第168話 脳筋は脳筋を知る
道中の警護をしてくれた【鋼翼の鷲】の面々と分かれた一行は、ようやくヴァルトナー侯爵家の屋敷にたどり着いた。
そこは屋敷というよりも、城に近い。間違いなく有事には籠城できるように設計されたそのデザインは、この地が経験してきた歴史を嫌でも感じさせる。
折しも降り出した雪が、無骨な城の雰囲気を際立たせている。今ランディ達が通っている跳ね橋も、有事の際は持ち上げられるのだろう。なんせ真下は深い堀なのだ。
「スゲーな」
空堀を見下ろしたランディの声が、堀の中で反響する。空堀とは言え、ここまで大きく深い堀なら、敵は越えるだけで一苦労だ。
深く広い堀を越えようやくランディ達が、城壁の門へとたどり着いた。
「アイリーンだ。只今帰った」
巨大な門へアイリーンが声をかければ、金属の軋む音を響かせて黒く大きな扉がゆっくりと開いていく。舞い散る粉雪が扉に吸い込まれる――
「「「おかえりなさいませ!」」」
大扉の向こうから聞こえてきた声が、空気をビリビリと震わせる。すわ何事かとアイリーンの肩越しに覗き込めば、広い前庭に何人もの騎士が整列しているのだ。
貴族の邸宅のように庭園ではなく、石畳の広場に整列する騎士。完全に砦の雰囲気と彼らが上げた声に、全員が面食らっていた。
「これはまた……」
「大歓迎っすね」
セドリックとレオンが苦笑いを浮かべ、思わず顔を見合わせた。そのくらいこの光景はインパクトが大きいのだ。
整列して出迎えてくれた騎士たちの間を、アイリーンに案内される形でランディ達が進む。整列している騎士の誰もがこの寒さの中、ピクリとも動かず姿勢を保ったままだ。
その練度の高さに、ランディも思わず感嘆のため息をついた。
「流石は領地貴族でも一番の古兵ってところか?」
「ええ。お父様もヴァルトナー侯爵閣下には、一目も二目も置いていらっしゃいますから」
ブラウベルグが海運や商売で王国に巨万の富をもたらしとしたら、ヴァルトナーはこの厳しい土地で屈強な兵士を育て上げ、祖国を外敵から守り続けてきた。役目こそ違えど、古くから王国を支え続けてきた二大巨頭とも言える。
「なんかあっしに注がれる視線が痛いんですが……」
「仕方ねーだろ。騎士国家みたいな場所に、別の場所から騎士が来たんだ」
肩をすくめるランディの言う通り、ヴァルトナー侯爵領はある意味独立国家のように王国とは全く気風が違う。そして帯剣しているのはレオンとハリスンとミランダだけだ。護衛の意味も兼ねての帯剣だが、レオンとハリスンに至ってはそれだけではない。
二人共パッと見るだけで、騎士と分かる格好をしているのだ。
別に甲冑姿というわけではない。レオンもハリスンも寒冷地仕様の鎧などは持っていないので、今は普通に防寒着を着用している。だがその上からレオンは教会の、ハリスンはヴィクトール騎士隊への所属を示すマントを着用していのだ。
帯剣以上に、彼らの羽織るマントの意味は大きい。
紋章や隊章入りのマントを纏う。それだけで、どこかの勢力に所属する騎士であることを示しているのだ。
特にレオンが纏っている教会のマントは有名だが、ハリスンの纏うヴィクトール騎士隊を示すマントはヴァルトナーの屈強な騎士たちでも知らない珍しいものだ。
真っ赤なマントに描かれたシンプルな隊章。円を描く黒い竜の真ん中に、一本だけある剣。竜もシルエットだけで、他家の騎士団のように細部へのこだわりはない。
何ともヴィクトールらしいシンプルかつ力強いデザインは、公国では貧乏すぎてデザインにお金がかけられなかったとある意味で有名だ。デザインこそあまり知られていないが、シンプルな隊章を見たらヴィクトール騎士と思え、そう言われる程度にヴィクトール騎士隊の隊章はシンプルさで有名である。
それでもヴィクトールの男たちは、これを纏う事を誇りとしている。そして皆この隊章に恥じぬよう、毎日切磋琢磨をしている。
飾り気のないマントを翻すハリスンが、騎士たちの作る道の間を歩けば、奇異の視線を向けられるのも無理はないだろう。
「田舎モンが来やがって……って感じじゃねーな」
「そっちの方が楽でいいんすけどね」
肩をすくめるハリスンの言う通り、ヴィクトールが田舎なのは間違いない。だが周囲の騎士たちから注がれるのは、単純な興味の視線である。
「この地は実力主義だ。我々の興味は君の実力なんだよ」
笑顔のアイリーンが、「ほら……」とセドリックとキャサリンを指さした。貴公子と聖女。間違いなくこの国でなくとも、名のしれた有名人二人だ。つまりハリスンは彼らが連れてくるだけの騎士という事になる。所属する家も隊も知らないが、それがハリスンを蔑む理由にはならない。
「それ以上に、貴殿が発する自信だ」
チラリと振り返ったアイリーンが、「その印は余程の誇りだろう」とハリスンに笑いかけた。アイリーンの言葉にハリスンが「どうっすかね」とだけ答えてため息をついた。
「そういう事にしておいてやろう」
「面倒そうな場所についてきちゃいましたね」
肩を落とすハリスンだが、その顔は言葉ほど面倒そうに見えない。何だかんだハリスンもヴィクトールの人間だ。アイリーンの言う通り、わざわざここに隊章つきのマントを着てきた理由は単純に誇りだ。
屈強な騎士がひしめく地へ、己の所属を隠すことなく堂々と立ち入る。それがハリスンなりの、ヴィクトール流でもある。加えてこの厳しい土地で鍛え上げられた騎士たちの実力に興味があるのだ。
そんなハリスンを誰よりも理解しているのがランディだ。
「ヴィクトールの名前を轟かせられるな」
「あっしより、若がやったほうが良い気がするんですが」
ハリスンがランディへジト目を向けた頃、一行はようやく城の入口へとたどり着いた。
「さて、この時間は鍛錬中なのだが……」
考え込むアイリーンが「見ていくかい?」とランディたちを振り返った。ハリスンではないが、ランディとしてもこの国で防衛を司ってきた領地の実力は気になる。
「では、お言葉に甘えて」
流石にこの状況ではキャサリンも断ったりすることはなく、全員がアイリーンの案内で広い前庭を通り抜け、鍛錬場がある中庭へと足をむける。
「にしても、どこもかしこも騎士だらけだな」
ランディの言う通り、城の外も中も多くの騎士とすれ違う。誰も彼もがアイリーンを見る度、脇に避けて綺麗な礼を見せるのだから、ランディとしては何ともこそばゆい。
「ハリスン。ヴィクトールでもこれやろうぜ」
「嫌っすよ。絶対意味もないのにウロウロするじゃねーですかい」
振り返ったランディに、ハリスンが声を落として眉を寄せた。
「ンだよ。格好いいのに」
口を尖らせるランディに、リズが「駄目ですよ」と苦笑いを見せた。
「私はあのヴィクトールの雰囲気が好きですから」
リズが言うのは、騎士とすれ違っても「あ、若。こんちゃーす」くらいの緩いノリの事だ。初めてそれを見た時は、驚きしかなかったリズだが、今はあの気安さが丁度いいと言う。
「普段は良いんだけどよ。せめて人が来たときくらい……」
なおも口を尖らせるランディだが、「誰が来るんすか」とハリスンの正論でノックアウトだ。
完全に場違いなランディ一行を引き連れ、アイリーンが城の中を進むことしばらく……なるほど遠くから威勢の良い声が聞こえてきた。近づくにつれ、大きくなっていく声に、ランディを含めた全員が背筋を伸ばした。
「この先だ――」
アイリーンが大きな扉を押し開くと、そこに広がっていたのは、まるで闘技場のような大きな舞台だ。
石造りの四角い舞台の上では、多くの騎士たちが今も木剣を片手に訓練の真っ最中で、雪を溶かしそうな熱気がランディ達の元まで届いている。
そして……
「あれが【北壁】か」
……打ち合う男たちの向こうに、ランディに匹敵する程の偉丈夫が座っている。逆立つようなアイスブルーの髪ともみ上げまで繋がった顎髭。太い眉毛と彫りの深い顔立ちは、離れた場所からでも威圧を感じる風貌だ。
向こうもアイリーンやセドリックに気がついたのだろう。立ち上がって、騎士たちに「止め!」と声を上げた。
空気を震わせる声に、一瞬でその場が静かになり、全員の視線が先頭のアイリーンへと注がれた。
「整列!」
一人の号令で、全員が両脇へと避け、綺麗に整列した。彼らの開けてくれた道へ、アイリーンが闘技場の上に一歩踏み出した。
今度は無言で全員が木剣を掲げ、騎士の礼を取る。合図も何も無いのに、圧倒されるほど綺麗に揃った所作に、レオンとキャサリンはわずかに及び腰だ。
そんな彼らの背を押すように、ようやくランディたちはアイリーンの父である男――ロルフ・フォン・ヴァルトナー――のもとへたどり着いた。
「客人たちよ。このようなむさ苦しい場での挨拶を勘弁願いたい」
静かだが重みのある声に、セドリックが一歩前に進み出た。
「ご無沙汰しております、閣下。セドリック・フォン・ブラウベルグ。父に代わりまして、ご挨拶申し上げます」
頭を下げるセドリックに合わせて、ミランダだけでなくキャサリンにレオン、そしてリズまで綺麗な礼を見せた。どうやらセドリックの挨拶は皆を代表したものだったようだが、そこはそれ。一歩出遅れたヴィクトール組が慌てて頭を下げる。
「……聞いてねーぞ」
「あっしもです」
声を落とす二人だが、これでも一応は貴族の嫡男とその護衛である。当たり前過ぎてセドリックも伝えていなかったが、ヴィクトールにそんな常識などないのだ。
微妙に目立ってしまった二人だが、ヴァルトナー侯爵ロルフは気にした素振りもなく、セドリックに視線を向けた。
「ルシアン殿は息災か?」
「はい。閣下とまた酒坏を交わしたいと申しておりました」
にこやかなセドリックに「それは良い」とロルフが笑顔で頷いた。
「さて、積もる話もあるが今回のメインはお主ではなく、後ろの聖女殿であったな――」
ロルフの射抜くような視線に、キャサリンが肩を跳ねさせ震える口を開いた。
「せ、聖女キャサリン・エヴァンスと申します。か、閣下におかれましては、ご健勝でいらっしゃるご様子、た、大変うれしく存じます」
カーテシーのまま声を絞り出すキャサリンを、ロルフは見つめたままだ。しばし沈黙がその場を支配する。
「アイリーン!」
「はっ」
空気を震わせる程の声に、アイリーンがすかさず一歩進み出た。
「この寒空のなか来られた客人だ。女性たちには暖まって貰え」
「かしこまりました」
全く意味がわからないが、アイリーンが「ミランダ、レディ達を連れて行くぞ」とミランダに声をかけて、キャサリンやリズそしてリタを連れてその場を離れていった。
「さて……セドリック。お主、剣に覚えがあったな」
「ヴァルトナーの猛者に比べれば児戯ですが……」
引きつった笑みを見せるセドリックに「世辞はよい」とロルフが首を振った。
「さて、男性陣は我々とともに訓練で暖まろうか」
立ち上がったロルフは、ランディよりも大きい。恐らくランディの祖父であるヴォルカンに匹敵する大きさだ。そんなロルフの興味の視線は、ランディへと注がれている。
「面倒な噂が巷には流れていてな……確かめるためには拳を合わせたほうが早い」
ガハハハと豪快に笑い飛ばすロルフに、ランディとハリスンはどこかヴィクトール味を感じているのであった。




