第165話 甘々からの落差
リズやエリーと早めに合流したランディだが、北へと転移する頃には既に日も傾きはじめていた。予定よりも早く二人が来たため、準備が終わっていなかったのだ。
必要なものを買い揃え、荷造りもし――ランディは当日に準備するタイプ――夕方になって、ようやく転移できる目処が立った。
「悪いな。早めに来てもらったのに」
心底申し訳ない。そんな気持ちで頭を掻くランディに、「いえ」とリズが首を振った。
「買い物も準備も、楽しかったので大丈夫です」
ランディにはリズの笑顔が眩しい。確かに久しぶりに三人でウロウロする王都は楽しかった。暗部や帝国からの監視もなく、ノンビリとした王都散策は、ここ最近のゴタゴタを吹き飛ばしてくれた。
もちろんその後の準備もだ。エリーとリズに「なぜ当日に準備するのか」と小言こそ貰いながらも、そのバタバタとした雰囲気は、久々に日常が帰ってきたと実感できるものだった。
「それに私たちも早く会いたかった――」
微笑んだリズだが、急に顔を赤らめブンブンと首を振った。
「あ、会いたかったというのは、ランディが元気か心配で……ほら。テ、テストも――」
あたふたする珍しいリズに、ランディは思わず吹き出した。
「俺も早く会いたかったし、ちょうど良かったな」
笑顔を見せたランディに、リズの顔面温度が急上昇し……
「何をイチャついておる」
……しかめっ面のエリーが召喚された。
「イチャついてねーよ」
眉を寄せるランディに、「フン」とエリーが鼻を鳴らした。何ともエリーらしい態度に、ランディはまた思わず笑みがこぼれた。
「お前には悪いけど、今だけはまだ身体が見つかってなくて良かったぜ」
その言葉にエリーが眉を寄せるのだが
「ほら。リズと一緒にお前の顔も見られたろ? 身体があったら、お前絶対帰って――どうした?」
ランディの不意打ちに、今度はエリーが顔を赤くした。
「た、戯けめ! 妾の顔も何も、リズと一緒ではないか」
「一緒じゃねーよ。全然違うんだぞ。例えば――」
「ええい! もう良いわ」
頬を膨らませたかと思えば、入れ替わりでまたリズが現れた。
「怒ってる?」
「スケコマシなぞ知らん。だそうです」
苦笑いのリズに、「コマしてるつもりはねーんだが」とランディがため息をついた。
「早く会いたかったのは、本心なんだがな」
またため息をついたランディに、「そ、それは分かりましたから」とリズが頬を掻いた。
「そろそろ行きましょうか。皆さん心配してるといけませんし」
「だな。セドリック様に土産話もあることだし」
謎の集団に第四皇子と、ランディは相談したいことが盛りだくさんなのだ。
「忘れ物はありませんね?」
「制服もいらねーし、大丈夫だ」
以前特大の忘れ物をしたランディなだけに、今回はリズも手伝って何度も確認したので問題ない。
「それじゃあ行きましょうか――」
リズの転移により、ランディは光に包まれた。
☆☆☆
「……なんでこんなに遅いのかな?」
転移先には、腕を組んだまま顔をしかめるセドリックがいた。
「お兄様、なぜこちらの宿に?」
「お嬢様が心配で、昼過ぎからずっと待っておられますよ」
苦笑いのリタと呆れ顔のミランダ。
「仕方がないだろう。王都へ行ったきり、帰ってこないんだ」
頬をふくらませるセドリックが、「何かに巻き込まれたのかもって心配するよ」とリズに視線を向けた。
「すみません。私の準備が終わっていなかったもので……」
頭を下げたランディが、リズと買い出しや準備をしていたことを話した。
「……ホントにそれだけ?」
「はい?」
首を傾げるランディに、セドリックが一歩詰め寄った。
「ホントに準備と買い出しだけ?」
圧を感じるセドリックの言葉に、「え、ええ」とランディが頷いてリズを見た。リズも怪訝な表情をしながら、「あとは一緒に、お昼を食べたくらいでしょうか」と付け加えるが、それは王都散策に入っている。
「そうか。なら良いんだが……」
ホッと一息ついたセドリックに、ランディとリズが顔を見合わせ首を傾げた。今もブツブツ呟くセドリックを訝しんだランディが、「どうしたんです?」とミランダへ向き直った。
「私の口からはとても……」
苦笑いのミランダだが、それ以上は何も口にしない。だがランディの野生の勘には、ミランダの苦笑いだけで十分だった。
「そーいえばハリスンは、どこに行きました?」
一瞬肩を跳ねさせたミランダに、「やっぱりか」とランディがため息をついた。事実ランディの予想通りで、ハリスンが、「久々の再会っすからね。しかも誰もいない家に、若とお嬢だけ」などと意味深な事を言うものだから、セドリックがやきもきしていたのだ。
「私はリタと一緒に、キャサリン様のところへ顔を出してきますね」
リズがお菓子の袋を持って部屋を後にする。そんな背中を見つめていたランディが、セドリックへ向き直った。
「まあハリスンへの尋問は置いといて……」
ランディがもう一度ため息をついた時、ようやくセドリックも落ち着いたようでにこやかな笑みを浮かべていた。
「セドリック様……少々見てもらいたいものが――」
ランディがマジックバッグから取り出したものは、あの全身タイツだ。
「なんだい……これは?」
首を傾げるセドリックに、ランディは自分が襲われた時の事と、襲撃者がこの服を着ていた事を告げた。
「この部分……薄っすらとですが、紋章のような模様が――って、あれ?」
タイツの裏側を見せるランディだが、セドリックをはじめ全員が固まったまま黒いタイツを見ている。
「とんでもない連中に襲われたね……」
「ええ。まさかこんな――」
驚くセドリックとミランダの様子から、連中がかなり大物らしいとランディが予想を立てた時、
「これを着てたって、言ったね。全身タイツの集団か。聞いたことはないが、多分、いや間違いなく変態だね」
「なんというか。ご愁傷さまでした」
セドリックとミランダの驚いていた場所が、斜め上だった。確かにランディも「奴らが着てた服です」としか言ってない。とは言え、ランディからしたら、全身タイツで走り回る刺客がどこに居る。と言いたいところだろう。
ちなみにランディ自身が全身タイツで走り回っているのだが、ランディの中ではノーカンだ。
「全身タイツの集団……。ミランダ聞いたことはあるかい?」
「いいえ。全く――」
今も驚いたままの二人の会話を、ランディは「言葉足らずでした」と遮って続ける。
「これは連中が着ていた服を、私がリメイクしたんです」
「リメイク? 何のために?」
「そりゃ、着るために決まってるでしょ」
眉を寄せるランディに、セドリックが「ヒェ」と声を漏らした。相手の身包みをはいで、それを全身タイツへとリメイクして着るのだ。事情を知らず、場面だけを想像したら、セドリックのような悲鳴が出てくるのは必至だろう。
「ランドルフ君……もしかしてリザと離れ離れになったら、禁断症状とか出るタイプ?」
ドン引きのセドリックにようやくランディも、面倒な勘違いが起きている事を理解した。ランディは慌ててそれを否定して、謎の集団による拉致からの全滅事件を、詳細に説明しはじめた。
「……なるほど。それでこんな形になったと」
「災難でしたね」
セドリックもミランダも、顔に同情の色を浮かべるのだが、どうもランディが拉致されたことより、このタイツを着てウロウロしたことに、同情されているように見える。
「服が燃えたとして、この形に作り変えるかい?」
「分かりません。ランドルフ様は、私のような凡人では理解できる器ではありませんから」
褒められているようで貶されている。そんな微妙な評価を前に、苦笑いのランディが咳払いで二人の注意を自分に向けた。
「話を戻しても良いですか?」
「あ、ああ。すまない」
頷いたセドリックに、「先ほども言ったのですが」とランディが、タイツの一部にある紋章のようなものを指した。ほとんど消えかかっているが、薄っすらと見えるそれは……
「帝国の国章だね。それとヴァルトナー侯爵家の紋章も」
「やっぱり」
……胸に太陽が描かれた双頭の鷲。ランディですら知っている帝国の国章と、もう一つは盾を抱えるグリフォンの紋章だ。ランディはグリフォンの紋章を知らなかったが、恐らくヴァルトナー侯爵家のものだろうと、当たりはつけていた。
「紋章二つ。それぞれ別の服の切れ端ですが、これ見よがしに〝ヴァルトナー侯爵と帝国が仲良くしてる〟って感じに見えますね」
ため息混じりのランディに、「恐らくそれが目的だろう」とセドリックがため息を返した。普通に考えれば、刺客が所属を示すような物を着用する事はない。彼らは影に生き、影に死ぬ定めだ。万が一自分の主人に火の粉が被るようなヘマはしない。
故に普通なら、「何だこれは」と一蹴すべき証拠なのだが……セドリックが語るのは、彼が入手した〝ヴァルトナーと帝国が手を結んでいる〟という情報の事だ。
「こんなタイミングで、ですか?」
「出来すぎだろ?」
肩をすくめるセドリックが続けるのは、ミランダとあの交わした考察だ。
出来すぎたタイミング。
王国政府ではない理由。
そしてヴァルトナー側にも、デマが回っている可能性。
それに加えて今回のあからさまな証拠だ。
「ここまであからさまだと、情報も相まって裏の裏を読みたくなるね」
セドリックが言うのは、ヴァルトナーと帝国が手を結んでいるという情報のせいで、わざとらしい証拠が、ブラフに見せかけた本当だと勘ぐりたくなる事だ。
普通は証拠を残さない。それが残っている。なら誰かが両者を嵌めている。
本来ならそう結論付ける所に、彼らが手を結んでいるという情報が混じれば、嵌められたふりをして、本当に手を組んでいるのでは……と勘ぐりたくもなるものだ。
しかもそれぞれの国章と紋章だ。仮にこれが両者を騙った狂言で、どちらかの耳に入ろうものなら……リスクしかない下手なブラフは、どうしても両者の影をチラつかせる。
「よほどヴァルトナー侯爵家を、王国内部で孤立させたいのか……」
呟くランディだが、自分の言葉にわずかな違和感を覚えている。相手はヴァルトナー侯爵家を孤立させたいというより、もっと違う目的がありそうな気がしているのだ。
「今はまだ情報も何もかもが足りていない……だけど――」
黒タイツを見下ろしたセドリックが、「だけど」ともう一度呟いた。
「結果論だが……ランドルフくんが、連中に連れて行かれて良かったかもしれないね」
真剣な表情のセドリックが続けるのは、死体が街中にでも残ろうものなら、服に施された紋章のトラップで、政府に偽の情報が渡る可能性があった事だ。
「つまり襲撃自体、成功しても失敗しても黒幕には良かったわけですね」
「そうなるね。もし彼らの死体が暗部に接収されていたら……」
そうなれば、連中が流した帝国とヴァルトナーとの関係に、妙な信憑性が出てしまう。暗部とて裏の事は自分たちの領分だ。証拠を残さない当たり前を、こうもぶち破ってこられたら、逆に疑いの目を持つきっかけにはなる。
「今回これを回収できたのは大きかったけど……」
「逆に我々に回収させたかった可能性も、ですか」
もう一度大きなため息をついたランディに、「だね」とセドリックも頷いた。
今まで立てた仮説。ブラフを使った揺さぶりを、ランディやセドリックに対しても行っている。相手からしたら情報を拾った人間を、疑心暗鬼にすることが一番の目的とも言えるかもしれない。
「こういう時は、一旦リセットしましょう。先入観が一番の敵でしょうし」
ランディの言葉にセドリックも黙って頷いた。
「実際にヴァルトナー侯爵に会えば、色々と見えてくることがあるでしょうから」
「向こうが我々に対するデマを、鵜呑みにしていない事を祈るよ」
こうしてセドリックと合流したランディは、これから始まるだろうタフな交渉の予感を、吹き付ける北風に感じるのであった。




