第228話 閑話 騎士と令嬢①
暖かくなってきた空のもと、長閑な街道をゆっくり進む馬車と馬。車輪の音と蹄の音、それ以外は時折聞こえる鳥の声くらいの、実にノンビリとした雰囲気だ。だがそんな馬車の真横を守る馬上の男だけは、長閑な風景に似合わぬ冴えない表情だ。
ルーカス・ハイランド。ランディの幼馴染にして、自他ともに認めるライバル。ただ最近では腕っぷしでも、恋愛面でも後塵を拝す状況にある。そんなルークが青空を見上げ、人知れずため息をついた。
「どうした? もう疲れたか?」
「いえ。少し考え事をしていまして……」
不意に掛けられた声に、ルークは馬上で背筋を伸ばした。ルークに声を掛けたのは、この馬車の護衛隊長とでも言うべき男、コンラッドという騎士だ。
「考え事か……。いくら暇で平和な旅路と言えど、気を抜くなよ」
言葉とは裏腹に、笑顔でルークの肩を叩いたコンラッドは、本来の位置である馬車の後ろへと戻っていった。
(コンラッドさんの言うとおりだな。今は集中しねえと)
頬を軽く叩いたルークが、並走する馬車をチラリと見た。車窓から見えるセシリアが、ルークの視線に気付いたのか小さく手を振った。流石にこの状況で手を振り返す事は出来ないが、せめてもの返事にルークは笑顔を見せた。
今ルークは、現在の主たるハートフィールド伯爵家の旅に同行している。
ランディ達がヴィクトールへマダムを迎え入れて数日。大河を挟んだ向かいのハートフィールド領では、ルークやセシリアが隣の伯爵領への旅の道中であった。
目的地は領の西端南に位置する別の伯爵領、ガードナー伯爵領だ。あの【聖女の洞窟】があった崖から見えていた領地でもある。ブラウベルグ程ではないが、大きな港町を有し、公国だけでなく南の連合、そしてすぐ近くの小さな島国などとも取引がある領地だ。
海賊退治で名を挙げた家なだけあって、屈強な海軍を持ち、相手伯爵とその子息も中々の手練れだと有名だ。
今回の旅は、表向きには【真理の巡礼者】の脅威に対抗するための話し合いである。だがその裏に隠されているのは、セシリアと相手伯爵の息子であるフリード・フォン・ガードナーとの顔合わせだ。
ハートフィールドやブラウベルグのような、古い盟約を結んだ領地貴族とは違うが、それでも古くから王国の西を守る伝統ある貴族だ。
もちろんただの顔合わせなどではない。貴族同士の横の繋がりを強める。それが何を意味するかなど、ルークでも分かる。
婚約を検討するための顔合わせ。故に、伯爵家の馬車に並走するルークの表情は、気を引き締めた今でも冴えないままである。
(クソ。ランディにはああ言ったものの……)
一歩一歩近づく現実に、ルークが思わず視線を下げた。
「……ーク、ルーク!」
呼ばれている声でふと顔をあげれば、ルークは一人馬車よりも少し前に出ていた。
「ボサッとするな!」
再び横まで来てくれたコンラッドに、「すみません」とルークが頭を下げた。
「隊長、仕方がないですよ」
苦笑いで声を掛けてくれたのは別の先輩騎士だ。
「我々もルークとお嬢様を見てきてますからね」
「ああ。お嬢様ラブだもんな」
笑い合う騎士達にルークは「恐れ多いですよ」と顔を赤くするのだが、先輩達はそれを隠すなとまた笑顔を浮かべた。笑顔の先輩に、ルークがまた背を丸めた。それは庇って貰った事への感謝と、このメンバーに抜擢された役目を果たせぬ羞恥からだ。
今回の旅に同行しているのは、ルークの他に馬車を駆る御者と、騎士がわずかに一小隊だけ。しかもその小隊を率いるのは、ハートフィールド騎士団の団長補佐を務めるコンラッドである。ルークからしたら大先輩でもあるし、伯爵からの信頼も篤いベテラン騎士だ。
コンラッドが率いるだけあって、今回の小隊を構成する騎士達も、全員ベテラン揃いかつハートフィールドでも上位の実力者ばかりだ。本来ならルークのような所謂〝ペーペー〟が編成される部隊ではない。
いくら実力もあり、お嬢様のお気に入りとは言え、正直に言えば大抜擢である。それでも残りの先輩騎士達も、嫌な顔せずルークを受け入れてくれているのだ。ここでルークが気の抜けた顔で任務に当たるわけにはいかない。
「気持ちは分からんでもないが、気は抜くな。お前を指名してくれた閣下のためにもな」
コンラッドの檄に、ルークも「はい」ともう一度己の両頬を叩いた。
気合を入れ直したルークに、コンラッドも「頼むぞ」とまた肩を叩いて馬車の後方へと戻っていく。
ようやく気合いが入ったルークの様子に、馬車の後方へと戻ったコンラッドは、小さくため息をついた。そんな彼に並走するように別の騎士が僅かに足を速めて追いついた。
「コンラッド隊長、ルークに言わなくてもいいのですか?」
囁く騎士にコンラッドも「必要ない」と首を振った。彼が聞いているのは、ハートフィールド伯爵がルークを今回の旅に指名した真実だ。ハートフィールド家ではセシリアがルークに、そしてルークがセシリアにそれぞれ淡い思いを抱いている事は周知の事実である。
だからこそ、こんな二人を引き裂く旅に、伯爵が同行を指名したのには深い理由がある。
「立場を分からせるため……みたいに勘違いしてなきゃいいですけど」
呟いた騎士に、「大丈夫だと信じよう」とコンラッドがまた首を振った。今回の旅はルークやセシリアだけでなく、ハートフィールドにとっても正念場なのだ。
「もしもの時は我々がいる。若者を支えるのも――」
コンラッドが大きくため息をついた瞬間、
『いやですわ!』
馬車の中から思いもよらぬ声が響いた。
「お嬢様もお気づきになられたかな。見てくる」
再び馬車へと並走するコンラッドを、騎士が見送った。沈んできた太陽が皆の影を大きく伸ばし始めていた。
☆☆☆
ルークが悩んでいた頃、馬車の中ではハートフィールド伯爵であるアルフレッドと、その妻であるカタリナ、そして娘であるセシリアが談笑中であった。
セシリア同様の金髪を後ろへ撫でつけた線の細い優男。アルフレッドの第一印象はそんな感じだ。ランディが少々心配するのも無理はない。同じように微笑むカタリナ夫人も、おっとりとした雰囲気の女性だ。
気の強そうなセシリアと違い、少しタレ気味の瞳は威厳よりも優しさを感じさせる。
「それにしても、私だけよかったのでしょうか?」
困り顔のセシリアは、屋敷に残してきた弟フェルディナンドを思っている。セシリアの二つ下で、思春期だからかセシリアと距離を置きがちな弟だが、何だかんだで可愛い部分もあるのだ。
「問題ない。あれでも嫡男だ。フェルは私が不在の間、少々大人の階段を昇ってもらわねばな」
意味深に笑うアルフレッドに、セシリアは「あまり虐めないでくださいまし」と口を尖らせた。確かに優秀な弟ではあるが、アルフレッドの取引先は、ヴィクトールとブラウベルグだ。加えてここ数日の教会とのやりとりも増えたので、いくら優秀な弟と言えど、十五やそこらの子供には荷が重いのも事実である。
「必要な手続きは終わってるから大丈夫よぉ」
ノンビリと微笑む母カタリナに、「ならばいいのですが」とセシリアがふと窓の外を見た。そこには馬車に並走するルークの姿がある。いつもは馬車に乗っているルークが、今日は護衛小隊の一員として、馬車に並走する形で馬に乗っているのだ。
ボンヤリルークを眺めるセシリアに、「白馬の方が良かったかしらぁ?」とカタリナがホホホと笑った。
「そ、そんなのじゃありません」
慌てて振り返るセシリアだが耳まで真っ赤である。そんな娘の様子を見た伯爵夫妻は顔を見合わせ微笑む……のだが、アルフレッドはその顔を引き締めセシリアに向き直った。
「セシリー。今回の旅行だが、目的は分かっているかい?」
真剣なアルフレッドに、怪訝な表情を見せたセシリアが、横の繋がりを強めて帝国や【真理の巡礼者】へ対抗するためではないのか、と知っていることを話した。
「そうだね。確かにその向きはある」
珍しくハッキリしない父親に、セシリアが眉根を寄せた。
「横の繋がりは確かに重要だ。だがその繋がりを強固にする必要がある」
抽象的な言い回しだが、この場に自身が同行している意味に気付かぬセシリアではない。貴族同士の横の繋がりを強める為に、娘が同行するのだ。しかも相手の伯爵家には、セシリアよりも三つ上の令息がいるという。
「もしかして……」
「そのもしかしてだ」
頷いたアルフレッドに、セシリアは反射的に「いやですわ!」と声を荒げて立ち上がった。
よほど声が大きかったのだろう、後ろを守っていたコンラッドが馬車の横までつけて、『何かございましたか?』と車窓から声をかけてくるほどだ。
「いや、問題ない」
アルフレッドの表情で全てを察したのだろう、コンラッドが『かしこまりました』とまた元の位置へと帰っていった。遠ざかる蹄の音に、アルフレッドがため息をついて口を開いた。
「セシリー。令嬢がそう声を荒げるものではないよ」
首を振るアルフレッドに、「で、ですが……」とセシリアが腰を下ろして顔を背けた。
「確かに騙し討ちのような形を詫びるが、お前も家の状況を知らないわけではあるまい」
確かにアルフレッドの言う通りで、最近ようやく活気が見えてきたハートフィールド領だが、まだまだ財政的に潤っているとは言い難い。美容液の材料に、カメラの感光紙。どちらもまだまだ走り出したばかりで、領全体を食わせられる程の収入とは言い難い。
そこに加えて帝国の不穏な動きだ。今ハートフィールドに必要なのは、間違いなく横の繋がりなのは間違いない。
「分かっていますわ。でも私は――」
セシリアが思わず視線を向けたのは、窓の向こうのルークだ。出会ってから今日まで、二人で色々な事を経験してきた。始めこそ顔の良い騎士、少しだけ気になる相手というだけだったが、今ではかけがえのない存在だ。
「ルークが好きかね」
アルフレッドの言葉に、セシリアが顔を背けたまま小さく頷いた。
「だが彼は一介の騎士だ」
「で、ですが、元公子でもあります」
向き直ったセシリアに、アルフレッドは黙ったまま首を振る。既にルーク自身が捨てた身分な上に外国だ。王国ではやはり一介の騎士でしかないのだ。
突きつけられた事実に、セシリアはまた窓の外を見た。よくよく見たらルークの表情もいつもに比べ険しく見えるのだ。
「ルークは、知っているのですか?」
「伝えてはいない。が、聡明な男だ。気付いてはいるだろう」
その言葉に「そうですか」とセシリアが肩を落とした。
「まあまあ。まだ婚約が決まった訳じゃないわよぉ」
手を叩いたカタリナが、アルフレッドとセシリアを見比べた。
「確かにカタリナの言うとおりだな。ウチもあんな事があったばかりだ。だから、今回は顔合わせだけという事にしてある」
ため息をついたアルフレッドに、セシリアも小さく頷いた。顔合わせとは言っても、横の繋がりの事を考えれば、殆どが婚約のようなものだ。この世界では貴族の恋愛結婚も許されてはいるが、大体が貴族同士な上ハードルが高いのは事実だ。
少しだけ重い空気を乗せたまま、馬車の先には相手の伯爵の領都が見えてきた。沈む日に照らされ、やたらと赤く染まる城塞都市が。
一介の騎士と、由緒正しき伯爵家令嬢。
高い壁に阻まれた二人の恋路は、この先で一つの分岐を迎える。分かたれるのか、それとも交わるのか。そして、ルシアンをして「狐のよう」とまで言わしめたアルフレッドが、ルークを引っ張り出した理由が二人の道に何をもたらすのか。
今は誰も知らない。二人の恋路の行く末は……
※閑話 騎士と令嬢続きます。あまり長くならないように頑張ります。




