第166話 まあ被害者と加害者の構図のままですし
セドリックと合流した次の日、ランディは皆と一緒に、ヴァルトナー侯爵領の領都を目指していた。ここ数日不運続きであったランディを加えた一行だが、ランディの不運を吹き飛ばすような真っ青な青空である。
「晴れて良かったな」
「ですね。雪が降ると、多分もっと大変でしょうから」
微笑むリズは、冬休みの時に見せたあのモコモコ姿だ。しかもそれだけではない。帽子や耳当てとあの時以上の完全防備である。
発熱インナーをもってしても、それだけ厳重な防寒具を身につけている理由は、今のランディたちはソリに乗って移動しているからだ。
巨大なトナカイのような動物、フロストホルンと呼ばれる北国特有の魔獣が引くソリは、簡易的な雪よけの屋根と風よけがある程度で、荷室が完全に覆われているわけでは無い。つまり外気に晒されたままなのだ。
リズの話によると、ヴァルトナー侯爵領に入ってしばらくして馬車からこのソリに乗り換えたらしい。街道を覆う雪と氷に、通常の馬車は役に立たず、この地域での人や物の行き来は専らソリだという。
車輪に比べ、ランナーでの移動は非常に難しい。荷物が重すぎると引くことも、そして坂道での下りでの危険性も増す。そのため荷車の重さは必要最低限が、スタンダードである。
街中を走る高級ソリならば箱型の荷室もあるらしいが、アップダウンがある街道の移動では重い荷室は足枷にしかならない。
加えて御者に求められる技量も全く違う。雪の上を上手く滑らせる、そして大人しいとは言え魔獣を上手く操る技術は、ハリスンはもちろんのこと、侯爵家の御者ですら習得していない。
そのため一行はレンタルソリでの移動を余儀なくされ、こうして吹きさらしの荷室に、完全防備で乗り込んでいるわけだが……
「まさかこんな所にも商機が転がってるとはな」
呟くランディの横で、「そうですね」とリズが頷いた。二人共顔や頭は完全防備だが、足元はフロストホルンの毛皮でできたブランケットと、その下にキャサリン謹製のコタツを忍ばせている。
通常の旅では、温石を忍ばせるらしいが、一定温度を保ってくれるコタツの力はこの寒空の下で絶大だ。
これは売れる。間違いなく需要が転がりまくっている。
経験したからこそ見えるものがある。靴の文化でコタツなんて……と思ったが、想像以上に応用が効く。それを確認しただけでも、このソリの旅は有意義だ。
セドリックやキャサリンの頑張りを、上手くアシストせねばならない。そう思ったランディの目の前に、巨大な城壁が見えてきた。
「へー。あれがブランクルフトか」
遠くからでもよく分かる黒く大きな城壁は、周りに積もった白い雪とのコントラストでインパクト抜群だ。
「にしてもかなり賑わってるように見えるんだが」
目を凝らすランディには、城壁の下にいくつものソリが見えている。
「貴重な晴れですからね。物資の搬入出で賑わっているのでしょう」
リズの言葉に、ランディはヴァルトナー侯爵領の事情を思い出していた。ヴァルトナー侯爵領は高台にあるため、どうしても運河の展開が進んでいない。高低差のある地形はどうしても運河を作るコストも技術も高くなる。他にも様々な理由があって、物流は専ら陸路なのだ。
(高低差のある運河か……なんかそんなやつあったな)
うろ覚え知識では閘門式運河など出てくるはずもなく、何かあったな程度の記憶だ。そんなボンヤリとした記憶をランディが探っている間に、ソリは城壁のもとまでたどり着いた。
ソリがレンタル品なだけあって、外観だけではブラウベルグ侯爵家の人間や聖女が乗っているなど分からない。ミランダやレオンが門番へ事情とそれぞれの紋章を提示している間、ランディは前でウトウトするハリスンを突いた。
「お前もヴィクトールだ。って言ってきても良いんだぞ」
「何を言ってんですかい。こんな場所どころか、どこに行ってもヴィクトールの名前で通じたことなんてありませんぜ」
カラカラと笑うハリスンに「にゃろ」とランディが苦笑いを返した。事実ハリスンの言う通りで、ヴィクトールなど王国はおろか、公国ですらその名前が通じない場合があるのだ。
最近では冬休みの騒動のお陰で名前が知られたが、それでもまだまだ片田舎のモブ貴族なのは間違いない。セドリックやキャサリン、それどころか護衛についてきてくれた【鋼翼の鷲】の面々の方が、この場では間違いなく有名なのだ。
事実セドリックやキャサリンの乗る二台のソリに付随するように「護衛の方も――」と【鋼翼の鷲】と同列に語られている始末である。
彼らのソリと並んで別の門から通されるランディに、レオナードが苦笑いを見せた。
「……【ランディ探検隊】。貴族の嫡男だったよな?」
「まあ付き人なのは間違いないので」
苦笑いを返すランディの言う通り、今回のメインはあくまでもキャサリンとセドリックだ。ランディとリズは、セドリックとキャサリンとの間の緩衝材の役目に過ぎない。
それすらこの十日を超える旅路の中で、必要性がなくなってきているのだ。
そんなメインの二人が乗るそれぞれのソリを先頭に、ランディ達オマケが続く形で巨大な城門を通り抜けた。
「こりゃすげーな」
ランディ達の目の前に広がるのは、積もった雪を溶かすほどの活気ある街の様子だった。
幾つものソリが行き交い、通りに面した店からは暖かそうな湯気が幾つも立ち上っている。それだけでここに至るまでに冷えた身体が、暖かいものを欲して店に吸い込まれてしまいそうだ。
「寒いのに皆さん元気なんですね」
リズも楽しそうに周囲を伺っている。南の国で育ったリズからしたら、この寒さに負けない人々の活力は驚きだろう。もちろんヴィクトールで寒さにある程度は慣れていても、こんな雪化粧の大都市を見るのは初めてだろう。
「いいな。エルデンベルグ※でも思ったが、ヴィクトールもこんな活気ある街にしてーな」※カメラの感光液確保のために立ち寄った街。冒険者が多く活気に溢れていた。
ランディの言葉にリズが頷いた時、通りの向こうから数人の騎士が乗るソリが走ってきた。ソリの先頭で腕を組んでいるのは、短いアイスブルーの髪が特徴的な甲冑姿の女性だ。
走るソリに周囲から「姫様だ」と声が聞こえてくることから、間違いなくあの女性はヴァルトナー侯爵の娘の一人なのだろう。
騎士たちが乗ったソリがセドリック達の前に到着し、先頭の女性が飛び降りた。
「久しいな。セドリック。それにミランダも」
キラリと光る歯が美しい。短く切り揃えられた髪と騎士甲冑も相まって、姫というより王子に見えてしまうような格好良さだ。
「久しぶり」
「お久しぶりです。アイリーン様」
挨拶を返す二人だが、アイリーンと呼ばれた女性は不服そうにミランダを見ている。
「同期なのだ。様はよせ」
眉を寄せるアイリーンに、ミランダが「卒業しましたので」と首を振って立場をわきまえねばならないことを説いた。
「ミランダ……お前はそうやって融通が利かないから、いつまで経っても男が出来ないんだ」
ピシッと音が入った気がした。それくらいランディには、この寒い空気が一気に張り詰めた気がしたのだ。実際隣のリズも斜め前のリタも「ゴクリ」と唾を飲み込んで事態を見守っているのだ。
「アイリーン……私が真面目なことと、彼氏が出来ないことに何の関係が?」
「おや? 立場はどうしたんだ?」
「あなたは生涯騎士でしょうから、立場は変わらないかと思いまして」
生涯を騎士として過ごす。つまり結婚しないと言っているのだろうが、結婚せずとも侯爵令嬢という立場は変わらないのだが……ランディは、その言葉を飲み込んだだけ偉い。と内心自分を褒めている。そのくらい目の前で笑い合うミランダとアイリーンの間に流れる空気は張り詰めているのだ。
「ランディ……お二人の後ろに竜が見えます」
「奇遇だな。俺もだ」
小さく頷いたランディの視線の先では、セドリックが「やれやれ」とため息をついている。どうやら彼の反応を見るに、学生時代から二人はこうなのだろう。
確かに火花が見えそうな程の睨み合いではあるが、よく見るとどこか二人とも楽しそうだ。そう思えば二人の髪色が似ている事も相まって、仲の良い姉妹喧嘩に見えなくもない。
「そろそろ学生時代の決着をつけるか?」
「決着も何も、戦績は私が勝ち越していますが?」
ミランダが勝ち誇ったように笑っているが、アイリーンは「いや。最後のあれは無効だ」と首を振った。二人の間に何があったかは分からないが、それでもミランダと引き分けるくらいには、アイリーンが強い事は確定したわけだ。
楽しそうな三人と対象的に、青い顔で緊張しているのはキャサリンだ。なんせヴァルトナー側が静かだったとは言え、実際にアイリーンの婚約者であるアーサーを誑かしていた過去があるのだ。
相手がこんな女傑となると、顔も青くなってしまうことだろう。そう思ってため息をついたランディだが、ふと思い出してキャサリンへ話しかけた。
「お前、乙女ゲー詳しかったんだろ? ならアイリーン嬢も知ってるんじゃねーの?」
乙女ゲーで知ってるなら、相手が化け物令嬢なことくらい知ってたろ。そう囁くランディに、「知ってるわよ」とキャサリンが呟いた。
「【氷の舞姫】アイリーン・フォン・ヴァルトナー。『うせやろ』でも重要人物だもの」
キャサリンが語るのは、アイリーンの乙女ゲーでの立ち位置だ。アーサーエンドもしくは逆ハーエンドに持って行くには、アイリーンを倒さねばならないという。
「なにそれ。どこの戦闘民族?」
「アンタが言う?」
呆れ顔のキャサリンに、「ウチは関係ねーだろ」とランディが口を尖らせた。
「アイリーンは強いわよ。それこそゲーム中盤以降に戦うから、こっちも色々強化されてる。それでも苦戦するもの」
じっとアイリーンを見つめるキャサリンの瞳には、ミランダやセドリックと楽しげに会話を交わすアイリーンの姿が映っている。
「でもそれ以上に、彼女の父親の――」
「それで……君がそうか?」
キャサリンの呟きを遮ったのは、視線を向けたアイリーンだ。いつの間にかセドリック達との会話が終わったのだろうアイリーンが、キャサリンを見て意味深な笑みを浮かべた。
「我が婚約者を誑かせていたという、傾国の魔女殿は」
表情を強張らせるキャサリンを前に、アイリーンが獲物を見つけた肉食獣のようにまた笑顔を浮かべるのであった。




