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第6.5話 侯爵家〜初期消火、これ大事〜

 あの日、エリザベスの国外追放が決まった日から、ブラウベルグ侯爵邸は、まるで火が消えたかのように静かだ。


 本来この夏季休暇の間は、侯爵邸は賑やかさに包まれているはずであった。王都からエリザベスと、財務卿であるブラウベルグ候の二人が帰省して賑やかになるはずだった。


 それが嘘のように静かだ。


 海洋貿易で財をなした大貴族、ブラウベルグ侯爵家。使用人の教育も一流で、誰も彼もが主家であるブラウベルグ侯爵家への忠誠もあつい。


 故にエリザベスが国外へと追放されたことは彼ら彼女らからしたら、我慢ならない事態であった。そこに加えて、ここ数日流れた彼女の死亡説だ。侯爵家の人間だけでなく、使用人全員が腸の煮えくり返る思いを抑え込んでいた。


 そう。正確に言えば、侯爵家は火が消えたように静かなのではない。明るくなるはずであった火を内に秘め、憤怒の炎へと変えて静かに燻らせているのだ。


 彼らの中で確かに燻る復讐心。だが、それと同時に彼らはエリザベスの思いを理解している。だからその炎に身を焦がすことなく、ある程度の理性でもって延焼を抑え込んでいた。


 一見すると火の消えたような侯爵邸。爆発寸前の火薬庫は、その日もいつも通り、内なる炎を理性で押さえつけ、爆発を抑え込んでいた。メールバードが一つ舞い込んでくるまでは――



「誰か! フローラとセドリックを呼べ!」


 ――執務室の扉を勢いよく開いたのは、この屋敷の主であるルシアン・フォン・ブラウベルグだ。エリザベスと同じ青い瞳、なでつけた金茶色の髪を乱れさせるルシアンは、先日エリザベスが国外追放を受け入れた時以来の取り乱しぶりだ。


 静かだった侯爵邸は一気に蜂の巣を突いたように騒がしくなり、事態の飲み込めない奥方とエリザベスの兄である嫡男が執務室へと案内された。


「あなた……」

「父上?」


 訝しむ二人を前に、ルシアン侯爵は黙ったまま先程届いた手紙を差し出した。


 それを見た二人が固まり、そして瞳を潤ませた。


「リザが生きてる……」

「ええ。今だけは神に感謝します」


 涙を流す夫フローラ夫人と、その肩を優しくさする兄セドリック。彼らとてエリザベスの消息が魔の森で絶たれた事を聞いた以上、彼女の死を覚悟していた。


 つい先日まで悲しみに暮れていたのを、ここ数日でようやく立ち直ったところである。そこに舞い込んできた、エリザベスが生きているという手紙。それは彼らに神への感謝すら紡がせる程のニュースである。


 本来であればエリザベスを追放する一因となった、聖女を擁する教会、ひいては神への感謝など彼らからしたら口が裂けても言いたくない事だが。


「まずは箝口令を敷く。死んでも良かった人間が生きている。それが相手に知れ渡れば、リザだけでなく恩人たちにも迷惑になろう」


 ルシアンの言葉に、セドリックとフローラの二人がハッとした表情を浮かべた。手紙に記されていた、エリザベス追放時の状況を思い出したのだろう。


 ――言葉を選ばぬのであれば、死んでも構わない。いえ、むしろ殺すつもりにしか見えない状況でした。


 手紙には間違いなくそう書かれていた。


 エリザベスの追放は、異論を挟む間もなく一気に進められた。それこそエリザベスが積極的に罪を認めたことによって。


 その真意に侯爵が気づかないわけがない。エリザベスは一人、罪を被ることで、侯爵家を守ろうとしている事に、侯爵が気づかない訳が無い。


 ――我が家は嵌められた。


 侯爵家がそう結論付けるのに、時間はかからなかった。


 その認識に加えて、殺すつもりだった追放劇に死亡説である。うまく侯爵家の力が削げなかった事に対する相手の二の矢だ、とルシアン候が勘違いしてしまっても仕方がない。


 エリザベスを殺し、ブラウベルグ侯爵家への揺さぶりをかける。


 これらは、ここ数日彼らが抱いていた疑念である。相手はなんとしても侯爵家の力を削ぎたいのだ、と。


 その懸念は、手紙によって確信へと変わった。エリザベスを追放した連中は、侯爵家の力を削ぐために奸計を巡らせたのだ、と。


 ……実際は、何も考えていないキャサリンと、彼女に唆された王太子エドガーの暴走だが……。


 何とか抑え込んでいた憤怒の炎に、特大の燃料が放り込まれた瞬間でもあった。


「中央は、どうしても我が家と敵対したいらしいな」


 静かに呟いたルシアンだが、その瞳に映るのは紛れもない怒りだ。だが浮かんだ怒りを、ルシアンは即座に引っ込めた。


「今は奴らの事などどうでもいい」


 大きく息を吐き出したルシアンを、フローラ夫人が上目遣いで覗った。


「あの子に会いに行くんですよね?」


「ああ。中央への復讐など、今はどうでもいい。今はリザの事だ」


 頷いたルシアンは「だが……」とわずかに眉を寄せて続ける。


「だが慎重にならねば。本来なら今直ぐ会いに行きたいが……、外国だ。しかもリザが消息を立った所領へ赴けば、要らぬ噂が立つ」


 エリザベスの生存が知れ渡る可能性は、潰しておきたい。言外に含まされた言葉にセドリックとフローラ夫人が頷いた。


「とはいえ、まずはリザとコンタクトを取れるようにせねば」


 手紙が届いた瞬間から、彼らの興味は復讐ではなくエリザベスと再び会うことにシフトした。見限った王家や中央がどうなろうと、今は知ったことではない。


「幸いなことに、リザのお陰で財務卿の任も解かれた。時間なら売るほどある」


 ニヤリと笑ったルシアンだが、それでも脳内は冷静だ。


 大きく息を吐き出したルシアンが「セバス!」と扉付近で待機している家令を呼びつけた。


「直ぐに往復用メールバードの用意を」


 ルシアンの言葉に一礼したセバスが、足早に部屋を後にした。


「公国か――」


 ルシアンが呟いた言葉に、準備していたのだろうセドリックが大陸地図を手渡した。執務机の上にそれを広げたルシアンが、ブツブツとルートを算出しだす。


 そうしてある程度の目処がたった頃、ルシアンが、ペンを片手に力強く手紙をしたためた。手紙が書き終わった頃には、いつの間にか戻っていたセバスがメールバードを一つ差し出した。


 それを受け取ったルシアンは、自分で書いた手紙を、自分自身で往復用のメールバードに乗せ、窓の外へと解き放った。


「秘密裏に、焦ることなく、だが迅速に――」


 飛び立ったメールバードの軌跡を、ルシアン達三人はいつまでも見守っていた。



 正史で起きるはずだったブラウベルグ侯爵家の反乱は、こうして未遂に終わることとなった。だが今は誰も知らない。一度燻らせた彼らの炎が、これから形を変えて王国やキャサリン達に火の粉となって降りかる事を。


 その事に彼らが気づくのは、まだ先の話だ。

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