第2話
「ボタンもしっかり留めてね」
アオから借りた透明なレインコートは僕にぴったりだった。
何もせず僕を見てるカイさんを待たせてるんじゃないかと思って急いでそれを着込んだ。
「フードもかぶった方が良い」
言われるままに僕は後ろについているフードを頭にかぶせた。
そんなに厳重にする必要があるのかな。
「行こうか」
そう言ってカイさんは扉の前で大きな黒い傘をさした。白髪によく映えてる。
「本当はあんまり見せたくないんだけど」
前置きしてから複雑そうに微笑むカイさんはネズミを手に持っていた。
それはジタバタとカイさんの手から逃げようとしてる。僕が見たところ、どこにでもいるただのネズミだ。
「見ててね」
地面にネズミを近付けて逃がしてやる。最初の数歩は勢いよく飛び出したが、突然ピタリと足が止まった。
僕が不思議がっているのもつかの間に、ネズミはかん高い声でキーキー鳴き出した。
そして、僕の目の前で信じられない光景が起こった。
「見たね?」
「今のって……」
カイさんはネズミをハンカチを使って拾いあげる。否、先ほどまでネズミだったモノを。それは皮膚も肉も溶け、骨だけの姿に成れ果てていた。
「これがこの雨の力なんだ」
「う……っ」
僕は目の前にさらけ出されたネズミの死骸を見て胃の中のものが逆流しそうになった。
しかし胃にあるのはココアだけだったので何も出てくることはない。
「悪かったね、酷いものを見せた」
ハンカチを折り畳んで骨を隠し、僕の頭をくしゃりと撫でるカイさん。その表情は僕の目に悲しそうに映った。
「この雨は生物の細胞を壊すんだ。だから植物は室内に飾られ、動物も室内で飼われる存在。俺達人間も雨に濡れないように毎日細心の注意を払ってるもしくは雨具の装備だね。それだけは忘れちゃ駄目だから」
僕は何度も頷く。有毒性の雨は容赦なく僕らに打ち付けてた。
「そろそろ中に入ろう」
カイさんの家に入るとき、扉の横にある看板が僕の目に入った。
「骨董屋……?」
「あぁ、ここ。俺達の自宅兼店なんだ。シュウが寝てたソファの周りにも品物があっただろ?」
思い返せば古時計や壺などが並んでいた気がする。
そうして僕は気付くんだ。人には損得を考える力があること、記憶のない使えない僕の存在を。
「カイさん、僕お金とか持ってないんだ。だから……」
「シュウはアオより頭の回転が早いみたいだね」
ふっと笑みを溢しカイさんは屈んで僕の目線に合わせた。
「シュウには此処の店番してもらおうかな」
僕は頷く。住ませてもらうのに何もしないのは良くない。
二人で中に入ると上に行くと言ったはずのアオがソファに座ってた。
「おかえり」
「ただいま」
「カイも悪趣味だよな。子供にあんなもん見せるなんて」
僕はレインコートを脱ぎ、カイさんは傘の水気を払う。
「仕方ないだろ? それより、アリアは?」
乾くまでコートを椅子に掛けるよう言われて僕はキッチンへ向かった。
二人の一本調子な会話はぽんぽん弾む。
「……まだ機嫌悪い。部屋に篭ってる」
「呼んでくる、仕事があるんだ」
カイさんはアリアの部屋に行ってしまった。
「久々の仕事かぁ」
「アオの仕事って何?」
伸びをするアオの背中に僕は尋ねた。
骨董屋以外にも仕事があるのかな。
「運び屋、かな」
「運び屋?」
「いろんなモノを指定された場所に運ぶんだよ」
アオはポケットから棒付きの飴を取りだして口に運ぶ。赤いからイチゴ味。
「食う?」
もう一つ飴を出して僕の前にかざした。緑色はメロン、かな?
「……ありがとう。その仕事って大変なの?」
「んー、まぁモノによってかな。このご時世じゃろくなもんはないけど」
「ふーん……」
「おしゃべり」
僕が飴を口に入れた丁度そのとき、アリアとカイさんが下に降りてきた。
僕を間に挟んで、アオとアリアは睨みあってる。
「こら、喧嘩しちゃ駄目。今回の仕事は早めに済ませればその分報酬が高いんだから」
「マジ? そんじゃあ早く行こうぜ!」
報酬、お金に関する単語にアオは目をギラギラと光らせていた。
理由は子供っぽくないけど年相応に見えるなぁ、なんて思ってたらふと痛い視線を感じた。アリアだ。
やっぱり僕はまだ認めてもらえないらしい。
「シュウは此処の店番を頼むよ。まぁそんなに人気があるわけじゃないからのんびり店を散策してみて」
「一日に一人来れば良い方だもんな」
うーん……、だいぶ暇がありそうだ。
「それに常連なら事前に連絡が入るんだ。今日は何も来てないから」
行ってきます、そう言って三人は仕事に向かった。
古時計の針が時間を刻む規則的な音が聞こえてくる。外を見ればすでに雨は止んでいた。
僕はソファの隅に腰掛けて辺りを見渡す。よく考えれば、アオに会ってから一人になるのは初めてのことだ。
「何かしなきゃ、ね」
此所にいても良いと思ってもらいたい。
ぼーっととしてるより少しは動くべきだと思って、何をすべきか考える。
「うわ……」
何気なく下を見ると、フローリングの床が埃を被ってうっすら白くなっている。
そういえば僕もアオ達も土足で此処を出入りしてたっけ。
「……掃除しよう」
誰もいない部屋で呟く。物置らしき部屋から掃除用具を取り出して、モップで床を磨く。モップ自体、少し埃っぽかった。
「おや、新しいメンバーかな?」
掃除に集中していたのか僕は来訪者に気付かなかったらしい。
来訪者は茶系のスーツに身を包み、丸い帽子を被った初老の男の人だった。
「あ、い、いらっしゃいませ……!」
初めての客に僕の緊張は増す。
しかし当人はまったく気にしてないようで、暑そうに帽子を脱いでうちわ代わりに扇いでいる。
「君一人かい? カイや他の子は?」
「仕事に行きました」
カイさん達の存在を知ってるなら常連なのかもしれない、僕はそう考えて答える。
「ああ、もうやってくれてるんだね。それじゃ、これをカイに渡してくれないかな?」
それは白い封筒だった。分厚い中身でふたが出来てない。
「これは……?」
「君は何もまだ教わってないんだね。仕事の報酬だ」
覗いて見るとお札が数十枚入っている。
いくらかはよくわからなかったけど、僕の目が点になるくらいの枚数だった。
「じゃあ、そろそろ失礼するよ」
ゆっくりと椅子から腰を上げて老父は言った。
「そうそう、君の名前は?」
「シュウです」
「シュウ君か、良い名だ。また来るよ」
柔らかな微笑みを残して老父は出ていった。
僕は札束入りの封筒を眺めて、老父の存在やアオ達の仕事がどんなものなのか、気になって掃除の続きができなかった。