18 魔王・元カノ
何を言っているのか分からなかった。
魔王?
何を寝ぼければそんな単語が出るのだ。
このエヴォルヴという異世界において魔物が混沌より生まれてくるという話は文芸部のヒロトが調べた書物の内容により聞いていた。
しかし魔物は群れて街を襲う事はあっても、統一性もなく、その知能は高くない。魔界という存在が明らかになっていないこの世界において、魔物が何の目的で何処から生まれてくるかも分かっていないのだ。魔王の存在も、この異世界にはない。
「ボケっとしたアホ面しないでよ。久しぶりに会ったっていうのに」
「俺は会いたくはなかったけどな」
本心だ。コタロウにとって悪夢と思われる日々が頭の中で甦る。
「つれない返事!そんなんだから、今でも彼女出来ないんでしょ?」
「今さらお前には関係ないだろ」
「けど、まだ童貞でしょ?目を見れば分かるわ」
「どんな目をしてるんだよ、俺は!?」
「とても哀れな目をしてるわね。これが元カレだと思うと、さすがに同情したくなってしまうわ」
どうしてもコタロウのいる場所からだと、ミカに対して見上げる形になってしまう。それが一層、腹立たしく思える。
サツキも、彼女とは面識があったが2人の様子を見て、口は出さない方が良いと考える。この2人には並ならぬ関係があるのはすぐ分かった。
「そこは昔、魔法がこの国にあった時代に謁見の間として使われていた所よ」
碧の塔側の庶民が、紅の塔側の王族や貴族に対して見上げる様に造られているのか。壁から声が聞こえるのも、こちらの声が届くのも、おそらく魔法の仕掛けがあるのだろう。
ミカ。高校3年生、帰宅部所属。
都立桜乃丘高校は、全ての生徒が部活に入らなくてはならない。そんな校律にしばられるのが嫌だった彼女は、入学して早々に帰宅部を立ち上げた。同好会を作るにも最低3人の生徒が必要であった為、当時まだ演劇部に入部する前であったコタロウを無理やり帰宅部の一員として参加させた。もう1人の枠は、入学してすぐに非登校になってしまったクラスの生徒の名前を借りて、勝手に100円ショップで買った三文判で入部届を偽造している。
人数の少ない部活動は同好会や研究会といった名前になるのだが、帰宅同好会じゃしまらないという理由で部として登録させた。帰宅するだけ、というふざけた部活動の内容にも関わらず、職員からの了承と認可をもらえたのは、彼女の恐ろしさである。
まず、ミカは人に媚びるのがうまい。特に異性であるならば、彼女に逆らえる者は、そうそういないだろう。その妖美ともいえる美貌とプロモーションにより、男性は魅惑されてしまう。ナナネが辞退したミス桜乃丘でも、ダントツの一位で優勝している。そんな美人と付き合えたコタロウが幸せ者かと言えば、そうではない。最悪とコタロウが称したのは、その性格である。学校の生徒の弱みは全て握っている。自由奔放に人を振り回し、誰の指図も受けない。良く言えば悪女だが、悪く言えば悪魔である。彼女と付き合った男は、数えきれない程いた。そして誰しもが不幸な別れ方を迎えている。コタロウの知る、彼女に言い寄られて幸せになれた男は皆無だ。
コタロウも入学してすぐに告白され、彼女の容姿に惑わされて二つ返事で了承してしまったのだが。
そして、裏切られ、最悪の形で別れる事になった。
彼女なら、紅の塔で特等貴族と称する男と一緒にいるこの状況にも納得がいく。お金持ちや権力者こそ、ミカの最も得意とする獲物なのだから。
「俺たちがここに来る前に、うちの生徒が来たと思うんだが、どうした?」
「ケイタ君たちなら、こっちで預かってるわ。こんなに早くここ迄来れるとは思ってなかったから、かなり驚いたわ。どんなカラクリがあるのか分からないけど、そうね。私としたことが、ユウト君もこっちに来ているのを忘れていたわ」
「他にもうちの生徒が一緒じゃないのか?」
「ケケケ。他の2人とは意見が割れてね。うるさいから、少しの間眠ってもらうことにしたさ」
マサキがけたけたと笑っている。
眠ってもらう。それは、この塔の何処かで街の人たちと一緒に仮死状態にさせられているという事だろうか。
「他の2人と言ったけど、この街にいる生徒は5人じゃないの?」
「いや。あんた達が何人で集まってるかは知らないけどさ、ここにいたのは最初から俺を含めて4人だけだぜ」
それを信じるとするならば、あと1人まだ行方が分からない事になる。
「何が目的なんだ?」
「言ったじゃない。魔王になるって。知ってる?この世界には魔王がいないんだって。せっかくのファンタジーな異世界なのに、魔法もない、魔王もいない、勇者もいないなんて」
せっかくの異世界なのに、とつまらなそうにしていたマモルの言葉を思い出す。
「平和でいいじゃないか」
「街で暮らす人々にとってはね。だけど、魔物には可哀想じゃない」
「かわい、そう?」
「そうよ。魔物がどうやって生まれるのかあなたは知らないでしょ。魔の物、字のごとく魔物はこのエヴォルヴの大気に含まれる大量の魔力から構成される不純物なの。魔王のしもべとして、魔界から召喚される訳じゃない」
「それが何の関係があるんだ?」
「私たち人間が、食べる為に牛や鳥を殺すのとは違うの。ただ存在するから、狩らないとその数が増え続けるからという理由だけで、殺されていく。食物連鎖の輪からも外れているわ。そして魔物たちにも知性が全くない訳ではない。痛覚はあるし、感情だってある」
「人間だって、魔物が襲ってくるから戦うんだろう?」
「そう。だけど、人間と魔物は共生は出来ない。しかし、魔物たちは意思とは関係なし、生まれ出てしまう」
「お前が動物愛護団体に入っていたなんて知らなかったな。それで自分が魔王になると?冗談言うなよ。魔物がどうなろうと、お前にはどうでもいい事だろう」
彼女相手に話すときは、どうしても感情が表に出てしまうが、抑えられない。
「私が可哀想と言ったのは、その不公平さよ。人間には、王も英雄もいるのに、魔物たちは統制を取る事も出来ずにただ狩られるだけなのよ。そんなのは、つまらないわ。それに、さっきも言った通り異世界なのに、魔法も、勇者も、魔王もいないなんて。王道じゃないわ」
頭が痛くなる。ミカは付き合っていた頃も、ライトノベルというジャンルの小説をよく読んでいたのを思い出す。
「誰も、王道ファンタジーな展開なんて求めてないよ」
「私を誰だと思ってるの?」
何事にも捉われず、誰よりも自由で、気ままに生きていたい我が儘な存在。ミカが人の言う事を聞かない事なんて事は、コタロウには初めから分かっていた。
「だからと言って、人に迷惑かけていい訳じゃないだろうよ」
「迷惑?そこで眠っている人たちなら、仮死状態と言ったじゃない。むしろ、私たちは彼らを魔物の襲撃から守ってあげたのよ」
「は?」
言われてみれば、魔物の襲撃があり、それから結界が発動したと聞いていた。
「ケケケ、魔物の大量発生が各地で起きているのは知っているだろう。この街の近くにも魔物が現れてな。数は多くはなかったんだが、魔族級の魔物達が複数襲ってきたんだ。何体かは襲撃を許したが、他の魔物達は結界の外さ。つまり、俺らは俺らで、この街を救った英雄というわけさ」
それなら、それで話が変わってくる。仮死状態というのは、流石にどうかと思うが。しかし、彼女は魔王になると言ったはずだ。
「魔王というのはね、コタロウ。私が魔物を支配する事で、余計な血を流さないようにすることでもあるの。魔物は生まれた以上、人を襲う。しかし、魔物の発生を止める事は出来ない。ならば、せめて魔物達にも、人間達にもルールをつけさせる」
「魔物が魔王の言いなりになる事で、無駄な襲撃はなくなる、か」
「そう。けれど魔物の本能は、あなたの言う通り、戦いよ。それを完全に止めさせる事は出来ないみたいだから、争いがなくなる事はないわ」
「ルールって何だ?」
「いたってシンプルよ。魔王が率いる魔物の大軍に対して、人間達の英雄と兵士達が戦う。人間達が勝てば、魔物たちは当分の間、大人しくなるわ」
「都合のいい話だが、どんな根拠があるんだ?」
「魔力が過剰にある為に、魔物は生まれる。魔力がなくなる程の大魔法が発生すれば、魔物は現れない」
「大魔法?」
「かつてこの世界に来たヒロアキとマキナって人がどうやって帰ったのだと思う?異世界トリップした人間が帰る方法なんて、転移魔法に決まっているじゃない」
ヒロアキとマキナが、この世界中からいなくなってから200年近くの間、魔物の数は減っていたとは聞いていた。2人の転移魔法により魔力が一時的に足りなくなりそれが、ここ数年で増えたというのなら、魔力が再び充填されて余ってきたという事なのかもしれない。コタロウ達56人もの転移魔法なら、それ相当の魔力を消耗するはずだから、長い間、魔物がいなくなるというのは真実味がある。
「俺達が元の世界に変える事で、こっちの世界にも平和が訪れるというのなら、理想的な話だな」
ミカの言う通り、魔物も可哀想な存在だ。生まれてこれないのなら、そのまま魔力でいた方が幸せなのだろう。
「転移魔法の使い方は、記録が残っているわ。条件さえ満たせば、多分それでいけるはず」
「条件?」
「ヒロアキ皇帝と同じよ。彼はこの島をエヴォルヴとして統一し、争いをなくす事で条件を満たしたわ。私たちも、彼と同じ様に今の争いをなくせばいい」
「つまり魔物との戦いに終止符をうつ必要がある」
魔物が各地で無制限に沸いてしまうのであれば、局地的な争いはイタチごっこになる。
「そう。そういう訳でわたしは魔王として、あなた達人間に総力戦を挑む事にしたの。いいわね?」
「いいわけあるか。よりによって、何でお前が魔王役なんだ!?」
ミカはさも当然の様に、微笑む。
「だって、面白そうじゃない?」
ミカが、腰に手を当て胸を張る。結局はそこなのかと頭を抱えてしまう。
「……分かった。俺たちもここは一度引くよ。ケイタとユキを返してくれないか?」
「ええ。この2人に伝言役になってもらおうかしらと思ってたけど、あなたとこうして話せたからもう必要ないわね。ヘンケル!」
そう言ってミカが立ち上がると、窓際にヘンケルの姿が立ち上がって現れた。
「騎士団に、彼らを門の外まで連れてかせるよう指示を出して頂戴」
「ちょっと待て!姿が見えないと思ってたけど、人間椅子をやらせていたのか!?」
「ええ、そうよ。他の2人も連れ出してあげて頂戴。碧の塔の何処かで埋もれているはずだから」
さらりと言い渡すと、ヘンケルは頭を下げてから、離れて視界から消えていった。
(王族の子孫、のはずだよな、彼……)
よく見れば、なかなかのハンサムだったが、同情せざるを得ない。そして、それ以上に王族の末裔であるという貴族の彼をそこまで躾るミカに対して、改めて恐怖を覚える。
「結界の外に出れば、催眠は解けるはずさ」
マサトがそう付け加えた。
「面白そう、というのは本音だけど、魔王には私しかなれないかもしれないわね。私は魔物を操るべく、この地に伝わる魔物使いの補助魔法具を開放するつもりよ」
魔物使い。人を操る事に既に長けている彼女だから、その魔法具とやらを扱えるのか。
「もちろん、やるからには本気でやらせてもらうから、覚悟しておいて」
ミカは遊びにも、部活にも手を抜かなった。放課後の補習も部活を理由にサボり、帰宅部らしくそのまま帰宅した。かと言って、ただまっすぐに帰宅した事は一度もなかった。放課後をいかに校外で楽しむかを帰宅部の部活動として捉えて、思いつくままに好き放題していた。
コタロウも色々な所に連れまわされたが、1人になってからも、都内中の繁華街で彼女の姿は目撃されていたらしい。
もしかしたら、その自由さこそが彼女の特許技術なのかもしれないな、と考える。彼女は自分の我が儘を通す。マモルの討論とは違う。自分のルールを相手に通させてしまう。そこには、主張も意見もない。
「これから寒くなるわ。春になったら、私たちは進軍をするつもりだから、それまで精進しなさい」
「自分の手の内や侵略の予定を教えてくれるなんて、気前の良い魔王なんだな」
「一方的過ぎると、つまらないでしょ?」
相当な自信があるのか。みんなが帰る為と言っていたが、魔王側が勝つつもりらしい。矛盾しているが、コタロウには分かる。そういう女なのだ。
「本当は、どっちが勝っても良いんだろう。お前にとっては、遊びなのだから」
女は平気で嘘をつく、と思い込める程コタロウに交際経験がある訳ではないが、彼女に関してはそう簡単を信じられない。
「それまでは魔物が大量に沸く事はないと思うから安心して。大陸の魔力の大半は、今この街の周囲に集めているから」
それはつまり、この街の周りにて魔物を量産させる準備をしているということなのだろう。ミカは、その魔力を集める為の魔法具は、この塔にいる街の人々の生体エネルギーで運用している、と付け加えた。
「もちろん非道徳的な行為なのは、認めるわ。それに生気を吸収しているのも、この街の庶民階級やギルドの人間だけで、貴族や騎士団は今もこちら側でのうのうとしているわ」
それでも、彼女はそれを選んだ。自覚しているのならば、言葉はこれ以上出ない。
「話が長くなったわね。それじゃあ、また春に会いましょう」
そう言うと窓から下がり、視界から消えて行った。
マサトもいつの間にか消えている。
「コタロウ……」
肩を落としたコタロウに、ようやくサツキが口を開く。
「みんなの所に戻ろう。ケイタ君たちも連れて帰らないと」
すぐに起き上がり、もう一度紅の塔を睨む。
<チェリーブロッサム>の生徒達ともうまくやれてた為、少し安心していたが、みんなで同じ道を歩けるわけではなかった。
どこまでふざけているのか、彼女の本心は分からない。
だけど。散々裏切られて、甘いという事は分かっていても、それでも彼女を信じたい。




