第172話 傷つかない人はいない
ロルフによって開かれた歓迎の宴は、ある意味でランディ達の予想通りであった。ヴァルトナー側からの出席者は、ロルフ、アイリーンとエレインの三人だけだ。
歯抜けのように目立つ空席は、明らかに本来なら誰かがいただろう事が分かる。だがヴァルトナー側は、誰もそれに触れずに会食は進んでいく。さも当たり前のように、振る舞われては、ランディ達も何も口にすることが出来ない。
そうして始まった会食だが、非常に和気あいあいとした雰囲気だ。最近のセドリック達ブラウベルグの躍進に始まり、リズへの見舞いの言葉、そしてランディやハリスンの腕前への称賛と、話題は尽きることはない。
大いに盛り上がった会食だが、末娘のエレインの就寝時間が近づき、ランディやセドリックに可愛らしく挨拶をして退席した。それと同時に、会話が途切れてしばしの沈黙が食堂を包んだ。
「さて……」
その沈黙を破ったロルフの声は、先程までと比べると幾らか重く固い。
「……諸君らも聞きたい事があるだろう」
ロルフの言葉にランディとセドリックが顔を見合わせ……
「閣下――」
「すみませんでした」
二人が開きかけた口を、キャサリンの謝罪が吹き飛ばした。全員が何事か、とキャサリンへ視線を向けると、俯いたままのキャサリンが、アーサーとの事をロルフとアイリーンへ謝罪し始めたのだ。
ランディとセドリック、更にロルフからしても不意打ちに近い一撃だ。なんせ三人の頭の中では、侯爵家の現状に関わる事でいっぱいだったからだ。
それでもランディとセドリックは即座に視線を交わして、キャサリンの謝罪を黙って聞くことにした。アイリーンとキャサリンにとっては大事なことだろうし、何よりこれはキッカケとしても悪くないと思ったのだ。
あの醜聞の中、ヴァルトナーが静かだった理由。それは今日の会食の状況と浅からぬ関係がある。ランディとセドリック共通の認識なのだ。
だからキャサリンの謝罪を黙って聞くことにしたランディなのだが……
(そーいやそんな事もあったな)
完全に彼らの存在や、乙女ゲーの延長だということを忘れていた。ランディはキャサリンの告白を聞きながら、少しだけ遠い目をしてアーサーやエドガーを思い出した。彼らは今、どこで何をしているのだろうか、と。
普通に王都で学年末考査に向けた勉強中だろうが、ランディの中では彼らが同窓ということすら朧気である。
ランディが彼らに思いを馳せている間に、キャサリンの謝罪も終わったようで、再びロルフとアイリーンへ頭を下げていた。
このタイミングでのキャサリンの謝罪は、ヴァルトナー側にとっても予想外だったのだろうか。キャサリン精一杯の謝罪を受けたロルフとアイリーンは、顔を見合わせしばし固まっている。
逆にキャサリンは、二人の態度が気になっているのだろう。チラチラと伺うような視線を向けているのだが、固まったままの二人からは、ランディでも何を考えているのか分からない。
そうして再び訪れた沈黙を、「フフッ」ともれたアイリーンの笑顔が破った。
「いや、すまない。確かに私がけしかけた話だったな」
肩を震わせるアイリーンが、「忘れていたよ」とキャサリンに微笑んだ。
「忘れて……?」
「ああ」
力強く頷いたアイリーンが、「正直に告白すると――」と天井を見上げた。アイリーンの瞳に何が映っているのかは分からないが、その横顔に曇りは見えない。
「――婚約者殿の事はどうでもいいのだ」
皆に顔を向け、爽やかに笑い飛ばしたアイリーンに、リズやキャサリンだけでなくリタやハリスンも思わず「え?」と声をもらした。
「別に仲は悪くなかった。いやむしろ良かったと思うが、結局どこまでいっても政略的な結婚なのだ。お互い歩み寄っていた、というのが近い表現かもしれん」
再びキャサリンへ視線を向けたアイリーンが、いたずらをするような顔で笑った。
「そんな相手が、ワガママで狭量な小娘に誑かされたらしい。私は思ったよ――ああ。やはりな、と」
肩をすくめたアイリーンが話すのは、昔から男の子に混じって遊んでいたため、淑女教育らしい教育は受けていない事だ。ドレスを着るより、訓練着に身を包み、木剣片手に飛び回る方が好きだった。
そんな幼少時代を過ごしたせいで、学園でも浮いた話はトンとなかったと言う。
「まあ……ミランダとセドリックが居たから良かったんだがな」
そう言って笑うアイリーンを見るに、本当に学園生活を楽しんだのだろう。
「学園も卒業し、いよいよこれは出会いが……という時に、騎士団長の息子との婚約話が舞い込んできたわけだ」
国境を守る貴族と、中央を守護する貴族。その令嬢と令息の婚約だ。政治的な意味の大きさに、アイリーンも二つ返事で頷いた。どのみち今のままでは貰い手も居ないということで。
「父上も私も、アーサー少年には期待も何もしていなかった。ただ会ってみたら、意外に話が合うんで『まあいいか』という気分だったのだが……」
「私が二人の仲を裂いてしまいました」
頭を下げるキャサリンに、「仲、というほどではないが」とアイリーンが苦笑いを返した。
「ウマが合うと思っていても、相手は私にないものを君に求めたのだろう。それに応えられなかった私にも非がある」
「そんな事は――」
思わず声を張り上げたキャサリンに、アイリーンは黙って首を振った。それ以上は言うな。言外に含まされる表情と圧力に、キャサリンもアイリーンの思いを汲み取って黙って俯いた。
アイリーンに非などない。誰が見ても、キャサリンとそれに誑かされたアーサーが悪い。それでもアイリーンが、己の中に非を置きたいのだ。
それは「自分も悪かったから、手打ちにしよう」などというヌルいものではない。
政略結婚だと理解していた。
元々興味はなかった。
どれも事実だろう。だが、「意外にウマがあった」それも事実なのだ。だからアイリーンの瞳の奥に見えるのは、わずかな怯えだ。
認めない。認めたくはない。いくら政略結婚だと言っても、何の非もない自分が、矮小な小娘に負けただなどと、認められない。
だから自分の中に、あるはずもない非を置きたい。それがアイリーンにとって、最後の寄る辺なのだ。それがなければ、小娘程度に遅れなど取らなかった。根拠もない寄る辺なのだ。
そしてその寄る辺は、完全にアイリーンの心を恋愛というモノから遠ざけている。次に同じような事があれば、もう立ち直れない。そこには【氷の舞姫】と呼ばれた強いアイリーンはいない。
ただ傷ついた一人の女の子がいるだけだ。
自分が仕出かしたことの大きさ。そして傷つけた代償を噛みしめるキャサリンが、「ごめんなさい」と更に小さくなった。
「気にするな。君がいなくても上手くいかなかっただろう」
笑顔で首を振るアイリーンが、とても痛々しい。
(【北壁】よりも高い壁だな……)
完全に拗らせてる雰囲気に、ランディは同窓であるミランダを盗み見た。どうやらミランダもアイリーンの諦観と怯えに気づいているようで、何とも苦い顔を浮かべている。なんせのっけから「もう結婚できない」発言をぶちかましたのだ。今頃ミランダの脳内では、絶賛反省会の真っ最中だろう。
とは言え今はアイリーンの拗らせた恋愛観や、ミランダの反省会に付き合っている暇はない。ロルフとアイリーンに聞きたいのは、その先の話なのだ。
(めちゃくちゃ申し訳ないが……)
素早くセドリックに視線を向けたランディに、セドリックが「えー?」というような表情を見せた。この空気の中、斬り込めと? そんな顔のセドリックにランディが頷いた。
ランディの圧を前に、セドリックが諦めたようにため息をついて口を開いた。
「アイリーン。君の思いは分かったけど……婚約破棄に踏み込めない理由は、ヴァルトナー夫人や、君の兄上が不在なことと関係があるのかい?」
セドリックの発言に、アイリーンが肩を跳ねさせ、「流石だね」とセドリックに弱々しい笑みを見せた。
(やっぱりか……)
どうやらランディとセドリックの予想は当たっていたようだ。あれだけの醜聞の中、ヴァルトナーだけがずっと沈黙を貫いていた理由。本当なら、ロルフが中央に乗り込んで、アーサーをぶん殴ってもいい案件だ。実際ロルフは、アイリーンとキャサリンの話しを聞きながら、黙って腕を組んだままだった。しかも指を腕に食い込ませながらだ。
そんな男が、あの醜聞の中何のアクションも起こさない。いや起こせなかった事に、ランディとセドリックはまた顔を見合わせた。
「閣下……わざわざディナーでの会談を実施した理由、お話頂いても宜しいでしょうか?」
セドリックの真っ直ぐな視線に、ロルフが大きくため息をついて顔を上げた。
「我がヴァルトナー家は、数ヶ月前より正体不明の勢力から攻撃を受けている」
「攻撃?」
「正体不明の……?」
ランディとセドリックの言葉に「うむ」と頷いたロルフが続ける。
「【真理の巡礼者】を名乗る、正体不明の集団だ」
重くのしかかるような声に、全員が思わず息を呑んだ。




