第164話 男子三日合わざれば……って言うけど、女子の成長も凄い
監視も追い払い、飲みたかった炭酸も堪能したランディは、翌日の朝から学園を休み家の掃除に勤しんでいた。
予定では今日の夕方に、リズとエリーが迎えに来ることになっている。侯爵家から何かのトラブルに巻き込まれたなどの連絡もない。北への旅路が順調ならば今日の夕方には、ヴァルトナー侯爵領の領都であるブランクルフトの手前までたどり着くはずだ。
だが長かった旅路の終わりは、新たな商談と謎の組織との戦いの幕開けでもある。だがランディも今だけは、それらを忘れて一心不乱に掃除に精を出している。
別に深い意味はない。単純に彼女を家に呼ぶ時のあの心境に近い。
三人の――ハリスンもリタもいるが――家だが、久々に帰って来るリズとエリーのために、少しでも気持ちよく迎え入れられるよう、ランディは朝から雑巾や箒を片手に家中を走り回っていた。
流石にリズとエリーの部屋やリタ、ハリスンの部屋を掃除する事は出来ないが、リビングやキッチン、ホールや階段など共用部分くらいは綺麗にしておかねばならない。
「これ結構な重労働だな……」
やってみたら分かる掃除の大変さに、ランディは床の上に腰を下ろした。もちろん普段からちゃんと掃除をしていたら、ここまで大変ということはない。それでもリタやハリスンのお陰で、いつも家が綺麗に保たれている事実には、頭が下がる思いだ。
「もうちょっと、頑張るか」
再び雑巾と箒を持ったランディが、階段を上がろうとしたその時、ホールの中央によく知る気配が現れた。何も無いところから、急に飛び込んできた気配は……
「リズ?」
……ランディが間違うはずもない、リズのものだ。
そしてリズもまさかこの時間に、ランディが家にいるとは思っていなかったようで、驚いたように「ランディ?」と振り返って声をあげた。
「お、おお。おお」
良く分からない感嘆符とともに、ランディがホールへ降りるが、手には雑巾と箒だ。それらを一旦棚に戻し、キッチンで手を洗ってきたランディが、リズを迎え入れるように笑顔を浮かべた。
「お帰り。ん? お帰り、なのか?」
「どっちでも良いじゃないですか」
微笑むリズが「ただいま、です」とその頬を染めてはにかんだ。
「元気にしてたか?」
「はい」
大きく頷いたリズが、「ランディこそ」とランディを見上げた。
「俺の方も……まあ、色々あったが元気だぞ」
ニヤリと笑ったランディが、「エリーも元気そうだな」とリズに顔を近づけた。
顔を赤くしたリズが、その気配をエリーと入れ替える。
「近いわ。この戯けめ」
ランディを押しのけるエリーだが、ランディに「やっぱ元気だな」と笑顔を向けられると、若干頬を赤らめて顔を背けた。
「それにしても、思ってたより早かったんだな」
「ああ。兄御が言うには、ここ数日天気が良いらしくての。予定より早く目的地についたのじゃ」
「へー。そりゃ良かった」
王国の北部というだけでなく、標高も少し高いヴァルトナー侯爵領は、この時期では雪が道を覆い、旅の日程が遅れることの方が多い。それが晴天に恵まれて予定が早まったのは、非常に幸先が良いと言える。
ランディなどこの十日間、テストは上手くいかないし、拉致されるし、良く分からない男に絡まれるしで散々だったというのに。
「お主の方はどうなのじゃ? こうして部屋を掃除するあたり、大方乱痴気騒ぎでもしておったのか?」
ニヤリと笑うエリーに、「まあ…ある意味では騒ぎだな」とランディが苦笑いを返した。そこからランディがエリーをリビングに誘導して話したのは、ここ数日あった事件の数々だ。
侵入者に始まり、帝国の元第四皇子と【二代目剣聖】の襲来。
「たった十日で散々な目に遭ったわ」
大きくため息をついたランディが、「悪いな。侵入を許しちまって」とリズとエリーのお気に入りの紅茶や諸々は、既に破棄している事を告げた。
「仕方がないのう。留守にする以上、侵入のリスクは分かっておったことじゃ」
ため息混じりのエリーが、「下着類は全て持ち出していて正解じゃったの」と背もたれに身体を預けながら、自身の中に語りかけている。
「そうか。そりゃ良かった」
一先ず安心したランディだが、出来れば残っている衣類関係は、全て破棄したほうが良いだろうことを告げた。ランディやハリスンならば、ある程度毒などへの耐性はあるものの、リズもエリーもその辺りは未知数だ。
相手がどんなトラップを仕掛けているとも限らない。
「そういやトラップ繋がりで、俺の部屋の扉を開けたら眠りガス、ってのがあったな」
思い出されるのは、どうやって発生させたか不明なトラップだ。
「ふむ。もしやとは思うが……、もう残ってはおらんじゃろ」
一瞬だけ興味を示したエリーだが、一旦箪笥やその他諸々の整理をしてくる、と席を立った。
そうして待つことしばらく……どこか満足そうなエリーがリビングへまた現れた。
「……なんで笑顔?」
首を傾げるランディに、エリーが「これじゃ」と一枚の紙を差し出して、ソファへとまた腰を下ろした。
「ナニコレ?」
更に首を傾げるランディには、いわゆる魔法陣っぽい物が書かれた紙にしか見えない。ランディからしたら魔法を放つ時に一瞬だけ見える、何か格好いいアレである。
だが記憶をたどる限り、この世界に〝魔法陣〟と呼ばれるものも、それを紙に描いたものも無かったたはずである。唯一近いものとしたら、魔導回路くらいだ。
「魔導回路……とは違うのか?」
「魔導回路や現代魔法の元になった廃れた技術じゃな」
エリーが簡単に続けるのは、はるか昔の技術だ。
「もともと魔法とはこういった陣を描き、魔素に働きかける技術じゃ。それを簡略化し、個人に落とし込んだものが、現代魔法であり、陣そのものが、魔導回路と名を変えて発展した、と思えばよい」
「魔法発動の瞬間、これに似たのが現れるのは――」
「可視化された制御機構、とでも思えば良い」
エリーの顔を見るに、かなり噛み砕いて説明してくれているようだが、ランディからしたら「日本語でOKだよ」と言いたい所だ。だがそれを口にすることはない。ただ「ふーん」と分かったふうな顔で頷くだけだ。
「……ランディ、分かっておらんじゃろ」
「分かってるし」
ジト目のエリーが、「まあよい」と紙を光に透かした。
「条件つきで発動する魔法陣か」
「やっぱ魔法陣って言うんだな」
エリーが「面白い魔法陣じゃがな」と言いながらも嬉しそうに語るのは、紙に描かれているのは魔導回路と古代の魔法言語だ。どうやら、強い魔力に反応して、この紙にセットされた魔法が発動するらしい。
「恐らくお主を眠らせた魔法も、これに似たタイプじゃろう」
「強い魔力なんて、使ってねーんだが?」
「ならば、予め魔力を込めた物を扉に仕掛けをしておったのじゃろう。開くと回路が通じて魔法が発動するか。もしくは、回路を塞いでおった何かが外れるか」
興味深い顔で、魔法陣が書かれた小さな紙を見つめるエリーに、「そんな事出来んのか?」とランディが眉を寄せた。
「妾を誰と心得る」
鼻を鳴らしたエリーが、古代の魔法陣をベースにした全く新しい面白い技術だと思うが、種さえ分かればルーンより簡単だと言う。
「そうじゃな……折角じゃ。リズの成長を見るがよい」
ニヤリと笑ったエリーが気配を消して、リズが現れた。
「扉と連動した魔導回路システムですか……」
少し考え込むリズだが、虚空から取り出した紙に、サラサラと魔法陣を描いていく。それを見るランディは真剣そのものだ。確かにリズは魔導回路も描けるが、エリーをして新しいと言わしめた技術を、いきなり再現できるのだろうか、と。
一旦書き終わったリズが、「私なら、こうします……かね」と魔法陣と繋げるように、別の小さな魔法陣を書き足した。
「効果は音が鳴るようにしました」
リズが笑顔で説明するが、ランディには何のことかほとんど分かっていない。どうやら魔力を最初に込めるのだが、横に書き足した魔法陣が、その魔力をプールして元の魔法陣への供給を阻止している……らしい。
説明が終わったリズが、「この辺でしょうか」と扉のヒンジに小さな魔法陣がかかるように紙をセットした。
「これで、扉を開けると――」
リズが勢いよく扉を開けるが……魔法陣がハラリと落ちるだけで何も起こらない。少々顔を赤くしたリズが、魔法陣を拾ってそそくさとソファへと帰ってきた。
「ほ、本当はここが破れる予定だったんです」
小さくなったリズが、メインの横につけた魔法陣を真ん中から破った。途端に、紙から「ピー」と小さな音が鳴り響いた。
「こりゃ驚いたな」
「はい。エリーも感心してます。『こんな燃費の悪い技術を使うとは』って」
リズやエリーの言う通りで、魔法陣にしろ魔導回路にしろ、それらを描くのには媒体と時間が必要だ。魔術的な媒体は、得てして高価になりがちである。それを使い捨てにするのは、非常にコストが高く、そして準備にも時間がかかる。
「つーことは、これを復活させるだけの知識があって……」
「無駄遣いできるだけの、資本もある……ですね」
相手が間違いなく国家レベルなのは確定した。いや、最初から帝国だろうと踏んでいたが、それが保証されてしまった事に流石のランディも「面倒くせー」と天井を仰いでしまうものだ。
「それにしても、その小さい魔法陣は何の効果があるんだ?」
「これは……毒ですね」
「毒?」
眉を寄せたランディに、リズが語るのは連中が仕掛けていたのが、箪笥に残してきた服のポケットらしい。
「侵入に気づけば、箪笥の中身は破棄するでしょう」
「何かに汚染されてるかもしれない服なら――」
「大体が燃やすでしょうね」
リズの言う通り、古着屋などに出回って事故が起きるのを防ぐために、焼却が一番手っ取り早い。
「その時、ファイヤーボールでも使おうものなら」
「ボン。ってなわけか」
何とも陰湿な置き土産だ。だがそれもバレてしまえば問題ない。その場で魔法陣を引き裂いて全てを無効化する。
「そもそも汚染されていたとしても〝浄化〟でどうとでもなるんですけどね」
苦笑いのリズに、「ああ。確かに初代様がいるしな」とランディも苦笑いだ。
「とにかく、また留守中に侵入されても困りますし、家全体をルーンで保護しておきましょうか」
「……もはや相手が可哀想になってきたな」
技術を再現され、それを超える叡智で家を守られる。止まらない苦笑いのランディを前に、「すぐ済ませますね」とリズが立ち上がり、扉や、窓などにルーンを施していく。
そんな頼もしいリズの背中を見ながら、ランディはふと連中が言っていた〝累唱〟という言葉を思い出していた。
――古文書に記されし、累唱と呼ばれる魔法技術
「まさか使えたりしねーよな……」
呟くランディが、エリーだけでなくリズが、その技術を体得していると知るのは、もう少し先のお話。
☆☆☆
一方その頃――
「ねえ。なんでリザは戻ってこないのかな?」
「さあ。積もる話があるんじゃねーですかい?」
「ここで、皆で話したらいいじゃん」
「それをあっしに言われても……」
「やっぱ皆で帰るべきだったんだよ!」
中々帰ってこないリズとランディに、セドリックは一人やきもきしていた。




