第230話 閑話 騎士と令嬢③
ハートフィールド騎士団の小隊を招いた歓迎会は、むさ苦しくも楽しい宴であった。先方騎士団が準備してくれた男飯に加え、ロベルトはじめ先輩騎士四人が荷物として持ち込んだ秘蔵の酒が宴をより一層盛り上げていた。
(やたらとデカいマジックバッグを持ってると思ったら)
苦笑いのルークの視線の先で、先輩騎士がバッグの中から樽を引っ張り出しているのだ。護衛がそれでいいのか、と思わなくはないが、ガードナー家の騎士団からは大歓迎である。
屈強な男達と大量の酒が合わされば、始まるのは飲み比べと相場が決まっている。ガードナー騎士団の大酒飲みと、ハートフィールド騎士団小隊の戦い。どちらも退かぬ戦いは、宴会を更に盛り上げている。
そんな盛り上がりから、わずかに離れた場所で、ルークは杯を傾けて窓の向こうの月を眺めていた。
「飲んでるか?」
肩を組んできたロベルトに、「ええ。ぼちぼち」と苦笑いを返したルークは、目の前の果実水を指で弾いてみせた。楽しい宴会ではあるが、この場でこれ以上酒を飲む気にはなれなかったのだ。
「一応護衛の――」
「心配すんな。俺達だって、任務を忘れてるわけじゃないさ」
笑顔で肩を叩いたロベルトだが、手に持っているのはワインだ。とはいえ酒こそ持っているが、しっかりとした視線にハキハキとした口調は、酔っ払っているようには見えない。
「酒は飲んでも飲まれるな、ってな」
笑顔のロベルトが「心配ならこれをやるよ」と懐から出したのは、透明な液体入りの小瓶だ。
「これは?」
「聖女様謹製、酔わない薬だと」
肩をすくめたロベルトが、まだ実験段階だが、何人かが効果検証に付き合った、と笑う。ロベルトがその効果や注意点を口にした瞬間、周囲から割れんばかりの歓声が湧き上がった。
「盛り上がってるな」
ロベルトが思わずそちらを向いた、その時だった。
「聖女様の、ねえ……」
思わず笑みを浮かべたルークが、瓶の封を切って口をつけた。
「あ、お前そんなに一気に飲んだら――」
ロベルトの顔が青くなった事で、ルークも思わず瓶を口から離した。
「まずかった……ですか?」
頬を引きつらせたルークが、「もしかしてお高い……」と瓶をそっと机に置くのだが、ロベルトは値段の問題ではないと首を振った。
「効果が強力なんだよ。聖女様曰く、酒精を吸収する臓器に働きかけて吸収を抑えるんだと。つまり、酒がそのまま小便として出るってわけだ……」
苦笑いのロベルトが、検証時に一気飲みした騎士が五分おきに小便に行く羽目になった事を教えてくれる。ロベルトの言う通り、キャサリン謹製の怪しい薬は、肝臓のアルコール吸収を抑え、本来ならば分解吸収されるアルコールを、そのまま体外へ排出する薬である。
以前小さな村で延々と村人の二日酔いを癒やして回ったキャサリンが、対酔っぱらい用に考案した神聖魔法で作り上げた有り難い薬なのだが……。
「てことは……」
「ああ。酒を飲んだ分だけ、小便が出るってやつだ。しかも酒と一緒に他の水分も出やがる」
「マジですか……」
「マジだ」
苦笑いのロベルトが、ルークに水の入ったボトルを放り投げた。
「持ってけ。ひとまず便所の近くでそれを持ってろ」
小便が止まらない上に、酒以外の水分も体外に排出するなら、恐れるべきは脱水症状だ。ロベルトに断りを入れたルークが、水のボトルを片手に騎士達の詰所を後にした。
本来なら詰所の便所を使うべきなのだろうが、恐らくもう少ししたら、詰所の便所も混雑するだろう。ならば他の騎士の迷惑にならぬよう、厩の近くにあった便所を使おうと思ったのだ。それと、少しだけ夜風に当たりたかった、という思いもある。
水のボトルを片手に外へ出たルークの頬を、まだ肌寒い夜風が撫でる。少しだけ火照った身体に丁度いい冷たさに、ルークは思わず夜空を見上げた。
「遠くまで来たものだな……」
思わず独りごちてしまうのも無理はない。世話になったヴィクトールへ恩を返す為に騎士となり、アランの勧めでハートフィールドへ来た。その結果、こうして見知らぬ地で一人、月を見上げているのだ。
しかも情けないことに、あと数分もすれば便所から離れられなくなるという状況で。
「俺は一体何をしてんだ……」
思わず苦笑いを浮かべたルークだが、ふと門の付近が騒がしい事に気がついた。気になったルークが門へと近づいてみると、騒がしさの原因とも言える声が耳に飛び込んできた。
「お願いします、一目でいいので――」
どうもただ事ではない悲痛な叫びに、ルークはその足を速めた。暗がりの中、門に近づいたルークの瞳に映ったのは、一人の女性が門番と押し問答をしている光景だった。
「お願いします、フリード様に――」
「だから駄目だと」
「どうかされましたか?」
押し問答を続ける二人に、ルークは悪いと思いつつも声をかけることにしたのだ。
不意に現れた他領の騎士に、門番が「いえなんでも」とバツが悪そうに首を振り、女性は「あの――」と門の柵を握りしめた。
「こら、離しなさい!」
門番が女性を引き剥がそうとするのを、ルークが「乱暴はよしましょう」となだめた。他家である以上、門番の行動をあまり咎められないのだが、女性への乱暴に門番の男も抵抗が会ったようで、その力が弱まっていく。
「さて、レディ。何があったかお聞かせいただいても?」
完璧なスマイルを見せたルークに、女性が一瞬だけ見とれたものの、「実は……」と口を開いた瞬間、
「何事ですか。騒がしい」
と屋敷から一人の老人が出てきた。背は小さいが背筋が伸びた老人に、門番が「ニコラス様」と慌てて女性を門から引き剥がした。
(ニコラス……って、確かここの家令だったか?)
訝しむルークに、家令であるニコラスが「お見苦しい場面を」と頭を下げて門へと近づいた。
「エリーナ様。何度も申し上げますが、フリード様はあなたとの関係を終わらせたのです。これ以上付き纏うようなら、伯爵家としてもベルモンド商会との付き合いを考えねばなりませんな」
高圧的なニコラスに、エリーナと呼ばれた女性が「すみません」と肩を落として門から離れ、トボトボと去っていった。
「れ、レディ、少々――」
待ってくれ。家まで送ろう、と言いかけたルークを信じられない程の尿意が襲う。
(マジかよ、あの馬鹿聖女)
何というものを作ってくれたのだ。そんなルークのボヤキは言葉にならない。なんせ思考を停止するほどの尿意が今まさに襲ってきているのだ。ちなみにキャサリンに言わせれば、「用法用量を守らない方が悪い」である。
こんな状況で令嬢を送り届ける? 否、絶対に無理だ。仕方がないとルークはその場をそそくさと後にし、過去最高の速さで厩近くの便所へ駆け込んだ。
破裂寸前の膀胱が悲鳴を上げ、ルークに早くズボンを降ろせとせっついてくる。何とかズボンを下ろしたルークは、便器に座りホッと安堵の息をついた。
「危ねえ。マジで危ねえ。尊厳の危機だったぞ」
呟くルークが、便器に座りながらボトルの水をチビチビと飲む。
(にしても、さっきの違和感。あの令嬢は……)
雰囲気とニコラスの口調からすると、ベルモンドという商会の令嬢だろう。着ていた物は、貴族のドレスとは違うが間違いなく上等な仕立てであった。
(ベルモンド商会って言えば、ガードナー伯爵領で交易を扱ってる商会だったな)
思い出すのはガードナー伯爵領の基本情報だ。事前に相手方のある程度の情報を仕入れるのは当たり前だが、その情報に入る程度には大きな商会なのは間違いない。
(口ぶりからすると、どうやらフリードの野郎と懇ろだったっぽいんだが……)
ルークの思考を阻害するのは、再び襲い来る尿意だ。
「嘘だろ。さっき出したばっか……」
頭を抱えるルークだが、生理現象は止まらない。再び膀胱いっぱいの液体を排出したルークだが、どうやらとんでもない速度で膀胱へと酒と、その他の水分が注がれているらしい。
確かにロベルトも、検証の時には五分おきに便所に行く人間がいたと言っていた。
「あの聖女、マジで魔女だろ」
注意事項を良く聞かず、用法用量を守らなかったのはルークだ。自業自得なのだが、流石にこんな劇薬を作ったキャサリンに、恨み言の一つくらい呟きたいものだ。
何とか老廃物を排出したルークだが、ロベルトの話を信じるなら、飲んだ酒が全て排出されるまでは終わらないのだろう。
(明日の予定は……確か俺達は合同訓練だったな)
何とかエリーナと接触したいルークだが、流石に両家の手前訓練をサボるわけにはいかない。
(あー。何とかして……)
頭をかきむしるルークを襲う三度目の尿意。
「駄目だ。もう、とりあえず今日はここで寝る」
薬の想像以上の効果に、ルークはげんなりとして一旦思考を放棄するのであった。
☆☆☆
ルークが激しい尿意に襲われ、騎士団の宴会が盛り上がり、ハートフィールドとガードナー両家のディナーも粛々と進む中、ガードナー伯爵家家令のニコラスは、コソコソと一目を憚るように屋敷の裏庭へと向かっていた。
ようやくたどり着いた裏庭で、キョロキョロと辺りを伺うニコラスは、誰かを探している様だ。
「ニコラス……」
暗がりから呼びかけられたニコラスが、「ホレス様」と闇に向かって膝をついた。
暗闇から出てきたのは、黒いローブを頭から被った影だ。
「計画は上々か?」
しゃがれた声で、老人だろうという事だけは分かる。
「はい。寸分の狂いもなく。ハートフィールド家は、ガードナーに比べれば簡単に行きそうでございます」
下卑た笑みを浮かべたニコラスに「詰めを怠るなよ」とホレスがローブの端から枯れ木のような腕を伸ばした。
「長い時間をかけて彼奴らに教えを説いたのだ。失敗は許されんぞ」
その言葉にニコラスが震えながら、かろうじて返事をした。カタカタと震えるニコラスの背に、ホレスが伸ばしていた手をゆっくりと置いた。
「言われた通りにやれば良い。奴らは知らぬ。我らの布教の持つ本当の力を」
ニヤリと笑ったホレスが、「さあ、行け。奴らも取り込むのだ」とニコラスの背を軽く叩いた。
腰を低くしたまま裏庭から駆け出したニコラスを、ホレスは暫く見送り、その背が見えなくなると夜風に掻き消されるほど小さな声でクツクツと笑い始めた。
「時間さえかければ、ワシの術式で落とせぬ者などいない。しかも今回はただの貴族だ。数日もあれば、ワシの手下の仲間入りだ」
喜びを抑えきれぬホレスだが、不意に顔を上げたかと思えば、一瞬でその姿を消した。
しばらくして、カチャカチャと甲冑を小さく鳴らして現れたのはロランドだ。
「……ったく、ルークはどこまで行ったんだ?」
苦笑いのロランドだが、残念ながらルークがいるのは、この裏庭とは真逆の厩近くだ。
「ちょっと離席してもらうだけで良かったんだが……」
吹き抜ける夜風に、ロランドは今頃便所にこもりっきりのルークを思った。
「悪いなルーク。お前はもう少し蚊帳の外にいてもらうぞ。お前を追い込めって命令だからな」
仕方がないと首を振ったロランドが、それにしてもやはり一服盛ったのは、やりすぎだったかもしれない、と後でルークに何か差し入れようと心に決めるのであった。
その頃……
「あー。マジで小の方でよかったぜ。とりあえず今度ランディにも飲ませよう」
……一人蚊帳の外とは知らず、ルークはランディへの悪戯を決めていた。まだアルコールが飲めないランディには、あまり意味のない悪戯を。




