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『路地裏の目』第三話

 触るな


旧市街警察署の取調室は、昼でも薄暗い。


窓は小さく、蛍光灯の光が白く机を照らしている。


椅子に座っているのは、若い女だった。

二十歳そこそこ。まだ震えが残っている。


向かいに座るのは刑事、内村。


机の上には紙コップの水。


女は両手でそれを握っていた。


「……もう一度聞く」


内村は静かに言った。


「屋上で何があった」


女は少し黙った。


唇が震える。


「……最初は普通だったんです」


「普通?」


「飲みに行って……それで」


女は視線を落とした。


「上に行こうって」


内村はペンを持つ。


「屋上に?」


「はい」


女は頷く。


「景色がいいって」


しばらく沈黙が落ちた。


蛍光灯が小さく唸る。


女は言う。


「最初は、ただ話してたんです」


「でも」


「急に怒り出して」


内村は顔を上げる。


「怒った?」


「私が帰るって言ったら」


女は息を吸う。


「腕を掴まれて」


手首を押さえる仕草をした。


「柵まで引っ張られて」


内村は聞く。


「それから」


女は目を閉じた。


「押されました」


沈黙。


内村はペンを止める。


「落ちたか?」


「……いえ」


女は首を振る。


「でも」


声が小さくなる。


「落とされると思いました」


部屋の空気が重くなる。


内村はゆっくり聞いた。


「その男の名前は」


女は少し迷う。


そして言った。


「……隆也」


ペンが止まる。


内村


「名字は」



「東条」


机の上の時計が秒を刻む。


カチ。


カチ。


内村は書くのを止めた。



警察署の廊下。


内村が歩く。


取調室のドアが閉まる音。


廊下の奥で刑事が話している。


「聞いたか」


「東条の息子だろ」


「マジかよ」


声が小さくなる。


内村はそのまま歩く。


会議室の前で止まった。


ドアの中から声がする。


「……無理だ」


別の声。


「上からだ」


内村はドアを開ける。


部屋の中には数人の刑事。


そして、机の前に立つ男。


捜査一課係長

佐伯。


佐伯は振り向く。


「内村」


内村は言う。


「被害者の証言が取れました」


佐伯は黙っている。


内村は続ける。


「突き落とそうとした」


「殺人未遂です」


部屋の空気が固まる。


佐伯は言う。


「名前は」


内村


「東条隆也」


沈黙。


若い刑事が目を逸らす。


佐伯は机に手を置いた。


「……その件は」


少し間。


「ここまでだ」


内村は理解できない顔をする。


「は?」


佐伯


「事故扱いになる」


内村


「被害者が証言してます」


佐伯


「証言は撤回される」


内村の眉が動く。


「撤回?」


佐伯


「弁護士が来る」


短く言う。


「終わりだ」


内村は笑った。


乾いた笑い。


「終わり?」


机に手をつく。


「人が落ちてるんですよ」


佐伯


「落ちたんじゃない」


「落ちた“ことになってる”」


内村


「ふざけるな」


部屋の刑事が固まる。


佐伯はゆっくり言う。


「内村」


「相手が誰か分かってるのか」


内村は答える。


「関係ない」


佐伯


「ある」


短い言葉。


「東条グループだ」


内村は黙る。


佐伯


「警察の予算」


「政治」


「全部繋がってる」


机を軽く叩く。


「勝てない相手だ」


内村


「勝ち負けの話じゃない」


佐伯


「そうだ」


目が合う。


「勝ち負けの話だ」


沈黙。


佐伯は少し声を落とす。


「触るな」


内村は動かない。


佐伯


「これは命令だ」



夜。


旧市街。


街灯が濡れた路地を照らす。


黒猫が塀の上を歩いている。


クロだった。


風が吹く。


街の匂いが流れる。


油。


酒。


煙。


その中にある。


覚えている匂い。


甘い酒。


若い汗。


クロの耳が動く。


道路の向こう。


黒いセダン。


ドアが開く。


男が降りる。


隆也。


頬に薄い傷。


猫の爪の跡。


隆也は煙草に火をつける。


煙が夜に流れる。


クロはじっと見る。


隆也は一瞬、顔を上げる。


猫と目が合う。


沈黙。


隆也の顔が歪む。


「……またお前か」


小さく呟く。


クロは動かない。


ただ見ている。


隆也は煙草を捨てる。


靴で踏み消す。


「気味悪いんだよ」


そう言って車に乗る。


エンジンがかかる。


車が走り去る。


クロは屋根に飛び上がる。


そして夜の街を見渡す。


遠くに警察署の灯り。


そこから一人の男が出てくる。


内村。


歩いている。


疲れた顔。


クロは屋根の上からそれを見る。


内村は歩く。


路地に入る。


その時。


足を止めた。


屋根の上の黒い影。


猫。


内村は見上げる。


「……お前」


クロは動かない。


風が吹く。


内村は小さく息を吐いた。


「見てたんだろ」


猫は答えない。


沈黙。


内村は空を見上げる。


「俺もだ」


小さく言う。


「見てしまった」


クロはじっと見ている。


内村は呟く。


「でも」


拳を握る。


「終わりにはしない」


夜の街に風が流れる。


猫はまだ見ている。


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