第169話 副長ですからね。強いんです
ランディ達を交えた訓練が始まる頃、城へと引き返したリズ達は、アイリーンに湯浴みの為の大浴場へと案内されていた。
「すまんな。ウチの風呂場は身分差がなくてな。全員同じ風呂で我慢してくれ」
寒い地域だからこそ、一箇所で湯を温めたほうが効率がいい。一応男女は分かれているが……そんなアイリーンの説明だが、それに拒否反応を起こす人間はいない。
ミランダはそもそも特殊部隊で共同生活に慣れており、リズもリタもヴィクトールでの生活で鍛えられている。加えてキャサリンは何だかんだで元日本人だ。銭湯に温泉にと不特定多数の人と、風呂をともにすることは特に珍しい経験ではない。
ただ躊躇う事があるとしたら、護衛がいないこの場所で、丸腰になることだろう。なんせ今のところキャサリンにとって、ここは敵地に等しいのだ。
だがキャサリンの気持ちを知ってか知らずか、アイリーンはメイドにテキパキと指示を出していく。
「ゆっくりと温まるといい。私は少し顔を出してくる」
ニヤリと笑ったアイリーンが、リズたちを残して廊下を駆け足気味に戻っていった。
「……どうしましょう」
ミランダやリズに視線を向けるキャサリンに、ミランダが小さくため息を返した。
「お言葉に甘えてはいかがですか? エヴァンス嬢が心配しているような事はありませんよ」
ミランダの言う通り、いくらキャサリンに思うことがあったとしても、騙し討ちのような事でキャサリンに害をなすことはない。しかもキャサリンは曲がりなりにも聖女だ。ここで何かあれば、それこそ教会との問題にも発展しかねない。
説得するミランダの言葉に、キャサリンが頷いた。
「じゃ、じゃあ……ご厚意に預かりましょうか」
おずおずと呟いたキャサリンに、リタ以外の全員が湯浴みの準備をはじめた。
「私はメイドですからね。お嬢様の湯浴みを手伝わせて頂きます」
力こぶを見せるリタだが、ヴァルトナーのメイドたちが笑顔で迫る。
「お一人だけですし、お客様としてもてなすよう仰せつかっております」
「お客様を働かせては、ヴァルトナーの名折れ」
笑顔のメイドたちに迫られ、「い、いや。私はほら……」と後ずさるリタだが、背後はもう壁だ。
「ご観念下さい」
「纏めて入って頂いたほうが、後々楽ですから」
最後の本音がトドメとなり、リタも結局リズたちと風呂を共にする事に……。
☆☆☆
リズたちが風呂場へ連れて行かれた頃、ランディたちはというと……
「セドリック、それにハリスン殿と言ったな。君たちはこちらだ」
……ロルフの提案により、教導係を立てた自由組手形式の訓練に入っていた。
訓練場に等間隔に実力者を立てて、それぞれが気になる相手に稽古を頼む形式は、ヴィクトールでもよくあるタイプの訓練だ。
その稽古を受ける実力者のポジションに、セドリックはもちろん、ハリスンも選出されている……いやむしろ二人しか立っていない。
「これって……」
「僕達だけで相手にしろってことかな」
ため息混じりで木剣を受け取ったセドリックやハリスンを前に、ヴァルトナーの実力者たちが列をなす。その列にレオンも加わるが、ランディだけはロルフと一緒に訓練場の外から見守る係に収まっていた。
「あ、あの……私も訓練に参加したほうが」
頬を掻くランディに、「お主はまた後でだ」とロルフが笑った。ちょうどそれが合図だったかのように、それぞれの一人目がハリスンとセドリックに飛びかかった。
訓練が始まれば、否応なしに盛り上がる。どこで話を聞きつけたのか、訓練時間ではない騎士たちですら、訓練場を覗き込むように色々な場所から顔を出す始末だ。
「父上……盛り上がっていますね」
戻ってきたアイリーンも、頬を上気させハリスンとセドリックの動きを目で追っている。
「やるなぁ。セドリック……また強くなってる」
楽しそうに笑うアイリーンの言う通り、屈強なヴァルトナー騎士相手に、セドリックは一方的な試合運びを見せている。
(強いのは知ってたが……下手したらあのSランクよりも――)
思い出すのは冬休みに拳を交えたあのSランクの冒険者だ。カイン・ブラッドレイジ。魔剣を使いこなすだけの実力と、精神力を持っていた相手に、ランディはあの時セドリックより強いと思っていた。
だが今も軽やかに相手を翻弄するセドリックは、ランディの予想よりはるかに強い。いや強くなっている。魔剣の力があるので一概には言えないが、剣技だけなら間違いなくSランクのカインより上だろう。
それと華やかだ。顔面偏差値の高さもだが、剣技がどこか華やかなのだ。なるほど【銀嶺の貴公子】と呼ばれる理由も分かるというものである。
だがそんなセドリックの隣で、より多くの騎士の注目を集めているのがハリスンだ。
ハリスンが動く度、騎士たちからどよめきが起きる。なんせ、その動きは緩慢に見えるのに、相対している騎士は誰一人ハリスンを捉えるどころか、その剣から逃れられぬのだ。
簡単に勝てそうに見える相手なのに、いざ向かっていくと理由もわからず負けてしまう。
「……やはり化け物だな」
ハリスンを見たアイリーンが、引きつった笑顔を見せている。別にハリスンは遊んでいるわけでなはい。もちろん殺さぬよう手加減しているが、アレがハリスンの恐ろしさであり、強さの一因でもある。
「完全に虚をついているのか」
アイリーンの言葉に「ええ」とランディが頷いた。意識と意識の合間にあるわずかな空白。その虚をつくことで、並の速さの剣でも、騎士たちは躱す事が出来ないのだ。
「そんな事が可能なのか……」
「面白い瞳を持っているようだな」
考え込むアイリーンと、口角を上げるロルフ。ハリスンの力にすぐに気がついたロルフに、ランディは「流石ですね」と驚きの称賛を送った。対峙していたならまだしも、この距離で訓練を見守っているだけで気がつくとは、【北壁】の名は伊達ではないようだ。
「瞳?」
首を傾げたアイリーンに、ランディはハリスンと立ち会ってみることを勧めた。立ち会って見れば、アイリーンクラスの使い手なら分かるはずだ。実際に、二周目に入った騎士たちは、拙いながらもハリスンの動きに順応しはじめてるのだ。
そんな白熱する訓練を見守る事暫く、
「止め!」
ロルフの声が響き渡った。
「アイリーン。どうする?」
ロルフに尋ねられたアイリーンは、「そうですね」とハリスンを真っ直ぐに見据えた。
「ハリスン・ウォーカー卿、是非お手合わせを」
指名を受けたハリスンが、ランディをチラリと見た。ただの訓練とは違う、完全な立ち会いだ。曲がりなりにもヴィクトール騎士隊の隊章を背負ってこの場に来たのだ。ヴィクトールの許可を取るのは当たり前だろう。
そんなハリスンの視線に、ランディはニヤリと笑って口を開いた。
「見せてやれ。お前がヴィクトールで副長をしている理由をな」
笑顔のランディに「いやいや。止めてくだせーよ」とハリスンが肩を落とした。
それでもアイリーンと向かい合ったハリスンの顔は、真剣そのものだ。
「じゃあ、立会人は僕がしようか」
ちょうど二人の真ん中にいたセドリックに、どちらともなく頷いた。
「勝敗は僕が決める。お互い殺しはなし。いいかな?」
負けを認めるや気絶にすると、このレベルの実力者同士では試合が長引く。だからこそセドリックが見て、「勝負あり」となったらその時点で終了だ。
その条件にお互いが頷き、そして木剣を構えた。
ハリスンがいつものように片手で。
アイリーンは両手に木剣を。
二人の間で空気が張り詰めていく……「はじめ!」……セドリックが開始の合図をかけた。
瞬間、アイリーンの背後にスルリと回ったハリスンが、木剣を延髄で寸止めにした。
おそらく相対していたアイリーンには、一瞬の出来事だっただろう。だがそれを見ていた、ランディ以外の全員は、なぜアイリーンが後ろを取られたのか分かっていない。
ただただ拍子抜けの結果に、誰もが固まったまま暫くその状況を見守っていた。
「どうしやす? 勝敗がついてねーなら、まだやりますが?」
ハリスンの声に、「そ、そこまで!」とセドリックですら慌てて宣言するくらいだ。何が起きたのかわからない、そんな雰囲気のアイリーンであったが、振り返りハリスンを見て……
「すごい……すごいぞ! ウォーカー卿! 今の動きはなんだ?」
……ハリスンにグイグイ詰め寄っている。
「君の瞳が一瞬光ったと思ったら……ああそうか。父上の言っていた瞳は――」
ハリスンの瞳を見つめるアイリーンが、「もう一度やろう」とハリスンに詰め寄る。
「ええええ? マジっすか?」
仰け反るハリスンだが、そこまで嫌そうではない。それもそうだ。一度の立会でハリスンのタネを見破ったのだ。ハリスンからしたら、稽古相手になるだろう人物である。
「ハリスン! もう一度お相手差し上げろ」
ランディの言葉もあり、ハリスンは渋々と言った仕草でまた元の位置に戻った。
再びセドリックのルール説明と確認が入り、「はじめ!」二度目の立会が始まった。
再び間合いを詰めたハリスンだが、今度はアイリーンが一撃を防いだ。
先ほどと違う展開に、騎士たちからも「おぉ」と歓声の声がもれた。
一撃を止めたことで、アイリーンが反撃に出る。
両手に持った剣が、その二つ名に違わぬほど美しい軌跡を描いてハリスンへ襲いかかる。
繰り出される二刀をさばくハリスンは、一見すると防戦一方にしか見えない。
訓練場に響く木剣同士がぶつかり合う音に、ランディの隣でロルフが微笑んだ。
「ヴィクトールよ。一戦で止めておいたほうが良かったのではないか?」
ロルフの言う通り、ハリスンのタネはもう見破られ、今は純粋な剣技勝負になっている。
「確かにあの瞳は驚いた。おそらく瞳孔か? 自在に瞳孔を操作し、更にわずかな光で一瞬の錯覚に陥らせる。まさに初見殺し。恐ろしい力だ」
ロルフの言う通り、ハリスンの瞳は特別だ。特異体質を血の滲むような鍛錬で昇華して、身につけた瞳術とでも呼べる能力。瞳孔の動きや瞳がわずかに発する光。それらは実力があればあるほど、かすかな違和感として敵の脳に一瞬の隙を作るのだ。
そこへ滑り込むのが、ハリスンの必勝パターンである。
「確かに瞳術を見抜かれた以上、アイリーン様クラスなら対策は山程思いつくでしょう」
ランディの言う通り、既にアイリーンはハリスンの瞳術にかかっていない。
「ですが……その程度で、ウチの副長を任せると思わないで下さい」
ニヤリと笑ったランディの目の前で、ハリスンの身体がわずかにブレた。
「ウチも実力主義。アイツが副長なのは単純に強いんですよ。誰よりも……もちろん瞳術抜きで」
ランディの言葉に呼応するように、ハリスンの木剣がアイリーンの木剣を弾き飛ばした。
想像以上の膂力は、アイリーンの体勢をも崩す。
アイリーンが顔を歪めながら木剣を引き戻すが、崩れた体勢では反撃も出来ない。
攻守が一気に切り替わった。
ハリスンの振る剣を、アイリーンが二本の木剣で辛うじて防ぐ。
単純なラッシュとは違う。ハリスンらしく嫌らしい連撃だ。
端的に言えばフェイントを巧みに交えた連撃だが、虚を知り尽くしたハリスンがそれを繰り出すのだ。
二本の木剣を巧みに操り、何とか猛攻を凌ぐアイリーンだが、その顔はとてつもなくやりにくそうだ。
それでもランディからしたら、ハリスンの変幻自在についていくアイリーンの実力に驚きだ。並の使い手なら、あの弾き飛ばしの後で斬り伏せられて終わりだろう。
既にいくつか身体を掠めているものの、ハリスンを前に未だ有効打を与えていないアイリーンが、一度大きく間合いを切った。
「強いな。とてつもなく……」
アイリーンが楽しそうに笑い、「アイリーン様も」と笑みを返したハリスンが、アイリーンの目の前に現れた。
突き出される切っ先。
それを前に、アイリーンがバックステップ。
に合わせたハリスンの足払い。
「あ……」
アイリーンが声をもらし、尻もちをついた瞬間ハリスンの切っ先が、アイリーンの眉間の前でピタリと止まった。
「そこまで! ……勝者、ハリスン・ウォーカー」
勝ち名乗りに、ハリスンがアイリーンを引き起こして一礼し、アイリーンもハリスンへ礼を返した。
訓練場の真ん中で握手を交わし、言葉を交わす二人を前に、ロルフは「なるほど」と満足そうに頷いた。
「虚実交えた剣戟。まさか実の間に虚を作る剣技とは……」
腕を組んでハリスンを眺めるロルフが、「面白い男だ」とまた頷いた。
「アイリーン様も、恐ろしい使い手ですね。あのハリスン相手に、あれだけ保たせる人間は、ウチにもいませんよ」
首を振ったランディが思いつくのは、ルークとあとは元の探検隊メンバーくらいだろうか。だがそのルークも今はハートフィールドへ出張中だ。ハリスンとルーク、今どちらが強いかは定かではないが、二人共ランディの後ろをすぐピタリとついて突き放せていない。
「実に良い訓練と立会だった」
立ち上がったロルフに、全員の視線が集まった。どうやらハリスンの戦いで満足してくれたようだ、と安心するランディに、ロルフが振り返ってニヤリと笑った。
「では、ヴィクトール殿。我らヴァルトナーの底力を体験してもらおうか」
獰猛な笑みだけで分かる。「俺とやろうぜ」そう言っているのが分かってしまう事に、ランディは心の中でため息をつくのであった。




