第214話 彼女の実家が金持ちだとすげービックリする。いやマジで
リズの転移でついたのは、広々としたホールであった。
吹き抜けの高い天井と真っ白な壁。明かりは豪華なシャンデリア……ということはなく、天窓から差し込む柔らかな陽光だ。ステンドグラスのような窓から差し込むキラキラとした光。まるで海中を漂っているかのような雰囲気である。
そんな海を彷彿とさせる空間で、一際目を引くのは真正面にある巨大な旗だろう。
盾の中に描かれた海竜。その両手に秤と錨をそれぞれ持っている。
「秤は公平さを。錨は不動の精神を。それぞれ表しているんです」
ランディの隣で旗を見上げたリズが、「我が家の紋章です」と誇らしげに呟いた。
「……ブラウベルグって感じだな」
馬鹿な感想を呟き、未だポカンとするランディに、リズが「ありがとうございます」と照れたようにはにかんだ。
「旗も凄いが……」
ランディが見渡す先には、配置された高価そうな舶来の調度品がある。世界各地の美術品だが、過度な主張で空間の雰囲気を損なわないよう、控えめな配置だ。加えて先ほどからランディの鼻腔をくすぐる上品な香りだ。
(このフワっと香る匂いって……たぶん白檀だよな?)
ほんのり香る上品な匂い。心落ち着かせる香りだが、希少な香木をこんな広いホールに使える財力に、ランディは恐れ慄いている。
「噂には聞いてたが……」
「凄すぎますわ」
圧倒されるヴィクトール兄妹に、リズが「ようこそ、我が家へ」と陽光の下で振り返った。
「お姉様は……お姫様だったんですね!」
頬を上気させ飛び跳ねるクラリスに、「声がデケえよ」とランディも口調とは裏腹に動揺を隠せない。なんせ入口ホールでこの圧倒的な財力とセンスなのだ。こんな城で育った箱入り令嬢を、あの田舎のあばら家で、文官として働かせている事実が重くのしかかっている。
「大丈夫……閣下も許してくれてたし……」
言い聞かせるランディだが、内心はバクバクだ。侯爵夫妻がヴィクトールに来た時、精一杯もてなしたつもりだが、これを見てしまってはランディやアランのもてなしが霞んでしまう。
もちろんルシアンもフローラもそんな事を気にする人間ではない。だが元……いや現在進行形で小市民のランディからしたら、本物の貴族というものを目の当たりにした瞬間とも言える。
(王城ですら何ともなかったのにな)
もう一度ホールを見回すランディだが、その感想は仕方がないとも言える。なんせ王城はランディ自身に関わりのない人間の住処だ。そんな場所が豪華絢爛だとしても、美術館や博物館にでも来た気分である。
だがここは違う。
端的に言えば彼女の家に行ったら、アラブの大富豪だった。そんなところだろうか。一般人としての感覚しかないランディが、尻込みしてしまっても無理はない。
まだホールだけだというのに、圧倒され口数の少ないランディに、リズが困ったような笑顔を向けた。
「何か不都合がありましたか?」
「いや……」
首を振ったランディだが、リズの笑顔を見て内心しっかりしろと己の両頬を叩いた。こんな事で圧倒されていては、今後ルシアンやセドリックに正式にリズとの交際を申し込む事など出来ない。
だから気合を入れ直したランディが、リズへ笑顔を向けた。
「綺麗すぎてな。まるで海の中みたいだ」
ランディの言葉にリズが嬉しそうに微笑んだ。
「そうなんです!」
嬉しそうなリズが続けるのは、屋敷全体が海や船を連想させるような作りになっているという事だ。
「ランディは海の中を知ってるんですね」
「まあな」
頷くランディだが、今世での経験はないが前世では、人並みに海へ行ったものだ。
「ヴィクトールは川ばかりだが、川の中もまあ、似たような光が見られるぞ」
ランディの言葉に頷くのはクラリスだ。大河にも面しているヴィクトールで水練は必須技能であったりする。
水の中の話で盛り上がる三人に、ホールの向こうから人影が近づいてきた。
「お嬢様。お帰りなさいませ」
恭しく頭を下げた老人に、「セバス、この間ぶりですね」とリズが微笑んだ。前回セドリックとミランダをここに送り届けたので、あまり間は空いていないのだが、何故かセバスは感無量といった雰囲気だ。
「お元気なお姿、大変嬉しく存じます」
「心配せずとも、元気ですよ」
笑顔を見せたリズに、セバスがもう一度礼をして口を開いた。
「旦那様がお待ちです。ぜひご尊顔を――」
その言葉にランディも頷いた。今回「会いたい」と言ったのはマダムだが、やはり屋敷の主人に一番最初に挨拶すべきである。
セバスの先導により、ランディ達はホールの先へ続く廊下へと足を踏み入れた。
大理石で出来た真っ白な廊下と、ところどころに置かれた舶来の美術品。ようやく慣れてきた光景だが、廊下の先に見える外の光にランディが眉を寄せた。
「これは――」
「凄いです!」
興奮が復活したヴィクトール兄妹を迎え入れたのは、空中を歩いているかのような渡り廊下だ。断崖の上に作られた白亜の宮殿。それを結ぶ廊下は潮風が感じられ、なによりその眺望が素晴らしい。
「あれが海ですのね」
廊下の向こうに見える海とそこを行き交う巨大な船。斜め上を見れば、白亜の宮殿が陽光に光り輝いている。
(壁にポツポツ見える金色は……真鍮かな?)
金も予想にあったランディだが、先程のリズの言葉を借りるなら、あの金縁や球体は船を彷彿とさせる飾りだろう。よくよく見れば渡り廊下の縁にも使われているので、恐らく真鍮で間違いない。
目で鼻で。そして今は潮風と波の音と耳まで。城全体を彩る統一感に、ランディはため息しか出せない。
「私、こんな格好で大丈夫でしょうか?」
ホールに続き、渡り廊下で完全に圧倒されたクラリスが、自身がリメイクしたドレスの裾を掴んだ。
「お前は大丈夫だろ。むしろ最高なくらいだ」
クラリスの頭を撫でたランディだが「問題は俺だ」と自分の格好に肩を落とした。
なんせテンションが上がってそのまま来てしまったので、今のランディは訓練着なのだ。
ランディは基本的に平服や訓練着での活動が多い。それはもっぱら動きやすいからという理由だが、やはり一番は安いのだ。昔からすぐ服を駄目にするので、なるべく懐が痛まないようになると一般平民が着る平服、もしくは頑丈な訓練着へと落ち着いてしまう。
それでも平服ならシャツとスラックスのような、ある程度見られる格好を心がけている……のだが、今日のランディは残念ながら訓練着だ。
大きく厚手のチュニックをベルトで固定し、ブーツとパンツも汚れの目立たない黒。そしてチュニックの上からこれまた黒のタバードである。袖まくりまでして、完全に今から訓練しますよの格好は、この白亜の宮殿にはあまりにも似つかわしくない。
「ヴィクトールでは見慣れて普通ですからね……」
リズも苦笑いで頬を掻いた。実際リズの言う通りで、ヴィクトールではランディの格好はこれか平服なので、もうそれが正装のような扱いだ。
「あー。やべー。マジで帰りてえ」
頭を抱えるランディに、リズとセバスが大丈夫だと微笑んだ頃、長かった渡り廊下も終わり、大理石の床と大きな窓が続く廊下が現れた。
そんな開放感のある屋敷を進むことしばらく、一際豪華な扉をセバスがノックした。
「旦那様、お嬢様とランドルフ様、そしてクラリス様がお見えになりました」
名乗っていないというのに、クラリスの名前までスラスラ出るセバスに、ランディとクラリスは侯爵家の使用人のレベルを痛感している。
(リタよ……お前、絶対侯爵家で浮いてただろ)
ランディの頭の中では、少々おっちょこちょいなメイドがピースをしている。だがそんなリタの後ろには、彼女に悪影響を与えたと思しきヴィクトールのメイドたちが、何故かガッツポーズを見せているのだ。
(アイツらのせいか……)
ランディが内心ため息をついた頃、『通してくれ』と扉の向こうから声が聞こえた。その声に微笑み振り返るセバスの顔には「大丈夫でしょう?」と書いてあるようだ。
ランディやクラリスという、一応は客に対してフランクな言葉遣いを侯爵が選んだのだ。つまり無礼講で行こう、もしくは家同然に寛いでくれ、そんな思いが今の一言に滲んでいる。
セバスがゆっくり開く扉に、ランディは内心ホッとしながら、「失礼します」と先陣を切って扉を潜った。
「閣下、ご無沙汰しております」
頭を下げたランディの両脇で、リズとクラリスもカーテシーを見せた。
「……王城での一件以来か。元気にしているようだな」
ランディの格好に頬を綻ばせたルシアンに「恐縮です」とランディが頭を下げた。
「連絡を頂き、あまりの嬉しさに文字通り飛んで来ましたので」
頬を掻くランディに、ルシアンも嬉しそうに頷いた。
「君のその即断即決は嫌いではないな」
笑顔のまま机の上で指を組んだルシアンが、「リザは……」とチラリとリズを見てまたランディに視線を戻した。
「我が娘は迷惑をかけてはいないかね?」
「まさか。普段から我々にはない視点に助けられています」
笑顔を見せたランディが、街のコンセプトについても素晴らしい意見を貰ったことを付け加えた。
「そうか。学園でも頑張っているとは聞いたが……いかんせん本人から聞く機会がなくてね」
肩をすくめたルシアンが、リズに非難めいた視線を向けた。それはアランがランディに「お前は報告がない」と言っていた時と同じアレだ。まさか二人共自分の両親には全く報告をしていない――ランディに至っては誰にもしてないが――そんな事実に、リズがわずかに頬を赤らめた。
「お、お父様。エリザベス、ただいま帰りました」
慌てながら思い切り話題を逸らすリズに、ルシアンとランディが顔を見合わせて微笑んだ。
「リザ。もう少し父の心配を、分かってくれてもいいと思うのだが?」
話題を戻したルシアンに「お、お兄様が把握してるじゃないですか……」とリズがわずかに頬を膨らませた。
「お前の口から聞きたいのだよ。親とはそういうものだ」
そう言いながら、ランディにも意味深な笑みを見せるルシアンに、ランディは「あのクソ親父め」と内心舌打が止まらない。間違いなくルシアンに、うちの息子何も言ってこない、とチクってるのだ。
「「心得ておきます」」
ランディとリズが同時にシュンとなったのに、ルシアンが「結構」と満足げに頷いて今度はクラリスへ視線を向けた。
「はじめまして侯爵閣下。アラン・ヴィクトールが娘、クラリス・ヴィクトールと申します」
再び見せた見事なカーテシーに、ルシアンも満足げに頷いた。
「日頃からヴィクトールにお目をかけていただいていること、父と兄に代わり、ここに感謝申し上げます」
クラリスの挨拶にルシアンが「アラン殿の言うとおりだな」と満足げな笑みを浮かべた。
「優秀な長女がいて、ヴィクトールは安泰だ、と」
「恐縮にございます」
深々と頭を下げるクラリスと、楽しげなルシアン。その背後に見えるアランの笑顔に、ランディは「長男は?」と口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「さて、クラリス嬢。まだまだ話足りないが、君はマダムに呼ばれているらしいからな。彼女に会いに行くのだろう」
「はい。それとフローラ様にも母に代わり挨拶を、と思いまして」
「結構。リザ、案内してさしあげなさい」
侯爵の言葉に、クラリスがカーテシーを見せ、半歩下がった。
「それじゃあ行きましょうか」
リズに手を取られたクラリスが、ランディをチラリと振り返った。
「お兄様。閣下に粗相のないように……」
「だ――」
思わず出そうになった声をランディが飲み込み、顔をしかめるだけに留めた。流石にルシアンの前で「誰がするかよ!」などと声を荒げるわけにも行くまい。
リズとクラリスが消え、再び閉まった扉にランディが小さくため息をついてルシアンを振り返った。
「とんだじゃじゃ馬でして」
「良き妹御だ。鼻が高かろう」
高らかに笑うルシアンに、「お戯れを」とランディが苦笑いを返す。
「では、我々は我々の話といこうか」
ソファを勧められたランディは、「そうですね」とルシアンに持ってきた新たな事業の話や、【真理の巡礼者】、そしてエリーの身体について話し始めるのであった。




