第195話 まあ貴族のお嬢様だしね
「ふぅー。色々あったが帰ってきたな」
ランディの瞳に映るのは、見慣れた学園の中庭だ。既に暮れ始めた空が、白亜の学園を橙に染めている。
「学園長、今日は引率して頂き、ありがとうございました」
頭を下げたランディに、ルキウスも貴重な体験が出来たと笑顔で頭を下げた。ルキウスからしたら、先祖代々続く口伝の一つが決着したのだ。頭一つくらい軽いものである。
「あとは古き王の封印を、未来永劫守るだけじゃな」
顎髭をさするルキウスに、「ですね」とランディは茜に染まった空を見上げた。ルキウスを始めとしたランディが出会った大人達は、事情さえ知ればあの封印に手を出すことなどないだろう。
それでも思わず空を見上げてしまったのは、チラリと見えた王城から目を背けたかったからだ。
(どの国もトップが軒並み信用ならねーんだよな)
最も重要なトップが一番信用が出来ないという事実。ランディが思わず空を見上げて現実逃避したくなっても無理はないだろう。
それでも今は出来ることに集中するか、とランディが頭を切り替えた。目下のするべき事は、日食のタイミングを絶対に逃さない事なのだから。
「時にキャサリン嬢、日食は本当に春に来るんだよな?」
振り返ったランディに「ええ、そうよ」とキャサリンが肩をすくめた。
「春というか、始業式が終わって数日後だったはずよ」
「始業式の直後か……」
ランディが考え込むのは、エリーの身体を取り戻した後の対応だ。リズのように従者扱いで学園に一緒に通いたかったが、従者の登録は毎学期の始まりだ。
「最悪、一学期はハリスン達と留守番かな」
ため息をついたランディに、ルキウスがそれなら問題ないだろう、と微笑んだ。
「始業式の開始だが、恐らく一週間は遅れるからの」
顎髭をさするルキウスが言うのは、ユリウスの編入の件だ。既に帝国本国と聖教会帝国支部、更には大聖堂からも、王国政府へ書簡が届いているらしい。
編入の要件を満たす優秀な成績に、帝国政府も既にユリウスが帝室から籍を抜いてある事を証明している。加えて現聖教会トップのリドリー大司教からの推薦状まであるときたら、王国側も渋々ながら編入を認めざるを得ない。
もちろん王国側もタダで編入させる訳では無い。ユリウスへの監視をつけることや、重要な情報の持ち出し――学園なのでそこまで大したものはないが――を禁止する念書。その他学園での立ち振舞について、様々な注文をつけているらしい。
そしてそのどれもを、ユリウス側は「問題ない」と二つ返事で頷いているとか。
「つまり、皇子サマの編入手続きやらなんやらで、始業式が遅れると」
「そうじゃな。編入が決まるのは時間の問題。なんせ既に政府は開き直ってユリウス君の取り込みを算段しているくらいじゃ」
肩をすくめたルキウスが語るのは、ユリウスの優秀さだ。剣と魔法の才能に加え、帝国の学園を飛び級で卒業出来る頭脳だ。ここ最近領主貴族に押され気味の王国政府としては、喉から手が出るほど欲しい人材だろう。
「〝天は二物を与えず〟じゃねーのかよ」
苦笑いでまた空を見上げたランディに、「アタシも与えられた側なんだけど?」とキャサリンが後ろで何かを言っている。
「ちょっと。なんで誰も何も言わないのよ!」
完全に無視されたキャサリンが頬を口を尖らせ、
「はいはい。聖女様は図太さと無神経さと厚かましさを兼ね備えてるって」
レオンがフォローに入っている。
「それ全部同じ意味でしょ!」
眉を吊り上げるキャサリンから、レオンは「あと、図々しさも」と舌を出しながら逃げた。
じゃれ合う二人をチラリと見たランディが、「なんにせよ……」とまた大きくため息をついた。
「時が来るまでは、休みを満喫するしかねーわな」
大きく伸びをするランディに「ですわね」とセシリアが頷いた。
「リザ、また新学期に――」
「はい。楽しみにしてます」
別れを告げても中々二人が離れられないのは、冬休みとは違いセシリア達が遊びに来れないだろうからだ。セシリア達は春休みの間はハートフィールドで対【真理の巡礼者】のアレコレから農場の効率化、そして……
「おい。聞いたぞ。お嬢様と旅行するんだって?」
……ニヤニヤするランディの言う通り、セシリアとルークは春休みに近くにある別の領へ旅行をするのだという。
「馬鹿か。そんな浮ついたモンじゃねえよ」
顔をしかめるルークが語るのは、春休みの旅行についてだ。今回の休みを利用した旅行は伯爵夫妻も同行する。伯爵夫妻帯同で、この時期に旅行となれば、それはただの旅行ではない。
ハートフィールド伯爵家と言えば、領地貴族の中でも古参の名門だ。故に伯爵家と繋がりを持ちたいという家は多い。ブラウベルグに比べ人情に厚く、ヴァルトナーと比べ、理知的で物腰が柔らかい。
つまりハートフィールド伯爵は、非常に付き合いやすいのだ。名門かつ人当たりもいい伯爵と繋がりを持ちたいという家は多いと言える。
ここ最近の事業で、伯爵家が潤っているから尚の事である。
そんなハートフィールドへ、別の伯爵家からとある打診が届いたのが先日のこと。
――セシリア様の婚約者に、うちの息子はどうでしょうか。
「それ、セシリア嬢は知ってんのかよ?」
「いや。伯爵様も悩んで居られるそうだ」
ルークの言う通り、つい最近婚約予定を解消したばかりだ。だから伯爵夫妻も、せめて学生のあいだだけは自由にさせたいと思っているらしい。加えて伯爵夫妻がセシリアがルークへ向ける淡い気持ちにも気づいている。
だが、それを全て受け入れられないのが、貴族というものだ。
「ひとまず顔見せと、相性だけを探るつもりらしいんだが……」
顔が曇るルークに「しっかりしろよ」とランディが背中を叩いた。
とは言え状況が悪いのも事実だ。伯爵としても対【真理の巡礼者】への牽制を考えれば、近くに味方を多く持つ事は悪い手ではない。セシリアの婚約で、別の領地と関係を持てればいざという時に助けが期待できる。
相手の伯爵は、武門としてもなかなかに有名な家だ。
長い間苦境にあった今の伯爵家は、ブラウベルグの海軍やヴァルトナーの騎士団と言った、それ一つで他に脅威を示せるだけの武力を持っていない。なんせ相手は国際的な集団だ。今回に限ればヴィクトールに頼る……というのも難しいのだ。
ハートフィールドが襲われた時、ヴィクトールも襲われていないとは限らない。
それが分かるだけに、ランディはどうしたものかと楽しげなセシリアを振り返った。多分伯爵も悩んでいるだろうが、難しい局面でもあるのだろう。
この世界で、末端とは言え十七年も貴族をやってきたから分かる。相手の伯爵家はかなり本気だ。多分ルークがいなければ、トントン拍子で進む可能性すらある。
だがルークの悪友として長い付き合いがあるのも事実だ。だからランディは貴族としての立場より、友人としての立場を選んだ。
「ルーク。テメー次第だろ。存在感がなさすぎんだよ」
ランディの言葉と檄の意味に、ルークが顔を引き締めて「分かってるよ」と頷いた。今回の旅行は、ルークとセシリアにとっては正念場とも言える。
(騎士の身分でお嬢様を娶るか……よほどの武勲がいるな)
ランディの苦笑いを知ってか知らずか、セシリアがルークへ手を振った。
「それでは私達はそろそろ帰りましょうか」
リズとの会話も一段落し、微笑むセシリアに「はい」とルークもいつも通りの笑顔で頷いた。
「それでは皆様、また新学期に――」
優雅なカーテシーのセシリアに、リズが「手紙を書きますね」と手を振った。
二人が皆に手を振ったのを皮切りに、それぞれがそれぞれの春休みへと入っていく。
「じゃ、アタシは聖女としての仕事もあるから」
「み、皆さん、新学期に――」
ヒラヒラと手を振るキャサリンと、深々と頭を下げるアナベル。二人を護衛するレオンが会釈を残して、三人はルーク達の背中を追うように中庭を後にした。
「さてと……コリーはどうする? 明日の朝イチでもいいぞ?」
「そうですね……。準備は終わってるんですが、アナと話したいこともあるんで、明日でも良いですか?」
首を傾げるコリーに、純粋にアナベルと話したいと微笑むコリーに、ランディは「いいぞ」と言いながら顔を両手で覆っている。
「先輩、なんで顔を隠してるんですか?」
「いや……お前らが尊すぎて」
顔を隠したままのランディに、コリーが頭に疑問符を浮かべながらも「では明日、侯爵家別邸へ伺います」と深くお辞儀をして小さくなったアナベルの背中を追いかけた。
この春休み、コリーはランディに請われて、魔獣の教導係としてヴィクトール領に招待されている。賓客として、ヴィクトール家がもてなす形である。
コリーの魔獣への造詣の深さは、魔の森を知り尽くしたランディをしても舌を巻く程だ。これから春になれば、数人だが騎士見習いも入る事が決まっている。だと言うのに、ランディは新しい街の発展にも顔を出したい。つまりコリーは、普段教導係を務めているランディの代わりというわけだ。
実際コリーを知っている騎士隊の面々からは、両手を上げて喜ばれたと聞いている。
「これで心置きなく俺達は、新しい街に集中できるな」
「はい。今から楽しみです……けど、ランディは何か気になってる様子ですが?」
目ざとく気付くリズに「いや何でもねーよ」とランディが首を振った。流石にセシリアも知らない婚約者候補との顔合わせを、リズに話すかどうか迷ったのだ。
「どんな街にするか……迷ってるだけだ」
「頑張りましょうね!」
両拳を胸の前で握るリズに、「ああ。俺も頑張らねーと」とランディが笑顔を見せた。
「では学園長。また新学期に――」
「うむ。始業式の日程変更は、追って各家庭へ連絡しよう」
大きく頷いた学園長に別れを告げ、ランディとリズも既に見えなくなった仲間達の背を追うように歩き出した。
空に輝く一番星が、彼らが進み始めた道をいつまでも見つめていた。




