第226話 埋火ふたつ
新しい街にある代官の屋敷へと飛んだランディとリズを迎え入れたのは、驚いた表情の町長であった。
「悪い、びっくりさせたな」
苦笑いのランディが、キースを探している事を告げたのとほぼ同時、音もなく開いた扉からキースが顔を見せた。
「さっすが」
「エリザベスさんの魔法は分かりやすいので」
まだまだ魔力の淀みが大きいらしく、エリーに比べたら出現前に分かるのだという。
「それが分かるのはお前くらいだろ」
ため息混じりのランディが、「それよりも」と真剣な表情で口を開いた。
「マダムがピンチだ」
「ピンチと……?」
眉を寄せるキースに、ランディがマダムがどうやら今現在も狙われているだろうこと、そして今一人でハイゼンベルクにある自宅に、帰っている事を告げた。
「なぜそのような状況に」
キースが初めて見せる焦った顔に、「色々あんだよ」とランディが説明をすっ飛ばした。色々も何も、マダムが護衛を蹴って、ランディが急遽キースを連れに来ただけなのだが、その説明すら惜しい。
いくら大きな屋敷とはいえ、マダムはそろそろブラウベルグの城を出て城下へと繰り出すだろう。もちろんマダムの言う通り昼日中で、襲われる可能性は少ないとはいえ、狙われている人間が呑気に歩いていいものではない。
「とりあえず、とっとと行くぞ!」
「少々――」
「うるせー。リズ、飛んでくれ!」
キースを引っ掴んだランディに、「はい」とリズが頷いて転移で再び姿を消した。
「よく分かりませんが……。キース様、頑張ってください」
苦笑いの町長一人を残して。
☆☆☆
ランディ達が降り立ったのは、三度目のホールだ。
「ここが……」
周囲をキョロキョロとするキースに、ランディが「行って来い」とホールの先を指さした。
「行くと言われましても」
渋るキースに、「あのな」とランディが、キースならばマダムの気配くらい覚えていて、それを辿ることも出来るだろうと眉を寄せた。実際ランディの言う通りで、キースならばそれが出来る。
ただどうしても過去の事で、二の足を踏んでいるのだ。
「男だろ四の五の言ってねーで――」
ランディが声を張り上げた瞬間、これまたセバスが現れて深々と頭を下げた。
「ランドルフ様、お嬢様。お帰りなさいませ」
相変わらず落ち着いた雰囲気のセバスに、キースが軽い自己紹介とともに頭を下げた。それに軽く返事をするセバスだが、キースに断りを入れて口を開いた。
「ひとまず【暗潮】を数人つけましたが、既にマダムを尾行する者が――」
セバスがそこまで言った瞬間、キースが音すら置き去りに外へと駆け出した。
「はや……。あいつ絶対今が全盛期だろ」
苦笑いのランディに、「大丈夫でしょうか?」とセバスが困惑した顔を見せた。
「問題ないですよ。むしろナイスアシストです」
サムズアップを見せたランディに、セバスが良かったと小さく息を吐いた。
「よっし。俺らも行くか!」
「そうですね……って、なぜカメラを出すんです?」
眉を寄せるリズに、「いや、なんとなく?」とランディがすっとぼけて視線を逸した。なんという事はない。単純にキースの恥ずかしい瞬間を、写真に収めてやろう、というただの悪戯心だ。
「そんな事してる場合ではありませんよ?」
少し不満げなリズに「でぇーじょーぶだ」とランディが首を振った。
「今のアイツなら、単騎でドラゴンもぶっ殺すぞ。そういう爺だ、アレは」
顔をしかめたランディが、キースがどれだけ強いかを語って聞かせた。リズとしてもキースがランディ達の師匠の一人だとは知っているが、今も現役で強いとは流石に信じられないのだろう。
「ま、百聞は一見にしかず。ってな」
ニヤリと笑ったランディが、カメラを片手に外を指さした。
「悪い顔してますよ」
ジト目のリズに、「チャンスなんだぞ」とランディが、カメラを片手に不敵な笑みを浮かべた。
「爺がババアに殴られる瞬間。二度と来ねえかもしれねーんだ」
グフフフと変な笑い声を上げるランディが、ルークやアーベル、ハリスン、そしてガルハルトにも見せるのだとカメラを撫でている。
「そんな事して……。また怒られても知りませんよ」
頬を膨らませるリズに、怒られる事が怖くて悪戯は出来ない、とランディが堂々と胸を張った。
「っつーことで、早く行くぞ」
「悪戯には同席しませんよ」
頬をふくらませるリズに、ランディが「頼む」と手を合わせた。
「万が一の時、リズが居てくれた方が罪が軽くなるかもしれねーから」
相変わらず堂々と共犯に引き込もうとするランディに、「嫌です」とリズが首を振った。
「でも気になるだろ? 長く離れ離れになっていた二人の再会、その瞬間が」
チラッとリズを見るランディに、リズが「それは――」と視線を逸した。実際気にならないわけではないのだ。だからと言って、覗き見を許容できないのがリズでもある。そんなリズにランディが悪魔の如く囁いた。
「もしかしたら、喧嘩になるかもしれねー。でもほら、俺達が近くに居たら……」
「た、確かに。喧嘩になったら、それを止めてキース様の本当のお気持ちを――って駄目です。覗きは絶対!」
首を振るリズに、ランディがニヤリと笑う。
「エリーのせいにしちゃえば良いんだよ」
完全に悪い顔のランディが、エリーがついて行ったことにして、中からじっくりと楽しめばいい、と悪の道を指し示した。ゴクリと唾を飲み込んだリズだが、「エリーが『戯け』だそうです」と首を振った。
「あーあ。シュガースターパフを買ってやろうと思ってたのになー」
「五個じゃ」
「早っ!」
一瞬で現れたエリーにランディが苦笑いを見せるが、「五個か。いいぞ」と大きく頷いた。
「うむうむ。成立じゃ」
「単純で助かるぜ」
悪い顔の二人が、既に姿すら見えなくなったキースを追いかけ始めた。
「お嬢様。セバスは何も見ていませんし、聞いていませんぞ」
一人遠い目をするセバスを残して。
☆☆☆
ハイゼンベルクの裏通りに、ひっそりと佇む小さな民家。かつて伝説と呼ばれたデザイナーの終の庵にしては、些か質素すぎる気もするが、そこが現在マダムの住んでいる家だ。
喧騒から解き放たれた静かな空間は、マダム……いやエリス・ヴァルモアにとって、お気に入りの場所でもある。
ここに至るまでのエリスは、まさにその人生を全力で駆け抜けてきた。
冒険者として成り上がり、財をなして、自分の夢を叶えるために店を出した。それと同時に当時の相棒と夫婦にもなった。だが登っていたはずの山道が、そこから急速に転がり始めた。
謎の組織に狙われ、それを壊滅すると家を出た夫は戻って来なかった。
悲しみに明け暮れ、それでも自分の夢の為に命を賭してくれた夫を思い、エリスは再び針を取った。そうして築き上げたマダムとしての地位は、間違いなく誰もが羨む山の頂にある。
そんな忙しくも充実していた生活から、一転。エリスは人生の最期を、ノンビリとあの頃を思いながら静かに生きようと思っていたのだ。
だからかつて二人で過ごしていた街に似た港町で、そしてあの頃のように小さなこの家で、ゆっくりと過ごそうとしていたのだが……。
「人生ってーのは、よく分からないね。こんなババアでも、まだ必要だって言ってくれる人がいるんだとさ」
昼でも薄暗い部屋の中。エリスが語りかける暗がりは、何も返事をすることがない。
「アンタらが何処の誰か知らないが。この命、もう少し燃やしてもいいと思えたんだ。退いてくれると有り難いんだがね」
ニヤリと笑うエリスに呼応するように、暗がりからいくつもの影が現れた。
「ひぃ、ふぅ、みぃ……。ババアのエスコートにしちゃあ、大仰だねえ」
ザッと見ても十は下らない。そんな刺客を前に、マダムは逃げる素振りも見せずに肩に預けていた裁縫箱を床に下ろした。
「今退くんなら、追いはしないよ」
笑顔のエリスが、裁縫箱を足で軽く蹴った。裁縫箱が開き、顔を覗かせた虚空――マジックバッグ――から、エリスが引き出したのは二本のレイピアだ。
「これでもちっとは、名の知れた冒険者してたからね」
二本のレイピアを構えたエリスに、暗がりの影も腰の短刀を引き抜いた。睨み合う両者の間に走る緊張は、エリスの背後で「ギィィィ」と軋む音を立てて開いた扉が破った。
そこに立っていたのは、暗がりの影と同じ格好の男。
「ちっ。挟まれたかい」
エリスが苦虫を噛み潰した瞬間、「逃げ……」と扉の男が、掠れる声をもらしてドサリと倒れた。
「「え?」」
エリスと暗がりの影が思わずハモった瞬間、黒い閃光がエリスの真横を通り過ぎた。ただそれだけ。たったそれだけで、暗がりにいた無数の影は、一瞬で倒れ伏し、代わりに背筋をピンと伸ばした一人の老人が立っていた。
その後姿に、エリスが思わず唇を噛み締めた。
長く離れていたはずなのに。
共に駆け抜けた時間は数年だけのはずなのに。
お互い歳をとったはずなのに。
エリスには分かるのだ。その後姿だけで、それが誰なのか。
それがずっと、待ち焦がれていた人だということも。
言いたいことは山程あった。
どこに行っていたんだ。
なぜ連絡一つよこさなかった。
心配したんだぞ。
色々な言葉がエリスの脳内を駆け巡る中、暗がりに立つ老人がゆっくりと振り返った。間違いない。間違いなく、自分が待っていた男だと、それを確認したエリスの瞳に薄っすらと涙が浮かんだ。
「すまん。待たせたな」
いつもとは違うキースの口調。だがエリスにはこれが慣れ親しんだ男の声。少ししゃがれていても間違いようのないその声は、あの頃と変わらない。
頼みもしていないのに、エリスのピンチに颯爽と現れ、いつもエリスを助けてくれた。そしていつも言うのだ。「すまん。待たせたな」と。だから、だからエリスも紡がねばならない。
あの頃と同じように。
――アンタなんて待ってないよ。
そんな憎まれ口を。それで良いはずだ。ずっと待たせ続けて。急に現れて。だから言わねばならない。待ってなどいない。そう、思い知らせねばならない……というのに。
「アンタなんて――」
エリスは吸い込んだ息を、上手く言葉として吐き出す事が出来ない。
待ってないよ。その言葉が出て来ない。この言葉で良いはずなのに。だから、エリスはもう一度息を吸い込んで……己の心に従い、言葉を吐き出した。
「お……遅かった……じゃないかい」
涙を押さえるエリスの声に、キースが「すまん」と微笑んだ。
「ちょっと、道に迷っててな」
「馬鹿だよ。アンタは。ホント馬鹿だよ。アタシも――」
そう言いながら、エリスがキースに駆け寄り抱きついた。それを優しく抱きとめたキース。その胸に泣き笑いのエリスが、何度も「馬鹿、馬鹿……」と拳を叩きつけている。
それを黙って受け続けるキースが、ゆっくりとだが力強くエリスを抱きしめた。暗がりの中、二人はいつまでもお互いを強く抱きしめ合うのであった。
「……あれ? ぶん殴られねーじゃん」
近くの物陰でカメラを構えていたランディが、「ンだよ」と口を尖らせた。窓越しから見えるキースとマダムは、今も二人抱き合ったままなのだ。
「いいですね。素敵です」
同じように物陰から二人の様子を眺めるのは、いつの間にかエリーと入れ替わったリズだ。両頬に手を当て、今も「素敵です」と微笑むリズは心底嬉しそうだ。
反面面白くないのはランディである。マダムの豪快な雰囲気から、「どこほっつき歩いてたんだい!」と強烈な一撃食らわされる事を期待していたのだ。
確かに二人の再会は喜ぶべき事で、キースとマダムの仲が問題ないのも喜ぶべきことだ。喜ぶべきことなのだが……
「面白くねーな。ぶん殴られる瞬間を撮りたかったんだが……」
ランディが持つのは、窓越しに見える抱き合う二人の写真だ。
「まあ、幸せそうだしいいか」
片眉を上げたランディが、それを青空へ透かした。
「『埋火の 熱も絶えせず 星霜を 超えしここが 我が逢坂の関』なんつって。字余りだけど、燃え上がる二人には丁度いいんじゃ――」
ランディがそこまで呟いた瞬間、窓の向こうのキースがこちらを見た。視線を感じたランディが「ヒッ」と声をもらし、頭を下げるがもう遅い。
恐る恐る頭を上げ、再び窓越しに部屋を覗けば……未だマダムを抱きとめたまま笑顔でこちらを見るキースの姿があった。
「やばい。ずらかるぞ!」
「わ、私は止めましたからね!」
口を尖らせるリズを、「いいから」とお姫様抱っこにしたランディが、その場を大急ぎで離れた。先程見せたキースの鬼神の如き強さは、常軌を逸していた。あれだけの刺客を全て殺さずに、一瞬で無力化したのだ。
それがどれだけ異常かは、ランディでなくとも分かる。実際【暗潮】の面々も、キースの腕前に恐れ慄き、家の周囲に転がる刺客の回収以外は出来ていないくらいだ。
「アレはヤバい。マジでヤバい。絶対ヤバい。ホントにヤバい」
語彙が死んだランディは、後にこの日の逃げ足が史上最速だったはずだ、と語っている。抑制入りルーンがなければ、光を越えていたはずだと。




