片腕的存在でもある。

 一人はショートカットに茶髪。弟に似ず母親に似た穏やかな雰囲気。身長は百八十七センチとかなり高い。中肉高背。地味といえば地味だが、優しげな印象がある。

 名前を、荒瀬幹也という。

「あの人……智也先輩の兄貴でしたっけ?」

「そうそう。あらっちはヲタクの方の副会長こと智也君のお兄さんで先代の生徒会書記。私の元彼」

「要らん情報を付与するなよ……それ、確実に幹也さんのトラウマじゃないですか」

「トラウマ言うな! まぁ、私にも小学生だった頃はあったわけだし、仕方ないね」

「意外と長い付き合いなんですね……そっちの方に驚きですよ」

 言いながら、二人の様子を見守ってみる。

 普段はキツい印象の文枝は、幹也と一緒にコーヒー豆などを見ながら笑っている。

 学校では見ない表情だった。

「へぇ……あんな顔もできたんですね」

「ゲスっぽい表現をすると『雌の顔をしてやがるぜ』ってところかな?」

「ゲスっぽい表現は要らないんですがねェ……」

「まぁ、アホみたいにお堅い文枝ちゃんが、一年前は興味も関心も示さなかった地味で背が高いだけの男にコロッと転んでしまったので、そのお手伝いをしようと思ってね」

「余計なお世話。―――Q.E.D 証明終了」

「結崎君には可愛い女の子と外出する機会とかないんだから、ラッキーでしょ?」

「ラッキーかどうかはオレが決めるんで、勝手に決めんな……っていうか、協力して欲しいなら最初から素直に頼んでください。別に断ったりはしませんから」

「……そ、そう?」

「暇な休日に女の子と外出できるなんて、ラッキーですしね」

「やっぱりラッキーだって思ってんじゃん!」

 思わなきゃ、そもそも休日に外出など最初から断っている。

(ただし、下心はない。暇な休日が潰れて良かったとは思うけどな)

 美恵子は確かに美人の部類に入る女の子ではあるし、一緒にいて楽しいのだが、長時間付き合うとなるとペース配分が必要だ。

 そもそも、生まれながらに積んでるエンジンが違うのだろうと、忍は思う。

 美恵子の活力は、明らかに常人のそれではない。

「で、本日の予定はどうするつもりなんですか?」

「午前中は四人でテキトーにぶらぶらして、昼食食べて、映画見て、喫茶店とかに寄って各々感想を語り合った後、各自解散」

「意外と普通ですね」

「文枝ちゃんは普通にしておかないと容易くパニックになるからねぇ。恋愛への耐性がほぼゼロだし。最近じゃなりふりかまっていられなくなったのか、五郎ちゃんにも相談持ちかけてるくらいだし」

「すげぇ必死ですね。真剣(マジ)恋じゃないですか。ゲームのタイトルになりますよ」

「うん。だから今回は茶化したり、ふざけたり、そういうのはNGでよろしく」

「そう言われると全力で茶化したくなりますね」

「私も我慢してるんだから、今回はなんとか我慢してちょうだい」

 他人の恋路に首を突っ込むのは心底嫌だったが、文枝としては自分の天敵とも言える相手に恋愛相談を持ちかけるほど必死なのだ。

 必死さを茶化すのは、さすがにまずいだろう。

 下手をすれば、腕が本来曲がらない方向に曲がる。桜庭文枝は華奢そうに見えるが、武道を習得した珍しい女子である。

(デートのフォローね……めんどくせーことになったなぁ……)

 そんなことを思いながら、件の二人の様子を見る。

 こちらの苦悩は知らずに、二人は楽しそうに笑い合っていた。



「結崎君。どう? この服とか結構イケてるんじゃないかと思うんだけど?」

「会長はあっちの店の服の方が断然似合いますよ」

「どれどれ……って、下着売り場じゃない! ものすごい良い笑顔でセクハラじみたことを言うんじゃないよ!」

「らしいというか、ものすごく似合いますけど、色が派手過ぎるので自己顕示欲は抑えて、もうちょっと淡色系の色を混ぜるといいと思います」

「お……女の子の服選びに口を挟むだとっ!?」

 女性用洋服店での一幕。カップルにしか見えない二人組が言い争っていた。

 それを遠目に見つつ、前生徒会書記こと荒瀬幹也は口元を引きつらせていた。

「彼、すごいな……美恵子相手に一歩も引いてない。どういう神経してるんだろう?」

「荒瀬先輩も結構酷いこと言いますよね」

「元彼(笑)としては、まぁまぁ気になる所ではあるからね」

「………………」

 元彼(笑)のところで、文枝は微妙な表情を浮かべた。

「美恵子と……その……お付き合いしてたんですよね?」

「小学校の頃だったから、正確には『お付き合いごっこ』って感じだったけどね。俺は終始美恵子に振り回されっぱなしで、付いて行けなくて音を上げた」

「いえ、それ絶対に嘘でしょ。幹也先輩、ものすごく押しが強いじゃないですか」

「そんなことはないけど……」

 言いながら、幹也は文枝にニット帽をかぶせ、神妙な顔で頷いた。

「……よし。やっぱり、桜庭ちゃんには可愛い系の帽子とか服の方が似合うね」

「確実に先輩の趣味ですよねっ!?」

「うん。寒くなって厚着の女の子が増えると『よっしゃ!』って思うし。それはそうと、文枝ちゃんになにか贈り物がしたいんだけど、なにがいい?」

「……あ……い、いえ……そんな……」

「遠慮はしないの。幸いなことに懐に余裕はあるし、普段夕飯を作ってもらっている身としちゃ、この辺で色々返しておきたいんだから」

「じゃあ、服とか帽子じゃなくて……その、あっちの方の店に売ってた雑貨を……」

「分かった。……それはそれとして、このニット帽は文枝ちゃんに滅茶苦茶似合ってたから、俺が買うことにしよう」

「先輩は絶対に押しが強いと思います!」

 そんなツッコミを入れた文枝だったが、その表情はとても嬉しそうに見えた。

(明らかにくっつく直前だな……こりゃもう放っておいていいんじゃないか?)

 横目で二人の様子をうかがいながら、忍はそんなことを思う。

 もちろん、文枝と幹也にこちらの様子を見られていることは知っている。しかし、恋愛沙汰に夢中になり、注意散漫になっているカップルの目を盗んで様子をうかがうことは、忍にとってはあまり難しいことじゃない。

「……やっぱり、余計なお世話だったんじゃないですか?」

「そんなことはないよ。文枝ちゃんは恋愛耐性ゼロだし、あらっちの財布に入っているであろう二万円は私が貸したお金だしね」

「生々しい額の金銭貸借をオレに言う必要はないんじゃないですかねェ……」

「まぁ、あっちはあっちでよろしくやるから心配なし。こっちは、文枝ちゃんがちょっとヤバそうな時に助け船を出すだけの簡単なお仕事です」

「桜庭先輩には、意外と甘いんですね」

「恋愛は自己責任でお願いします……と、言いたいところだけどね。数少ない親友と元彼がくっつくともなれば、少しだけでも見ていてあげたいのが人情ってもんだよね」

「……やっぱり、余計なお世話だと思いますよ」

「知ってる。でも、私は結崎君じゃないからね。黙って見ているのは苦手なのサ」

 そう言いながら、美恵子は苦笑を浮かべた。

 普段、ふざけながらも自信満々な生徒会長の在り様を見ている忍としては、その諦観の混ざった苦笑は、見ていて少しだけ胸がちくりとする。

(呆れながらもやめないってことは……それが『やりたいこと』だからだろうな)

 二人の様子を見ていたい。ほんの少しでも力になりたい。

 上手くいくかどうか、それを決めるのは本人たち次第だと思うが。

 上手くいくように願うくらいは、恋愛をしていない誰かにも許されることだと思う。

「……黙って見てるのは、オレも苦手ですよ」

「え?」

「オレだって会長とは違います。やりたいことでも、面倒が嫌で逃げてるだけです。余計なお世話だろうが、世話を焼かないよりは焼いた方が良いことの方が多いでしょ」

 黙って見ていることも大事だけど、世話を焼くことの方が大事なこともある。

 どちらが良いかはその時の状況によるが……少なくとも、今この時、桜庭文枝が困っているのなら、付き添ってやるのが正解なのだ。


『でも、二の足を踏んじゃうよね。だって、僕らは人間なんだから』

『躊躇くらいするさ。だって、僕らは特別じゃないんだから』

『時間をかけて、思い知って叩きのめされて、正解からどんどん遠ざかっていくんだ』


 心の底から共感した言葉を思い出す。

 幼馴染が真正面から反発した言葉に共感した。その事実に打ちのめされた。

「ま、女の子と休日に買い物って餌にのこのこ釣られてやって来たオレが言えることじゃないんですけど……桜庭先輩が嫌がってないんだったら、いいんじゃないですか?」

「いや、すごく嫌がられたけどね」

「嫌がられたらやめてやれよ! なんとか自分の中で折り合いをつけて、これは余計なお世話じゃなくて良い事なんだって言い聞かせてたのが台無しじゃねーか!」

「あ、でもこれだと『親友をダシにして結崎君をデートに誘った私』みたいな感じになっちゃうね……暇そうなのが結崎君だっただけで、他意はないからね?」

「暇そうなのを抜粋したらオレになるって……会長って、男友達いないんですか?」

「ば、馬鹿を言うんじゃないよ! 敬遠されてるだけで男友達は多いんだからね!」

「普段から台風みてーなことやってるからそうなるんですよ」

「ぐっ……結崎め! そうやって事実をありのままに指摘するのはやめろって言ったじゃない!」

「オレは嫌いじゃないですけど、元気いっぱいなのも程々にお願いしますね」

「嫌いじゃない……つまり、好きってこと? 口説かれてるっ!?」

「……あ、会長に似合う手袋発見。あっちの良い感じの店に売ってるみたいなんで買って行きましょう」

「あっちは園芸店で店頭に軍手が置かれてるだけだよね! 手袋じゃないよねっ!?」

 ばしばしと、美恵子に背中を叩かれながら、忍は口元を緩める。

 下心はない。あったとしても、今はどうでもいいことだ。

(まぁ……なんだ。会長が楽しい人なのは事実だしな)

 今は楽しい。それでいい。

 そう思うことにして、今日を楽しむことにした。



 一日はそんな感じで過ぎていった。

 学生らしく安いのだけが取り柄の牛丼屋で適当に昼食を済ませ、当たり障りのないアクション映画を見て、コーヒー二杯目以降無料の喫茶店で二時間粘り、お開きになった。

 慎ましくはない休日。そこそこの出費はしたが、忍は満足だった。

(まぁ……楽しかったよな)

 帰る前にトイレを済まそう。そう提案したのは美恵子で……恐らくはそのトイレ休憩中に、文枝に対してなんらかの入れ知恵をしているのだろうが……忍自身はあまり関係がないのでさっさと用事を済ませて、トイレを出た。

 案の定、待っていたのはトイレに用事のなかった一人だけである。

 その一人……荒瀬幹也はクレープを食べていた。

「やぁ。クレープ買って来たけど、食べるかい?」

「桜庭先輩に買ってあげた方がいいんじゃ……」

「いやいや、これはある意味お礼みたいなもんでね。結崎君が美恵子を構ってくれたおかげで、色々助かったからね」

「んじゃ、頂戴します」

 遠慮なく受け取って、チョコバナナクレープを口に運ぶ。

 楽しかったが、疲れてもいた。そんな疲労を感じながら味わうクレープの甘味は、心と体に良い刺激を与えてくれた。

 クレープを頬張る忍の様子を見ながら、幹也は頬を緩めた。

「結崎君は、美恵子と付き合ってるんだっけ?」

「断じて違います。先輩こそ、桜庭先輩と付き合うんでしょう?」

「うん。将来的には結婚したいね」

「ぶッ……ぐっ……」

 危うく、クレープを吹き出しそうになった。

 咳を押し殺し、息を吐いて、幹也の目を見たが、彼は微笑むだけだった。

「そもそも俺は恋愛経験が皆無って言っても過言じゃないからねェ。これが最初で最後のチャンスだと思ってる」

「皆無って……会長とお付き合いしてたんでしょう?」

「アレはお付き合いの内に入らないなぁ。確かに美恵子から告白されて付き合いはしたけど、俺が付き合い切れずに音をあげたし……小学校の頃の話だからね」

「桜庭先輩は良家のお譲様だと聞いたことがありますが……」

「くくく。その程度のことで怯むと思ったら大間違いだ。非モテ男の最後の執念をナメてもらっちゃ困る」

「先輩、大人しそうに見えてゴリ押しするタイプの人だったんですね……」

「まぁ、付き合えるかどうかは微妙だけどね。呆れられてるみたいだし」

「………………」

 いや、十中八九付き合えると思いますよ? という言葉は口には出さなかった。

 見ていて仲が良さそうに見えた。恋人同士に見えた。その程度のことで、無責任な言葉を口には出せなかった。

 少し考えて、代わりの言葉を口に出す。

「桜庭先輩のどの辺に惚れたんですか?」

「んー……どの辺って言われると『可愛いから』としか言い様がない、かな?」

「猫被ってるだけだと思いますよ。生徒会に関わりの深い男子三人に聞きましたが、それぞれ『ない』『ふざけんな』『怒ると怖いから苦手』だそうです。オレも正直桜庭先輩は苦手ですね。気難しくて気が強そうで」

「気難しくて気が強いのは確かだね。そういう所を含めて可愛いんだけどさ」

「……人間ができてますね」

「美恵子にツッコミを続けられる結崎君ほどじゃないよ」

「基本的に会長は地雷踏まなきゃなに言っても懲りないでしょ。そういう意味では桜庭先輩より扱いは大分楽ですよ。オレは気難しい女の子は苦手です」

「気難しくない女の子っていないんじゃ……いや……えっと、つまり、女の子が苦手ってことでいいのかな?」

「正解です」

 クレープを口に運びながら、忍は大きく息を吐く。

「女の子の相手をするだけで疲れます……その程度のことで疲れる自分が一番面倒ですけどね」

「いや、一日中美恵子の相手をしていれば、誰でも疲れると思うよ?」

「会長の相手じゃそんなに疲れませんよ。映画見る方が疲れたくらいです」

「…………マジで?」

「会長のペースに合わせるから疲れるんです。積んでるエンジンが違う相手のペースに合わせる必要なんてこれっぽっちもない。一緒に歩いて欲しけりゃ、そっちが歩調を合わせろよというだけの話でしてね……ゆっくり歩けば、会長は合わせてくれるんで楽です」

「…………おお」

 幹也は、口を開けてポカンとしていた。信じられないものを見た表情だった。

 息を吐いて、忍を見つめて、口元を緩めた。

「いやぁ……とうとう、美恵子にも春が来たか。感慨深いものがあるなぁ……」

「おい! なに勝手に失礼なこと言ってんだっ!?」

「一番キツい時代は俺と他数名が担当したんだからいいだろ? 中学校時代の美恵子は夏休みに家出をして、そのまま本州を一周したくらい酷かったんだぞ。俺や他数名も付き合うことになってさ……まぁ、なんだかんだで楽しかったけど」

「……へぇ」

「うわっ! ものすごく興味なさそう!」

「日本海側と太平洋側、どっちの魚が美味しかったですか?」

「質問がざっくりし過ぎだよ! あえて言うなら両方だ!」

「まぁ、そうですよね。魚は美味しいですもんね。ところで、白身魚って表現は曖昧過ぎると思いません? 白身魚って表記すれば、名前も知らない魚でも客に食わせていいことになりますし。白身魚の握りとか……どんな魚使ってんだよとか思いますし」

「ちょっとは興味持とう! 話をあらぬ方向に逸らそうとしてるのが見え見えだ!」

「正直言うと興味がないわけでもないんですがね……」

 クレープを齧りつつ、忍はぼんやりした表情で言った。

「そーゆー面白そうなことは、当事者に聞いた方が面白そうだと思いまして」

「いや、俺も一応当事者なんだけど……」

「会長に聞く機会があったら、また改めて聞かせてください。ケータイの番号とメルアドは……ピロートークついでに桜庭先輩から聞いてください。生徒会の業務連絡のために教えてあるんで」

「あ、うん……って、ピロートークってなにさ? まだそういう関係じゃないから!」

「はいはい。そろそろ二人が戻ってくるので、準備しておいてください」

「え?」

「オレは男なのでよく分かりませんが……女性には猫を被る時間が必要なんですよ」

 肩をすくめつつ携帯電話を開き、美恵子から届いたメールを見せる。そのメールには『文枝ちゃんが落ち着いたからそろそろ出ます。時間稼ぎお疲れィ!』と書かれていた。

 幹也はきょとんとした表情を浮かべ、それから柔らかく苦笑した。

「結崎君」

「なんでしょう?」

「彼氏とは言わないけど、これからも美恵子と仲良くしてやってくれないか? あいつ、ああ見えて人見知りでさ……心を開ける人ってのが、あんまり多くないんだ」

「仲良くできるかどうかは、会長次第ですね」

「……じゃあ、大丈夫かな」

 お互いに曖昧な苦笑を浮かべて、男同士の短い会話は途切れた。



 荒瀬幹也と桜庭文枝の恋路に、自分は関係ない。

 精々が、二人のデートに便乗して遊んで『いただく』程度だろう。

(まぁ、そこそこ楽しくはあったけどな)

 幹也と文枝と別れた頃には、時刻は黄昏時。夕日が沈み始める頃合いである。

 少し歩こうという美恵子の提案に乗って、二人は帰路をゆっくり歩いていた。

「これで文枝ちゃんも彼氏持ちかぁ……完全に生徒会は空中分解だね」

「分解してもいいんじゃないですか? どうせあとは雑用くらいしか残ってませんし、生徒会選挙の取りまとめが終わったら解散でしょ。三年生はこれから受験ですし、生徒会がどうとか言ってられませんよ?」

「私は受験しないよ? 会社立ち上げるし」

「あぁ、アホなんですね」

「ストレートに罵倒するのはやめてくれるかなっ!?」

「今のご時世で会社立ち上げても、速攻で潰れるんじゃないですか?」

「海外に行って資本に物をいわせて資源を搾取したり、高齢化社会に乗じたサービスの運営で若い人を食い潰しつつお金稼ぎしたり、地方の儲からない大型デパートのお客さんをアレコレして根こそぎ持って行ったり……まぁ、遣り様によって、ね?」

「へぇ。世の中そんな甘くないとは思いますけど、賢い人は色々違うんですねぇ」

「五郎ちゃんには『発想が怖い!』って引かれたんだけどな……」

「経済は弱肉強食の自由競争ですからね。発想が酷かろうが、従業員を奴隷化しようが、儲かった奴の勝ちです。ただし、責任は重いし簡単に勝ち逃げもできない。稼いだ金に見合った重さの『なにか』を背負うことになるんですよ。みんなそれが嫌だから起業じゃなくて就職するんです」

「話が長いし小賢しい。もっと簡潔に、一言で言えないの?」

「あぁ、アホなんですね」

「同じ罵倒を二度繰り返すとは、どうやら本格的に死にたいようね! 弟ラブを捨てたブラコンをナメん……っと、ちょっと待って。メール入った……」

 携帯電話を開き、メールの内容を見た美恵子の表情が見る見るうちに曇っていく。

 目を細め、携帯電話を閉じた美恵子は、今までになく冷たい表情を浮かべていた。

(嫌な予感がする……)

 その『嫌な予感』を肯定するかのように、美恵子は目を細めて口を開いた。

「結崎君」

「……なんでしょうか?」

「今日、家に帰りたくないから、結崎君の家に泊まるね」

「決定事項っ!? いくらなんでもそんな無茶は通らねぇぞっ! お金貸しますから、どっかその辺のホテルかなんかで宿泊してくださいよ!」

「やだ」

「……おい」

「別にいいよ。泊めてくれないなら野宿するし。文枝ちゃんには『結崎君に乱暴された』って、ちゃんと説明しておくから」

「ストレートな脅迫はやめようじゃないか! もうちょっと話し合おう、冷静にな!」

 美恵子の言い分は滅茶苦茶だった。明らかに『結崎忍は断れない』ことを見越しての行動だということは忍には分かったが、それでも行動も言動も無茶苦茶だった。

 無茶を通すために、道理を引っ込めている感じだった。

 見ていて危うく思えるくらいに……美恵子は、なにか理不尽なものに怒っていた。

 がりがりと頭を掻いて、溜息と共に美恵子を見据えた。

「条件が三つあります」

「なに?」

「一つ。オレの部屋には入らない」

「エロ本漁るくらいはいいでしょ?」

「いいわけあるかァ! ……二つ。禁酒と早寝は厳守です」

「意外と健康的だね。で、三つ目は?」

「ざっくりとでいいんで、どうしてそうなったのか説明してください」

「私は母親と折り合いが悪いの。だから今日は家に帰らない」

「………………」

 五郎や文枝が原因かと思ったのだが、どうやら違ったらしい。

(夏休みの家出の原因……もうちょい詳しく聞いておけば良かった)

 幹也への連絡先をちゃんと交換しなかったことを悔いても、もう遅い。

 状況に……あるいは、美恵子に流されるしかない自分を嘆きながら、忍は心の中で大きく溜息を吐いたのだった。



 なにも起こりませんように。

 日々を大過なく過ごせますように。

 そんな願いは届かない。そんな『わがまま』は通らない。

 結崎忍は『わがままは通らない』ことを知っている……絶望的な男だった。

どんな人間も、我慢できることとできないことがある。

次回以降のお話は、そういうことを延々と語るだけのお話です。

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