プレイヤー召喚:異世界救世ゲーム
私たちの世界は魔王軍の攻撃により、滅亡の危機に瀕していた。
「レーザービーム砲」を使う勇者や「ミサイルハリケーン」の剣聖でさえ、魔王の果てしない侵攻を前に完全に絶望していた。
「失敗だ、我々は失敗した……魔王に勝てるはずがない!この世界はもう終わりだ!」
そんな弱音を吐き捨て、大陸最後の希望と謳われた二人の英雄は、振り返ることもなく王宮を去っていった。
大広間に残されたのは、私だけだった。
英雄たちは諦めてしまったかもしれない……だが、私は決して諦めない。
平凡に生きてきた人々が、訳もわからず魔王軍に屠られていくのを、私は受け入れられない。
美しい笑顔の少女たちが、涙に顔を蝕まれていくのを、私は受け入れられない。
だから私は魔法を使う——「召喚魔法」と呼ばれる禁忌の術を。それは大陸にただ一つ、記録だけが残され、かつて誰も発動させたことのない究極魔法だ。
召喚魔法を使うと決めたその日、私は師匠に会いに行った。
永世の魔女、ソフィア。
彼女はこの大陸で最も若い魔導賢者であり、わずか十四年で、何も知らぬ見習いから大陸屈指の実力者へと成り上がった人物で、今は私に力を貸してくれる唯一の協力者でもある。
ついでに言うと、私が見習いから魔導賢者になるまでにかかったのは七年だ。
ただ、今の大陸には私に叙勲してくれる王がもういないので、最年少魔導賢者の称号は相変わらず師匠のものだけれど。
師匠は何も言わなかった。ただ、用意していた魔導具をすべて私に手渡しただけだった。けれどその瞳は、心の奥底にある恐怖を、ありありと晒していた。
怖がるのも当然だ。なにせ発動した後に何が起こるかすら定かではない、禁忌の魔法なのだから。
とはいえ、永世の魔女である師匠がそんな表情を見せるなんて、少し可愛らしく思えてしまう。
「大丈夫、私がみんなを救うから。大丈夫だよ」
師匠を安心させるようにそう言い残し、私は事前に描いておいた魔法陣の中へと足を踏み入れ、立ち尽くしたまま呪文を唱えた。
魔力が体から根こそぎ吸い取られる一瞬、私の意識は底なしの闇へと沈んでいった。
──────
暇だ。
あまりにも暇を持て余した鉄治は、VRヘッドセットに向かってあくびを漏らした。
今は二〇X六年の夏。技術は発展し、VRヘッドセットすら街角のコンビニで気軽に買える時代だ。
鉄治はこの時代のゲームならさぞ面白いだろうと期待していたのだが、実際に触れてみれば、市場に出回っているのは流行の模倣作ばかり。
たまに独創的な作品が現れても、流行から外れすぎていて儲からず、サービス終了か開発中止に追い込まれていく。
かつて鉄治が夢中になっていた超能力格闘ゲーム『ムーン・バトル』でさえ、二週間前にあっさりとサービスを終了した。
今の鉄治は、まさにゲーム干ばつの季節にいた。
何か遊べるものはないか。
彼はだるそうにヘッドセットを頭にかぶり、VRゲームストアの画面へと潜った。世界中の作品が人気順に並び、一ページに表示される数は数百にも及ぶ。表紙はどれも派手に飾られているが、いざ中身を開いてみると——またしても鉄治は失望した。異世界冒険ものもSFシューティングも、どれもテンプレート通りの物語と操作感ばかりで、見ているだけでうんざりする。
ちょっと待て。
見落としそうになったページの片隅に、名前すらないゲームがあった。
表紙を占めているのは、泣きじゃくる一人の少女と、その背後で燃え盛る廃墟だけ。
おや、これはインディーゲームか?
こういう目立たないのに実写写真を表紙に使っているあたり、小規模な個人作品にまず間違いない。
ただ最近のインディー界隈では安価なAIイラストが流行っているが、この表紙からはAI生成の痕跡がまったく見られなかった。
鉄治は興味を惹かれた。ほとんどのインディーゲームは資金や技術の不足から粗削りなものの、技術が稚拙でもアイデアは隠せない。もしやアイデア一本勝負の怪作だったらどうしようか。
彼はその名無しのゲームを開いた。
まずは課金体系を確認——え、無料?
それならなおさら試す価値がある。
ゲーム画面は驚くほど簡素で、プロモーション映像もスタッフ名も、BGMさえもなかった。表紙の下には、大きな「Game Start」の文字があるだけ。
これはどういうゲームなんだ? VR版の人生シミュレーションか? 災害サバイバルか? 頼むからインディーを装った変なアダルトゲームでありませんように。
鉄治は深く息を吸い込み、「Game Start」を押した。
おなじみの浮遊感が訪れる。脳の神経がコンピューターに乗っ取られる前兆だ。
数秒後、鉄治の意識はゲームの中に現れた——
そして、鉄治は衝撃を受けた。
おおおおおおっ! このゲーム、リアルすぎるだろ!
普通のVRゲームなら、視覚と聴覚をプレイヤーに与える程度だ。大手メーカーの作品でも、たまに触覚フィードバックが少し付くくらい。
なのに今、風に乗って届く土の匂い、首筋にじりじりと差す日差し、足元の瓦礫を踏んだ時の不快な振動——そういった感覚が、全部ある!
この規模の感覚シミュレーションは、インディーゲームのレべルじゃ絶対にありえない。
こいつは掘り出し物だ。
興奮した鉄治は、あたりを見回した。
だが、ここはゲームでよくある初心者の村ではないようだ。ただの荒れ地だ。
ゲームメニューを開いて指示を確認しようとしたが、ボタンも何も表示されない。
え、チュートリアルすらないのか? これ、どうやって進めればいいんだ?
この奇妙な状況に、鉄治はある有名なアニメのストーリーを思い出した。VRゲームを遊んでいたプレイヤーたちがゲームの中に閉じ込められ、命を賭けてゲームのモンスターと戦わされる、という話だ。
何考えてんだ。
鉄治は少しおかしくなった。そんな話はVRヘッドセットが登場した頃からずっと言われていることだ。そもそもVRゲームに人間を閉じ込める能力があるかどうかはさておき、高校生である鉄治は親にゲームを制限されていて、一日のプレイ時間は最長でも一時間。時間が来ればヘッドセットは自動で電源が切れる。危険なんて起こりようがない。
だったら、この世界に何があるのか、見に行ってやろう。
鉄治はゲーム内の探索を始めた。
そう遠くへ行かないうちに、前方に人影を見つけた。
「お、ここは市場か」
人のいる市場に出られたことが鉄治には嬉しかったが、妙なことに、市場の人々が話す言葉は、鉄治にはまったく理解できなかった。
鉄治が話す言葉も彼らには通じず、何を尋ねても、皆ただ手を振るばかり。
このゲーム……日本語ボイスが実装されてないのか? それに、このNPCたちが話しているのはどこの言語だ?
困惑していると、背後から聞き覚えのある声がした。
「あの、あなたが勇者様ですか?」
今度は聞き取れた。これは日本語だ!
振り返ると、そこには美しい女性が立っていた。尖った帽子に杖を持っている。魔法使いか何かだろうか?
「勇者? ゲームのプレイヤーって意味か?」
鉄治の問い返しに、女性はようやく安堵した表情を浮かべた。
「やはり……どうやらあなた様が勇者で間違いないようですね。失礼しました、私はソフィア。勇者の皆様をご案内する役目を担っております」
案内NPC登場か。
不安が消えた鉄治は、このNPCに興味を持った。
「さっきの人たちは何語を話してるんだ? このゲームには日本語の翻訳機能とかないのか?」
ソフィアは少し戸惑い、それから優しく説明した。
「ああ、これは我々の大陸共通語です。申し訳ありません、現時点では勇者様に皆と会話していただくことができません。次にいらっしゃって世界を救っていただければ、修正されるかと」
大陸共通語???
まさか開発者たちは、このゲームのためだけに一から言語を作り上げたっていうのか? そんなの、ぶっ飛びすぎだろ!
「ついでに聞くけど、このゲーム、タイトルは何ていうんだ? どうして名前がないんだ? ゲームの遊び方は? 俺は何をすればいいんだ?」
鉄治はソフィアに矢継ぎ早に尋ねた。
ソフィアは気まずそうにうつむいた。「ああ、それなのですが……ゲームのほうは、まだ内部テストの段階でして、すべて勇者の皆様のご意見をもとに決まります。ゲームの名前すらも、勇者の皆様のフィードバックで決めたいと」
「つまり、名前すら決まってないのに、ゲームをリリースしたってことか?」
「……はい」
そのバツが悪そうな様子に、鉄治は思わず笑ってしまった。
こいつは新鮮だ。
ソフィアは勇気を振り絞るように、まっすぐ鉄治を見た。
「恐れ入りますが、勇者様。この大陸を救っていただけませんか?」
お、クエストが受けられる!
鉄治は嬉しくなった。どうやらようやくゲームが遊べるらしい。
「もちろんいいよ。俺は何をすればいいんだ?」
「この大陸を救い、魔王軍を打ち倒してください!」
なるほど、王道の異世界冒険ものってわけだ。
「わかった。じゃあ、初期武器とバックパック、それからポーションとかをくれ」
「も、申し訳ありません……武器などは、まだ……ご用意ができていなくて」
ソフィアは声を潜め、その声には後悔の念が滲んでいた。
え、無いの? そんなゲーム、あるか?
「うわあああああああああ!」
相手の言葉がわからなくとも、この悲鳴が何を意味するかは、鉄治にも痛いほど伝わった。
振り返ると、緑色の、人型の何かが市場に現れていた。
間違いない。ゲームでありがちな、ゴブリンだ。
ゴブリンの身長は大人の腰ほどしかないが、大手を振って市場に侵入していた。
物売りの露店はそいつに木の棍棒で粉々に叩き壊され、人々は悲鳴を上げて四方八方へと逃げ散っている。
「勇者様、急なことですが、どうかまずはあのゴブリンを倒してください!」
「はあ? でも俺、何も持ってないんだけど!」
鉄治がそれ以上文句を言う間もなく、ゴブリンはすでに彼を見つけていた。
耳障りな奇声を発し、棍棒を振り回して突っ込んでくる。
鉄治はとっさに両腕で頭を庇った。次の瞬間、左腕に強烈な痛みが走る。
「痛ったあああああ!!!」
思わず叫び声が漏れた。このゲーム、痛覚まで再現してるのか!? しかも、ちょっとした痛さじゃない。本当に殴られたような、あの苦痛だ。
まだ終わりじゃない。倒れていない鉄治を見て、ゴブリンは棍棒を手に、何度も何度も鉄治を打ち据えてくる。
一発、二発……
何度も殴打を受けながら、鉄治の頭の中に残った考えはただ一つ。
逃げろ!
隙を見て、鉄治は背を向けて走り出した。
ゴブリンは後ろから執拗に追いかけてくる。
鉄治は必死にゴブリンの攻撃を避けながら逃げまどう。
「なんなんだよこのクソゲー、体験がただの殴られ役かよ!」
慌てふためきながら、逃げ道を探す鉄治だったが、そこで小さな少女を見つけてしまった。
年の頃は七、八歳。顔中が土埃にまみれていて、あの表紙で泣いていた少女にとてもよく似ている。
彼女はその場にうずくまったまま、逃げる力すら残っておらず、ただ小さな両手で頭を抱えているだけだった。
鉄治は、喧嘩は得意じゃない。
それでも、この瞬間だけは——退きたくなかった。
あのゴブリンだって、そこまで特別強いわけじゃない。棍棒にさえ当たらなければ、恐怖さえ克服できれば……
鉄治は急ブレーキをかけて足を止め、振り返ると同時に、その勢いのまま後ろにいたゴブリンに蹴りを叩き込んだ。
不意を突かれたゴブリンは吹き飛ばされ、棍棒は手から離れ、地面を数回転がっていく。
「も、もう怖がらなくていいからな。大丈夫だ」
その言葉が少女に通じているかはわからない。けれど、それは重要じゃなかった。
鉄治は息を切らし、全身を震わせながらも、武術の構えを取って立ち塞がった。
戦いの恐怖は本物だ。それでも、「確かに正しいことをした」というその感覚が、彼をどうしてもその場から動かせなかった。
「勇者様! 見つけました、この魔法の巻物です!」
ソフィアが鉄治に巻物を投げ渡した。
「遅い! でもこれ、どうやって使うんだ?」
「敵に向けて、ファイアボールと叫べば発動します!」
言い終わるが早いか、ゴブリンはすでに棍棒を拾い上げ、雄叫びをあげて鉄治に飛びかかってきていた。
迷っている時間はない。鉄治は巻物を広げ、あの歪んだ緑色の顔に向けた——巻物に描かれた魔法陣が輝き始める。
「ファイアボール!」
灼熱の火球が巻物から勢いよく放たれ、狙い違わず着弾した。
業火がゴブリンを包み込み、断末魔の叫びとともに、その怪物は黒煙を上げる炭と化した。
やった、勝ったんだ!
鉄治はその場にへたり込んだ。ゴブリンとの戦いで、体力は一滴残らず使い果たされていた。
あたりはしばしの静寂に包まれ、やがて人々が現れた。彼らは協力してゴブリンに荒らされた品々を片付け始め、すすり泣く者もいた。幸いにも、死者は出なかったようだ。
「感謝いたします、勇者様。我々はついに、ついに魔王軍に立ち向かう希望を得ました!」
興奮するソフィアとは対照的に、鉄治の痛みはまだ消えていなかった。
彼は手を振って言った。
「あの……悪い、今日はもう疲れたからログアウトする。それと、運営に一言、伝えてくれないか——」
彼は顔を上げ、真剣な表情でソフィアを見た。
「このゲーム、絶対に修正が必要だ。難易度が高すぎるし、報酬も何もないんじゃ、誰も続けられないぞ」
そう言い終えると、鉄治の体は星屑のような光の粒子となって、消え去った。
「彼は、帰られました」
鉄治が消えた方角を見つめながら、ソフィアは悲しげな表情を浮かべた。
「召喚は成功しました。ですが……あなたにはもう、見えませんね……」
ソフィアは視線を落とし、自分の影を見つめた。
沈みゆく夕日の中にあったのは、自分一人だけの影。いつもそこにあったはずの、もう一つの影は消えていた。
「あなたの願いは、私が継ぎます。必ず」
一方、現実世界。
鉄治はVRヘッドセットを外し、天井を見上げたまま長いことぼんやりしていた。
ゴブリンに殴られた痛みも、追われた恐怖も、まだ体のあちこちにこびりついている。
数多くのゲームを遊んできたが、これほど不快な体験を味わったのは初めてだった。
それでも、あの少女の姿を思い出し、自分が確かに一つの命を救ったことを考えると——
彼はヘッドセットをそっと枕元に置いた。
明日も、あのゲームを続けてみよう。
最後までお読みいただいた皆様、誠にありがとうございました。
未熟な私ではございますが、何卒よろしくお願い申し上げます。




