第203話 師弟をこえて最早家族ですから
キースにみっちりとしごかれた日の夜……
「もう駄目だ。しばらく動きたくねー」
ソファに横たわるランディに、「何をしてるんですか」とリズが盛大にため息をついた。
ちなみにリズには、キースとマダムの関係を先ほど話したばかりだ。そしてその後にボコボコにしごかれた事も。それを聞いたリズの言葉が、先程のものである。
「ランディが悪いですよ」
頬を膨らませて向かいに座るリズだが、ランディが話していた途中から、どこか元気がない。
「心配すんな」
そんなリズに、ランディはソファに寝そべったまま口を開いた。
「心配しねーでも、リズが思ってるような理由じゃねーよ」
「分かるんです?」
首を傾げたリズの言葉には、二つの意味がある。
リズがマダムとキースの関係を、気にしていた事。
そしてキースとマダムの破局の原因。
どちらも分かるのか。と表情に出てしまっているリズへ「そりゃ分かるだろ」とランディが身体を起こした。
「リズとエリーの考えてる事くらい、顔見りゃ分かる」
ケラケラと笑うランディに、「そ、そっちは今いいです」とリズが顔を赤くして、思わず視線を逸らした。
「キース様の――」
「でぇじょーぶだって」
話を遮ったランディが、机の上で湯気を立ち上らせるコーヒーを手に取った。
「あいつは理由もなく惚れた女を、一人にするような男じゃねーよ」
カップを傾けたランディが、笑顔で「だよな?」と入り口側へ目をやった。そこには扉しかないのだが、リズが振り返るのと同時にその扉がゆっくりと開いた。
開いた扉の先にいたのは、もちろんキースだ。背筋を真っ直ぐに、いつも通りの佇まいだが、いつもに比べると少しだけ元気がなく見える。実際ランディの問いかけにも「どうでしょう」と呟くだけなのだ。
いつもとは違うキースの様子に、先程まで笑顔だったランディの表情は一転。
「俺の見間違いか? 聞いて欲しそうな顔に見えるんだが」
鼻を鳴らしたランディに、「話さねば……でしょう」とキースがため息をついた。キースの言う通り、今後マダムを招聘しようというのなら、障害になるかもしれないキースとの関係は知って然るべき……なのだが……
「やなこった。ジジイとババアの痴話喧嘩の中身なんぞ知るかよ」
ソファにふんぞり返るランディに、「ランディ」とリズが眉を寄せた。
「良いんだよ。コイツは妖怪だ。何を今更センチになってるか知らねーが、ンなタマじゃねーだろ」
キースを見つめるランディが、「大体の理由も察しが付いてるしな」とため息をついた。そんなランディに驚くのはリズだ。なんせ元夫婦だという情報しかないはずなのに、ランディには理由に当たりがつくと言うのだ。
驚きを隠せず、ランディとキースに視線を行ったり来たりさせるリズに、ランディは「大したタネじゃねーよ」とソファに座り直した。
「キースがうちに仕えるようになったキッカケを、知ってるからな」
コーヒーカップに手を伸ばしたランディが、揺れるコーヒーに視線を落として口を開いた。
「今から四〇年……は言い過ぎか。おふくろが未だ小さかった頃、道端で転がるキースを拾ったんだと」
まるで犬や猫のように語るランディだが、話が気になるのかリズはそこには突っ込まない。そのままランディが続けるのは、幼かった母グレースが保護したキースの事だ。
満身創痍のくせに抜き身の刃のような雰囲気だったこと。
手を差し伸べても、「迷惑をかけるから」とその手を払いのけたこと。
当時を振り返ったヴォルカンは、見た目に手練れのキースがあそこまでボロボロになっている時点で、どう見ても訳ありだったと言う。本来なら縁もゆかりも無い男、しかもトラブルを抱えた男など、見捨てる一択だったのだが……
「おふくろが駄々をこねてな。結局ジジイ二人が折れちまったってわけだ」
肩をすくめたランディに「そんな事が……」とリズがキースへ視線を向けた。部屋に入って来た時と変わらず、真っ直ぐに伸びた背筋。だがその顔はいつもの余裕が消え、困ったような表情に見える。
「ジジイ曰く、キースを保護してからしばらく、わけのわからん連中に襲われたらしいし……大方変な連中に狙われて、嫁さんを巻き込まないように身を隠したってところだろ」
大きくため息をついたランディが、「もしくは逆か――」と呟いた。
「嫁さんを狙う連中を自分に仕向けて、一人で何とかしようとしたか……」
ランディが見つめる先、キースは目を閉じわずかに上を向いている。まるで観念したと言わんばかりの表情に「当たらずとも遠からず、だろ」とランディが冷めてしまったコーヒーに口をつけた。
「……マズいな」
ランディがカップを置いた音が部屋に響き渡った。
「それなら、悪いのはキース様を追いかけていた組織――」
「違うぞ」
リズの言葉にランディが首を振った。
「確かに悪いのはそいつらだが、マダムからしたらどうだろうな」
背もたれに身体を投げ出したランディが、天井を見上げながら「急に消えたんだろ?」と呟いた。キースからの返事はないが、それが肯定だということくらい、ランディにもリズにも分かる。
事情があれど何も言わずに急に消えた事は、マダムからしたら相当なショックだったはずだ。だから二人の間で言えば、謎の組織のせいだけには出来ない。
「だったら尚の事、キース様の話を聞いて、マダムにしっかりと説明すべきです」
勢いよく身を乗り出したリズに、「駄目だ」とランディが首を振った。
「キースの話は聞かねー。というか、聞けねー」
鼻を鳴らすランディに「なぜです?」とリズが眉を寄せて食い下がった。
「ンな事したら、キースが許された気持ちになっちまうだろ」
真っ直ぐ、射抜くような視線にキースはわずかに肩を震わせた。
「キースの事だ。確実にマダムを思っての行動なのは間違いねー。だがそれを俺達が聞いちまったら、『お前は悪くない』って『仕方なかった』って言っちまうだろ」
真っ直ぐキースを見据えるランディが続ける。
「お前も。俺達に話して、『悪くないよね』なんて言葉が欲しいんじゃねーか? 自分は悪くなかったって確認してーだけだ。いや……あわよくば、俺達からマダムに伝えてもらうつもりか?」
ランディの真っ直ぐな瞳から、キースがわずかに視線を逸らした。その仕草だけで「当たりか」と呟いたランディが小さく舌打ちをもらした。
「ンなダセー真似、させてやるかよ。お前は俺の師匠の一人だろ」
視線を逸らし続けるキースを、ランディは真っ直ぐ見据えたままだ。
「お前が事実を話すべき人間はただ一人、マダムだけだ。それ以外に話して、許された気になんてさせるか」
舌打ちまじりにキースから視線を逸らしたランディが、もう一度冷めたコーヒーカップを手に取った。
「お前が俺達に言うべきはただ一つ、マダムをこの領に招聘しても大丈夫か、否かだけだ」
ぬるくなったコーヒーを一気に飲み干したランディが、乱暴にカップをソーサーへと戻した。
「例えば性格がどうしても合わなくて無理だとか。例えば二人が出逢えばどちらかが死ぬだとか。そんな理由で別れたんなら無理だって言え」
ソファへふんぞり返ったランディが、「そうなったら残念だが」と大きくため息をついた。
「マダムはうちの領を発展させる為のキーマンだ」
鋭いランディの視線に、なぜかリズがゴクリとつばを飲み込んだ。
「マダムとお前が合わねーってんなら、残念だが…………マダムを諦めざるをえん」
吐き捨てたランディが「非常に残念だがな」と繰り返した。その言葉にリズが「え?」と思わず声をあげていた。まるでキースを切るかと思われた一連の流れで、マダムを切るとは思っていなかったのだろう。
「当たり前だ。マダムは残念だが、キースはもうヴィクトールの人間だ。俺は家族を見捨てん。……例えそれが妖怪爺だろうとな」
鼻を鳴らしたランディが、「だから――」と再びキースを真っ直ぐに見据えた。
「どうなんだ? 呼んでも良いのか。それとも駄目なのか……。お前はマダムにぶん殴られる覚悟があんのか?」
ランディの真っ直ぐな視線に、キースが初めて感情が揺らいだような表情を見せた。
「……彼女には……エリスには平穏な生活をして欲しいんです」
わずかに震えるキースの声が続けるのは、ヴィクトールが置かれている現状……現在進行系でヴィクトールが【真理の巡礼者】に狙われている事だ。
「エリスをまた巻き込みかねません。それどころか、潰したはずの組織の意思もどこで燻っているか――。もし私と一緒にいたら……」
壊滅させたはずの組織が、形を変えて残っているかもしれない。そんなキースに「そりゃ残ってたら来るだろーな」とランディが何でもない事のように鼻を鳴らした。
「お前の嫁さんだろ。つーことは、向こうも妖怪みてーなもんだ。妖怪が二匹揃えば、そりゃハンターくらい湧くだろうよ」
肩をすくめたランディが「だが残念ながら……」と続けるのは、やはり【真理の巡礼者】の事だ。
「今更襲撃してくる馬鹿が少々増えた所で、何の足しにもならん。非常に不本意だが、ランディ世代はどうも血の気が多い連中ばかりみてーでな」
ニヤリと笑ったランディが「師匠が悪いぞ、多分」とリズにおどけてみせた。
「それにお前らしくねーな……。もし【真理の巡礼者】が、お前と因縁のある組織の成れの果てだとしたらどうする?」
ランディの言葉に「まさか……」とキースが呟いた。
「もしそうなら、ブラウベルグも絶賛狙われ中だ。しかもフローラ様の友人らしいしな」
既に狙われているかもしれない事実、そんな簡単な事にすら気付かぬ程、キースにとってマダムは重要らしい。
「ウチに来たら巻き込まれるかも……。お前の心配は分からんでもない」
大きくため息をついたランディが「だが、俺達はヴィクトールだぞ?」とニヤリと笑った。
「ウチに呼ぶ以上、そしてお前の嫁さんだった以上、マダムさえ頷けば家族だ」
ランディの言葉に、キースは黙ったまま微動だにしない。
「ジジイが、おふくろが、お前にそうしたように。今度は俺が、俺達が……お前が育てた弟子達が、マダムを……いやお前とマダムを丸っと全部守ってやるよ」
ソファにふんぞり返り、「ガハハハ」と笑ったランディが、足まで組んでキースに笑いかけた。
「だから安心して隠居してろ」
ニヤリと笑うランディに、キースが呆れた顔で「敵いませんな」と盛大なため息をついた。だが先程までの表情とは違い、心からの感情が滲む呆れ顔に、リズが思わず頬を綻ばせた。
「何度も言うが心配事は無しだ。後はお前の相性だけだな」
足を組み直したランディに、「お行儀が悪い」と笑顔で呟きながらもキースが頭を下げた。
「坊ちゃま。マダム・ヴァルモア招聘の件、全く問題ございません」
「おう。存分に怒られろ。ンで、出来たらぶん殴られてくれ。腹が捩れるくらい笑ってやるから」
満面の笑みのランディに、キースも笑みを返した。
「そろそろ私も〝若〟とお呼びせねばなりませんかな」
「よせよせ。瀕死のお前をボコしただけで、俺はまだまだ〝坊ちゃま〟だ。そのうちグゥの音も出ないくらい越えてやるから、そん時まで取っとけ」
鼻を鳴らしたランディに「楽しみにしておきます」とキースが微笑んだ。
「それでは私はこれで――」
ランディとリズに頭を下げ、背を向けたキースに「キース」とランディが声をかけた。
「その胸に忍ばせた紙切れは、二度と準備するんじゃねーぞ」
ランディの言葉にピクリと肩を震わせたキースに、「やっぱりか」とランディが舌打ちをもらした。
「お前にゃ今後も頑張って貰わねーと困るからな。なんせ俺は頭の方がからっきしだからよ」
笑うランディに「自慢じゃないですよ」とリズが頬を膨らませている。二人の笑い声に、「そうですな」と呟いたキースが振り返った。
「確かに坊ちゃまには、まだまだ教えねばならぬことが沢山ありますな」
「そうだぞ。俺だけじゃなくて俺の子どもも心配だからな。長生きして頑張ってもらわねーと」
自慢げにふんぞり返るランディに、キースが意味深に微笑んで口を開いた。
「そちらは……エリザベス様か、エレオノーラ様の血に期待しましょう」
ニヤリと笑ったキースに、顔を赤くしたランディが「テメッ!」と声を上げるが、キースはするりと逃げるように扉を潜って部屋の外へ出ていった。
「ったく。妖怪爺め」
顔をしかめるランディに、リズが「フフフ」と微笑んだ。
「素敵な間柄ですね」
羨ましそうなリズに「付き合いが長えだけだ」とランディも言葉とは裏腹に嬉しさを隠せず笑った。
キースの過去に興味がないわけではない。だがキースに語った事も事実だ。キースとマダムの問題は、やはり二人だけのものなのだ。
「とりあえずマダムが納得しそうな工房のデザインでも考えようぜ」
肩をすくめたランディに、「ですね」とリズも嬉しそうに頷いた。
「やっぱ竹藪は必須だろ」
「なぜです?」
「なぜって……マダムも妖怪だろ? なら砂かけ婆かなーって」
「砂かけ……良く分かりませんが。キース様よりランディの方が殴られそうな事だけは分かります」




