第204話 数学は出来ません。でもこんなのは得意です
キースの言質を取ってから翌日、ランディは一人訓練場のある建物へ――正確にはそこにある地下牢へ――と顔を出していた。ここに来た理由はただ一つ。アーベルから捕らえた連中が、目を覚ました事を聞いていたからだ。
「仮に昨日の夜目覚めたとしても……熟睡しすぎじゃねーか」
眉を寄せるランディが、「強く殴りすぎだろ」とアーベルにため息をついた。
「手加減してる。若よりマシ」
無表情のアーベルだが、声音からも不満さがよく分かる。無理もない。力加減の下手くそなランディにそんな事を言われれば、誰でも「お前よりはマシだ」となってしまうものだ。
言外に含まされる非難に、ランディが「チッ」と舌打をもらしアーベルから視線を逸らした。
「で? 結局連中の洗脳は解けたのか?」
階段を降りきったランディに、アーベルが黙って首を振った。
「だよな……。ぶん殴ってどうにかなるレベルなら、連中自身でどうにかしてるか」
大きくため息をついたランディだが、普通は洗脳などの精神干渉を受けたらどうしようもない。にも関わらず「自分達でどうにか出来る」と思っているのは、ヴィクトールでは当たり前だからだ。
ヴィクトールの男達は、洗脳など精神干渉を解いた事、解かれた事がある。それは魔の森で誰もが一度はそういう目に遭うからだ。仲間に殴られ、鼻血を流し、「目が覚めたか?」と肩を掴まれガクンガクンと頭を揺らされるのだ。
アーベルもランディも、二人共そんな経験は嫌という程ある。
だから精神干渉=物理で上書き。という等式がヴィクトールでは成り立っているのだが、それは魔獣がかける一辺倒な精神干渉において……更にヴィクトールだからこそ有効な手段だ。
ゲームでよくある混乱した仲間を、仲間が殴って復帰させるというアレに似ている。
だがいくら荒事に身を置いていても、そんな経験などない人間の方が多い。
なのでどうしようもないのだが、ランディ達は連中が戻って来れないのは、精神干渉が高度なものだという結論に至っている。
今回洗脳と思しき精神干渉を施したのは、【真理の巡礼者】の連中で間違いない。ヴァルトナーでもそうだったが、エリー曰く「肉体労働派に解除は難しい」のが奴らの使う術なのだ。
魔獣に比べより高度な干渉だ。かけられた本人達がどうこう出来る問題ではない。道筋は違えど、とにかくその結論に至ったわけだが……
「あー。やっぱりリズを連れて来るべきだったかな……」
低い地下牢の天井を見上げるランディに、「どこ行ったの?」とアーベルが首を傾げた。
「ちっと屋敷の方にな」
頬を掻いたランディが続けるのは、リズがクラリスにそれとなく工房のデザインを聞きに行った事だ。サプライズなので工房の事は話せないが、話の流れで――例えば将来働いてみたい工房など――上手く聞き出す事が出来るかもしれない。
なんせ昨日クラリスの将来の話で、二人は大いに盛り上がったと聞いている。その流れを引き継げば、クラリス自身に工房のデザインを考えさせる事も可能だろう。
加えて昨日侯爵家に送った手紙だ。最近はヴィクトールも潤ってきたので、侯爵家と超速のメールバードのやり取りが可能になっている。以前は翌日着だった手紙が、今はその日のうちには届くのだ。
つまり早ければ、フローラ夫人からの返信があっても、おかしくはない。
「まあマダムの意向を聞いたりがあるから、流石に昨日の今日で返信はねーだろうけどな」
何だかんだで伝説のデザイナーだ。針を置いた理由すら知らない小僧と小娘が、「会いたいです」と言って直ぐに会えるものでもないだろう。いくら母親が懇意にしているとしても、だ。
「もし駄目だったら?」
「そん時ゃ、キースだけ放り込んで謝らせて終いだ」
肩をすくめたランディが、やりたくない人間に無理強いは出来ないと首を振った。
「でも師匠は謝らせるんだ」
「そりゃな。アイツは一度ぶん殴られた方が良いんだよ」
悪い顔で笑うランディの目の前に、別々の牢に放り込まれた男達が現れた。
「さて……昨日ぶりだな」
牢の前にかがみ込んだランディに「お前は……」と一人の男が目を見開いた。
「俺の事を知ってんのか?」
首を傾げたランディに「当たり前だ」と男が眉を寄せた。
「連中じゃない?」
ランディの後ろで呟いたアーベルが、「ほら、冬に揉めたし」と背中を壁に預けた。
アーベルが言うのは、目の前の男達の所属が、シャドラーではないかという事だ。もちろん彼らが【真理の巡礼者】なら、ランディの事を知っていて然りだが、そもそも同じ仲間を洗脳する理由がない。
だからこの辺りでランディを知っていて、かつ敵対的なシャドラーなら接触しやすい、とアーベルは言っているのだ。
「まあ妥当だな」
ランディも頷いた。【真理の巡礼者】以外でランディを認識し、更にこの態度だ。調達のしやすさ、目的への抵抗感のなさを考えても、シャドラー家の関係者を疑うのは定石だろう。
「とりあえず聞いてみるか」
ランディが男二人の顔を見比べ、「お前らの所属はどこだ?」と眼光を鋭くした。ランディの質問に、男達の瞳がわずかに陰った。虚ろというか焦点があっていないというか。
「なるほど。余計な事は話せない……そうなってんのか?」
ため息をついたランディが、今自分が発した言葉の違和感に気がついた。相手は曲がりなりにもプロだ。あの闇ギルドの所属員ですら、ランディを前に口を割らなかった。正確には口を割らせる前に全員殺したのだが。
とにかくその筋の人間が、己の所属を簡単に語る事はない。
「当たり前の事を、縛る必要があるのか?」
ランディが振り返った先で、「さあ」とアーベルが肩をすくめてみせた。アーベルの返事は投げやりに聞こえるが、今のランディには大事なピースだ。
必要があるかどうか分からない。そう。実際は何も分からないのだ。
洗脳した人間を送り込んだ理由すら。
(一見すると不要な部分だ。相手は俺達がコイツらを捕まえる事も想定済みだろう)
トントンと床を指で叩いたランディが、「普通に考えたら……」と男達に目を向けた。
「お前らが【真理の巡礼者】だろうが、なかろうが、所属を隠すのに洗脳された意識が出てくる必要はない」
例え【真理の巡礼者】でなかったとしても、他領もしくは他国の街で破壊活動疑惑をかけられたのだ。自分の本当の所属を明かせば、即刻自分の会社に迷惑をかけることになる。
「そもそも洗脳……精神干渉って何だ?」
「自分達の味方だと思い込ませる事?」
後ろで首を傾げるアーベルに、「そうだ」とランディが頷いた。
「そうだな。コイツらは今、自分を【真理の巡礼者】だと思ってる……」
「で? そんな虚無顔?」
わけが分からないと肩をすくめるアーベルに、ランディは「虚無顔……虚無顔か」と呟いた。一見不要にも見える所属の黙秘。そんな基本的な部分まで、洗脳された人格が顔を出すという現象に、ランディが黙ったまま考え込んだ。
(ここで所属を黙秘する事が、【真理の巡礼者】にとって必要なのか……)
考え込むランディの背中に、アーベルが「普通……」と声をかけた。
「普通に考えたら、敢えて所属を言わせそうだけど」
「何もなしに所属を答えりゃ、『与太だな』ってなるだろ」
ため息混じりのランディに「それもそうか」とアーベルが頷いた。
「しかもあからさまな精神干渉だ。連中、俺らがコイツらを捕まえる事も見越してるのは間違いない」
また床をトントンと指で叩いたランディが、ここで尋問して所属を言ったとしても、それをランディ達が信じる事はないと続けた。
(なんだコレ。違和感しかねーぞ。そもそも俺達は――)
そこまで思いついたランディが「そうだ」と手を打った。
「必要な事でも、意図しての事でもないだけか……」
ガックリと肩を落としたランディが、「あ゙ー」と頭を掻いて立ち上がった。
「くそ。時間を無駄にしたぜ」
鼻を鳴らしたランディに、「?」を浮かべたアーベルが直角に近く首を傾げた。
「俺らにはエリーがいる。連中がどこまで掴んでるか知らねーが、それでもヴァルトナーで洗脳を楽に解いた事は知られてる」
ため息混じりのランディが続けるのは、あれだけ洗脳された使用人に苦しめられたヴァルトナーが、ランディ達の訪問で一気に盛り返したことだ。【真理の巡礼者】とて馬鹿ではない。ランディ達が連中の洗脳を解く術を持っている事など、把握しているのは間違いない。
「アーベル。お前が洗脳……まあ精神干渉を簡単に解けるとして、あからさまな精神干渉を受けた人間を見たらどうする?」
「どうって……そりゃ直ぐに――」
そこまで呟いたアーベルが大きく目を見開いた。
「そうだ。普通は直ぐに解くんだ。じゃねーと話にもなんねー」
ランディの言う通り、洗脳を受けている人間に、バカ正直に話しかける奴の方が少ない。
「じゃあ、この状況は……?」
「連中にとって想定外だろうな」
ため息をついたランディが、「まさか洗脳を解かず質問するとは思わんだろ」と続けた。
「この状況は想定外。この現象は、連中にとって必要でも意図したことでもない」
チラリと男達を振り返ったランディが、「真面目に考えて損したぜ」ともう一度ため息をついた。
「戦闘員相手に洗脳をかけると、こうなっちまうってだけだろ」
「こう?」
「より強い洗脳で、必要以上に洗脳された人格が顔を出す……まあ使い物にならねーって事だ」
不要に思える所属の隠蔽は、連中からしたらただの副産物だ。所属を聞かれただけで目が虚ろになるプロなど、仮に洗脳出来たとしても、何の役にも立ちはしない。だがそれでも良かった。それでもヴィクトールへ投入した。
「使い物にならないのに、なんで?」
「決まってんだろ。ブラフだ」
鼻を鳴らしたランディが続けるのは、戦闘員が洗脳されるという情報の衝撃だ。未だ【真理の巡礼者】の警戒にあたっているブラウベルグを始め、ヴァルトナーやハートフィールドにも衝撃が走る情報だ。
「見え見えのジョーカーでも、切り方次第ってやつだろ」
もし今日このタイミングでエリーがいたなら……指パッチン一つで連中の洗脳は解け、この事実にたどり着くことはなかった。
「使いもんにならねーのを、敢えてうちに送り込んできた辺り、カードの切り方は知ってるみてーだな」
ヴィクトールなら間違いなく捕らえて、直ぐに解除する。そうして実態のないジョーカーだけが仲間内で独り歩きするのだ。気付いてしまえば大したことのない一手だが、気付かずメッセンジャーとなっていたら、他家に多大な混乱をもたらしたのは間違いない。
「でも見え見えの洗脳」
眉を寄せるアーベルが言っているのは、初めから丸わかりの洗脳だった事だ。普通なら今のやり取りがなくても、使い物にならないと判断する。たとえさっさと洗脳を解除したとしても。
「まあ普通はな」
頷いたランディは、「だからこそ、俺達の所に送り込んだ意味があるんだよ」と男達を見据えた。
「恐らくだがブラフの補完……端的に言えばコイツらはメッセンジャーだ」
鼻を鳴らすランディに、アーベルは良く分からない、と首を傾げた。
「見え見えの洗脳。実際昨日も大した事ないって高を括ってた。んで、仮にそのまま直ぐに洗脳を解いたとして……俺らはどうすると思う?」
「どうって……話を聞く」
腕を組み眉を寄せるアーベルに、「そうだ」とランディが頷いた。
「話を聞く。そん時例えばコイツらが『一緒にいた連中の中にも、精神干渉を受けてた奴がいた』なんて言えばどうなると思う?」
ランディの問いに、アーベルがゴクリと唾を飲み込んだ。大した事ないと高を括っていたら、既に処分した連中に、洗脳されたものが混じっていたかもしれないと言われるのだ。
気付かない程、自然な洗脳。それを確かめる術は既に魚の胃の中だ。
仮にそれが語られたとしたら……。ランディが言った通り、情報の補完になりかねない。
「まあ今のは一例だが……。コイツらが語る事によっちゃ、俺らはババを引かされてたわけだ」
そう言いながらランディは、もう一度男達に視線を合わせるためにかがみ込んだ。
「なにすんの?」
「洗脳を解いてみたら分かるさ」
ニヤリと笑ったランディに「出来るの?」とアーベルが首を傾げた。
「とりあえず二、三発ぶん殴って……」
「駄目。多分死ぬ」
「冗談だ。まあ任せとけ」
ニヤリと笑ったランディに、アーベルは無表情をどこか呆れた物に変えていた。




