第183話 春待ちて
ヴァルトナー侯爵領で、温泉を掘り騎士たちと訓練に明け暮れ、キャサリンのコタツに意見を出し、たまに山田とともに雪原をかけること一週間程。
「そうか。今日発つのだな」
「ええ」
アイリーンの言葉に頷いたランディだが、正確には王都へそのまま飛ぶわけでなく、王都直前の街を経由して、帰る。
その理由は単純で、【暗潮】によって回収され、王都へと向かっている馬車と合流するためだ。
セドリックやミランダ。リズにリタ、ハリスン。そしてキャサリンとレオンが乗ってきた馬車は、セドリック達が帰郷したタイミングで【暗潮】によって預けていた場所から回収がなされている。
それが間もなく王都へたどり着く頃なので、終業式への出席も兼ねて馬車と合流して帰ろう、というわけである。
「キャサリン嬢も一旦帰るだろ?」
「当たり前でしょ。終業式には出ないとだし、大聖堂での仕事も溜まってるから」
肩をすくめたキャサリンは、この一週間でアイリーンの兄アイザックや、母イザベラの治療と並行して、ロルフとコタツの共同開発を進めていた。
銅の供給はもちろんの事、それの加工もヴァルトナーで賄ってもらうのだが、この一週間で既にヴァルトナー製試作の完成にまで漕ぎ着けたのだ。
元々ランディ達の試作した物があっただけに、完成が早かった。しかも完成させただけではない。温度調整の機能なども付随した、一段階上の満足いく物が出来上がっている。
あとはどう売り出すか……なのだが、季節的な事に加え。販売戦略はブラウベルグも招いての話し合いになるので、今のところキャサリンはヴァルトナーで出来ることをやりきったと言っていい。
ヴァルトナーへ来た当初は、ゴタゴタのせいで忘れられていたコタツ開発だが、キャサリンの表情が示す通り、この一週間で満足のいく結果が得られたと言えるだろう。
大手を振って王都に帰れると、キャサリンは嬉しそうに笑っている。
「本当に、世話になったな」
頭を下げるアイリーンに、「いえ、これからもよろしくお願いします」とキャサリンも頭を下げた。完全に和解が出来た二人に、ランディとリズが顔を見合わせた。
そうして四人で――レオンは現在ヴァルトナー騎士たちと訓練中だ――雑談に興じていた頃、それは舞い込んできた。
「アイリーン様、御手紙が届いております」
「手紙? 私にか?」
使用人が持ってきた便りに、ランディ達と談笑中だったアイリーンもこの困惑顔である。
無理もない。
例えばロルフであれば、領主として様々な手紙のやりとりくらいあるだろう。
例えば兄アイザックや、母イザベラであれば、回復祝いくらい――療養を知っているのはごく少数だが――あるかもしれない。
だがアイリーン本人に、何も思い当たる事がないのだ。
しかも……
「はい。アイリーン様に。二通届いております」
「二通ぅ?」
思わず声が裏返ったアイリーンに、ランディはリズとキャサリンと顔を見合わせた。
こんなタイミングでアイリーンに謎の手紙。その事実に「私が――」とランディが立ち上がった。
もしかしたら、【真理の巡礼者】からの攻撃という可能性も……。部屋に走る緊張は、全員がその思いを共有してるのだろう。
ランディがそれとなく手紙を届けに来た使用人の気配を探る……が、おかしな気配はない。
それでもランディは注意深く手紙を二通とも受け取り、「ありがとございます」と使用人を下がらせた。
扉が閉まり部屋の中が静まる中、ランディが封筒に記された差出人に視線を落とし…………「フフッ」と思わず笑みをこぼした。
「ランディ?」
急に笑ったランディに、リズが首をかしげる。
「いや、ちょっと――」
笑いながら、二通目の封筒を手に取ったランディだが……今度はその顔をわずかに歪め「これはいらねーな」と、封筒を放り投げてしまった。
「ランディ?!」
「ランドルフ少年!」
思わず立ち上がった二人に、「あ、しまった。つい……」とランディは慌てて放り投げてしまった封筒を拾いに走った。
「何をしてるんですか」
呆れ半分、怒り半分のリズに、「いや、ついな」とランディが頭を掻くが、リズは頬を膨らませたままだ。
「〝つい〟で人様に届いた手紙を捨てては駄目ですよ」
腰に手を当てるリズに、「彼氏が馬鹿だと大変ね」とキャサリンが苦笑いを見せている。
「アイリーン様、すみません」
頭を下げるランディに、「いや驚いただけだ」とアイリーンも苦笑いで首を振るだけだ。
「手紙はですが、全く問題ありません」
意味深な笑いを浮かべて手紙を差し出すランディに、アイリーンも面食らって「あ、ああ」と頷いた。笑ったかと思えば、手紙を放り投げ、そしてこの悪い笑顔だ。アイリーンでなくとも、呆けるのは無理もない。
「結局誰からだったんです?」
リズの言葉に、アイリーンが「えっと……」と封筒に視線を落とし
「こちらは、アーサー少年だな」
ランディが放り投げた手紙を見せたアイリーンは、どこか浮かない表情だ。
「あー。いりませ……」
思わず口走ったリズが、慌てて口を抑えた。だがほとんど吐き出されてしまった言葉に、ランディも「な?」と含みをもたせた笑みをリズに見せた。
「わ、私は別に……」
慌てて首を振ったリズは、はじめて隣のキャサリンの顔色が優れない事に気がついた。無理もない。アイリーンとアーサーの仲を引き裂き、ようやくアイリーンが立ち直ろうかと言う時に、この手紙だ。
キャサリンの心情としては、複雑だろう。
アーサーがアイリーンを忘れていなかったと喜んでいいものか。それとも、今更何を……と一蹴すべきか。本来なら後者を選択したいところだが、いかんせんその原因が自分にあるのだ。
ただただ複雑な表情で、アイリーンと手紙を見守ることしか出来ない。
「ちなみに、もう一通はどなたです?」
微妙な空気を変えようと、「ランディが笑ってた方です」とリズがもう一通の差出人を訪ねた。
「ん? もう一通か……こちらは――」
それに視線を落としたアイリーンが、柔らかく微笑んだ。
「懐かしいな。ウェインからだ」
「ウェイン……」
「……って、あのウェイン?」
思わず顔を見合わせたリズとキャサリンに、「知ってるのか?」とアイリーンが首を傾げた。
「知ってるも何も、ダンジョン研修で同じ班だったんです」
キャサリンが語るのは、あのダンジョン研修でのウェインの活躍だ。第二班の前衛部隊として、ほぼリザーブのない状況でも、五階層までチームを引っ張った立役者である。
「ほぅ。ウェインは頑張ってるのだな」
嬉しそうに頷いたアイリーンが、「そうか。五階層か……」と呟いたかと思えば
「五階層?!」
と急に声を荒げた。
驚く三人をよそに、興奮気味のアイリーンが、「あのダンジョンの五階層まで行ったのか?」とキャサリンに詰め寄った。
「え、ええ。五階層最奥のボスを倒して――」
「ボスまで!」
アイリーンの驚きは止まらない。だがランディたちからしたら、首を傾げたくなる程の興奮ぶりだ。
「そんなに凄い事だったんです?」
首を傾げるリズに、「どうだろうか……」と言いながらも、アイリーンが微笑みながら口を開いた。
「私とセドリック、そしてミランダの居た世代でも、五階層の真ん中が限界だったからな」
肩をすくめたアイリーンの言葉に、ランディは教官が、五階層のボス撃破は初めてだ、と話していた事を思い出していた。
「でも意外ですね。アイリーン様やセドリック様、それにミランダさんなら余裕そうですが」
「若気の至りさ。三人とも我が強かったというわけだ」
肩をすくめたアイリーンの言葉に、ランディは「あー」と微妙な声をもらした。仔細は分からずとも、何となく彼らが失敗した理由が分かる気がしたのだ。
(頭が三つもありゃ、部隊は大混乱だろうな)
苦笑いのランディに、「セドリックのせいだからな」とアイリーンがため息を返している。あの研修は個々の能力も勿論だが、それ以上にチームワークがものを言う。出来すぎる同級生が居たことが、その世代の不幸だったのかもしれない。
「だがそうか……ウェインは頑張っているのだな」
アイリーンが嬉しそうに封筒を光に透かした。恐らく早く中身を見たいのだろうが、この場でそれを開封するのは躊躇われるのだ。
(まだ幼馴染からの手紙……ってだけかな)
アイリーンの横顔は、まだ恋する乙女と言うより友達からの連絡を喜ぶそれだ。それでも心の底から嬉しそうな顔に、ランディは内心笑みを浮かべた。可能性はゼロではないかもしれない、と。
そこからしばらく、ウェインが日々どんな様子かをランディやキャサリンが語り、午前の訓練を終えたレオンが合流した頃……
「さて、そろそろお暇させていただきます」
立ち上がったランディに、「そうか」とアイリーンも立ち上がった。
「では父上を呼んでこよう」
アイリーンがロルフを呼びに退室した。
「そう言えばなぜランディは、ウェイン様の手紙で笑ったんです?」
リズのもっともな疑問に、「あー。それはな――」とランディはリズにウェインがアイリーンを気にしていたことを、面白おかしく話しはじめた。
「それは――」
「うっそー」
笑顔を見せる女子二人に、「何の話っすか?」とレオンは一人置いてけぼりだ。
そうして二人が女子トークで盛り上り、ランディがレオンに「愛の話だ」とドヤ顔で頷いた頃、アイリーンがロルフを連れて戻ってきた。
「帰ると聞いてな」
「はい。また遊びに来ます」
ロルフと会話を交わすランディ。
その隣で、リズとキャサリンに「お手紙返しましょう」と謎の圧をかけられるアイリーン。
そして、騎士たちと固い握手を交わすレオン……は少しだけ名残惜しそうだ。
無理もない。この一週間あまり、レオンはヴァルトナーの騎士たちに混じって鍛錬に明け暮れていたのだ。ランディやロルフの強さを垣間見て、レオンの中でも護衛騎士としての自覚が更に大きくなっている。
お飾りではなく、ちゃんと護れるように。それは【真理の巡礼者】という、目に見えた脅威の影響も大きいが。
とにかく毎日鍛錬をともにすれば、情も移るというもの。騎士たちもレオンとの別れを寂しがり、両者は再会を約束して長い間固い握手を交わしていた。
一時別れの挨拶を交わしたレオンが、「お待たせしました」とランディ達に合流した。
「では閣下。いずれまた……」
「ああ。次は騎士団を引き連れて来い」
豪快に笑うロルフに、ランディは「ウチは小さいので隊ですが」と苦笑いを見せた。
「ただし……全員一騎当千の兵なので、満足頂けるかと」
「それは楽しみだ」
豪快に笑い合う二人がガッシリと握手を交わし、リズが「じゃあ行きましょうか」と杖を掲げた。
四人を光が包み込み……光が収まった頃には、ランディ達の姿はなくなっていた。
「実に面白い男だったな」
「はい……流石にリゾート計画には閉口しましたが」
苦笑いのアイリーンの手には、一枚の手紙が握られている。
「その手紙は?」
首を傾げるロルフに、「ああ。これですか」とアイリーンが手紙をロルフに見えるように翻した。
「ウェインを覚えていますか?」
「ああ。もちろんだ。なんせ私が学園に推薦したのだからな」
大きく頷いたロルフが、ウェインの父であるリックから、度々経過報告も聞いている事を明かした。
ヴァルトナー侯爵家が持つ、王立学園への推薦状。毎年厳正な審査――という名のトーナメント――を通過したものだけが、推薦状を片手に王立学園の門を叩ける。
ヴァルトナー領の平民の子どもたちは、こぞって参加する推薦トーナメントで、何とか勝ちをもぎ取ったのが、ウェインである。
「そのウェインがどうしたのだ?」
首を傾げるロルフに、アイリーンが「そのウェインからです」と笑顔で封筒を見せた。
「ふむ。経過報告……ではなさそうだが」
眉を寄せ手紙に顔を近づけるロルフに、アイリーンも「何でしょう」と手紙を持ち上げてまた光に透かしている。
もちろんそんな事で中身が見える事などないが、それでもアイリーンの表情は晴れやかだ。もちろんアイリーンが喜んでいるのは、幼馴染から初めての便りだからである。
そこに特別な思いがあるわけではない。
それでも嬉しそうなアイリーンが、「父上……」と手紙を透かしたまま口を開いた。
「婚約を、破棄していただきたく」
その言葉に一瞬驚いたロルフだが、「分かった」と頷いて、アイリーンの頭を撫でた。
「アイザック達も快方に向かっているからな。良い機会だろう」
何度も頷いたロルフが、「では手続きをしてくる」とその場を後にした。
婚約破棄もだが、教会発の事業も、【真理の巡礼者】への対応も、やらねばならぬことは山積みなのだ。
そんな父の背中と、ウェインからの手紙を見比べたアイリーンが、「私も頑張るか」と手紙を懐に入れてロルフを追いかけた。
北の冬はまだまだ続くが、アイリーンの心の雪解けは、すぐそこまで迫っているのかもしれない。




