第202話 日常に溶け込みすぎて忘れることってよくある
ランディがキースにバッチリとしごかれていた頃……大陸南西のブラウベルグ領、海都ハイゼンクリフ――
真珠の都とも呼ばれるハイゼンクリフは、今日もポカポカとした陽気に包まれた絶好の行楽日和だ。街の中心に作られた公園は、そんな陽気に当てられた市民で溢れかえっている。
王国の中でも、最も栄えていると言われる都なだけあって、公園に集まる人間は皆幸せそうな笑顔を見せている。
そんな幸せそうな公園のベンチに、男が一人腰掛けた。身なりがよく、柔和な笑顔から裕福な市民か、引退した貴族を彷彿とさせる男性は、この公園ではさほど珍しい人種ではない。少し見回せば、彼のような男性やその家族がそこかしこに見受けられるのだ。
何の変哲もない男性。そんな男性の隣に、これまた同じ様に身なりのいい老人が腰掛けた。
「これはこれは……」
「いい天気ですな」
始まる会話も、至って普通の世間話である。
そうして二人がしばし世間話に華を咲かせたあと、一瞬だけ瞳を細めて周囲をうかがった。監視や注目を浴びてはいないか。そんな様子の二人が、早口で口を開いた。
「マダムは見つかったのか?」
老人の声は、あの時エリオットを救い出した男の声だ。
「いえ……。どうやらブラウベルグが、匿っているらしい事は掴んだのですが」
若い男が申し訳無さそうに呟き、老人がそれに小さくため息をついた。
「カイル様。一度侯爵邸に潜入――」
「やめておけ」
カイルと呼ばれた老人が首を振った。
「あそこに入れば、騒ぎになりすぎる」
カイルがチラリと視線を向けるのは、ブラウベルグ侯爵の居城だ。侯爵家が誇る騎士団が表を守り、裏は【暗潮】が守る鉄壁の居城。ハイゼンクリフに潜入している【真理の巡礼者】の実行部隊全てを持ってしても、崩すことは容易ではない。
そんな事を呟くカイルに、若い男が驚いた表情を見せた。
「【影の剣豪】カイル様でも厳しいですか……」
若い男に「潜入は……」とカイルが呟くが、目の前を通る少女の影にカイルが口を噤んで表情を取り繕った。
カイルは周囲から人が遠ざかるのを待って、もう一度口を開いた。
「潜入は難しいな。どうしても騒ぎになってしまう」
まるで騒ぎを起こしてもいいなら、ブラウベルグの居城を落とせる。そんな発言だが男は「そうですね」と納得して頷いた。
「流石に【暗潮】だけでなく、【貴公子】、【剣姫】の守る場所だ。見つからぬと言うのは無理だろう。そうなれば戦わざるを得ん」
「まだ計画の実行には早い……と?」
男の言葉にカイルが黙って頷いた。
「【暗潮】を何人か捕らえて、洗脳をかけてはどうでしょう? そいつらに調べさせて――」
男の言葉にまたカイルが首を振る。
「あれだけの手練れ相手では、時間がかかりすぎる。下手をするとこちらの居場所を、特定されかねん」
首を振ったカイルに、「それに……」とカイルが続けるのはヴィクトールへ派遣した実行部隊の話だ。派遣した部隊がヴィクトールに捕捉され、プロへの洗脳がてくバレているかもしれない事を語った。
「ならば情報が入るより前に、侯爵邸を一度――」
「慌てるな」
「ですが――」
眉を寄せる男に「逆だ」とカイルが初めてその顔を獰猛な笑みへ変えた。
「プロ、手練れ、熟練者、達人……呼び名は様々あれど、非戦闘員以外を洗脳できるという情報は、我々にとって利する事になる」
カイルが語るのは、本来なら腕に覚えのある人間は抵抗が激しく簡単に洗脳出来ないという事だ。そもそも生け捕りにも苦労し、その後も抵抗があるのだ。なかなか簡単に洗脳など出来るものではない。
場合によっては、すぐに見破られる程、不安定な洗脳しか出来ない。
「我々が大きく動けば、連中に捕捉されかねん。だが情報が入れば、連中はそこにも神経を使わざるを得んだろう」
一度事例を見せてしまえば、相手はその部分にも警戒せざるを得なくなる。一緒に守っている人間は本当に大丈夫なのか。そんな疑心暗鬼が、カイル達【真理の巡礼者】を動きやすくしてくれるのだ。
計画の要の一つ、ブラウベルグだからこそ、その日まで捕捉されるわけにはいかない。だから捨て石をヴィクトールへ打って、相手の混乱を誘うのだとカイルが語っている。
「まだ計画まで時間がある。ゆっくり、丁寧に進めよ」
「分かりました。では来たるべき日まで、私の部隊はマダムの捜索に専念致します」
男が立ち上がり、「それでは」とにこやかな笑顔をカイルへ向けて、ゆっくりとベンチから離れていった。
その男の背中を見ながら、「頼むぞ」と小さく呟いたカイルが、もう一度ブラウベルグの居城を見た。
「我らの悲願……そのために必要な鍵なのだ」
カイルが見つめる先、白亜の城は太陽を反射してキラキラと輝いていた。
☆☆☆
同時刻、ブラウベルグ侯爵邸ガーデンテラス――
「久しぶりだねぇ、フローラ嬢」
フローラを前に、ティーカップを傾けるのは前髪の一部が白髪になった黒髪の女性だ。シワのない肌と真っ赤に引いたルージュ。シンプルなデイドレスだというのに、洗練された雰囲気はフローラと同年代の高位貴族にしか見えない。
「やめて下さいマダム。私はもう〝お嬢様〟扱いされる歳ではありませんわ」
フローラは言葉とは裏腹に、微笑みながらティーカップを傾けた。
「なに言ってんだい。アタシからすりゃ、アンタはまだまだお嬢様さ」
快活に笑うマダムが「それで……」とカップをソーサーへ戻した。
「アタシを城に軟禁してる理由はなんだい?……」
ため息混じりのマダムに、フローラは「それは……」と苦笑いを返した。
ここ数日マダムの事を嗅ぎ回っている人間がいる。【暗潮】からにそんな情報が上がったのがつい先日の事だ。直ぐにルシアンへ相談し、その日のうちに、ミランダによってマダムを保護したわけだが……。
「今ウチは、面倒な狂信者に狙われてまして」
カップを置いたフローラに「狂信者ぁ?」とマダムが盛大に眉を寄せた。
「ええ。【真理の巡礼者】とか言う――」
フローラの説明を黙って聞くマダムは、「へぇ」とドレス姿とは思えない程豪快に机の上に身を乗り出した。
「それでアンタと深い関係のアタシも、巻き込まれそうなのかい」
机をトントンと叩くマダムに「多分」とフローラが頭を下げた。
「気にしないよ」
豪快に笑い飛ばしたマダムが「そうかい。狙いはアンタらかい」と含みを持たせた言葉を呟いた。
「アタシゃてっきり、あの青瓢箪共、がまた来たのかと思ってたが」
マダムの見せる獰猛な笑みに、今度はフローラが「青瓢箪?」と首を傾げた。
「昔の話さ」
鼻を鳴らしたマダムが語るのは、かつてマダムが冒険者として活動していた前後の話だ。もちろんそれはフローラも知っている。マダムは二十二歳でデザイナーとしてデビューする前に、冒険者として数年間、店の開業資金を貯めていた。もちろん世間には知られていないが、長い付き合いのフローラはよく知っている事実だ。
「その頃、【黒天の使徒】とか呼ばれる連中が度々接触してきてね」
「初耳ですわ」
驚いたフローラに「そりゃ初めて話すからね」とマダムがニヤリと笑った。
「奴ら、アタシに『仲間になれ』ってしつこくて」
机に乗り出していた身を、今度は背もたれに。マダムが「煩いったらなくてね」とドレス姿で足を組んだ。優雅なドレスに不釣り合いだが、元冒険者のマダムだからか何故かその仕草が妙に似合っている。
「それでどうしたんです?」
「そりゃ決まってるさ」
笑顔のマダムが「しつこい男には――」と拳を作ってみせた。
「流石【千針の戦乙女】ですわね」
苦笑いでカップを傾けたフローラに「よしとくれ」とマダムが苦い顔で、同じ様にカップを傾けた。
「その名は昔を思い出しちまうから」
物憂げなマダムが「あの人を……」ともう一度呟くが、それを吹き飛ばすように豪快にカップの中身を飲み干した。完全に冒険者時代が戻っているマダムに、フローラも引っ張られるようにカップの中身を飲み干した。
「それにしても……なんでマダムを?」
首を傾げたフローラが、マダムは当時は既に引退済みだったはずと続けた。いくら凄腕とはいえ、引退した元冒険者だ。腕っぷしを頼るなら、他にも現役の冒険者がいたはずなのだ。
「アタシも最初はよく分からなかったんだが……」
苦い顔のマダムが、新たに注がれた紅茶に視線を落とした。ゆらゆらと揺れる紅茶には、どこか淋しげなマダムの瞳が映っている。
「フローラ嬢。あのドレス……まだ持ってるかい?」
唐突な話題に、「え、ええ」とフローラが怪訝な表情で頷いた。
「私にとって至高の一品にして最高の思い出ですから」
フローラの笑顔に「そうかい」とマダムも少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「あのドレス……実はルーンが織り込んであるんだよ。といってもわずかに輝くくらいの可愛いもんだが」
「ルーンですか?」
首を傾げたフローラが「古代ドワーフの叡智ですわよね?」と続けた。
「ああ。アタシの祖先に、どうやらドワーフがいたらしくてね」
肩をすくめたマダムが懐から取り出したのは、ランディ達が持っているのと似たルーン語辞典だ。
「幼い頃から読んでてさ。気がつきゃアタシはルーンを織る技術を身に着けてたらしい」
「それが狙われていた理由と?」
目を見開くフローラに「多分ね」とマダムが頬杖をついてガラス張りの屋根を見上げた。
「知らなかったんだよ。おまじないだと思ってた。『お前が服を直してから身体が軽いんだが』そう言われる事が多かったけど、まさかルーンなんて廃れた技術だなんて思わないじゃないか」
「それで狙われた……と」
「ああ。引退して店を開いたら、毎日引っ切り無しに現れるんだ」
自嘲気味に笑ったマダムが「それが続いたある日――」と遠い目をした。
「冒険者時代の相棒がさ、【黒天の使徒】を壊滅させてくる……って。でもその後行方不明になっちまって」
「それで、どうしたんですの?」
思わず身を乗り出したフローラに「行儀が悪いよ」とマダムが笑って足を組み直した。
「どうもこうも」
首を振ったマダムが、その後周囲が平和になり、マダムは史実通り、デザイナーとしての階段を登ってきたことを語った。
「あの人が言ったんだよ。もしもの時のために、旧姓に戻しておまじないは止めとけって」
遠い目をしたマダムに「まあ」とフローラが思わず口元を覆った。マダムとは長い付き合いだが、まさか結婚していたとは知らなかったのだ。
「けどアンタのドレスを作る時に……ちょいと寝不足でうっかりね――」
悪戯がバレた子どものように頭を掻いたマダムに、「それで……」とフローラが納得した。
マダム・ヴァルモアの引退理由は、最高の一品が出来たから。と世間には公表されている。実際彼女が抱えていた二人の弟子も、「あの作品は未だに越えられない」と言っているくらいだ。
だが事実はマダムが自分や弟子に降りかかるかもしれない危険を察知し、針を置いたというのだ。謎の組織は壊滅したはずだが、忙しさで判断を鈍らせ昔のクセが出た以上、今後もそれがないとは限らない。
マダムの力を邪な人間が気づけば、今度こそその力を悪用されかねない。だから自ら引退して過ちが起こらぬようにしたのだ。
「だから……今回もアタシを狙って来たかと思ったんだが」
カップを手に取ったマダムが、再びそれに視線を落とした。
「だとしたら……またあの人が現れて助けてくれる……なんて事はないか」
カップに口を付けず、戻したマダムに「素敵な人だったんですね」とフローラが呟いた。
「素敵なもんかい。アタシを一人放り出して。見つけたらぶん殴ってやるのさ」
鼻を鳴らしたマダムに、フローラが侯爵家の力で捜索をかけることを提案したのだが……
「やめとくよ。生きてるって信じてたいんだ」
マダムが頬杖をついてしみじみと呟いた。
「ただアタシが嫌になって、出ていっただけって……。そう信じさせてくれよ」
その言葉が持つ重みにフローラも、何も言えずにマダムと同じようにガラス張りの天井を見上げていた。
☆☆☆
「くっそ。あの妖怪爺め」
「若のせい。絶対。若のせい」
「お前も写真見て爆笑してただろ」
「してない」
訓練場に寝転ぶ二人に、傾いた夕陽が伸ばす影が近づいてきた。
「さて。再開しますかな」
ニコニコ顔のキースに、「ちっと待てって」とランディが上半身を起こして掌を向けた。
「今日はなんだか身体が重てーんだよ。アレだ、風邪ひいてるって」
そういったランディがワザとらしく「ゴホッゴホッ」と咳をしてみせた。
「風邪ですか?」
眉を寄せたキースに、「そうそう」とランディが頷くのだが……
「それは無理。馬鹿は風邪ひかない」
「そうですな。坊ちゃまがご病気にかかった事など、今まで記憶にありませんな」
……辛辣な師弟がランディの嘘をつついてくる。
「テメェら喧嘩売ってんのか。俺だって風邪くらい――」
「そのくらい元気なら問題ないですな。エリザベスさんが帰ってくるまでビシバシいきますよ」
「いや本当に身体が重いんだって――」
ランディは忘れている。自分がリズとエリーに頼んで服に織ってもらった〝抑制のルーン〟の存在を。
「テメー絶対に元嫁さんにチクるからな。『アンタの旦那は弟子を虐める趣味がある変態――』」
顔をしかめたランディに、「ふむ」とキースが手袋の裾を力強く引っ張った。ギチギチと音を鳴らす手袋に、
「とかいうのは冗談で……」
とランディが顔を青くするのだがもう遅い。
「まだそんな戯言を言う元気があるとは。もう少し厳しく出来そうですな」
「いーやぁーーーー!」
「ほら! 若のせい!」
チートなラスボスと、それが認めた脳筋、そしてそれを育てた家令が、マダムとフローラの憂鬱をガラス天井を割るより簡単に砕いてしまうのは、もう少し先の話だ。




