第167話 女三人あつまれば……姦しいって書くくらいですし。賑やかになるよね
キャサリンを前に獰猛な笑みを浮かべる、アイリーンに現場の空気は文字通り凍りついた。キャサリンに向けられる分かりやすい敵意に、レオンが庇うように一歩前に出た。
「傾国の魔女じゃなくて、聖女なんで……訂正してもらっていいっすか?」
真っ直ぐにアイリーンを見据えるレオンだが、キャサリンがその後ろで顔を上げた。
「レオン。下がりなさい」
「何言ってんすか……」
振り返ったレオンに、「いいの」とキャサリンが首を振った。
「アーサー……いえ、ランス様とのことは事実だし」
そう言いながらも前に出たキャサリンが、アイリーンを真っ直ぐに見据えた。
「はじめましてアイリーン・フォン・ヴァルトナー様。いやしくも聖女の名を賜りました、キャサリン・エヴァンスと申します」
いつの間に身につけたのか。リズに匹敵するかの如き優雅なカーテシーに、アイリーンも「ほう」と思わず感嘆の声を上げた。
「私がアイリーン様に良く思われていない事は重々承知です。ただ今だけはキャサリン・エヴァンスではなく、聖女としての目的でこちらへ参りましたこと、ご理解いただけましたら」
真っ直ぐにアイリーンを見つめ返すキャサリンだが、後ろから見ているランディとリズにはキャサリンの震える肩が見えていた。無理もない。相手は歴戦の戦士だ。キャサリンに手を出す……などの短慮な事はしないだろうが、それでも真正面からあの圧力を受け止めるには、キャサリンの身体はあまりにも小さすぎるのだ。
それでも退かぬキャサリンに、アイリーンがニヤリと笑う。
「面白い……」
一歩近づくアイリーンに、キャサリンがわずかに仰け反る……が、下がることなくその場で踏みとどまった。
「聞いていた話だと、ワガママで狭量な小娘と聞いていたが」
顔を近づけたアイリーンに「否定はしません」とキャサリンが震える唇を懸命に動かした。
しばらく睨み合う二人。その間にはミランダとアイリーンとの間に流れていた以上に緊迫した空気が漂っている。
一触即発とも言える緊迫した空気の中、口角を上げたアイリーンが、「ハハハハハハハハ」と豪快に笑い飛ばした。
一気に霧散する緊張感と、それについていけないように呆けるキャサリン。
「実に面白い。噂とはあてにならんものだな」
アイリーンはセドリックを振り返り、「お前が連れて来るわけだ」と嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「いや。キャサリン嬢はもともと噂通りの小娘で間違いないよ」
肩をすくめたセドリックに、「そうなのか?」とアイリーンがまたキャサリンへ視線を戻した。
「自分で言うのもなんですが……」
渋々頷いたキャサリンが語るのは、この世界がゲームだとか言う話は伏せた上での、自分が何をしても良いと思っていた苦い過去の話だ。勘違いから好き勝手にやって、最終的にはハリボテ寸前の聖女にまでなった一連の顛末である。
「なるほど。己の過ちを受け入れ、心を入れ替えたと……?」
「心を入れ替えた……かどうかは分かりません」
首を振るキャサリンが語るのは、今もこの場に居るのはキャサリンがやりたいことを貫くためである。それをワガママと言われれば、変わっていないだろうという事だ。
「ただ……ありがたいことに、そんな私のワガママに付き合って頂ける人がいることが、一番変わった事かもしれません」
チラリとランディたちを振り返るキャサリンに、ランディはリズと顔を見合わせた。
「なるほど……」
アイリーンが興味を示したのはリズとランディだ。まじまじとリズを見つめていたアイリーンが、再びセドリックを振り返った。
「彼女が君がいつも自慢していた妹だな?」
「ああ。女神よりも尊い存在さ」
聖女を前になんという発言を……そんな事を呟きながら顔を覆うリズに、「そうかそうか」とアイリーンが頷きまた視線をキャサリンに戻した。
「君とはまだまだ話したいことはあるが……流石にいつまでもここでは往来の邪魔だ」
肩をすくめるアイリーンの言う通り、城門の脇によけているとは言え、結構な大所帯だ。通行の妨げにはなっていないが、アイリーンと数人の騎士が集団を囲んでいるのだ。野次馬達が気になってしかたがない、という素振りを見せ始めている。
「屋敷へ案内しよう。父上もお待ちだ」
ニヤリと笑うアイリーンに、キャサリンの顔がまた強張った。
「心配するな。父上も小娘ごとき、取って食うわけではない」
豪快に笑い飛ばすアイリーンだが、圧倒されたキャサリンは「は、はぁ」と気のない返事しか出来ない。
「よし。全隊戻……まて」
号令をかけていたアイリーンだが、リズを振り返って満面の笑みを見せた。
「セドリックの妹御よ。私の同席を許してくれるかい?」
「え? あ、は、はい」
とんでもない提案に思わず頷いたリズだが、リズたちが乗ってきたレンタルソリは四人乗りだ。どうしたものかと、悩むリズにランディが、「ハリスン」と声をあげた。
「じゃんけんだ」
「いいっすよ」
曲がりなりにも貴族の嫡男とその護衛のはずの騎士。そんな関係の二人が、どちらが降りるかでじゃんけんをするという光景に、リタとリズ以外が驚きで固まっている。普通ならハリスンが出るか、リタが出るかの二択なのだが、この四人の中ではハリスンかランディの二択なのだ。
そして白熱したじゃんけんの結果……
「街中だし問題ねーだろうが、リズとリタを頼むぞ」
肩を叩くランディに「若、マジでじゃんけん弱いっすよね」とハリスンが満面の笑みでコタツに滑り込んだ。
「わざとだ。ちっと立ち乗りに興味があったんだよ」
ヒラヒラと余裕ぶって手を振るランディだが、アイリーンの乗ってきたソリへ近づく足取りは重い。なんせ風よけも何も無い、剥き出しのソリに立ち乗りだ。寒すぎる事間違いなしである。
唯一救いなのは二人乗り用のソリで、前に別の騎士が立ってくれることか。ランディがソリの操縦など出来ないので必然であるが、風よけの代わりに頑張ってもらおう、とランディがソリへ乗り込んだ。
「クっ……これは――」
ランディが顔を強張らせるのも無理はない。男集団にあっても頭一つ抜ける巨人ランディには、前に誰がいたとしてもあまり風よけの意味はないのだ。
「おいハリスン! 俺にはちっと小せえからやっぱ代われ」
振り返るランディに、「無理っす」とハリスンが毛皮を胸元まで引き寄せた。
「てめ、覚えとけよ……」
窮屈そうなランディを隊列に組んだ騎士たちが、「出発します」とソリを動かした。
走り出したソリの上で、アイリーンは「これはいいな」と上機嫌でコタツの使用感に笑顔を浮かべていた。
「さて、エリザベス嬢。改めまして、アイリーン・フォン・ヴァルトナーだ」
手を差し出してくるアイリーンに、「エリザベスです」とリズが手を握り返した。およそ令嬢同士の挨拶と思えないそれだが、二人共そんな事を気にする人間ではない。
アイリーンはいわずもがな、リズもヴィクトールに染まってしまったと言える。
「君のことはセドリックから耳にタコが出来るほど聞いている」
笑うアイリーンが語るのは、セドリックが自慢してきたリズの色々だ。
曰く、世界の美を集めても勝てはしない。
曰く、聡明で思慮深い。
曰く、心優しく慈悲に溢れている。
面と向かって言われると赤面ものの言葉ばかりに、リズが思わず顔を覆った。
「あのセドリックが褒めるのだ。君には昔から興味があった」
笑顔のアイリーンが「だが」と真剣な表情でリズを見た。
「一番の被害者が、加害者と仲良くしている。その事実にまさる興味はなくてね」
アイリーンの探るような目に「まあ、ですよね」とリズも苦笑いで頬を掻いた。
「私自身驚いていますから」
リズが視線を向けるのは、前を走るキャサリン達のソリだ。レオンと二人でソリに乗るキャサリンの表情は固いままだ。
「婚約者を奪われ、腹は立たなかったのか?」
「どうでしょう。殿下とはその……あまり良好とは言えない関係でしたし」
苦笑いのリズに、「そうなのか?」とアイリーンが眉を寄せた。
「追放のアレコレも、元教皇猊下の陰謀だったとお聞きしましたから」
「そう、なっているらしいな」
ニヤリと笑うアイリーンは、「洗脳されていたと?」とリズの顔を覗き込んだ。その顔は政府が発表した内容を全く信用していない、そんな顔だ。それでもリズが表情を変えることはない。
「私はそう聞き及んでいます」
すました顔で答えるだけだ。相手が誰であろうと、国と父であるルシアンの元で交わされた密約をリズが破ることはない。そもそもキャサリンを人柱に、汚い大人たちだけが得をすることが許せず、彼女への温情を望んだのはリズとランディだ。
とはいえリズもあの時、未来でこうしてソリに乗って北へ来るとは思いもしなかったが。
「洗脳が解けたから、キャサリン様も己を取り戻したのかもしれませんね」
ある意味で洗脳は解けたのかもしれない。リズとランディに叱咤激励されて、ゲームの世界だという先入観、主人公だという思い込み、それらが粉々に砕け散ったのだから。
真っ直ぐキャサリンを見るリズの横顔に、「そうか」とアイリーンが呟いた。
「ならば君は、聖女殿を恨んでいないと?」
「どうなんでしょうか。正直なところ自分でも良く分かっていないんです」
苦笑いを浮かべたリズが「ただ……」と言葉をためて続けたのは、あの事がきっかけで今の生活があるという事実だ。捨てられ、拒絶され、流れ着いた先で出会った光。かけがえのない友となったエリーだけでなく、二人を支え続けてくれるランディという大きな存在との出会い。
それらを語るリズの顔は、自然とほころんでいる。
「だから……恨むに恨めない。どっちつかずのくせに、卑怯な人間かもしれません」
言葉とは裏腹に笑顔のリズに、アイリーンは「強いな」とだけ呟いて真っ直ぐに前を向いた。何を考えているか分からない横顔に、「アイリーン様は」とリズは口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
簡単に踏み込んで良い内容ではない。いくらアイリーンが気にしていないような素振りを見せていても、内心は本人にしか分からないのだ。
「それにしても、君を助けた男か……」
アイリーンが興味を持った眼差しで見つめるのは、先頭を走る集団の中でも一際目立つ大男だ。
「セドリックが君の側に居ることを許した男が、どれほどのものか興味はあったが」
アイリーンがランディへ視線を固定したまま呟いた。
「強いな。それもとてつもなく」
苦笑いのアイリーンに、「アイリーン様よりですか?」とリズが首を傾げた。
「ああ。セドリックにミランダ。彼らも凄まじい使い手で、私も学園では大いに刺激を受けた」
アイリーンが語りだすのは、三人が学生時代に切磋琢磨し続けた話だ。
「卒業して二年。あの時より私も二人も強くなった。それこそ二人の成長ぶりにも驚いたが、あの二人相手には勝てるビジョンがまだ見える。だが……」
ランディを見たままのアイリーンが、思わずと言った具合に唾を飲み込んだ。
「……彼は分からない。何も見えん相手は初めてだ」
アイリーンが「しかも二人同時に、だ」と前でのんびりするハリスンへと視線を移した。
「あっしもですかい」
驚いたハリスンだが、「ああ」とアイリーンが頷いた。
「私は紅毛の彼より、貴殿の方に興味があるな」
アイリーンの見せた獰猛な笑みに、リタが思わず「だ、駄目です!」と振り返った。思わぬ乱入に、リズが「リタ、もしかして――」と口元を手で覆い、アイリーンもキョトンとした顔でリタとハリスンを見比べた。
「ち、違うんです。今のは――」
慌てるリタだが、アイリーンとリズは顔を見合わせどちらともなく吹き出した。
「心配するな。興味とはそういう意味ではない」
「リタ。そうだったならちゃんと言って下さい」
ニヤニヤとする二人を前に、リタが顔を赤くして「違うんです」と首を強く振る。ただどれだけ否定しても、いや否定すればするほどドツボにハマっていくものだ。
気がつけばソリの上は、女子トークへと変貌し、唯一当事者でありながら参戦できないハリスンは、肩身の狭い思いをしながら前を走るランディを羨ましげに眺めるのであった。
「ヤバい。寒い。これ俺のつま先あるよな?」
そんな事などつゆ知らず。ランディは一人、コタツのせいで薄着のままであった足先を心配していた。




