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第3話 「トゲのある言葉と、心の鏡 (前編)」

大野拓海おおの たくみが自分自身の心と向き合い、新たな一歩を踏み出してから数週間。


2年B組、いや、もう3年生となった彼らの教室には、受験生としての自覚と共に、どこか落ち着いた、それでいて互いを思いやるような空気が流れていた。


道真みち まことは相変わらず窓際で春の陽気を満喫し、橘凛たちばな りんは、そんな真の姿を、以前よりもずっと深い信頼と、ほんの少しの特別な感情で見守っていた。


一条茜いちじょう あかねもまた、自分の進むべき道を見据え、その瞳には迷いのない輝きが宿り始めていた。


しかし、そんな穏やかな日常の中で、一人、家のことで頭を悩ませている生徒がいた。


クラスでも面倒見が良く、しっかり者として知られる浜中結衣はまなか ゆいだ。


彼女には、中学2年生になる弟の康太こうたがいた。


数ヶ月前までは、結衣のことを「ねーちゃん、ねーちゃん」と慕い、何でも話してくれる可愛い弟だったはずなのに、最近ではすっかり反抗期に突入し、まるで別人のように変わってしまったのだ。


「康太! また部屋散らかしっぱなしじゃない! 少しは片付けなさいよ!」


「宿題やったの? いつまでゲームしてるつもり!?」


結衣が良かれと思って口にする言葉は、康太にとってはただの「干渉」や「説教」としか聞こえないようだった。


「うぜえな」


「ほっといてくれよ」


「関係ねえだろ」。


投げ返されるのは、そんなトゲのある言葉ばかり。


会話らしい会話もなく、康太は食事時以外は自室に閉じこもり、ヘッドフォンで耳を塞いでしまう。


その豹変ぶりに、結衣は深く傷つき、どう接すればいいのか分からずにいた。


「私の育て方が悪かったのかしら…」


「あの子は一体何を考えているの…」。


心配と苛立ち、そして昔の仲の良かった頃を思い出しては、言いようのない寂しさに襲われる毎日だった。


両親もまた、息子の変わりように戸惑い、家庭内の空気はどこかギスギスしていた。


そんな家庭内の緊張は、結衣の学校生活にも影を落とし始めていた。


授業中にふと弟のことを考えてはため息をつき、友人たちとの会話にもどこか上の空。


文化祭の実行委員にも立候補し、持ち前の責任感で頑張ろうとはするものの、心の奥底では常に弟のことが気掛かりだった。


「ねえ、結衣、最近元気ないけど大丈夫? 弟君のこと?」


心配した凛や茜、鈴木遥すずき はるかたちが声をかけても、結衣は「ううん、なんでもないよ。ありがとう」と力なく笑うだけで、なかなか本音を打ち明けられずにいた。


「弟のことだから、私が何とかしなきゃ」という思いが、彼女を一人で抱え込ませていたのだ。


ある日の放課後、結衣は一人教室に残り、数日後に迫った康太の誕生日プレゼントを選びながら、深いため息をついていた。


以前なら、康太が欲しがっていたゲームソフトを迷わず選べたのに、今の彼が何を喜び、何を考えているのか、さっぱり分からない。


そんな彼女の背後から、いつものように飄々とした声がかかった。


「よお、浜中。なんか、すげえ難解な暗号でも解読してる探偵みてえな、険しい顔してんな。もしかして、弟君の心の暗号か?」


道真だった。


彼は、結衣の隣の席にどかっと腰を下ろすと、彼女が広げていたプレゼントのカタログを覗き込んだ。


「…道君」


結衣は、驚きと同時に、なぜか少しだけホッとしたような気持ちになった。


「うん…そうなの。もうすぐあの子の誕生日なんだけど、何をあげたら喜ぶのか、全然分からなくて…最近、全然口もきいてくれないし…」


堰を切ったように、結衣は弟への不満や心配、そしてどうしようもない寂しさを、真に語り始めた。


真は、ただ黙って、時折相槌を打ちながら、結衣の言葉に耳を傾けていた。


ひとしきり話し終えた結衣が、俯いて黙り込むと、真は静かに口を開いた。


「人間関係ってのはさ、特に兄弟なんてのは、まるで合わせ鏡みてえなもんなのかもしんねえな」


「…鏡?」


結衣が顔を上げる。


「そう。こっちが眉間にシワ寄せて、難しい顔して睨みつけたら、鏡の中の自分も、同じように怖い顔して睨み返してくるだろ? 逆に、こっちが先にニカッと笑いかけたら、鏡の向こうも、つられて同じように笑っちまうかもしんねえ」


真の言葉は、結衣の心に小さな波紋を広げた。


いつも弟に対して、叱ったり、心配したり、眉間に皺を寄せた顔ばかり向けていなかっただろうか。


「弟君の、その『うぜえ』とか『ほっとけ』とかいうトゲトゲした言葉の奥にさ、どんな気持ちが隠れてるのか、浜中、ちゃんと聞こうとしてみたか? もしかしたら、そのトゲのある言葉は、うまく言えないけど『助けてくれよ』っていう、あいつなりのSOSのサインなのかもしんねえぜ。あるいは、『俺のこと、もっとちゃんと見てくれよ』っていう、寂しさの裏返しかもしれない」


「でも…あの子、全然話そうとしないし、聞こうとしてもすぐに部屋に閉じこもっちゃうし…」


結衣の声には、諦めにも似た響きが混じっていた。


「そりゃあ、いきなり心の扉をこじ開けようとしたら、誰だって警戒するさ。まずはさ、浜中自身が、心の鏡にどんな顔を映してるか、ちょっとだけ振り返ってみるのもいいかもしんねえな。もしかしたら、そこに、弟君の心を解くカギが隠されてるかもしれねえぜ」


真の言葉は、結衣の心に深く、そして静かに染み込んでいった。


「私の映してる顔…」


「言葉の奥にある気持ち…」


それは、今まで考えたこともなかった視点だった。


弟が変わってしまったとばかり思っていたけれど、もしかしたら、自分自身も変わらなければいけないのかもしれない。


しかし、長年の姉としての接し方や、弟への心配が先に立ってしまう気持ちを、そう簡単に変えられるものだろうか。


結衣の心の葛藤は、まだ始まったばかりだった。


そして、康太自身もまた、姉や家族に伝えられない、複雑な思いを抱えているのかもしれない。


二人の心の距離は、果たして縮まるのだろうか。




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