第93話 大丈夫だ。地獄でぶっ飛ばしてやるから
「そ、そんな事があったんですね」
「何と言うか、リズらしいですわ」
驚いた表情のアナベルと、呆れたような表情のセシリア。対象的に見える二人を前に、リズが「もう終わった事ですから」と微笑んで見せた。
今ランディ達は、帰省するセシリア達を見送るために、アナベルやコリーと一緒に王都の南門へ来ていた。
王国による、聖教会上層部の摘発から既に二週間ほど。
聖教会上層部が、女神の象徴とも言える聖女を洗脳し、王国を転覆させようとしていたというニュースは、瞬く間に大陸中へと広がり、人々に大きな激震を与えていた。
既に裁判も始まり、ゴースト関連の真実も発表された事も、衝撃に拍車をかけている。なんせそれを発見し、論文にまとめ上げたのが、現役大司教の娘なのだから。
とは言え良いことばかりではない。
アナベルの父親、リドリー大司教が善意とは言え教会の資金を流用して、貧民街――主に孤児――へ施しをしていた事も暴かれてしまった。現代風に言えば、業務上横領とも言える行為だが、その使い道が孤児の支援という事で、リドリー大司教に対する意見も真っ二つに割れていた。
行為そのものを裁くべきという意見。
教会が不正に溜めたお金を、本来の目的のために使用しただけだという意見。
アナベル父娘を巻き込んでしまった結果に、ランディとリズは騒動早々に頭を下げていた。
――悪かったな。巻き込んじまって
頭を下げたランディに、「い、いえいえ」とアナベルは首を振って笑っていた。
――お父様も己の心に従った結果ですから。
そう笑うアナベルの強さに、ランディ達が何度も頭を下げたのは言うまでもない。
だが結果としてアナベル父娘を巻き込んだ騒動は、ここ数日でその流れを一気に変えていた。実直で、貴賤の隔てなく優しいリドリー大司教の人柄と、やはり本来の目的での使用という事実は、彼を支持する意見を強く押し上げ始めているのだ。
反対意見が、彼を追い落としたい別の教会有力者から流されていた……という相変わらずの陰湿な体制を、侯爵家が暴いたことも追い風となっている。
清廉で真面目なリドリー大司教の行いが、隠れていた小悪党すら炙り出した。と気がつけばここ数日で彼の人気は鰻上りだ。
教会トップを都合のいい人間にしたかった王国としては、何とも苦い状況だろう。だが、巻き込んでしまったと思っていたランディ達にとっては、一安心という結果でもある。
そうして今日、全員がようやく落ち着いたという事で、こうしてセシリアの見送りを口実に集まり、キャサリンとのやり取りを二人に話したのが、冒頭のやり取りである。
「それにしても、リザの話しを聞く限り、謝った様子はありませんでしたわ」
頬を膨らませるセシリアに「いいんです」とリズが首を振った。
「あの状況で謝罪なんてさせませんよ」
空を見上げたリズが、続けるのはキャサリンという微妙な存在の話だ。まだキャサリンの中で現実がようやく形を帯びてきただけの状態。そんな状態で謝った所で、それは単にその場の空気に流された形だけのものだ。
「キャサリン様の中に、掛け替えのないものが見つかって、彼女が本当に彼女として独り立ちした時……その時にキャサリン様が謝るのであれば、私も受け入れるかも知れません」
困り顔のリズが、「あの場で謝って、許して、が出来ないあたり、私も子供ですね」と自嘲気味に笑った。だがアナベルもセシリアも気がついている。リズがあの場で謝罪をさせなかった本当の理由を。
これから間違いなくキャサリンには、試練が待ち受けているだろう。今まで好き勝手やってきたツケとでも言うべきか。学園では後ろ楯である王太子達もいないのだ。これからは本当に独りで戦っていく必要がある。
そんな試練を前に、謝罪とそれを受け入れてしまえば、キャサリンの中で「許されたのに、なぜ?」という被害者意識が強くなるかもしれない。それは時として自我を歪め、考えを鈍らせるそれだ。
だからあえて謝罪を要求することなく、「もっと高みへ昇れ。その時突き落とす」と独特の発破をかけたのだ。
来たるべき試練に、彼女が立ち向かう指針になるように。
そんなリズなりの優しさに、セシリアとアナベルが顔を見合わせ「お人好しですわね」「はい」と呆れ気味に笑顔を浮かべた。
「お、お人好しじゃありませんよ! 私はキャサリン様を簡単には許したくなくて――」
顔を赤らめるリズに、二人がまた「フフッ」と微笑んだ。
「お、お任せ下さい。教会関係者として、キャサリン様の更生のお手伝いをしますから」
笑顔で拳を握りしめるアナベルが、更に続ける。
「キャサリン様に色々と経験してもらい、本気の謝罪をしてもらいましょう」
珍しく興奮するアナベルを筆頭に、女子三人の会話が盛り上がりを見せるのを、少し離れた場所からランディ達が眺めていた。
「アナベル嬢はああ言ってるが、本当に良かったのか?」
首をかしげるルークに、「何がだよ?」とランディが眉を寄せた。
「聖女様……エリザベス嬢を嵌めたんだろ? しかも知っててそれをやったって事は――」
「関係ねーよ」
鼻で笑ったランディが、「関係ねーよ」ともう一度呟いた。
「現実なんだ。仮に何かで歴史を知ってたとして、それ通りに全て動く保証はねーだろ。つまり……」
「小娘の戯言を利用して、それに乗っかった奴らの方が罪深いって訳か」
ため息をついたルークが「お優しい事だな」と続けながら笑った。
「ンなんじゃねーよ」
口をとがらせたランディが「真に責任を取るべき奴が、他にも居るだけだ」と呟き、それ以上は何も言わないとばかりに顔を背けた。
二人の会話が良く分かっていないコリーが、「どういう?」とルークに首をかしげる中、ルークがさっきの会話を彼に説明している。
ルークが言いたかったのは、キャサリンがリズの運命とそれに付随して死ぬだろう人間を知っていて、その引き金を引いたという事だ。ランディに蹴散らされた、行儀の悪い兵士か騎士モドキ達の事を言っているのだが、ランディからしたらそれは彼らの自業自得で「関係ねー」との意見だ。
確かに切っ掛けを与えたのはキャサリンだろう。だがそれを利用して……いや聖女という駒を隠れ蓑にして、己の欲を満たそうとしたのは、間違いなく汚い大人達だ。
事実あの場でリズに襲いかかっていなければ、少なくとも彼らが死ぬことはなかった。彼らを殺したのは彼らの愚かさとも言える。
「仮に、聖女様に責任だの何だのを問える人間がいるなら――」
「そのせいで殺されかけたエリザベス様だけ、という事ですか」
神妙な顔で頷いたコリーに「そう言う事」とルークが頷いた。殺された人間を派遣したのは国であり、仮に彼らが兵士の格好をしたゴロツキだとしても、国が決めて国が派遣した以上、彼らの死に責任を持つとしたら国の方だろう。
「ま、キャサリンがどう思うかは知らねーがな」
大きく伸びをしたランディが、欠伸を噛み殺しながら続ける。
「まあ俺の方としても、キャサリンに払わさなかったツケは、汚い大人達に払ってもらうからよ」
鼻を鳴らしたランディに、「お前、王都を更地にするなよ」とルークが苦笑いを返した。
「盛り上がってますわね」
「そっちほどじゃねーけどな」
肩をすくめたランディの目の前には、会話が一段落したのだろうか、リズ達が立っていた。
「アナベル嬢、キャサリンの事もだが……今回は本当に悪かったな」
以前同様に頭を下げたランディに、「い、いえいえ」とこちらも同じ様に首を振ったアナベル。
「お父様も言ってました。『正しき光で道を照らすべし』って」
もじもじとするアナベルに、「聖典の一節ですわね」とセシリアが頷いた。ランディにとっては宗教など興味が無いことだが、セシリアでも知っているくらい教会の教義というのはこの世界に人々の生活に根ざしているのだろう。
感心するランディの眼の前で、何故か申し訳無さそうにアナベルが口を開いた。
「わ、私の方こそ……本当に良かったのでしょうか?」
上目遣いのアナベルに「何が?」とランディが首を傾げた。
「きょ、教会です。【時の塔】での話を聞く限り、教会の成り立ちは――」
「構わん」
急に現れ鼻を鳴らしたエリーが、「それなら構わん」ともう一度続けた。
「確かに発足こそ、褒められたものではないが……」
遠い目をして空を見上げたエリーが語るのは、教会という組織への考察だ。元々あの傲慢な男が、過去のエリーの教えをもとに作り上げた組織を母体としているのだ。
だが教え自体は過去のエリーが残したように、人々へと受け入れやすい内容だ。
人への優しさ。
思いやり。
正義や愛。
と言った内容で綴られる『我らは愛と優しさをもって互いに接し、正義の光で道を照らすべし。親切な行いは誰かの希望の灯となり、思いやりはすべてを繋ぐ力なり』という教義は、ランディですら聞いたことがある程有名だ。
「一つ気になるのは、利用するためとは言え、あの男がこんな教義を作れるとは思えん」
肩を竦めるエリーが続けるのは、エリーが呪いを振りまき暴れた後に、教会自体は出来たのではないかという考察だ。そもそもエリーの教えを元に作ったという組織なら、あのように暴れまわり、呪いを振りまいた存在の教えを、崇拝する人々が出てくるとは思えないという事だ。
「ってことは、お前の親友が真実を伏せて?」
「さあの……。呪われし畏怖すべき対象として、鎮魂の意味で広がった……可能性もあるがの」
あの男が残した組織が発展したのか。はたまた別の組織か。どちらにせよ、紆余曲折があったものの、本当にエリーが伝えたかった事が、こうして後世にまで残っている事は事実だ。
「青臭すぎて、今では鼻で笑ってしまうような教えじゃがな」
「まーた悪ぶる」
苦笑いのランディに、「わ、悪ぶってなどおらん」とエリーが口を尖らせた。組織として大きくなりすぎたせいで、結局また悪い人間に利用されてしまった訳だが、根底にある考え自体は人々へと受け継がれ、そして皆がそれを心の拠り所にしている。
「今回は、妾の青臭い理想を利用した馬鹿どもを一掃しただけ……故に、お主ら父娘のように真面目な者たちまで責任を感じる必要はない」
何とも慈愛に満ちたエリーの表情に、ランディが思わず「さっすが初代様」と大きく頷いた。
嫌そうな顔をするエリーをよそに、吹き出したアナベルが「わ、分かりました」と大きく頷き。エリーへ頭を下げた。
「エレオノーラ様。ありがとうございます」
「うむ。励むのじゃぞ」
満足したように頷いたエリーだったが、ふと空を見上げた。
「妾を利用したツケか……」
ポツリと呟いたエリーが思うのは、そのツケを真に払うべきあの男のことだろう。一二〇〇年も前の人間に、ツケを払わせるのは到底無理だろう。
「詮無きことよ」
首を振ったエリーに、誰も何も言えないでいるのだが……それに気がついたエリーが眉を寄せた。
「何を暗い顔をしておる?」
「主にお前のせいだ」
顔をしかめるランディに、「お人好しどもめ」とエリーが笑って全員を見渡した。
「気に病むな。今となってはどうでもいい事じゃ」
カラカラと笑ったエリーに、ランディが「任せろ」と唐突に頷いた。
「あの世に行った時に、ぶっ飛ばしてやるからよ」
何ともランディらしい言葉に、「阿呆め。それは妾の役目じゃ」と言葉とは裏腹に笑ったエリーが、その気配を消してリズへと入れ替わった。
「今がすっごく楽しいから、恨みとかないんです」
微笑むリズがエリーの心の内を暴露した事で、全員が顔を見合わせ笑いあった。恐らくリズの中ではエリーが「ギャーギャー」騒いでいるだろうが、それすらも今のランディ達には可愛らしく面白いのだ。
「さて、そろそろ私達は出発しますわ」
ひとしきり笑ったセシリアが、北風にドリルヘアを靡かせ微笑んだ。
「セシリー。遊びに行きますね」
「ええ。待ってますわ」
微笑み手を握り合う二人の隣では、ランディとルークが拳を突き合わせていた。
「休みの間に鈍った……とか言うなよ」
「誰に言ってんだ。冬は山ごもりシーズンだろ?」
ニヤリと笑ったランディに、ルークが「だったな……」と苦笑いを見せて、セシリアの手を取って馬車へと促した。
馬車から手を降るセシリアを見送ったランディ達は、そのまま近くの店舗に行くというコリーとも別れ、アナベルを送るために中央方面へと歩き始めた。




