第227話 燃え上がる為には外からの燃料が必要な時もある
「まあそうだったんですね」
「素敵ですわ」
嬉しそうに微笑むフローラとクラリスが、両手を合わせてマダムにキラキラとした視線を向けた。今すぐにでもお茶とともに話を聞かせろ、と言わんばかりの二人の視線に、マダムが「やめとくれ」と僅かに頬を赤らめて視線を逸らした。
その隣には困ったようなキースだ。
無理もない。騒動の渦中にあった全員が、ルシアンの執務室で事の顛末を報告中なのだが、その途中でフローラとクラリスがマダムのロマンスに興味を示してしまったのだ。こうなってはルシアンでもセドリックでも止められない。
「マダム、もしかして照れてます?」
ニヤニヤが止まらないフローラに、「そんなんじゃないよ」と口を尖らせるマダムだが、いつもの勢いが感じられない。いや、どちらかというと、どこかお淑やかに見える。
口調こそマダムだが、行動が何と言うか、レディなのだ。
「婆さんのくせに、えらくしおらしいじゃねーか」
ケケケと悪い笑顔で「旦那が居ると大人しいな」と口撃を見せるランディだが……
「フローラ嬢の後ろに隠れた小僧が、何を言うんだか」
……呆れたマダムの言う通り、フローラを盾にキースとマダムから隠れるような格好だ。何とも情けないポジション取りに、リズやクラリスだけでなくルシアンもセドリックも呆れ気味だ。
「隠れてるんじゃねえ。これは必要な……そう、戦略的な位置取りだ」
なおもフローラの影から笑顔を見せるランディに、リズが盛大にため息をついた。
「……ランディ。この後帰るんですよ?」
「いや、帰らない。俺はもうブラウベルグの息子になる」
首を振るランディに、「馬鹿な事言わないで下さいまし」とクラリスが、リズとともにランディの腕を引っ張った。
「ヴィクトールはどうするんですか!」
「やーめーれー!」
抵抗するランディに、キースが笑顔で口を開いた。
「坊ちゃま。これ以上ヴィクトールの恥を晒すようであれば、旦那様にも報告せねばなりませんね」
不敵に笑うキースに、「ぐっ」とランディが声をもらした。あまりにも情けないランディの姿に、フローラやルシアンがリズに何事かを尋ね、リズが事の顛末を呆れ顔で両親へと話している。
二人の逢瀬を覗き見たという事実。そのせいでキースから何かしらのしごきがあるだろうという予想。何とも締まらない理由に、ルシアンとセドリックはため息をつき、フローラも呆れ気味で口を開いた。
「それは……ランドルフ君が悪いわね」
困ったような笑顔のフローラに、ランディが「でも、いい絵が撮れたんですよ」と抱き合う二人の写真を見せた。窓越しかつ暗がりの中とはいえ、知ってる人間が見たら二人だとすぐ分かる。
いやむしろ、この画角だからこそ映えるのかもしれない。日常に紛れ込んだ二人の再会という奇跡は、他の誰も邪魔できない事を表しているようである。
だからそんな写真を見たフローラは、「あらあらあら」と嬉しそうに笑ってそれを手に取った。
「やーん。素敵だわー」
トロンとした表情で、写真とマダム、キースの両人を見比べている。完全にこの場における最大戦力を味方につけたランディは、「ですよねー」と、フローラに全力で乗っかった。
「忘れていたと思っていた。いや、忘れようとしていた思い」
「こら、小僧――」
「心の奥底に埋めた火が、長い時を超えてこうして静かに燃え上がる」
胸に手を当てニヤニヤするランディに、マダムの蟀谷に青筋が浮かび上がった。だがランディの言葉を聞くフローラが楽しげなのだ。誰も止める事が出来はしない。
「ランドルフ君は詩人ね」
笑顔を見せたフローラに、リズもそういえば、とランディが詠んでいた和歌を思い出した。
「お二人を眺めていた時、ランディが何か詩を詠んでいたと思ったのですが」
「ああ。〝和歌〟か。畳を見たから、ちょっと和の心が懐かしくなってな」
肩をすくめたランディが、「せっかくだ」と写真の裏に自身が詠んだ和歌を書いた。キャサリンが褒めた達筆、かつ仮名で。
「これは、古代語かな?」
首を傾げたセドリックに、ランディが頷いてそれぞれの説明を軽くした。本来灰の中に隠した火を表す埋火を、心の奥底にしまった思いに例え、星霜をこえて運命の再会を果たす。何でも無い民家だが、そこが二人にとって出逢いを冠する運命の場所だと。
そんな歌の意味に、セドリックもルシアンも「ほう」と舌を巻いた。
「お兄様らしくありませんわ」
「馬鹿か。普段の俺は能力を隠してるだけだ」
ニヤリと笑うランディに、クラリスが「嘘くさいですわ」と頬を膨らませるのだが、実際に今眼の前で見せられた教養は疑いようもない。
そんなランディに、ルシアン、セドリックの二人が興味の眼差しを向けるのだが、残った女子二人はそれどころではない。
「素敵です……」
「本当に……」
うっとりとする美人母娘は、ランディやるじゃないか、と二人の状況を表した和歌と、雰囲気のある写真にランディを大絶賛だ。完全にこの場の主導権を握ったランディが、フローラとリズの背後でキースとマダムにニヤリと笑みを見せた。
「あの小僧……」
「落ち着けエリス。勝負は帰ってからだ」
言葉を交わした二人が、同時に不敵な笑みをランディへと見せた。この状況にも屈しない二人に、ランディが思わず顔をしかめたその時、リズが名残惜しいがそろそろ帰ろうと口を開いた。
「そうね。寂しいけれど、ランドルフ君もリザもやることがあるものね」
寂しそうなフローラに、ランディは「いえ、何もありません」と首を振った。
「なんなら新学期まで、ここで皆さんと過ごしても――」
「ほう。かなり余裕があると見えるな」
不敵な笑みを見せるのはルシアンだ。
「まさか私との約束を忘れたとは……」
「いえいえ。覚えてますよ。私にとって最も重要なことなので」
首を振るランディは、実際忘れたことなどない。だが、今ここでキースやマダムと帰るのは具合が悪いのだ。それこそ一週間は開発が遅れるだろうことは分かる。
絶対に帰ったら、キースにしごかれて足腰が立たなくなる事が予想される。ランディは修行こそ好きだが、だからといって足腰が立たなくなるまでしたいか、と言われればノーである。
だからせめて、ほとぼりが冷めるまで二、三日は……というランディの思いは笑顔のルシアンに砕かれた。
「覚えているなら良い。期待しているよ」
ルシアンが話を終わらせたことで、完全に帰る流れになってしまった。
それでも何とかしようと、ランディが「閣下、そう言えば……」と口を開いた瞬間、
「小僧。往生際が悪いよ」
「坊ちゃま。これ以上侯爵閣下にご迷惑をかけてはいけません」
マダムとキースの二人がランディの両脇をガッシリと掴んだ。
「やめろ。爺とババアに腕を組まれて喜ぶ――」
「それでは帰りましょうか。お願いします」
ランディの言葉を待たず、キースがリズへ微笑みかけた。
「リズ、待って。まだ――」
「閣下、フローラ様、そしてセドリック様。愚兄の奇行、父母に代わり謝罪申し上げます」
「では、お父様お母様、そしてお兄様。また――」
クラリスがカーテシーを見せ、リズが三人に笑顔で手を振り転移を発動する。眩い光に包まれたランディ達五人は、「いやだ。まだ帰りたくない!」というランディの情けない悲鳴を残して一瞬でヴィクトールへと飛び立った。
「父上。ランドルフ君で大丈夫ですか?」
ランディ達が居た場所を見つめるセドリックの視線は、完全に呆れを通り越している。
だがセドリックと打って変わって、笑顔なのはルシアンとフローラの二人だ。
「問題ないな」
「そうですね。心の優しい、良い青年よ」
微笑むフローラの言葉に、セドリックが怪訝な顔で首を傾げた。
「己を悪者に、長い時を一瞬で埋めたのだ。中々出来るものではあるまい」
笑顔で背もたれに身体を預けたルシアンが語るのは、ランディが見せた一連の小物ムーブの正体だ。
マダムとキース。再会時の熱で抱き合った二人だが、実際の二人は歳に似合わず非常に奥手と言うか恥ずかしがり屋だ。そのくせ年相応に冷静な部分を持ち合わせている。いや冷静すぎると言って良い。流石にこの場で二人して手を繋ぐなどするわけがないが、それでも再会の熱を感じさせないように、二人して努めて冷静に振る舞っていた。
せっかく燃え上がった思いも、恥ずかしさと冷静さで微妙な距離を取り続けると、今度は皆が見ている手前、中々素直になれぬものなのだ。
「一度熱したものが冷えると、そこで固定されてしまいがちだ」
ルシアンが手に取ったのは、ランディが置いていった二人が映った写真だ。あれだけキースにビビっているくせに、二人がホールへ戻ってきた時に、ちゃっかりまたもう一枚写真を撮っていたのだ。
マダムの裁縫箱を持つキース。
その隣で頬を染め、顔を背けたマダム。
二人の様子から、既に恥ずかしさで微妙な距離感なのが見て取れる。まるで付き合いたての中学生のようだが、それが二人なので仕方がない。
ちなみにその瞬間を収めたランディは、再び脱兎の如く逃げ出したわけだが……。
「恥ずかしがって素直になれぬまま、お互い今の位置で終わる。歳を重ねた分、恋だの愛だのに素直になれんものなのだ」
微笑んだルシアンが、写真をセドリックへ手渡した。
「お似合いに見えますが?」
眉を寄せたセドリックに「そうだな」とルシアンが頷くが、似合いの二人だからと、二人の愛がこれから燃え上がるかどうかは不明だという。
これから二人は同じ街に戻るが、同じ仕事をするわけではない。二人の性格上、仕事を優先させるのは必至。そうすれば、すれ違いもあるかもしれない。だからこそ、今まだ熱い状況で、ランディは二人の心を叩こうと決めたのだ。
二人にお互いの存在を、もっと強く意識させるように動いた、と言ったほうがいいかもしれない。
ああしてからかう事で、二人共お互いが同じ家に雇われた同僚ではなく、恋い焦がれた、長い間思い続けた相手だと嫌でも認識してしまう。それは二人にとって、恥ずかしい事だろうが、外と内の認識を確認する作業でもある。
皆に認識されてしまえば、ことさら恥ずかしがる事でもない、と。
「もしかして、母上がやけに食いついたのも……」
苦笑いのセドリックに、フローラが「そうね」と舌を出してみせた。
「口に出すことで理解できる、腑に落ちる思いもあるのよ」
微笑んだフローラが、ランディに任せておけば次に会う時はもっと楽しい話が聞けるだろうと続けた。
「素直になれなそうな二人を、つついて楽しんでいるだけかと思ってました」
「それもあるかもしれんな」
セドリックの言葉に微笑んだルシアンが、それでも二人への信頼だろうとセドリックから写真を受け取った。
「何にせよ、少々自己犠牲が強いとは思うが……リザの相手としては申し分のない性根の優しさだ」
頷いたルシアンに、流石のセドリックも「そうですね」と頷くしか出来ない。
「ただ……本人は今頃地獄を見ているかもしれんがな」
【暗潮】からの報告で聞いたキースの人外な強さ。それに睨まれたランディは、今頃泣きを見ているだろうとルシアンが笑う。
「ヴィクトールは人外魔境ですね。リザを預けるのにそこが最大のネックです」
苦笑いのセドリックだが、少しだけ羨ましそうな顔をしている。
「そう羨むな。事態が落ち着けば、お前の指導役の紹介をアラン殿に頼んでも良い」
その言葉にセドリックの顔が分かりやすく明るくなった。剣を志す以上、セドリックもその頂に興味がないわけではないのだ。
「そのためにも、この戦いに勝たねばならぬな」
真剣な表情のルシアンに、セドリックも「情報のすり合わせを」と表情を引き締め、来たるべき戦いへの備えを始めるのであった。
☆☆☆
「マダムの確保に失敗しました」
いつかの公園で報告を聞いていた老人に扮した男が「なに?」と分かりやすく不機嫌さを覗かせた。
「誰に、なぜ――」
男の言葉に、隣のベンチから聞こえてきた報告は、恐らくヴィクトールの手の者だという事だ。
「ヴィクトール……ヴィクトールか」
呟いた男が、小さく「フッ」と笑った。
「レオニウス様へは報告しておこう。が、むしろ好都合かもしれん。マダムの保護は、しばし彼らに頼むとしよう」
笑った男が茜空を見上げた。
「滅びるこの地に居なければ、今はどこでも一緒だ」
男が呟いた不気味な言葉は、少し肌寒く感じる風にさらわれて空へと消えていく――。沈む陽と冷たくなっていた風。ゆっくりとだが、ブラウベルグに夜が迫っていた。
一方その頃ヴィクトールでは……
「アーベル、いいか。アレはもう人じゃねえ」
「それ、毎回言ってる」
「何度でも聞け。アレは妖怪だ」
「ていうか、なんで俺まで……」
……ランディはアーベルと二人、キースから愛のあるシゴキを受けていた。リズとクラリス、そしてマダムの笑顔に見守られながら。
「……俺、マジでただの巻き込まれ」
「アーベル来るぞ!」




