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ロスタイム  作者: 皐月裕
6/6

二人の帰還

 白い正方形が並んでいる。白を基調とした家具がちらりと見えていた。

「真衣!」

 私は聴こえてきた声に振り向く。

「おかーさん?」

 振り向くと、母が心配そうな顔で私を覗き込んでいた。なぜか酷く懐かしいような気がして、涙があふれ出た。

「真衣ちゃん……心配させて」

 私は母の泣きそうな顔を、ぼんやりと見つめる。少し痩せただろうか、母の顔が疲れているように見える。

「あんた、トラックにはねられて四日間も寝込んだのよ? 覚えてない?」

 母はため息をついて話すと「先生呼んでくるわ」と涙ぐんだ声で言い、病室を出て行った。

 私はゆっくり体を起こしていった。ぼんやりとしたまま、体をよくみる。所々外傷はあるが、あまり痛みはない。ただ、頭が酷く重たかった。

――なんだろう……思い出せない。

 私は手を動かしてみたり、足を動かしてみたりしながら考える。眠っている間、なにか夢を見ていた気がするのに、思い出せない。どんよりと重たい頭は、それ以上うまく働かなかった。

――でも……悲しい夢だった気がする。

 思わず泣いてしまったのは、なぜだったんだろう。私は呆然と窓の外で色づく赤い紅葉を見つめた。晴れた空の青さは白にもよく似ていた。


「ねぇちゃん!」

 がたんと、派手な音を立てて病室の扉が開かれた。私は驚いて体が硬直した。私が目覚めた日の夕方に、弟は息を切らしてやってきた。

 久しぶりに会った弟は、まだ真新しい学生服を既に着崩していた。走ってきたようで、汗をかいている。息も乱れていて、扉に寄りかかるように立って、息を整えるのに精一杯のようだった。

「あ……ゆむ?」

「……生きてる」

 私が名前を呼ぶと、歩は荒い呼吸の途中で、それだけ言った。黒い髪は短く切りそろえられ、所々が跳ねている。顔は母似で、少しつり目だ。黒い目が私を見て、少し和らいだように見えた。

「生きてるよ? なに、その酷い言い方は」

 心配をかけたかもしれないが、その言い方はあんまりだと思う。むっとしていると、歩はその場にしゃがみこんで深いため息を吐いた。

「歩? なに、大丈夫?」

 いきなり座り込んだ歩に近寄ろうと、私はベッドから降りようとした。

「大丈夫? じゃねーよ! それを言いたいのは俺のほうだっての」

 ベッドから降りようとする私を止めて、歩は怒鳴った。歩に怒られるのは、一体いつぶりだろう。びくりと体を止め、黙り込んだ歩に言葉を促す。「歩?」

 ぐったりとした様子で俯く歩は、息を整え終わると、ゆっくりと話だした。

「いきなりさ、事故に遭ったて知って……来てみりゃ、ずっと寝てて……ねぇちゃんのが、大丈夫なのかよ?」

 歩は息をはきながら、頭を掻きながら困ったような声を出した。

「歩……ごめんね。ありがとう」

 歩は顔を上げると、泣きそうな顔で笑った。

「なんだよ。それ」

 呆れたような、乾いた笑いだった。

「心配してくれたんでしょ? ありがとう。ねぇちゃん嬉しいよ」

 歩がまた私の事を「ねぇちゃん」と呼んでくれた事。泣くほど心配してくれたことが、泣きたくなるほど嬉しかった。

「……ばーか。ばかねぇ」

 歩は悪態つくとまた俯いた。静かなうめき声が聞こえる。

――泣き虫なのは、かわってないんだなぁ。

 もう見た目は大人に近いのに、泣き出すと長いのも、泣きながら怒るのも昔と変わらない。

 私は胸のどこか深くに、懐かしさが芽生えていた。昔の事を思い出しているような、別の何かを思い出しているような感じだった。

――なんだろう、この感じ。

 私は泣いている歩をあやしながら、首を傾げた。


 弟が落ち着いた頃、母が弟を迎えに来た。母は目がはれるほど泣いた弟を見て笑った。私も一緒になって笑っていると、弟はまた怒鳴った。

「いいから、ねぇちゃんはさっさと怪我治せよ!」

 笑われて恥かしいのか、顔を真っ赤にして怒ると病室を飛び出した。

「あ……あの子も、心配してたのよ」

 母は乾いた笑いをこぼして、弟の後を追って病室を出て行った。

――わかってるよ。

 わかってる。嘘が下手なのは、姉弟そろってだから。


 歩はそれからもよく見舞いに来てくれるようになった。口は相変わらず悪いが、以前よりも距離が近くなったようで嬉しかった。

 中学に上がって暫く経っているが、友達は順調に出来ているようだった。これまでは、いくら聞いても教えてくれなかった。

――それだけ、心配かけちゃったって事かな。

 歩は質問にもある程度答えてくれるようになり、自分から話をしてくれた。病院生活を暇だと嘆いた私への気遣いなのかも知れない。

「俺、サッカー部にしたんだ」

「へぇ。結局サッカーなの?」

 歩は楽しげに言った。中学に上がった時、何の部に入るか、悩んでいたらしい。

 私はそれまでやっていたサッカーを続けるのだと思っていた。けれど、歩は別のスポーツにも興味を持っていたらしい。

「結局って何だよ……面白い奴がいてさ。そいつがサッカー部に入るって言うから」

 歩は楽しげに面会時間が終わるまで話続けた。私は懐かしい気持ちで、それを静かに聞いて過ごした。幸せな時間だった。

 忘れている何かを、考える時間は徐々に減った。


 病院生活のほとんどは、面会とリハビリに費やされた。事故に遭ってから四日間も寝込んでいたせいで、体はなまってしまったらしい。医者は暫くすれば元に戻るだろうと、笑って言ってくれた。

 リハビリと面会中以外は、ずっと暇だった。本は元々あまり読むほうではないので、すぐ飽きてしまうし、運動は出来ない。

 病室に篭って何かをするのは、部屋に篭るのに慣れていない私には苦痛だった。

 面会には家族以外に友達も来てくれたが、持ってきてくれるのは宿題ばかりだ。

「たまには違う物も持ってきてくれたらなぁ」

「何よ。届けてあげてるだけ感謝しなさい。それ、明日までに出すやつだからね。退院したらどうせやらなきゃいけないんだから」

 面会に来てくれた友人、由紀(ゆき)はきつい口調で言った。目の前には現代文の宿題プリント。

「わかってるよ。でも、終わる頃には面会時間も終わっちゃうじゃん」

 軽く睨むような目で私を見た由紀に、わざとため息をついてみせる。出来れば勉強ではなく、普通の会話をしたい。

「……提出期限は延びないから。今日中にやって、私が出しておいてあげるから。話たかったら、早く終わらせなさい」

 由紀は高校からの友達だが、今では一番の友達だと思っている。

「教えてくれるんだよね?」

 私が首をかしげて見せると、由紀はペンを取って静かに説明しだした。由紀は厳しい事ばかり言うし、怒鳴られる事だって少なくないけれど。

――ちゃんと、教えてくれるし。

 それが由紀なりの優しさなのだと思う。何より、私は彼女の歯に衣着せぬ物言いが好きだった。

「ちょっと、聞いてる? これ読んで」

 由紀の顔をじっと見ていた私は慌てて、指されたところを読む。

「えっと……しんいせい?」

「心因性。精神面からくるってこと」

 指された場所を読み出し、漢字に躓く私に由紀は読みを教え「メモしとけ」と指で教科書を叩いた。

「んと……精神的原因で、一時期の記憶を失くした人の事を言う。本作では母親同士のいじめによるものと思われる」

 教科書に載っていたのは、記憶を失くした人の話。本やゲームの中でしか聞かない言葉だったが、考えさせられる内容だった。

 私は、知らない事を責められ、悲しまれる事がどれだけ辛いか考えた。

――怖くて、きっと悲しい。

 どれだけ考えても、予想もつかないほどのことなんだろうと、思うと胸が苦しかった。


「はい。こんなところでしょ。終わりだよ」

 数十分とした頃、プリントは終わった。一番時間が掛かったのは、感想文の方だった。

――なんて、書いたらいいのかわかんないよ。

 悩む私に由紀は「適当に書け」とアドバイスをくれたが、どうにもそういう気持ちにならなかった。

「あ、あれ、弟君じゃない?」

 由紀は窓の外を指差した。私は背伸びをやめ、身を乗り出す。窓の外には、ユニホームのまま病院へ入っていく歩が見えた。

「本当だ……部活終わったのかな」

「みたいね……いいわね、仲がよくて」

 視線を戻すと、由紀は悲しんでいるみたいに微笑んでいた。

「最近はお見舞いに来てくれるけどね。ちょっと前までは酷かったんだよ? 反抗期で」

「でも、何ヶ月も話さないほどじゃないでしょ? 充分でしょうよ」

 私は入院する前の歩を思い出して、顔をしかめたが、由紀は目を伏せて言ったので何も返せなかった。

 詳しい事は聞けていないが、由紀の家族はあまり仲がよくないらしい。

「あんたは弟と一緒に笑ってるのが、普通だったんでしょ……もちろん、悪い事じゃないよ。いいことだし、あんたはそれでいいんだと思うよ」

 由紀が少し悲しそうに見えて、私は小さく頷くことしか出来なかった。

「まぁ、私はあんたみたいにうるさい姉はいらないけど。ブラコンだし」

「ブラコンって……酷いなぁ」

 暗くなっている私に気づいているのか、由紀はおどけて言った。気遣いのうまい由紀に乗せられて、私は残りの時間を楽しく過ごせた。


 私は入院してから二週間、まだリハビリの最中だった。それでも、経過はいいらしく、一人で出歩く許可はすぐに出た。

 少し寒くなりだした初冬の病院の廊下はひんやりとしていた。動いて暖まった体に、手すりのひんやりとした温度が気持ちいい。

 鈍っている足は、痺れているときの感覚によく似ている。とても重くて、引き摺るように歩く。歩いているというよりは、持ち上げているような歩き方だった。

 今は大分よくなって、ゆっくりなら普通に歩けるまでになった。

「ふぅ……水ぅ」

 今日は少し多く歩いた所為か、汗をうっすらとかいていた。

――もうちょっとでロビーだ。

 ロビーは自販機とソファー、テーブルにテレビが置かれ、受付と仕切りがされていない広々とした空間だ。診察を待つ人と、散歩している人がごった返す空間が、私は賑やかで好きだった。

 都会に近い総合病院は、町の人達が集まり、いつも賑やかだった。病院だというのに人々の笑い声が溢れていて、私はロビーでは少しも沈んだ気持ちにならなかった。

 病院はとにかく広くて、いくつもの棟に分かれていた。棟の中心に中庭があって、噴水や花壇。その近くには運動場が備わっていた。

 私のリハビリは殆ど室内で、病室のある棟と、ロビーのある中央棟だけの範囲で行っていた。

「水、水っと」

 体力が落ちているせいか、少し動くと汗が出て、息が上がってしまう。私は人で賑わう受付を抜け、自販機へと歩いて行った。

 ロビーのテレビはどこかのチームのサッカー中継を映し出していた。テレビを見る人々の視線はどこか熱っぽい。

 弟が熱心にテレビ観戦をしていたのを思い出す。何かの大会の中継でもしているのか、何人かは見慣れないチームのユニホームを握り締めていた。


 私は自販機に視線を戻し、見慣れない人を見つけた。

 鼻にかかるほど長く伸びた前髪と、肩に掛かる無造作な白髪。細い手足と白い首筋。すらっとしている青年は、ぴしっと背筋を伸ばして歩いてくる。

 私はどこか違和感を覚えて足を止める。すたすたと歩く青年は、私の横をすれ違った。彼は薄紅色のパジャマを着ていた。彼が自販機で売っているジャンスミン茶を握っていたのが見えた。


 テレビから、アナウンサーの声が響いていた。

『ロスタイムが終了しました! さぁ、後半戦、先攻○○チーム! どうでるか!』

 目が覚めたときのような涙は出なかった。秋も終わり、寒くなってきた昼下がり。ロビーの窓から指す日差しに照らされて、私はうっすらと笑みを浮かべた。

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