02 街へ
翌朝。太陽が昇ると同時にコタロウたちは再び道を歩き出した。
先頭をケイタが歩き、コタロウとナナネが続いた。
「ナナネちゃん、疲れたらおぶるから言ってね」
「ありがとう、さすがは変態、いえ、紳士ね」
「下心じゃないよ!」
そんな事を話しながら、何度か小休憩をはさみつつ半日近く歩いた。
さすがにそろそろ喉の渇きに限界を感じていた頃、ようやく森を抜ける事ができた。
携帯電話は変わらず圏外を表示していたが、草原が広がる先に村のような集落がみえる。
「助かった、これで飢え死にしないですむな」
ケイタが胸をなでおろした。冗談ではなく、どこまでも続く森の道でかなり本気で精神的に追い詰められていた。
それなりに距離がありそうだが、喜びと希望に歩く足が速まる。
村に着いた。やはり、ここは日本ではないらしい。ヨーロッパの田舎のほうなのではないだろうか。随分と古い造りの家屋が建ち並んでいる。石積みや土壁など日本では見たことのない映画のような街並みに唖然としていると、家の前の花壇に水をあげていた若い男性に話しかけらた。
「やあ、珍しい格好だね、旅の人」
金髪に色白で鼻は高く蒼い目をしたこの青年は日本人には見えない。が、はっきりと日本語でそう喋った。その発音にも違和感はない。
「あ、あの、ここは何処でしょうか?」
コタロウも思わず、日本語で返す。
「ウルアザ村だよ。ナルダグの街から来たのだろう?何も観光出来るものはないが、ここら島の最北端の村だ」
聞いた事のない地名だ。
「ここは日本ではないのですよね?」
「ニホン?地名なのかい?」
(日本語を喋っているが日本を知らないのか)
「あの、私たち空港か大使館のある都市まで行きたいのですが、どこか車が出る所を教えてもらえませんか」
「クウコウ、クルマ?すまないが知らない言葉ばかりで、学のない私には力にはなれそうにないだ」
(自動車が無い文化。ここはどこの国なんだろう)
「ロコ爺なら何かわかるかもしれないな。君たち、この道を真っ直ぐ行って、2つ目の角を曲がった先にある家を訪ねてごらん。この村の長老にあたるロコ爺が、この時間ならきっと庭でお茶をしている頃だろう」
「ありがとうございます。すぐに訪ねに行ってきます」
お礼を言い、青年を後にする。
教えてもらった通りの道を歩いていく中でも、見慣れない風景が続いた。どこの家にもそれほど広くない畑があり、そこで作業している人もやはり日本人ではない外見だ。
到着したロコ爺の家は、平屋の民家だった。うす汚れた土壁作りで、この村の家屋の中でも一層古く感じる。リビングと思われる部屋の掃き出し窓が全開になっていて、ウッドデッキがつながっている。そこにゆったりとした広めの椅子に座りながら、お茶を飲んでいる白髪の老人の姿があった。
「はじめまして、ロコ爺さんですか?」
庭の外から話しかけると、老人は目をひそめて、ゆっくりとティーカップをテーブルに置いた。
「そうじゃが。お主らは何処から来なさった旅人かの?」
「えっと、その、とても遠くから来たのだと思います。日本という所でして。僕たちは気付いたら、この村の近くの森にいたんです」
ロコ爺はひそめた目を、数回まばたきをして、手招きをした。
「入りなさい。詳しく聞く事にしよう」
リビングに通され、椅子に座る。
コタロウたちはここまでの経緯を話している間、 ロコ爺は終始目を瞑っていたままだった。 寝ているんじゃないだろうか。そんな疑心を抱きながら、話しを終えると、
「昔、わしが首都プロメイアで学者をしていた時に王室資料館で研究していた初代皇帝の日記にものう、彼が大陸と呼んでいたところが、実は君たちがいた世界と同じような話が書いてあったのじゃ。彼もニッポンというところから来たと」
ロコ爺によると、この島にはかつて3つの国同士が争い続けていたのだという。
その3国の戦争に終止符を打ち、島全土を統一したのが、戦乱の中に突如現れた初代皇帝ヒロアキだという。
ヒロアキは伴侶であるマキナを連れて、この島とは別の大陸から来たと宣言して、島に新たな技術、知識、戦術を持ち込んだ。ヒロアキとマキナの2人は建国後、国名をエヴォルブと名づけ、3国それぞれの種族に日本語とカタカナを共通言語として統一させたという。エヴォルブとは彼のいた世界で、進化を表す言葉の一つだとも伝えられている。
(evolve・・・彼も日本から俺たちと同じように来たのだろうか)
島のまわりを囲む海流の為に、大陸に対しては渡る事が出来ずにいるらしい。しかし、いくら海路から孤立化した島でも、人が住んでいる島が飛行機や人工衛星がある現代で見つからないと考えるのも難しいはずだ。
また、ヒロアキは人体に触れるだけで病気を治す事ができ、マキナは魔法を使えたという。 ここはやはり自分達のいた世界とは違う世界なのだろう。
「魔法というのは、使える人は少ないのでしょうか」
ここがファンタジーな異世界なら、魔法使いだって頻繁にいそうなイメージがあった。
「遥か昔には、魔法が文明を支えていた時代もあったそうだが、初代皇帝の当時でさえも使える者は島全土にも片手で数えられる程しか残ってはいなかったそうじゃ」
そして、現在ではロコ爺曰く、魔法の使い手は彼の知る限り皆無だという。
(この異世界、エヴォルブに連れてこられた方法も、帰る方法も魔法かと思ったのだが、 違うのか)
「そのヒロアキ皇帝の日記には他にどんな事が書かれていました?」
「言った通り、わしは学者としてその日記の文字を研究していたのじゃが、なにせカタカナ以外の文字がほとんどでの。それも複雑な字体ばかりで、殆どが文章として解読出来るには至らなかったのじゃ」
それはきっと漢字やひらがなの事かもな、と考える。
「まずは、この地方では最大の街であるナルダグの街に行くといい」
「分かりました。その、ナルダグの街にはどうやって行けば?」
「ナルダグの街なら、ちょうど明日の朝に、村の広場から買い出しの馬車が出る。今日は、裏の納戸に泊まっていくといい」
ロコ爺に案内された納戸は庭の奥に建っていた。
長い事開けていなかったようで、建て付けの悪く固くなっていた木製の扉をようやく開けると、埃が舞う。10畳程の広さの部屋には、たくさんの書物や木箱が並んでいた。壁には、いくつかの剣や槍が並んでいる。
「昔、学者になる前に旅していた時の装備じゃ。長い間、整備しておらんから、斬れ味は保証出来ないがの」
そう言って懐かしい思い出に浸るかのように一本一本手に取り、眺め出す。
「それでもこんな所で埃をかぶらせておくには惜しい代物ばかりじゃ。これから、この島で生きていくには必要になるじゃろうから、好きなものを一本ずつ持っていくがよい」
「いいんですか?大切なものなんじゃ?」
「若く、力のある者に持ってもらった方が武器にとっても本望じゃろうしの」
そういうものなのだろうか。
しかし、丸腰ではあまりにも不用心であった為に、お言葉に甘やかせて頂く事とする。
幾つか剣を見繕っていると、奥に鞘に包まれた細身の刀があるのを見つける。取り出して、鞘から抜いてみる。
「これは・・・」
フォルムから予想はできたが、日本刀である。
「それは、初代皇帝が持っていたカタナと呼ばれる武器のレプリカじゃ。斬れ味は抜群じゃが、使い方に癖が強くての。島でも愛用している者は多くないのじゃが」
他にある武器は、西洋の武器ばかりだ。 日本刀とは馴染まないであろう。
「お主も、初代皇帝と同じ国の出身なら、それが使えるという事かの。持っていくがよい」
「ありがとうございます。使いこなせるか、自信はないのですが」
しかし、コタロウも構えや型くらいは覚えている。いざという時には、役に立ってくれるかもしれないと考え、礼を言う。
ケイタは宝飾の着いた槍を、ナナネは持ちやすそうなダガーを選んでいた。
(使わないで済むなら、それが一番なんだけどな)
その日の晩は、ロコ爺の手料理をご馳走になった。
料理は勿論和食などではなく、田舎風スープにパンという味気のないものであった。 パンは固く味がなく、スープも飲んだ事のない薄い味だったが、飢えが限界にきていたコタロウ達には、今まで食べた中で1番美味しい程に感じられた。
食事の間にも、ロコ爺は島の現状について色々と教えてくれた。
特にここ数年は、魔物の数が急激に増えて、治安が悪化している事。その対策として、国では冒険者ギルドや傭兵ギルドへの報奨金を増やしている事。
そんな混乱下の異世界でも、最初にロコ爺に会えた事は、まさに不幸中の幸いのはずだ。
納戸に戻り、慣れないランプの照明の下で、何冊かの書物を広げる。文字は全てカタカナで書かれており、時間はかかるが読むことが出来た。
精神的にはかなり疲れていたのだろう。その晩は、硬い床の上で毛布にくるみながら、早い就寝となった。
「ヒロアキ皇帝と同じ大陸の出身だと?」
翌朝、村の広場にて。
馬車の前で準備をしていた御者らしき中年の男性は目を見開いて聞き返してきた。
「そうじゃ。帝都まで大陸からの視察団の船に、楽団員として彼らは乗船していたらしいのじゃが、航海中に大嵐にあったらしくての。北の森の先にある海岸線まで漂着したそうじゃ」
ロコ爺が上手く話を合わせてくれる。
「しかし、あの海流の波に呑まれて無事に漂着できた者が3人もいるとは・・・」
やはり一筋縄に信じてもらえそうにない。ヒロアキ皇帝以来200年の間、誰もこの島に来た人間はいない事のだ。
「大陸の楽団員であるという証明になるかはわかりませんが、」
と打ち合わせ通りにナナネに目配りをする。
既に彼女は鞄からフルートを取り出していた。昨夜寝る前に簡単に音程の確認をしていたが、壊れてはいなかったようだ。
真剣な眼差しで、いつも肌身離さず離さず持ち歩いている相棒の楽器を口に咥える。そっと目を瞑り、明るく軽いメロディを奏で始めた。
聴いた事のあるクラシックだが、コタロウには曲名までは分からない。しかし、その心地よい音調に自分が見惚れてしまいそうになり、気を引き締める。
(おれは今、音楽楽団の一員なのだ)
再び意識をリセットする。
やがて短い演奏を終えた後、御者のオヤジさんからの拍手が聞こえた。
「聴いた事のないメロディだ。それに腕前も素晴らしい。素人のわしにも伝わってくる。」
音楽は国境を越えて世界共通の文化、と桜の自信は間違っていなかった。先ほど迄の疑いの表情は、すっかり面影をなくしている。
「彼女しか漂着の時に楽器を持っておらず、披露できないのですが、信じて貰えましたでしょうか。」
「ああ、それも見たことのない大陸の楽器なのかの。分かった、街まで乗せて行こう。是非とも現皇帝様にもその演奏を聴かせてもらいたいものだな」
こうしてコタロウ達は無事、馬車に乗せてもらう事になった。
「飛ばすからな、夕方迄には着くぞ」
最初に見た時から驚いていたが、この馬車の馬は、テレビでも見るサラブレッドの競馬馬よりも遥かに大きかった。ラオウの乗っている黒王号くらいの馬というのがコタロウの印象だ。
黒王号の引っ張る車台は、つかまっていないと振り落とされそうな程大きく揺れ、あっという間に小さな村を抜け、草原のあいだにある道を走り出した。
「しかし、また迫真の演技だったな。お前の演劇観た事ないけど、何だか本当に楽団員って設定忘れて説得力あったよ。実は小さい頃から天才子役としてデビューしてたとか?俳優の卵とか?」
「そんなことないよ。役者だって高校入ってからの二年半で、部活のレベルだから、そんな俳優なんて、偉そうな事、」
自分の演技が決して下手とは思わない。
しかし、舞台に出るとアガリ症の性格が出てしまい、どうしても堅くなってしまう。
さっきのはそうでもなかったが、それは観客が御者のオヤジさん1人が相手だったからだろう。 それでも、我ながら上手く演じれた感覚はあった。思い返すと、言葉を発する唇や仕草がイメージした通りに勝手に動いていた気がする。
満足気な表情で空を見上げていると、急に順調に走っていた馬車が止まった。
油断していた為、慌てて荷台の手摺を掴む。何事かとコタロウとケイタは顔を見合わせ、荷台から降りる。御者のオヤジさんの所に行くと、彼は馬車の止まった数メートル先の道の外れを指した。
「行き倒れみたいだが、お前さん達の仲間じゃないか?」
女子高生が後ろを向いて倒れていた。間違いなく、あの制服はうちの生徒だ。
真っ先にケイタが近づいていき、肩を抱いて、顔をあげる。
「大丈夫か、しっかりしろ!」
知らない顔だったが、ちゃんと息はあった。
すぐに、御者のオヤジさんが荷台から水筒を持ってきてくれた。一緒にナナネも、タオルを持ってついて来ていた。 蓋を開けて、ゆっくりと口に含ませる。
やがて、器官に入ったのか、ゲホゲホと咳をしながら彼女は目を開いた。
「はぁはぁ……けほっ、わ、私、生きてる……」
「もう大丈夫よ、落ち着いて、ゆっくり水を飲んで」
濡らしたタオルを渡しながら、ナナネが背中をさする。
ごしごしと顔を拭くと、彼女はさっと立ち上がり、深く頭を下げ下げた。
「ありがとうございます。私、1年C組のユキと言います」
「気にしないでくれ、俺は3年のケイタ。同じく3年生のナナネちゃんに、」
「あーっ!コタロウ先輩!」
思いっきりコタロウに向かって指を差し、叫ぶ。
「えっ、うん。そうだけど」
はっきりと彼女の顔を見ても誰だか分からない。
身長は小柄で150cmくらいだろうか。髪は真っ黒なショートヘアで、すこし癖っ毛がある。大きな黒瞳に、鼻立ちは高くはないが、丸みをおびた頬が高校1年生らしい童顔を形つくっている。華奢な体つきはナナネと同じだが、身長のせいか小動物のような可憐さを感じさせる。
年下の女の子との交流なんて部活以外では全くといってよい程、縁のなかったコタロウの記憶にはない。
「あ、突然ごめんなさい。私、中学の頃も先輩と同じ中学に通ってまして」
中学生時代。今よりは学生生活を満喫していた時代がコタロウにもあった。
リア充、とまではいかなくても、それなりにクラスの生徒とも交流があり、表に立って行動する事もあった。中学3年の春のころは、まだ剣道部に籍を置いており、副主将としても面倒見の良い先輩としても、それなりに後輩達から敬意を受けていたと自分でも思う。
(勿論、主将だったあいつと比べると、当然雲泥の差だが)
あまり記憶にはないのだが、 その頃に街で高校生に絡まれていた彼女を救ったことがあったらしい。
絡まれていたといっても恐喝とかではなく、ナンパ的なものだったらしいが。しかし、あまりにしつこく、路地裏に連れて行かれそうになった時に、下校中のコタロウが通りすがり、仲裁に入ってくれたという。
結局、話し合いでは収まらず、暴力沙汰になった。それでも、部活帰りで竹刀を持っていたにも関わらず、それをかざす事もなく一方的に相手の暴力を受け、彼女を逃がしてあげた事。
その頃の武勇伝を、彼女はまるでヒーローを語るかの様に話してくれた。ケイタも、「なにその超絶イケメン」とコタロウの事を冷やかす。
話を聞き終えた頃にようやく思い出してきた。
彼女を救ったのには、理由があったのだ。
あの日のコタロウは、下校中という理由ではなく、後に剣道部を辞める理由にもなった、あの試合の帰りだった。
たまたま、自分の学校の後輩に対して絡んでいる、知らない高校生がいて、無性に八つ当たりをしたくなっていた。相手は誰でも良かった、スカッとしたかった、そんな理由だ。
仲裁に入ってくれたというのは、はたからみた状況で、実際はかなりコタロウ自身も挑発していた気がする。だが、実際に揉め事になった時に、素人相手に剣を振るう訳にもいかず、ただ殴られるだけだった。自虐的にもなりかけていたから、それでも良かったと思ってさえいた。しかし、
「先輩に助けられるの、これで二回目ですね」
「いや、少なくても今回は俺が助けた、というよりは、馬車のオヤジさんが発見してくれたおかげであって」
そう言って、御者のオヤジさんに向かって振り向くが、既にオヤジさんは馬に股がって出発の支度をしていた。
「本当に、先輩には、その、何てお礼を言ったらいいのか」
「そんな事ないよ。あ、ほら、ナナネもタオルを用意してくれた訳だし」
ナナネの方を振り向くと、彼女も既にケイタと荷台に乗り込んでいるところだった。
(そんな、無言で立ち去らなくても)
再び馬車に乗り込み、ユキにロコ爺から貰ったパンを一斤渡す。
彼女も書道部のサクラノ祭実行委員として、あの教室に居たらしく、落雷?の後に目が覚めたらこの島にいたらしい。彼女の場合は森ではなく、この草原の先にいたとの事だが、二日間さまよい続けて、この道で行き倒れていたそうだ。
「彼女もここにいたということを考えると、少なくてもあの時教室に居た生徒全員が、こちらの世界に来た可能性は高いな」
ユキの座っていた席は教室の端の方だったそうだし、ケイタとの席も少し離れていた。
「だとすれば、50人以上もの生徒がまだこの島のどこかにいることになるわね」
「そう考えると、少しだけ安心出来ますね」
そんな事を話しながら、太陽が落ちかけてきた頃、ようやく地平線の先に、街の城壁がみえてきた。