第205話 知ってると思った例えが通用しなかった時の恥ずかしさよ
「で? 結局どうするの?」
ため息混じりのアーベルに「そうだな」とランディが、少しずつ瞳に光が戻ってきた男を見た。
(なるほど。何かトリガーがあって発動するが、ずっと人格がおかしいわけじゃないのか)
どういったタイミングで、元の人格が現れるか。残っていた謎に、ランディの中で一つの仮説が出来た。今の男の状態を見る限り、時間経過で洗脳された人格は深層心理に潜るらしい、と仮定されたわけだ。
「普通の洗脳なら、ぶん殴ってみて……ってところだが」
ため息混じりのランディに「だから死ぬって」とアーベルが小さく首を振った。
「馬鹿野郎。そんくらいの手加減は出来るわ」
鼻を鳴らしたランディが、男の顔を平手で叩いた。地下牢に響く小気味よい音……の後に
「痛えだろ!」
男がランディを射殺さんかの如く睨みつけた。頬こそ赤くはなっているが、特にダメージは見られない。
そんな男の様子に満足したランディは、ドヤ顔でアーベルへ振り返った。
「な?」
「ほんとだ」
男が今も「おい!」と飛ばす怒声や殺気など、どこ吹く風。ランディとアーベルは、ランディの手加減がちゃんと出来る事で盛り上がっている。
なんてことはない。ただ軽く叩いただけだ。だと言うのに、それが出来ただけで褒められるというとても程度の低い話なのだが。
「とまあ、こんな具合に手加減は出来るんだが……」
「なら目覚めるまで殴り続けたら?」
無表情で恐ろしいことをサラッと言うアーベルに、男の顔が分かりやすく引きつった。
「いや。それだと余計こじれるかもしれん」
首を振るランディが語るのは、男が受けた洗脳は普通とは違うだろう事だ。普段通りに生活していた一般人の洗脳と比べ、彼らの洗脳はどうも不安定というか、無理やり感が強い。
「通常の思考を書き換えてるというより、別人格を作った……そんな感じだ」
男に向き直ったランディが、「おい。所属を言え」と声をかけると男の瞳が陰って虚ろになる。
「……殺せ」
ただそれだけを吐く男は、影に生きる人間としては正しい反応だ。だが明らかに先ほどランディに「痛い」と怒声を浴びせた男とは、別の人間に見える。
「抵抗が強いから、深層心理に別の人格を作り上げたか」
男の虚ろな瞳を覗き込んだランディが、「それとも……」と呟きその瞳から視線を逸らした。
「己の精神を守るために、自己防衛として新たな人格を生み出したか」
どちらにせよ、男の様子からランディが考えるのは洗脳と言うより人格の乖離だ。解離性同一性障害に近いのかもしれない。もちろんランディも多重人格という言葉でそれを知っている。だが知っているだけだ。
「多重人格はさすがにな……。心理学は専門外がすぎる」
顔をしかめるランディに、「専門は肉体言語だけ」とアーベルが声を弾ませた。
「うっせ」
鼻を鳴らすランディだが、実際ランディの専門はアーベルの言う通り肉体言語だ。もちろんそれ以外もある程度の心得はあるが、流石にここまで複雑な精神疾患はランディではお手上げだ。
「アーベル。お前幻惑の魔法使えたよな?」
首を傾げるランディに「ん」とアーベルが小さく頷いた。アーベルの魔法で幻覚を見せ、ヴィクトール流の方法で連中自身に己の深層心理と向き合わせよう……ランディは一瞬そう思ったものの、その考えに「やっぱいいわ」と首を振った。
「下手したら廃人だしな」
ため息混じりのランディの言う通り、失敗したら男達の精神は壊れて元には戻らないだろう。
仮により強い恐怖や衝撃を与えれば、洗脳という名の人格分離が更に進むかもしれない。具体的に言えば、ランディという恐怖から逃れるために、別の人格が生まれる可能性がある。
男達の所属は十中八九シャドラーで、ヴィクトールに来た理由も褒められたものではないかもしれない。だがランディには、罪状が確定する前の男の精神を弄ぶ趣味はない。
「解いてみるとは言ったが、俺達にはちっと荷が思いな」
呟いたランディが「リズが帰って来てから頼むわ」と男達に背を向けた時、
「坊ちゃま――」
不意に現れたキースが「お客様がお見えです」とランディに恭しく頭を下げた。
「客ぅ?」
盛大に眉を寄せたランディだが、確かに言われればランディ達の真上に、覚えのある気配が一つ。
「……帰ってもらえ」
「それはなりません」
首を振るキースに「なんでだよ」とランディが口を尖らせた。
「なんでも何も、引率責任者だそうで」
キースが微笑んだちょうどその頃、「ちょっと、いつまで待たせんのよ!」と聞き覚えしかない声が地下牢に響き渡った。
階段をコツコツと鳴らしながら現れたのは……
「アタシ、これでも忙しいんだけど!」
……頬を膨らませたピンクのモンスターだ。
腕を組み、地下牢の入口付近でふんぞり返るキャサリンに、ランディがげんなりとした表情を浮かべて口を開いた。
「チェンジだ」
「アンタぶん殴られたいわけ?」
眉を吊り上げたキャサリンが、ノシノシと地下牢の通路を大股で歩いてくる。
「チェ、チェンジって言ったのに――」
わずかに仰け反るランディに、「若のせい」とアーベルは危険を察知してランディの背後に隠れた。
キースを押しのけ、目の前に現れたキャサリンに、ランディが盛大にため息をついた。
「数日ぶりだな、キャサリン嬢」
「そうね」
「春休み後に……って言ったよな?」
「言ったわ」
悪びれる様子のないキャサリンが、「仕方ないでしょ」と口を尖らせて続けるのは、教会が派遣する人員の監督についてだ。
長い教会の歴史でも例を見ない大規模派遣なだけあって、国に対しても正当性をアピールする存在が必要なのだ。それこそが聖女であるキャサリンだ。
聖女が陣頭指揮をとるからこそ、これだけの人員を動かすんですよ……そんなアピールだという。
「嘘くせー。リドリー大司教なら信じたわ」
ジト目のランディに、「ほ、本当ですぅ!」とキャサリンが口を尖らせ更に続けるのは、信者達のケアについてだ。
これだけの大移動、しかも国外だ。信者達も期待ばかりではない。派遣された先での待遇への不安。本当に上手くいくかどうかの不安。それらのケアが必要だ。
そしてそれを担う人物こそ、聖女たるキャサリン――
「もっと嘘くせー。アナベル嬢なら信じたわ」
もはやジト目ですらない。完全に胡散臭いものを見るランディの瞳に、「アンタって本当に失礼ね」とキャサリンが眉を吊り上げた。
「つーかお前、レオンはどうしたよ。お前の子守りの」
「誰が子守りが必要な赤ん坊よ!」
「そこまで言ってねーだろ」
苦笑いのランディに、口を尖らせたままのキャサリンが、レオンは今アナベルと一緒にハートフィールドに出張中だと語った。
「なんでまた?」
「ハートフィールドにも、人材派遣するからよ」
何を言ってんだ。そんな雰囲気のキャサリンだが、ランディが聞きたいのはそんな事ではない。アナベルとレオンが一緒で、キャサリンだけが別だという意味がわからないのだ。
「いやいや。なんでアナベル嬢とレオンがチームなんだよ」
至極当然の疑問に、そういう事かと納得したキャサリンが「他にも引率はいるわよ」と口を尖らせつつ更に続ける。
「色々な事を加味した……チームバランスってやつよ」
キャサリンの言葉に「チームバランスぅ?」と首を傾げたランディが、近づいてきた気配に……覚えのある気配にブルっと身を震わせた。
「……お前……まさか――」
ランディの笑顔が引きつったその時、「キャサリン嬢?」穏やかで聞き覚えしかない声とともに、コツコツと階段を誰かが降りてくる音が響き渡った。
「――【戦鬼】殿は……ああ。ご無沙汰だな」
ヒラヒラと手を振るのは、笑顔のユリウスだ。それを見たランディがしばし固まり、そしてキャサリンの肩に手を置き「おい……」と底冷えする声を発した。
「な、何よ……」
雰囲気の違うランディに、キャサリンが思わず身を固くする。わずかに俯き、顔色がうかがえない。そんなランディに全員の視線が集まったその時、
「お前はもう……どうしてそう、お前なんだよ!」
眉を吊り上げ突然喚いたランディに「意味分かんないんだけど」とキャサリンが引きつった顔でわずかに仰け反った。
「アレはどう見てもカオ◯シだろ! なんでこうヴィクトールに引き入れちゃうかな!」
ユリウスを指差すランディに、「カ◯ナシ?」とアーベルとユリウスがほぼ同時に首を傾げるが、ランディとキャサリンは止まらない。
「カオ◯シを引き入れる……」
ポツリと呟いたキャサリンが「神隠しの?」と首を傾げるとランディがそうだ、と大きく頷いた。
「だ、だぁれが湯◯婆よ!」
「ちっげーよ! このクソにわか! 引き入れたのはババアじゃねえ! 主、人、公!」
ランディが怒声で「ババアはこっちサイド!」と自身を指さしている。頓珍漢なキャサリンの反応は、間違いなく内容を知らない。つまりキャサリンを含め、ランディ以外の誰もが理解できていない例えだ。
「ったく。余計な事はするわ、何も知らねーわ。お前何が出来んだよ」
鼻を鳴らしたランディに「ひ、引き入れたんなら、主人公だし!」とキャサリンが口を尖らせた。
「うるせー。このクソにわかが。俺のスーパースペシャルな例えツッコミを返せ」
盛大に顔をしかめるランディに、「うっさい!」とキャサリンが顔を背けた。
「……どうやら歓迎されていないのかな?」
肩をすくめるユリウスに、ランディが「悪いな」と頭を掻いた。
「ウチは今、よく分かんねー青瓢箪どもに狙われててな。それがどうも、帝国産らしくてよ……」
肩をすくめたランディに、「なるほど」とユリウスが頷いた。いくら皇子を辞し、身分を返上したとは言えユリウスの立場を考えれば、ランディが拒否反応を示した事に合点がいったのだ。
「アンタが悪人じゃねーってのは、分かってんだがな……」
ため息混じりのランディが「お前のせいだぞ」とキャサリンを睨みつけた。
「煩いわね。いつまでも過ぎた事をグチグチと……体の割に器が小さい男ね」
鼻を鳴らしたキャサリンが、ユリウスはもう帝国じゃなくて教会の人間だと強調した。
「この男の身分は教会が、このアタシが保証するわ。ユリウスが信じられなくても、アタシは信じられるでしょ」
ニヤリと笑うキャサリン……だが、「余計信用ねーわ」とランディが鼻を鳴らした。
「な――」
「だが……キャサリン嬢の信用の是非は置いといて……言うことは確かだな」
キャサリンを脇に、一歩進み出たランディが頭をさげた。
「ユリウスさんよ。非礼は詫びるぜ」
頭を下げるランディに「構わない」とユリウスが首を振って続けるのは、領地を守る者として、怪しい存在に警戒するのは当然だということだ。
「俺も君の立場なら、俺のような怪しい人間は勘弁だ」
おどけるユリウスに「なら来ねーでくれよ」とランディが苦笑いを返した。
「それは無理な相談だ。興味は押さえられるものではない……よく分かるだろう?」
ニヤリと笑うユリウスに、「そりゃまあ」とランディも頷くしか出来ない。
「とは言え、取り込み中に乗り込んだのは礼を欠きすぎたな」
頭を下げ、踵を返そうとするユリウスに「待ってくれ」とランディが声をかけた。
「引き込んじまったついでだ。アンタに一つ聞きたい」
真っ直ぐなランディの視線に、ユリウスが「答えられる範囲なら」と身体ごと向き直った。
「【真理の巡礼者】。この名前に聞き覚えはあるか?」
真剣なランディの表情に、ユリウスが「フー」大きく息を吐き出した。
「知ってるも何も、恐らくだが俺の兄が関わっている組織だ」
ユリウスの返答は、地下牢に漂っていた空気を一気に凍りつかせた。




