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episode story

とてもとても大昔の話。


人の住まう里から随分と離れた山の麓。

普段は見渡す限り、深緑の木々と少しばかりの平地があるだけの場所。


だが、今この時は違う。


焔が辺りを包み、焼け焦げ、むせ返る臭気に鼻が麻痺しそうになる。それもその筈、見渡す限り広がる夥しい(おびただしい)異形の屍の数々。人の血とは違う色の体液を、切り刻まれたその身体から滴り落とす。


『土蜘蛛』


里に住まう人々は其れらをそう呼び、恐れた。深き山々の土塊を住処とし、人里に降りては人に家畜に害を成す異形の生き物。人や家畜を攫い、養分とする化物。


また一匹の土蜘蛛が少女に襲いかかる。口からは異臭のする唾液をダラダラと溢し、その蜘蛛の体から生えたおぞましい足の切っ先を少女に突き刺した。


本来ならば、目を覆いたくなる光景がそこにはあった。土褐色の化物の足が、深々と少女の身体に突き刺さっているのだから。


しかし。


年老いた僧侶の目に映る少女には、蜘蛛の足など刺さってはいなかった。それどころか金色の瞳を輝かせ、少女の指から伸びた獰猛な爪が蜘蛛の足を無残にも引き裂いていた。


グモォォォ…!


声にもならぬ蜘蛛の咆哮を、愉悦の表情で見つめる少女。爪に滴る蜘蛛の血を一舐めし、口元を緩め口角を上げてしまう。


何故なのか。


楽しいのだ。


人に仇なす化物を狩る事が。命を思いのままに刈る事が。

人々に忌避され続けた自分が、人々に喜ばれるのが。


だから嬉しい。


狩りをして、人に喜ばれるのが。


「サン!油断するでない!」


僧侶の声が飛ぶ。


「爺ちゃん!大丈夫ダ!心配すんナ!」


金色の瞳を細めて無邪気に笑う少女。知らぬ者がこの周りで起こっている惨状を見れば、混乱するに違いない。化物と戦う事に喜びを感じ、嗜虐と愉悦を感じる少女が、年老いた僧侶に見せた顔は年相応の孫娘のそれだったからだ。


「全く…戦いになるとすぐに見境なしになりよる…、本当に困った子じゃ」


少女の事を考えながら、剃髪した頭を掻く。人に仇なす怪異を退治しながら全国を渡り歩く、風来の高僧がこの老人だった。そして旅先で出会った少女こそが、今目の前で土蜘蛛を八つ裂きにし、悦に入っているのが『犬神のサン』だった。


人にも混ざれず、化物にも混じれず、常に両者から異質な者と蔑まれ生きてきた薄汚れた少女に人と共に生きる術を教え、生きる為の目的を与えた僧。出会った土佐の地で別れるつもりが、何故か懐かれてしまい、歩けど歩けど後ろについて来る。堪りかねて犬神の子に問いかけた。


「お前さん、どこまで付いて来るんじゃ…?儂に付いて来ても大変なだけじゃぞ?土佐の地で教えた様に、人や異形に仇をなさず、田畑を作り静かに暮らせと。いずれお前さんにも良い者が現れて、子も出来るじゃろうと。お前さんわかったと言って、うんうんと頷いておったじゃろう?」


困った顔で僧侶が言う。

しかし犬神の少女は事もなげに返す。


「わかっタ!わかったけド、サンは爺ちゃんが気にいっタ!爺ちゃんと旅したいゾ!」


無邪気な笑顔で話してくる。

犬は人と共に生きると言うが、犬神の童も同じなのかのぉ…。


「はてさて、困ったもんじゃ。のう?サンや。お前さんは犬の姿に戻れるかのぉ?」


僧侶の言葉をうんうんと頷きながら、話の内容を理解したのか、しっかりと答えた。


「出来るゾ!サンは犬神だからナ!爺ちゃん見ててナ!」


そう言って勢い良く宙に舞い、ポンっと可愛らしい薄汚れた灰色の犬が現れた。

よく見れば盛大に尻尾が揺れている。


「えらく懐かれたもんじゃのう…」


やれやれと諦めた僧は、犬のサンに優しく話かけた。


「のう、サンや。儂は各地を気ままに旅する僧侶じゃ。人に仇なす異形の者を退治する為、どこに向かうかも気ままじゃ。一つの場所に留まる時もあれば、すぐに出立する時もある。様々な人にも会うじゃろう。その時お前さんは傷つくかもしれん。それでも儂について来るか?」


上目遣いで年老いた僧を見つめる犬は、また宙に舞い人の姿に戻る。


「うん!爺ちゃんの役に立ちたいゾ!」


「…やれやれ。仕方ないのう…」


観念した僧は、こうして犬神のサンと共に日本の各地を気ままに旅した。異形の化物に苦しむ人々がいると知れば北へ南へ赴いた。そんな事を続ける内に、いつの間にやら傍らには常に灰色の犬が年老いた僧侶に付き従い、異形の者共を退治する、そんな噂が各地で流れ僧侶の事を『犬神使い』と呼ぶ人々も現れた。


「犬神使いじゃのうて、ただ単に懐かれただけなんじゃがのう…」


僧侶の独り言を拾ったサンは不思議そうに見返した。


「どうしタ?爺ちゃん?」


「なんでもないわい、ほれ、それよりも集中せんか」


えへへ。と笑う少女に呆れる僧侶だった。


(見渡す限り土蜘蛛の屍だらけだが、こやつらはまだ小物の様なもんじゃ。親玉が出てくる筈なんじゃが…)


僧侶が険しい顔で、考えていると突然地面が膨れ上がり、僧侶の足元から大地が爆発を起こした。


「爺ちゃん!?危なイ!」


迎え撃っていた土蜘蛛達を無視し、僧侶よりも先に、僧侶の周りでの異変を察知し、サンが助けに入る。

僧侶を腕で抱えて、即座に飛び出した。サンが咄嗟に助太刀してくれたおかげで僧侶には傷一つ無い。


「おぉ!サンや、有難う…。油断していたのは儂の方だったわい。しかしとうとう現れよったぞ!奴らの親玉がのぉ!」


目の前に現れた蜘蛛は、今先程までサンが戦っていた土褐色の蜘蛛ではない。大きさも倍以上、心底寒気が走り出す様な深い緑色の目。黄色と黒の斑模様の不気味な柄の身体と八肢。間違いなく親玉とわかる圧倒的な異質さがそこにはあった。


「サンや!手はず通りに行くぞ?お前さんが奴を弱らせた後、儂の護法術で消滅させる!良いな!……サン?」


先程から返事の無いサンを訝しげに思い、目をやる。そこには腹部から出血し、着物を血で濡らしているサンの姿があった。


「サン…!!お前さんどうして!?」


「ダ、大丈夫ダ!爺ちゃん!サンは動けるゾ!!」


強がってそうは言うものの、腹部からの出血は酷く、一刻も早く手当をしなければならない事は一目瞭然だった。


「いつの間にそんな怪我を…。おぉ…!あの時儂を助けた時に受けたんじゃな…?」


地面が膨れ上がり爆発した瞬間。その瞬間にサンが気づかなければ親玉の土蜘蛛に身体を貫かれていたのは僧侶だったのだ。自分の不甲斐なさに、申し訳ない気持ちで身体が押し潰されそうになる。


「爺ちゃん…わたシ…アイツタオス…!だから気にすんナ!」


額に脂汗をかき、ひと目で痛みを我慢しているとわかってしまう。最早猶予は無い。一気に終わらせて、サンを治療しなければと焦りばかりが生じてしまう。


「サンよ!今ひと時耐えてくれぃ!護法滅殺の術を決めてやる!儂の準備が出来るまでなんとか耐えてくれぃ!」


サンは何も言わず、全てを理解したと言わんばかりに土蜘蛛に迫る。深緑の目が不気味に光り、持てる足を全て使い、サン目掛けて襲いかかる。


ザシュ!ザシュ!ザシュ!!


手負いのサンにかすりもせず、空を切る足は大地に突き刺さった。


「…はぁぁぁぁぁぁ!ヤァ!!」


掛け声と共に、渾身の力で振り下ろす爪で足を切り裂き、土蜘蛛の斑模様の体を引き裂く。


ゴォォ!?グギャァァァァァァ!!


痛みと怒りで、なおも執拗にサンに詰め寄り攻撃を繰り返す土蜘蛛。口からは人の首などいとも簡単に、折る事が出来そうな糸を吐き出し、サンの動きを止めようとする。手負いで普段の動きが出来ないサンは、糸の直撃こそ免れたものの、片足を糸に囚われ、そのまま力任せに地面に投げつけられた。


「アゥ!!…うっ、うぅぅぅゥ…」


今ので腕が、肋の何本かが折れたかもしれない。少しでも動けば酷い激痛が襲ってくる。しかし本当にいけないのは、この出血なのだとサンは理解していた。


「マ、マエガ…ミエナイ…」


誰に呟くでも無く、一人自分の現状を理解しようとしていた。糸に囚われた足は叩きつけられた時に、ヒビが入ったか折れている。


素早い攻撃が得意なサンは自分がもう、土蜘蛛に対して決定的な攻撃が出来ないと悟っていた。それでも、諦める訳にはいかなかった。自分の後方で、この蜘蛛を消滅させる為に、無防備に法印を結び唱える

我が主人を守る為に。


だからこそ犬神のサンはお願いした。


見た事も名前も知らない神様に。


(わ、ワタシのカワリに…爺ちゃんヲま、守ってカミサマ…)


『ウォォォォォォォォォォォン!!』


焔が燻り続けるその場所に、銀色に輝く体躯を駆る一匹の狼が表れた。銀狼は土蜘蛛と、親玉土蜘蛛の体を引き裂き、八つ裂きにしていく。


「サン…なのか!?サンっ!!」


法印を結び、法力を増幅させる僧侶。目の前のサンが光り輝き、いつもの灰色の犬では無く、銀色に輝く体毛を纏う狼になって土蜘蛛を圧倒していた。驚きの中、遂にその時が来たのだった。


「い、今じゃ!法力が充分に溜まった!!サンよ離れておくれ!そして土蜘蛛達よ!これで終いじゃぁぁぁ!」


僧侶が結んだ印が解かれ、両手を土蜘蛛達目掛け、護法の術を放つ。僧侶の身体から無数の文字が流れゆき、土蜘蛛達に絡みつく。残った足で足掻こうとしても、僧侶から放たれている護法の術がそれを許さない。


ギィッ!?ギィィィィヤァァァァァァァァァァ!!


「人に仇なす異形の者よ!無に帰し現世と戻るなかれ!おぉぉぉぉぉ!『滅』!!」


滅の声と共に、土蜘蛛達の動きを封じていた文字が縮小されていき、一つに纏まる。そして大きく『滅』の文字が浮かび上がった瞬間、動きを封じていた空間内だけで爆発が起き、土蜘蛛は滅んだ。


肩で息をする僧侶だったが、完全に土蜘蛛を消滅させた自信はあった。ありったけの法力を流し込んで消滅させたのだ、何よりもこの機会を命懸けで作ってくれたサンに…。


「そうじゃ!!サン!?サン!無事か!?」


サンは少し離れた場所に横たわっていた。一寸も動く事も無く。僧侶は全力で駆け寄り、サンに問いかける。


「サン!サンや!目を開けるんじゃ!今すぐ治療してやるからな?気をしっかり持つんじゃ!儂の護法の力で今なんとかするからの!」


そう言って形振り構わず、サンの傷口に治癒の術を施す。淡い光がサンを包み込み、薄らと目が開かれた。


「おぉ!サンや!気づいたか!?もうすぐじゃ、もうすぐ元気になるからな!」


必死にサンを励ます僧侶。しかしサンはふるふると力無く首を振る。もうこれ以上はしなくて良いとばかりに。それは何を意味するのか僧侶にはわかっていた。


「何故じゃ!?何故やめろと言うのじゃサンよ!?」


戸惑い、憤る僧侶にサンは力無く、それでも大事な事を言った。


「じいちゃ…ン。ア、アリガト…。さ、サン良いコダッタ…?まっ…またジイチャンと…イッ、イッショニ…いたいナ…」


血の気が失せ始めたその青白い顔からは、次第に温もりが失われていくのだろう。今はまだ手に残る温もりが悲しく、そしてサンとの生活を思い出してゆく。


人に忌避され生き、それでも人の傍を離れず、人の為に生きた犬神の少女サン。薄暗く暗雲立ち込める空からは、次第に雨が降り始めて来た。


「お前さん…こんなにも軽かったんじゃのぉ…」


小さな少女を抱きかかえた年老いた僧侶の言葉を聞く者は誰もおらず、短く呟いた言葉は雨の音と共に消えていった。


その後、僧侶はこの地で土蜘蛛を滅したが、三つの祠をその地に住まう者達に作らせ、代々祀る様に指示した。無念の念を土地に残さず、昇華させる旨を伝えて。


そしてもう一つ。


年老いた僧侶は生涯をその地に留まり、一つの祠を作り上げた。家族を呼び寄せ、最後のその時まで祠を守り続け、そして逝った。その祠を『サンの眠る場所』を代々守り続ける様に伝えて。いつの日かサンが生まれ変わり、人とサンが共に笑顔で過ごす事を夢見て。祠で眠り続けるサンと、また旅の続きを楽しむ様に。



そして、現代へと物語は続く。


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