第88話 キャサリン〜私は名探偵〜
ランディ達が議場で、国王と意見のすり合わせを行っていた丁度その頃……
「意味がわかんない……」
キャサリンは自室のベッドで横になっていた。
クリスが手引した闇ギルドの人間。
何か裏がありそうなクリスの発言。
王太子暗殺疑惑という噂。
失踪したクリス。
休校になった学園。
何もかも、キャサリンが知るゲームの内容とは全く違うのだ。
「ゲーム知識……ぜんっぜん役に立たないじゃない」
枕に顔を埋めたキャサリンの脳内には、これから起きたはずの事が渦巻いている。
侯爵家の反乱。
クリスの覚醒。
教会の上層部の一掃――
そこまで思い至ったキャサリンが、バッと顔を上げた。
「教皇なら……何か知ってるかも」
本来クリスを操って、積極的にエリザベスの追放に加担したのが教皇だ。目的は己の国を作るためというもの。ゲームの時は「お前みたいな馬鹿には無理」と思っていたが、キャサリンも自覚している。これはゲームではなく、現実だという事に。
そしてゲームとは全く違う歴史を歩いている事に。
だがそれと同時に各々の背景に、ゲームの設定がある事も知っている。実際に今まで出会ってきた人物たちには、ゲーム通りの設定があったのだ。
つまり教皇の思考や背景も、ゲーム通りだと仮定する事ができる。そう仮定すると、積極的にエリザベスの追放を手伝ったクリスにも納得がいく。クリスは間違いなくゲーム通り、教皇の差し金だったのだ。
思惑や背景はゲーム通りだが、色々な人間の行動が変わったせいで、上手くゲーム通りに進んでいないのが今の状況なのかもしれない。
既にゲームのシナリオから大きく逸脱した今だが、それでも教皇とクリスが繋がっているなら……今回の暗殺疑惑も、教会が噛んでいる可能性が高い。
思い至ったキャサリンは、ベッドから跳ね起きて直ぐざま身支度を整えた。
行儀悪く階段を一つ飛ばしで駆けるキャサリンに、「お、お嬢様何処へ?」と執事の爺やが心配そうな声を上げた。
「教会。ちょっと調べたいことがあるから!」
家族の前では猫を被らないキャサリンだが、貴族の令嬢として廊下を駆けるのだけは止めてほしい、と爺やが「走ってはなりませんぞ」と大きくため息をついてその背中を見送った。
「分かってる!」
爺やを振り返る事なく、玄関を飛び出したキャサリンが庭先に止めてあった馬車と、丁度タイミング良く近くにいた御者を捕まえ、「教会まで」と伝えてキャサリンは馬車へと飛び乗った。
教皇にストレートに聞くわけにはいかないが、お茶を濁した質問で様子を伺うくらいは出来るだろう。
そんな思惑で馬車に揺られること暫く……キャサリンは昼前には大聖堂へとたどり着いていた。
祈りを捧げてくる信者たちに挨拶をしつつ、キャサリンが目指すのは最奥にある教皇の私室だ。聖女であるキャサリンは、顔パスかつアポもなく教皇の所まで一直線で行ける。
(特権は使ってナンボよ)
内心悪い笑顔で廊下を突っ切ったキャサリンの眼の前に、巨大な扉が現れた。
扉を守る教会騎士二人がキャサリンに気が付き、敬礼を見せた。
「あのぉ。教皇様に会いに来たんですけどぉ」
猫なで声のキャサリンに、「少々お待ちを」と守護騎士の一人が扉をノックして、教皇へ声をかけた。わずかに開かれた扉からは、「今は忙しい」と怒声に似た声が響いたのだが……騎士の一人が訪問者がキャサリンだと伝えると、「しばし待て」と扉の中から分かりやすく何かを片付ける音が響いた。
『入ってもらえ』
扉の向こうから聞こえてくる声に、騎士二人が大扉をゆっくりと押し開いた。
「教皇さまぁ、ごきげんよう」
カーテシーを見せるキャサリンに、教皇が頷いて口を開いた。
「王太子暗殺疑惑に巻き込まれたと聞いたが……元気そうで何よりだ」
探るような教皇の視線に、「鍛えてますからぁ」とキャサリンが微笑んだ。
(私を心配してる……訳じゃないわね。多分、事件の真相が知りたい、そんなところかしら)
「それで? 今日は何のようだ?」
キャサリンの思考を遮る教皇の質問に、キャサリンは再び微笑み返した。
「教皇様がぁ、心配しているかと思って、元気な姿を見せに来ただけですぅ」
微笑むキャサリンに、教皇が分かりやすく苛立ちを顔に表した。この忙しい時に現れたと思ったら、何の有益な情報もなくただ顔を見せに来ただけ、である。教皇でなくとも腹立たしく感じるだろう。
それでも直ぐにそれを引っ込め、教皇が穏やかな表情で「心配していたからな」と頷いた。
微笑む聖女と穏やかな教皇。どちらも腹の中を探り合う二人だが、動き出したのは教皇だ。
「そう言えば、クリス・ロウも一緒に行動することが多いと聞いていたが。あやつは巻き込まれなかったのか?」
白々しい言葉にキャサリンは、わずかに口角を上げた。
「クリス様ですかぁ? 一緒にいましたけど――」
嘘ではない。一緒にいたが、同じことをしていたわけでは無い。確かにあの場にクリスはいたが、元々彼は誘っていなかった。それなのにキャサリン達を待ち構えていたように、あの場に現れたのだ。確かにおかしな行動だが、それについてもキャサリンには既に当たりがついている。
そんなキャサリンが投げた網に、「本当か?」と教皇が勢いよく飛び込んだ。
「クリス・ロウはどうしている?」
前のめりになる教皇に、「クリス様ですかぁ?」とキャサリンがまたすっとぼけた声を返した。
「ご自宅で療養中と聞いてますがぁ」
王国政府、もといクリスの実家ロウ伯爵家から発表されているクリスの現状だ。もちろんキャサリンもエドガーもそれが嘘だという事は知っている。姿を消したクリスの行方は分からないが、事態を重く見た政府がその身柄を秘密裏に探している事も。
なんせわざわざキャサリン達のもとへ、聞き取り調査に来たのだ。「クリスを知らないか」と。もちろん知らないが、それを聞いた調査官達は、クリスを見かけたら直ぐに王宮へ報告するよういい含めて帰っていった。
それから直ぐに、クリスが自宅で療養中だという情報が出回ったのだ。それが嘘だということくらい、キャサリンとて分かる。
だが、眼の前の教皇はそれを知らないのだろう。キャサリンが答えた誰でも知っている対外的な内容に……
「そうか。そうだったな」
……と分かりやすく肩を落としているのだ。
(何にも知らない。けどクリスを気にしてる……ってことは。予想通りね)
キャサリンの中で、今回の事件が完全に繋がった。
「心配でしたらぁ、一度様子を見に行って見ましょうかぁ?」
教皇にとっては福音に聞こえただろうか。ただキャサリンからしたら、都合をつけてさっさとこの場を去りたい為の発言だ。もう知りたいことは知れた。だからこの豚に用はない、と。
そんなキャサリンの提案に「行ってくれるか?」と教皇が分かりやすく顔を輝かせた。
「はいぃ。では――」
優雅にカーテシーを見せたキャサリンが、教皇の私室を後にした。
家路へ向かう足が自然と早まる。はしたなくも廊下を速歩きで突っ切り、信者たちへの挨拶もそぞろに、キャサリンは自分の馬車へ飛び乗った。
「家に帰るわ」
御者へと声をかけ、動き出した馬車の中でキャサリンは込み上がってくる笑いを抑えきれない。窓の外を眺めると、大通りの一角に見たことがないくらいの人だかりが出来ている。
何の催しか気になる所だが、今はそれどころではない。
(侯爵家の反乱こそ起きなかったけど……)
教会の上層部を一掃出来る妙案が浮かんだのだ。自然と笑みが漏れるキャサリンの瞳が、呆けたように馬車を見上げるエリザベスを捉えた。
(あら、偶然。でも今回は私の勝ちよ。教会は私が潰すわ)
ニヤリと笑って、エリザベスを一瞥しただけでキャサリンは視線を車内へと戻し、思考もまた計画へと戻した。
クリスと教皇が通じているのは間違いない。そして、クリスが手引した王太子暗殺疑惑。ゲームとは違うクリスの言動。
(間違いないわ。あの爺、クリスを洗脳して直接タマ取りに来たんだわ)
キャサリンが予想している事件の真相はこうだ。
自分の国がほしい教皇は、クリスを洗脳してエリザベス追放を積極的に後押しした。侯爵家の反乱とそれによって国家を疲弊させる事で、国を自分の手中に収めるつもりだったのだ。
それが失敗してしまった今、洗脳したクリスを使って王太子を暗殺するという直接的な行動に打って出た。王太子を暗殺した後、どうやって国を盗るのかは知らない。だが、直接王太子を狙ったものの、直前でクリスの洗脳が解けてしまった。
だからクリスはあんなに変な言動だったのだ。
(完璧よ。流石私だわ)
ほくそ笑むキャサリンの予想は微妙にズレているが、ある意味でルシアン達が描いた絵図の通りとも言える。この事実を王国政府へ報告して、政府と協力して教会上層部を一掃する。そこまで画策した頃、キャサリンは自宅へたどり着いた。
直ぐに馬車を降り、急ぎ国王への面会を願う書類を……そう思っていたキャサリンだが……
「お嬢様。王宮より使者が参られております」
「使者? 王宮?」
きょとんとしたキャサリンの前に、騎士を伴った使者が現れた。
「キャサリン・エヴァンス嬢。此度の王太子暗殺未遂事件の重要参考人として、王宮へ連行させていただきます」
有無も言わさぬ使者に「は? なんで?」とキャサリンが思わず声を上げるが、使者はそれに答えず、ただ騎士に「丁重にお連れしろ」というだけだ。
政府としては早速キャサリンを「保護」と言う名のもとに確保し、教会との接触を絶たせたわけだ。これからキャサリンとクリスが政府にとってキーマンとなる以上、キャサリンの身柄確保は最重要案件でもある。
政府の動きを察知した教会に、キャサリンが害されないとも限らないのだ。
既にキャサリンの両親には事情を通し、了承済みですらある。
政府が出来る最大限の温情だが、名探偵キャサリンからしたらいい迷惑だろう。それでも政府の方針と両親には逆らう事は出来ず……
こうして名探偵キャサリンは、日の目をみることなく重要参考人として、王宮の一室に保護と言う名のもとに軟禁される事となった。
「いいわよ。直接エドガーに言いつけるんだから」
連行される馬車の中で、口を尖らせるキャサリンだが、自分も生贄として名が上げられ、それをリズが助けてくれたと知るのはもう少し先だ。




