第86話 やたらジャンケンが弱い奴っている
借家に訪れたルシアン侯爵を、ランディはひとまずリビングに通すことにした。流石に大貴族かつリズの父親を、玄関先でもてなすわけにはいかない……のだが、
「よぉ、王宮からの呼び出し――」
扉を開いた先で、悪い顔で笑っていたルークが固まった。なんせランディの後ろには、ルークですら顔を知っている王国の大貴族が立っているのだ。
一瞬で立ち上がったルークが、「し、失礼しました」と深々と頭を下げた。
「で、では私はお邪魔なようですので……」
そそくさとリビングを後にしようとするルークの背中に、「まあ待てよルーク」とランディが悪い笑顔で声をかけた。その言葉で足を早めようとしたルーク……の肩に、セドリックが手を乗せた。
「ルーカス・ハイランド元公子。君とも話してみたかったんだ」
同年代で公国の継承権を持つ――本人は放棄したつもりだが――ルークという存在は、セドリックをしても気になるのだろう。
「い、いえ……私のような小者が――」
「何を仰る。あのアラン殿が『君なら大丈夫』、とハートフィールドへわざわざ派遣する程の逸材だ。私も君には非常に興味があるな」
ルシアンがにこやかに笑った事で、ルークは肩を落としてすごすごとソファへと戻っていった。
「閣下も、セドリック様もおかけください――」
ソファを進めたランディが、「そうだ、お茶を用意しますね」とリビングを離れようとした時、再び立ち上がったルークがランディへ「待て」をかけた。
「家主がわざわざ準備するのもおかしいだろ。俺がやる」
「はぁ? こういうのは家の人間がやるもんなんだよ」
眉を寄せるランディに、「貴族の坊っちゃんに用意させる使用人がいるか」とルークが譲らない。
その結果……
「「じゃーんけん」」
……と再びジャンケンでの勝負であるが、
「ちっと待て。これは負けたほうが準備だよな?」
「当たり前だろ。罰ゲームみたいなもんだからな」
「そ、それもそうだな」
まさか勝ったほうが逃げられる、などと言うわけにもいかない。ランディの方便にルークが納得した事で、再び二人は拳を出しジャンケンという、絶対に勝ってはならない勝負が始まった。
そして結果は……
「まあゆっくり座っとけよ、元公子」
ケラケラと笑ってリビングを後にするランディに、ルークが「グゥ」と声を漏らした。勝負に負けたと言うのに笑顔のランディと、勝ったというのに悔しそうなルーク。何とも失礼な二人だが、二人がそれに気付くことはない。
「さて、面白そうだし、暫く放置してみるかな」
ランディが悪い顔でノンビリとお茶や茶請けを用意していると……
「若! 何してるんですか! 私の仕事ですよ」
……二階からすごい勢いで降りてきたリタに、キッチンの外へと押しやられてしまった。どうやら上の連中もルシアン達の訪問に気づいて降りてきたようだ。
「んで、お前は何してんだよ?」
「そりゃあ、あっしは居なくてもいいでしょうから」
ホールに置かれた椅子で寛ぐハリスンが、「若も大変っすね」とケラケラと笑っている。何とも気楽そうなハリスンを羨ましいとは思うが、リタ達が戻ってきた以上、ランディもリビングに戻らねば失礼というものだろう。
「お前、後で覚えとけよ」
「無理っす。物覚えは悪いんで」
舌を出すハリスンを残して、ランディはため息を残してリビングへと戻ることに。そこでは……
「そうなんですよ。子供の頃から馬鹿でして――」
……さっそく打ち解けたルークが、ルシアンやセドリック、そしてリズやセシリアにランディの黒歴史を披露していた。
「おい、馬鹿ルーク。なに〝あること無いこと〟並べてんだよ」
眉を寄せつつ入ってきたランディに、「〝あることあること〟だろ」とルークが鼻を鳴らした。
「どうやらアラン殿は昔から気苦労が絶えなかったようだな」
豪快に笑い飛ばすルシアンに「恐縮です」と、ランディが背中を丸めて空いているソファへと座り直したのとほぼ同時、リタが人数分の紅茶とともに現れた。
しばし紅茶と談笑を楽しんだ四人だが、不意に訪れた沈黙にランディが口を開いた。
「それで、閣下のご訪問の目的はなんでしょう?」
ランディの視線に、「うん?」と反応しながらも、ルシアンがわずかに残った紅茶を飲み干した。そのまま紅茶のおかわりを要求したルシアンが、大きく息を吐き出して口を開く。
「娘の顔が見たかった……のが第一だが――」
ルシアンが隣に座らせたリズを見て微笑んだ。それに微笑み返すリズを、セドリックが凝視している事にランディは気付いている……が、ひとまず見なかった事にしている。
「――君たちなら、私がここに来た理由くらい分かっているだろう?」
含みをもたせたルシアンの言葉に、「概ねは」とランディが苦笑いを返した。
「〝王太子暗殺疑惑〟についてですよね?」
ランディの探るような視線に「左様」とルシアンが頷いた。そうして目配せされたセドリックが、「実は……」とクリスを尋問した内容を話しだした。
クリスの背後に教会、もとい教皇がいたこと。
教皇の目的は国に内乱を起こすこと。
「内乱? そんな事をしてどうするつもりですの?」
思わず口に出してしまったセシリアが、「も、申し訳ありません」と見たことが無いくらい縮こまって頭を下げている。
「いえ、構いませんよ。セシリア嬢」
ニコリと笑うセドリックの王子様スマイルだが、重度のシスコンが見せていると思うと、何とも微妙な笑顔にしか見えない。ちなみにもう一人王子様スマイルが出来る人間をランディは知っているが、そいつもそいつでポンコツ……
「おい、お前なんか失礼な事考えてるだろ」
……斜向かいに座るルークが、ジト目でランディを見ているが「気の所為だ」とランディは視線を振り払うように手を振った。
「とりあえず、セシリア嬢の質問に答えようか」
真剣な表情に戻したセドリックが続けるのは、教皇が思い描く新たな国の妄想だ。
「神聖帝国レオナール……ですか」
「自分の名前を国名に入れるとか、ナルシストここに極まれりだな」
鼻を鳴らしたランディに、「そうだね」とセドリックが笑った。レオナール・スピテオ。現在の教皇の名前をつけた神聖帝国の建国が最終目的らしい。
「でも、内乱を起こすことと、国を建てる事がどうしてイコールになるのですか?」
セシリアの疑問にランディ達が顔を見合わせた。
「国が乱れりゃ――」
「人々が神に縋りたくなるものですよね?」
ルークの言葉にセシリアが頷き「なら……」と二人の言葉を引き継ぐように口を開いた。
「わざと国を荒れさせ、信者を扇動し――」
「神の名を騙って国を盗る、そんなところでしょう」
セドリックが締めくくった言葉に、セシリアが表情を固くして頷いた。何とも無茶苦茶な理論だとは思うが、確かに内乱を起こす理由にはなり得るのだろう。
「つまり、今日ここに来た理由は、〝王太子暗殺疑惑〟の口裏合わせ、というわけですか」
「口裏合わせ、か……」
ため息混じりに、新しい紅茶に口をつけたルシアンがランディを見た。どうも試されているような、値踏みされているような、そんな不思議な視線にランディがわずかに眉を寄せる。
「正確には、君の意見を聞こうと思ってね」
わずかに前のめりになるルシアンに「私の意見、ですか」とランディは少し仰け反った。無理もない。海千山千の政治家達の戦いに、一介の学生が口を出せる訳など無いのだ。
いくら二度目の人生とは言え、前世を合わせてもそんな経験など皆無である。
「意見、と言われましても……」
グルグルとランディの脳内で、様々な案が浮かんでは消えていく。
王国政府と教会の関係。
侯爵家の立ち位置。
教会という組織。
色々な事を加味して、作戦を練ってはそれを即座に打ち破る。
しばしの沈黙の中、全員がランディへ視線を向けているが、誰も何も発することはない。ただ「ウンウン」唸るランディの声だけが、リビングに響いている。
(俺の意見? つっても物理的に叩き潰すのが一番楽なんだが……それは色々とマズいからな)
頭を抱えるランディに、ここまで大きな事態を収束させる案なんて浮かぶ訳が無い。いや正確には幾つか浮かばなくはないが、それがどのくらい有効かなど分かる訳が無い。
とは言え、ルシアンもそれは理解しているだろう。ランディが普通の学生とはいかずとも、自分達のような政治家ではない事など。それなのにランディの意見を聞くという。その事に思い至ったランディが、わずかに顔を上げた。
(ああ。俺が……いやヴィクトールが当事者だからか)
ランディはようやくルシアンの本当の狙いに気がついた。ルシアンがランディに聞きたいのは、意見ではないということに。
それに気がついたランディが、大きくため息を吐き出した。それは安堵というか、呆れと言うか、とにかく先程までランディを悩ませていたものが、ため息とともに全て吐き出された。
「……閣下も人が良すぎる」
苦笑いのランディが、ルシアンを真っ直ぐに見た。
「ヴィクトールへの義理立てなど、いりませんよ」
相変わらず苦笑いのランディを、ルシアンはわずかに嬉しそうな顔で見ている。
「閣下のお好きな用に利用していただければ。まあ、義理立てするくらいですから何となく想像は出来ますが」
もう一度ため息をついたランディに、セドリックが「へぇ」と笑い、ルシアンも「ほう」と感心したような顔を見せた。
「良いのかね? 君は当事者にして最大の功労者だが?」
更に前のめりになるルシアンに「構いません」とランディが首を振った。
「あの程度なら、別に苦労させられたとも思っていませんから」
言い切ったランディに、セドリックが「流石だね」と苦笑いを返した。
「いやはや……予想はしていたが、まさかアラン殿の言う通りになるとは」
満足そうに頷いたルシアンが、リズやランディの周りを刺客がウロチョロし始めた時点で、アランと連絡を取っていた事を明かしてくれた。その時にアランに巻き込んでしまったこと、また事態が収束した際に、子爵家としての対応を聞いたことも。
その時アランがルシアンへ語ったことは
――ルシアン殿の好きにされたらいいですよ。どうせ愚息は微塵も気にしていないでしょうし。
だったそうだ。ランディとしては「親父め……」と顔をしかめたくなる内容だが、それを聞いていたルークは「流石アラン様」と何故か納得して頷いている。
「まあ親父殿も言ってる通り、我々は全く気にしてませんので」
肩をすくめたランディに、「助かる」とルシアンが頭を下げた。相変わらず心臓に悪い光景に、ランディが慌てて頭を上げるようお願いする中……
「一つだけ聞かせてくれるかい?」
とセドリックがランディに真剣な表情を向けた。
「ある程度の予想が出来る、と言ってたね……。それはどういう――?」
興味深そうなセドリックの視線に、ランディは「ああ。それですか」と彼に向き直った。
「今回の事、ヴィクトールとしては、教会は難しくとも王国には賠償請求出来る案件です。それを考えると、多分ですけど……閣下は政府と一時休戦して教会を叩くつもり、でしょう。」
☆☆☆
ランディ達との面会を終え、馬車に揺られる侯爵は上機嫌だ。
「やはり面白い青年だ」
「そうですね」
頷いたセドリックが、斜向かいに視線を向けた。そこには何処か誇らしげなリズの姿があるのだ。
あの後、王国政府の使いから、明日王宮へ来いとの令状を渡されていた。もちろん令状に書かれているのはランディやエリザベスについてであったが、そこに居合わせたルシアンが「私も明日謁見したいのだが」と使者へ話を通したのだ。
もちろん使者はおっかなびっくり丁重にお断りしようとしたのだが、侯爵に「陛下もそちらの方が都合が良いはず」と押し切られる形で一旦話を持ち帰るということになった。
急な申し出だが、国王としては状況的に会わざるを得ない。
ランディもそれが分かっているからこそ、リズに久々の実家を楽しんできたら良い、と彼女を侯爵に預けたのだ。明日侯爵とともに王宮へ向かえば良いと、リズを王都にある侯爵家の別邸に一時帰宅させたわけだ。
そんな車内で盛り上がるのは、やはりランディの話題だろう。
「たったあの一言で、私の真意を汲むか……」
嬉しそうに窓の外を眺めるルシアンに「やる時はやるお方ですから」と対面のリズが胸を張った。
「認めざるを得ん……のかもな」
そう呟いたルシアンの言葉に、セドリックが「まだ早いです」と即座に切り返し、リズは顔を赤くして俯いてしまった。
「なにはともあれ、明日の謁見だな」
そう呟いたルシアンが「リザ……」とリズに真剣な瞳を向けた。
「明日は、お前がランドルフ君の手綱を握るんだぞ」
真剣な表情の侯爵の脳裏には、アランが言っていた言葉が響いている。
――手綱を握っていれば、大人しいものですよ。ただ……手綱を放したら、王宮が吹き飛ぶかもしれませんが。
アランは笑っていたが、本当にそうなっては笑えない。冗談だとは思っていたが、先程ランディ宅で聞いた〝時渡り〟や竜との戦闘――竜の素材も見せてもらった――を考えると、アランが言っていた事は脚色なしに事実だろう。
「明日の謁見で一番の心配事が、こちらの味方が暴れないかどうか、とはな」
何ともおかしな心配だ、とルシアンとセドリック、そしてリズがほぼ同時に笑い声を上げた。
☆☆☆
「おいハリスン、飯にしようぜ」
「リタも一緒に行きましたから、何もねーっすよ」
ため息混じりのハリスンに、「チッ」とランディが舌打ちを漏らし……「じゃーんけーん」と拳を振り上げた。
「「ホイ」」
…………
「じゃあ、あっしは大通りにある『ドラゴンズ・グリル』のトロール級ハンバーガーで」
ヘラヘラと笑うハリスンに「主を顎で使う使用人が何処にいるんだよ」とぶつぶつ言いながらもランディは家を後にした。
「若って、喧嘩は鬼のごとく強いのに、じゃんけんだけはクソ弱いっすよね」
そんなハリスンの感想はランディには届いていない。




