イケオジ殿下と結婚したいのです
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ライル殿下の屋敷における華やかなパーティー。戦勝祝いの催しなのだけれど、その点、いまはどうでもよく。殿下は今日もカッコよく精悍で、物静かながらも勇猛果敢な感もありありと窺え、そしてなんだかとってもエロい。色気のある殿方は稀に存在するものだ、私にとっては殿下がその筆頭だと言っていい。殿下はとうに四十がらみなわけだけれど、年齢を重ねるごとにやっぱりなんだかエロさが増しているように見受けられる。そのへん、ご本人に自覚はあるのだろうか。ええぃ、なんだか悔しいな、このナイスミドル殿は。
殿下は長男なのだけれど、早々に立場を切り替えた。次男坊、すなわち弟君を次期皇帝に据えると宣言したのである。じつにまあとにかく好々爺然とした現皇帝は「それでいい」とおっしゃったようだ。「素敵だ」とまでおっしゃったようだ。なんとも優しい世界である。
ではなぜライル殿下は皇帝の権利を手放したのかというと、――まあ、この見方自体がうがったものなのかもしれないけれど、戦争、あるいは戦闘に、自らの軸足を置いているからなのである。実際、殿下ががんばりふんばっているからこそ、我が国の安寧は保たれているとまで言われている。殿下は偉いだけでなく強くもあるのだ。にしたって皇族の人間がどうして戦の先頭に……? それもまた、殿下が勇ましいからだろう。自らが国の責任を背負って先頭に立ちたいのだ。
カッコいい。
なんてカッコいいの、ライル殿下。
ただでさえイケオジすぎる時点で大好物なのに行動力もハンパないとか。
わたくしカレンは恐れ多くも愛しております、愛し果てております。
まだ大学生にすぎませんが、この愛は本物で……。
パーティー会場から、「そろそろ」といった具合にライル殿下が退場しようとする。特にマダムらが残念がる。そうマダムらだマダムらだ。アソコが乾燥しきった不潔な中年どもめ。その点、私はピチピチだ。十七歳のピチピチだ。だからねぇ、ちょっと――と言いたくもなる。
「ライル殿下! お待ちくださいませ!!」
私は腹の底から声を出した。
どう考えても突拍子もない大きな呼びかけだったはずなのだけれど、ライル殿下は特段驚いた様子も見せず、さらには「どうした、カレン嬢!」と大きな声を返してくれた。
顔見知りというわけではないけれど、まったく知らない仲でもないはずだと考えていた。だから「カレン」と名を読んでもらえたことには小さくない喜びを覚えた。
「殿下、抱いてくださいませ!」
うあぁっ、心の声が盛大に漏れた、ほんと大ボリュームで。
しかしもはや引き返すことなど――。
私は真白のドレスのスカートの長さのうざったさに辟易しながらも、殿下のもとまで走った。殿下は「待て」と言って、私の額に右手を当て、その前進を止めた。進撃するすべを失った私は思わず「あぅ」と間抜けな声を発した次第である。
まもなく、私の額から、ライル殿下は手を引いた。
「カレン嬢、私にきみを抱けと言うのか?」
「はい、それはもう。私はヴァージンですからきっといろいろと気持ち良く、殿下であろうといろいろと興奮されるだろうと思う次第で――」
「こういった、それなりに厳かな場で述べる言葉ではないな」
「私がまだ学生の身分であるがゆえのことでございます」
ライル殿下は「カレン嬢、きみはおもしろいなぁ」と言って、大らかに笑った。ああ、程良い無精ひげの感じとか、飾り気のないひらひらのロングヘアとか、もうたまらんのだ。殿下をものにできなければ私は一生後悔する。それくらいの意気込みと覚悟がある。
顎に右手をやり、ライル殿下はなにやら考えているよう。「どのような『作業』でも承りますわ。ベッドの上でもがんばりますわ」と私は必死。「犬のポーズをしろと言われれば従いますわ」とは、よくよく考えてみればすごいセリフだ。
殿下は言ったのである。
「カレン嬢、きみの言葉は本気だと受け取った。そこで、だ」
「そこで?」
「きみは私に対していささか盲目がすぎるようだ。だから、一度、一般的、あるいはフツウの人間――男と一緒に暮らしてみてはどうかと提案する」
一般的?
フツウの人間?
男?
私は「えぇぇーっ」と声を上げた。
両手を上げて「どひゃっ」と驚いたくらいである。
「まあひどい! ひどいですわ、殿下! 私はあなたに、あなたにだけに想いを寄せているというのに、あなたは私にほかの男に抱かれろとおっしゃるのね! いわゆる一般男性と寝ろとおっしゃるのね!!」
「いや、そこまでは言ってない。とはいえ、仮にその男に抱かれるような展開になれば、それはそれで素敵だろうとは思うが」
「そんなことはありません! ありっこありません!!」
「重ねて言う。きみは無知だ。もっと視野を広げて、さまざま知ったほうがいい。世の中にはいい男なんて五万といる」
「で、でもです殿下! ですからいろいろと考えを巡らせたうえで、私はあなたに抱かれたいとっ!!」
細くて長い色気しかない右手の人差し指をぴっと立てたライル殿下である。
「一年だ。一年。たった一年かもしれないし、永遠とも思える一年になるかもしれない。私はきみを試しているのかもしれない――否、試そうと考えている。私が与える条件下で一年経っても気持ちになんの変化もなければ、私はきみと結婚しよう。約束だ」
周囲から「わぁぁ」と声が漏れた。
殿下が特定の人物に「結婚しよう」と口にしたのは初めてではないか。
言いたいことはほかにもあった。でも、私の希望を叶えるには、殿下の言葉に従うしかない気がする。だから正直にスカートの裾をつまんで「わかりましたわ、ライル殿下」とお行儀よくお辞儀をした。
「それで殿下、私にどこで一年を過ごせとおっしゃるの?」
「気のいい知り合い、言わば親友がいてね。農家をやっている。そこでがんばってもらいたい。スローライフ、バンザイだ」
「……は?」
親友?
農家?
スローライフ、バンザイ?
なんだか冴えない生活であるような気がするけれど……。
きっと土臭いであろう人間に私を預けようとおっしゃるの!?
草の臭いをまとった泥臭いだけの男に私を抱かせようというの!?
「この場できみが拒否するようであれば、それはそれで、私たちにとって幸せなことなのかもしれないな」
――なんて言われて、一気に火がついた。腹が立ったとも言う。
「わかりました、わかりましたわ。殿下がおっしゃるのであれば、このカレンめは一年、農民をこなしてやりますわ」
「ありがとう。そうしてもらえるかな?」
若い季節を一年棒に振ることにはなるけれど、それもこれも、ライル殿下のお嫁さんにしてもらうための――言ってみれば「修行」のようなものだ。
先方が私の清らかな貞操を欲してくるようなことがあれば、私はその時点で嫌気が差すのかもしれないけれど――って、そのへんはやってみなければわからないではないか。
私は理想を完遂するために、与えられた課題をクリアしようと決めた。
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私を迎えてくれた、後頭部の寝癖が目立つ大男は、「よ、ようこそ、とでも言えばいいんでしょうか」と申し訳なさそうに、おずおずといった感じで笑った。「いいわよ、そんなこと」と私は強気に出、それから大男の顔面目掛けてびしっと右の人差し指を向けたのである。
「いやよ、いやですからね。私を手籠めにするようであれば、私はあなたを殺してやりますからね」
「そんなことしないっていうか、しませんというか……」
「いいわよ、タメ口で。私がお世話になる立場なんですから」
翌日から、若き農夫クラウスとの暮らしが始まった。
私も膝まである長靴を履いて、麦わら帽子をかぶって――。
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さまざまな色の野菜を、農夫クラウスは作っている。季節ごとに季節ごとの収穫物が得られるわけだけれど、そんなことはどうでもよかった。でも、しばらく経つと、いつの日からか、愛情をもって野菜に接することができるようになった。よく実った野菜も、そうでない野菜も、なんだかかわいい。私が得るのはまだ先の話なのかもしれないけれど、私に子が生まれたら、きっとこんなふうな気分を味わうことになるのではないか。
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私の部屋は二階、クラウスの部屋の隣だ。なにも深い考えはなかった。ただ、不貞なことながら、不謹慎なことながら、「一度くらいならいいか」と思ったのもまた事実なのである。私は深夜、クラウスの部屋の戸をノックした。「はぁい」と眠たげな声がした。だから私は中に入った。次の瞬間、私はよいしょよいしょとパジャマを脱ぎ、月明かりが差し込む最中に真白の裸体を晒したのだった。
「わっ、わぁぁっ」
クラウスはそんなふうに悲鳴にも似た小さな声を発し、目の前を両手で覆った。
「あなたは私を抱きたくないの?」私は自分で発しておきながら、なんてスケベな物言いだろうと苦笑した。「一回だけよ。一回だけ許してあげる。あなたは私にとても優しいから」
するといきなりクラウスはきょとんとした目を向けてきて――。今度は私の裸体をなんの抵抗もないように見つめてきて――。
一気に恥ずかしくなった私は、「ななっ、なによ、いきなり。や、やだぁっ」と頬を熱くし、胸と下腹部を隠しつつ、身をよじった。「やめなさいよ、クラウスのばかっ。他意なんてないんですからね!」
「他意はないって、どういうことなんですか?」
「そ、それは……。っていうか、意地悪言うのはやめなさいよ」
「今夜は調子が悪いんです」
「えっ?」
調子が悪い?
なんのこと?
「僕だって、馬を走らせることくらいはできる」
「そんなこと知ってるわよ。むしろあなたは達者じゃない」
「服を着て」
「だ・か・ら、なにをいきなりって話なのよ」
私はとりあえず、あるいは従う格好で、クラウスの言葉を受け容れた。パジャマを着直すとクラウスは茶色の薄手のカーディガンを肩に羽織らせてくれた。カーディガンなのになんだかとっても重い。きっと男性の着衣だからなのだろう。
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クラウスが駆ると馬は激しく速く駆ける。風を切る音がすごくて、たぶん、なにを発したところで届かないだろう。それでも言わば後部座席に座っている私は「どこに行くの!」と声を大きくし、するとやっぱりクラウスからもたらされたであろう言葉はなにもわからなかった。
鹿毛の馬が山を駆け上がる。結構な傾斜だ。走ってもらっていることを申し訳なく思う。従順さと律義さは馬の美徳であり、それは得難い資質でもある。
着いた先は山の谷間にあるヤマユリの群生地だった。山の谷間、本当に谷間、狭い空間。だからこそ風に揺らぐヤマユリは闇夜にあってとても映えて――。ヤマユリそのものはあまり華々しくも美しくもない。ただ、控え目に慎ましやかに咲く姿は誇らしげにも映る。奥に見える小さな池もとても美しい。暗闇に照らされて水面は青くたたずんでいる。
ヤマユリのあいだを進み、いきなりくるりと身を翻したクラウスに対して、私は胸に痛みを感じていた。ライル殿下に身を捧げることだけを良しとしてきたのに、ほんとうに、これっていったいなんの感情だろう。
大男のクラウスはヤマユリらのど真ん中で月夜を見上げている。なにか言いたいはずだ、この私に。私はだったらクラウスが言いやすいようこちらから歩み寄ってやろうと考え、彼の前に立った。
「正直に言います、カレン様」
「だから敬語はよしなさい。ときどきしつこいわね、あなたは」
私はクラウスを見上げていた。
するとクラウスはこちらを向いて苦笑いのような表情を浮かべて――。
――いきなりクラウスが咳込み始めた。
顔をそむけてごほごほこぼしているうちに血を吐いた。
真白のヤマユリたちが、血しぶきを浴びて、赤くぱっと染まった。
私は目を大きくして驚いた。
「クラウス、あなた……」
「一から説明します。といっても、長い話にはなりません」
荒い息を繰り返す、クラウス。
夜のヤマユリが、揃ってさわと揺れた。
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「殿下は――ライル殿下は親友です。僕が軍属の折に知り合いました。彼は僕のことをとても買ってくれました。僕は身体が大きいだけの自分のことをあるいは呪っていたのかもしれませんけれど、殿下は『身体が大きいことだって才能だ』と勇気づけてくださいました。僕は人殺しが上手だったのかもしれません。だけど、軍を抜けました。誰も傷つけたくなかったからです、それは綺麗事だと言われても、反論のしようがありません」
私はただただ冷静に右手を顎にやり、「まあ、なるほどね」という意味合いを込めて、二つ三つと頷いた。男同士の友情。それは多少ならず魅力的で素敵だなと思いながら。
「それで、いま、血を吐いたのはどうしてなの? どういうからくり?」
「病気です。そのうち死ぬだろうと言われています」
「ライル殿下はそのへんご存じなのよね? だったらどうして私を……」
「じつはライル殿下から連絡をいただいたんです。自分の幸せを捨てるな。朴念仁なのもいい加減にしろ、って」
平たく言えば、「かりそめの嫁役」みたいな感じで、私は使われちゃったわけね。
まったくもって、ひどい話だと思い、私は苦笑した。
「帰りましょう。身体に障るからよくないわ。私が馬を駆ってあげる」
「恐縮です、カレン様」
「しつこいわね。カレンでいいって言ってるの」
騎乗する。私が「しっかり掴まって」というと、後ろに乗ったクラウスが腰に手を回してきた。
「そうかぁ。女性の腰って、こんなに細いのかぁ」
「失礼ね。私の腰が特別細いのよ。スタイル抜群なんですからね」
私は少し泣いた。
そっか。
クラウスはもう死んじゃうのか……。
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ライル殿下から出された条件――一年を迎える一月ほど前にクラウスは亡くなった。苦しいだろうに痛いだろうに弱いところなんて微塵も見せず、両親にもしきりに礼を述べ、私にも「ありがとう」を繰り返して死んでしまった。私は泣かなかった。無様に泣いたりはしなかった。ただ、たびたび、農作業に向かうために家を出るとき、空を見ながら、「人生ってあっけないなぁ」と思ったりはした。
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一年越しのパーティーに招かれるまで待ってもよかったのだけれど、私は手順を踏んで、ライル殿下に通してもらった。ライル殿下は私室に通してくれた。まさか一年の「修行」を終えて著しく肉づきがよくなった私を抱く気!? ――そんなわけないだろう。ライル殿下の誠実さはよく知っているつもりだ。
「クラウスの葬儀に参加させてもらった。ご両親をはじめとするご遺族には喜んでいただけたようだが、まあ、それだけだった」
ライル殿下に「どうした? 座りたまえ」と勧められた。丸いテーブルを前に椅子に腰を下ろす。テーブルには紅茶のカップが置かれていて、「おかわりが必要なら言ってくれ」と言い、ライル殿下は微笑する。
「ライル殿下、クラウス氏の葬儀にあたり、殿下がご出席されたことは、私もたいへん嬉しく感じました。友人、友だち、親友、戦友。そういうもの、あるいは概念が、この世にほんとうに存在するものだと知ったのです。ですが――」
「ですが、なんだね?」
私は紅茶を口にし、カップをソーサーに戻すと、深く息を吸った。涙が出る。涙を流しながら、「殿下が私に課したテストはあんまりでしたわ」と小さく声を振り絞った。
「すまなかった。だが、私は私で、なにが美しいのか、どういったかたちが美しいのかを考えたつもりだ。私はひどいことをしたのかもしれない。ただ、きみにとってもクラウスにとってもすばらしい結果が得られるのではなかろうかとは、なかば確信していた」
綺麗な、淀みのない口調だった。
私は怒りに満ちた、あるいは怒りに打ち震える顔をしているかもしれない。だけど、なんだか、そう、殿下の言い分には理路整然さと正義が見て取れるから、なにも言えない――なにも言えないからこそ、私は冷静でいようと思う。誰も間違ったことはしていない。結果が証明している。それはもう、わかるのだ。
「クラウスはすばらしい男だった。私が八十まで生きるとしよう。であれば、寿命の半分は、クラウスに分け与えてやりたかった。それは無理だろうと笑ってみせるから、私はクラウスに惚れ込んだんだ」
私はライル殿下を見て、目を見開いた。「殿下……」と思わず声が漏れたくらいだ。殿下は泣いている。「泣く私のことを情けなく思うかね? しかし、莫逆の友が死んだんだ。泣きたくもなる」と言った。
ああ、なんてすばらしい男性だろう。
さすがは私が見込んだ男だ――と判断するに至る。
――今でも殿下と一緒になりたいかと訊かれれば、少しは成長したかもしれない私からすると、「なんだか違うかなぁ」と答えるような気がする。そう思えるくらい、私の視野は広がった。尊いことだ。それってとても、尊いこと。
クラウスと一緒になるのもアリだった。いっぽうで、今、申し込みさえすれば、ライル殿下はもらってくださるような気がする。
だけど、どうしたって迷いが生じる。ライル殿下と寝食を共にするようになれば、はたしてそれは幸せなことなのだろうか。
そうは思えないから、私は力強く宣言したい。
イケオジは好みだ、サイコーだ。
でも、だけど、けれど、単なる若き農夫もこの上なく素敵だった。
ライル殿下は長く美しい右手の人差し指で、丸いテーブルをこつこつと叩いた。
「事が事だ。私はきみに対して罪深い真似をした」
「それはもう伺いましたわ、ライル殿下」
「結婚しよう、カレン。詫びのつもりではないよ」
「お断りですわ」
ライル殿下のことが嫌いになったわけではない。
クラウスに対して律儀であろうとするわけでもない。
ただ、違う。
私のいまの立場は、なんだか違う。
「ライル殿下。私はいまだ処女です」
「だろうね」
「馬鹿にされますか?」
「そうじゃない。むしろ美しいと考える」
「ありがとうございました。私の目の前を明るく照らしてくださり、ほんとうにありがとうございました」
「うん、うん……」
テーブル上のランタンの灯だけ柔らかに主張する中、私は椅子から腰を上げ、それから言った。
「次にお会いするときは、ただの友人とさせてくださいませ」
殿下は目を細めた。
「カレン嬢、きみはほんとうに美しくなった」
「その実感はありますわ」
「必ず、またどこかで会おう」
「はい」
私は部屋を辞去した。
この屋敷を訪れることは、きっともうない。
さまざまな経験をして、私は変わった。
それって美しい変化だと考える。