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【書籍1巻発売中】モブの俺が悪役令嬢を拾ったんだが〜ゲーム本編無視で、好き勝手楽しみます〜(旧サブタイトル:ゲーム本編とか知らないし、好き勝手やります)  作者: キー太郎
断章 冬のヴィクトール

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第163話 閑話 物理と化学

 ルーク、セシリアと分かれたランディは、大衆食堂で腹を満たし、少なくなった監視を引き連れ自宅へと戻っていた。晩飯も食い、風呂にも入ればあとは特にすることはない。


 特にすることはない。は実際嘘だ。本来ならば学生の本分である勉学に、終わりなど無い。試験こそ終わったが、それはリズやキャサリンに比べると出来たと言えるレベルではないのだ。


 終わった物を見直して、間違えた所を復習する。それだけでも全然違うのだが、ランディはどうもそんな事をする気にはなれない。……いや、それが出来ていたら、ランディがここまで試験で苦労する事などなかったのだろうが。


 とにかく手持ち無沙汰なランディは、ボーッとリビングの天井を眺めていた。


(コタツに関しては、勝手に色々変更できねーし……なんか手軽に作れる物がねーかな)


 手持ち無沙汰だから、何かを作ろう。そんな発想が出るあたり、ランディらしいと言える。


(そうだ。前々から欲しかった炭酸水を作ってみるか)


 ポンと手を打ったランディだが、そんなお手軽に作れるものではない。だがうろ覚え知識しか無いランディだ。とりあえずやってみるか、の精神で早速準備に取り掛かった。


「こんなもんかな?」


 準備したものは、コップ、水、そしてストローだ。

 もう一度言おう。コップ、水、そしてストローだ。


 何とも短絡的な思考。炭酸水は、水に二酸化炭素が溶けているもの。その知識だけで、「じゃあ、二酸化炭素が多く含まれる息を、スゲー勢いで水に吹き込んだら、炭酸水出来るんじゃね?」という、馬鹿もビックリな発想である。


 色々問題しかないが、一番の問題は呼気である。呼気に最も多く含まれる気体は窒素だ。だがランディの頭の中から〝窒素〟という存在が抜け落ちている。勉強のしすぎに加え、腹の探り合いをした反動だろうか、今ランディの脳内では「吸う=酸素」「吐く=二酸化炭素」という超単純な式が幅を効かせているのだ。


 そして悲しいかな、それを止める人間がこの場にはいない。


 そうして馬鹿による馬鹿のための馬鹿みたいな実験が幕を開けた。


 キッチンでコップに水を注ぎ、ストローを突き刺して、「ブクブクブク」とさせる。そこでランディはようやく気がついた。


「……こぼれるな」


 ……違う。問題はそんなことではない。こぼれるこぼれない以前に、そもそも呼気で炭酸が出来るなら――


「外でやるか」


 こぼれるならせめて蓋をつけろ。外でそんな事をやり始めれば、完全に変質者だ。だが脳のスイッチをオフにしているランディを止めるものが……以下略である。


 そうして止めるものもいないまま、ランディは玄関先で、コップに溜めた水をブクブクとやり始めた。何ともシュールな光景である。一九〇センチを超える偉丈夫が、暗い寒空の下、コップの中身をブクブクするのだから。


 だがそうすること暫く……「お」とランディが気配に気がついて顔を上げた。ランディを見張っていただろう監視が、すごい勢いで遠ざかっていくのだ。


「よしよし。馬鹿の振り作戦成功だな」


 笑顔のランディに、まさかそんな思惑があったとは……「蓋をつけるくらい、思いつくぜ」立ち上がったランディは、やはりランディであった。


 そもそも蓋を付けたところで以下略なのだが、「寒い寒い」と言いながらリビングに戻ったランディは、早速ガラスコップを改良して蓋を取り付けた。否、クラフトで密閉ガラス容器へとコップを作り変えた。唯一ストローを刺す穴があるだけで、継ぎ目の一切ない容器へ。


 そこにストローを差し込んだランディが、思い切り息を吹き込んだ。


 竜と戦う男の肺活量が、ガラスのコップを粉々に砕く……飛び散った水とガラス片。濡れるランディ。ランディの手から滑り落ちたガラスの一部が、「パリン」と情けない音を響かせてしばらく。固まっていたランディは、無言でストローをゴミ箱へと放り投げた。


 黙ったまま一人で床を拭き、ガラスを片付けたランディは「もーやらねー」とソファの上に横になった。


「ンだよ。割れるって……」


 ブツブツ呟くランディが、「あーあ」と寝返りを打って天井を見上げた。


「炭酸飲みてーなー」


 この世界にエールはあるが、発酵の過程で入る微妙な炭酸があるだけで人工的に炭酸を封入することはない。お菓子や紅茶、ワインといった乙女ゲーに必要そうなキラキラしたアイテムは充実しているのに、エールなどの庶民の飲み物は全く充実していないのだ。


 製造過程で混入する微炭酸を、密閉性の悪い容器が放出し、手元に届く時はほとんど気の抜けた飲み物になっている。


 そんな世界に、炭酸を飲んで「カーッ」という文化などあるわけもなく……元現代人として、炭酸に飢えているのは事実だ。


「二酸化炭素をスゲー圧力で入れるんだよな」


 呟くランディだが、そのスゲー圧力に自身の肺活量を選択する辺り、ランディである。


「そうか。ガラスだと容器が耐えられねーのか」


 手を打ったランディが、机に放りだしていたマジックバッグから、いつもの鉄塊……ではなく、白銀に輝く金属を取り出した。ファンタジー御用達の不思議金属ミスリルである。

 最近クラフトの精度が上がり、ランディの少ない魔力でもミスリルを加工できるようになったので、鉄塊と入れ替えたのだ。


 理由は単純、ミスリルが腐食に強いから、である。


 様々な事に応用する塊なだけあって、耐腐食性が高い素材の導入は必然だ。


 そんな軽量かつ頑丈なミスリル塊の一部をランディが、容器に変換し、キッチンへ戻って新たなストローを取り出した。


 水を入れ、容器に蓋を取り付け密閉。ストローも差して、準備万端。まだ肺活量でなんとなかなると思っているが、その行動力だけは褒められるかもしれない。


 大きく息を吸ったランディが、思い切り息を吹き込んだ。それでもビクともしない容器に気を良くしたランディが、また思い切り息を吹き込む。何度も、何度も。


 そうして息を吹き込むことしばらく、「もう良いかな?」とランディが蓋を開け、中身を別のコップへ移した。


「お、ちょっとだけシュワシュワしてるような……」


 見間違いだろう。この程度で炭酸水が作れるなら……


「あ、ちょっと喉越しがある……かも」


 ……作れることもあるらしい。何と馬鹿げた肺活量か。いや冷静に考えれば〝そんな気がする〟という思い込みで、炭酸水の喉越しを味わったのが正解か。とにかく本当に作るには、高濃度の二酸化炭素と安定した高い圧力が必要なのは間違いない。


 どうやらランディもその考えに至ったようで、急ぎ自室へ駆け上がると、黙ったまま図面を引き始めた。


 構造的には太い注射器である。大きなピストンと、注射器にしては太めの針。図面を見る限り、その注射器モドキが容器の蓋代わりにセットされる。


 そして水をいれる側の容器には、小さな空気穴が数個。非常に簡単な構造だが、出来上がった図面と、「確かこの辺に……」と防腐処理を施し、綺麗になめした巨大ヴァリオンの革の一部を引っ掴んでまた階下へと急いだ。


 ミスリル塊を図面のように成型し、ピストン部分のパッキンに、頑丈で弾力性のあるヴァリオンの革。すぐに出来上がった機構に、ランディは容器に水を入れて注射器型蓋を閉めた。


 接合部分もクラフトで完全密閉し、ランディにしか作れない容器が出来たが、今は仮説の検証なので容器の製造過程はどうでもいい。


 そうして小さな穴からストローを差し、その隙間も綺麗に塞ぐ。出口はストローだけの容器からランディがゆっくり息を吸い込み……ランディがゆっくり呼気を吹き込む。何度も何度も中の空気を吸っては吐いてを繰り返す。ランディの呼吸に合わせて、ピストンが上下するのでしっかり密閉は出来ている。


 ランディは今、単純に二酸化炭素の濃度を上げているのだ。


 そうして何度か繰り返し、ちょっと苦しくなってきたランディが「良いかな」と穴を完全に塞いで、ピストンを上から思い切り押し込んだ。


 ギュゥゥウウウ

 ボコボコボコボコボコ


 とパッキンが上げる悲鳴と、容器の内側で勢いよく水が撹拌される音が室内に響き渡り、「……こんなもんかな」とランディが密閉していた蓋をクラフトで取り払った。


「どうだ――」


 再びコップに水を注ぐと……今度はわずかだがシュワシュワと小さな気泡が水の中に見て取れる。


「お、おお! おお!」


 それを見たランディが小躍りして、水に口をつけた。


「スゲーぞ! 抜けかけた超微炭酸だけど、炭酸だ!」


 ランディの呼気から作った、ランディ印の炭酸水。恐らくランディ以外誰も飲みたがらないだろうが、それでも炭酸水をこの短時間で手に入れたランディは満足げだ。


「これ、何回か同じこと繰り返したら、もっと強い炭酸になるんじゃね?」


 そんな発想で、また同じことをランディが繰り返す。何とも地味で見栄えの悪い作業だ。特に一度押し込んだピストンを戻すのに、いちいち注射器の横に空気穴を作っては塞ぐという、何とも行き当たりバッタリ感の強い機構が、見ていて虚しい。


 それでもまだまだ夜は長い。しかも回を重ねる毎に――息を吹き込み、押さえつけるだけ、穴を作っては塞ぐだけなので――作業スピードがアップしている。


 そうして同じことを繰り返すこと五回。再び蓋と言う名の注射器を取り払ったランディが、コップに水を注いだ。


 今度こそシュワシュワと立ち昇る気泡は、完全に炭酸水のそれだ。


「いよっしゃー! 確か確か……」


 バタバタと吊り戸棚を漁ったランディが、朝のデザートように買い足しておいたフルーツを取り出した。


「ジューサーは……ジューサー……」


 探すがジューサーが見当たらない。仕方がないので、コップの上で、ランディはオレンジをゆっくりと握りつぶした。滴る果汁が炭酸水に混じっていく。


 逸る気持ちを抑えて、オレンジを絞りきったランディが、コップをゆっくりと傾けた。


「――! んーーーー!」


 口の中で弾けるオレンジの香りと炭酸。求めていた物がそこにはあった。


「これ、砂糖とか入れたらもっと良いんじゃね」


 ゴソゴソと戸棚を漁ったランディが、砂糖を見つけて炭酸オレンジに少し混ぜた。少し甘くなった炭酸オレンジにランディはまた感動。結局そのまま一気に飲み干してしまった。


「こりゃ良いな。何とかして商品化……あ――」


 満足したランディが見たのは、ところどころに飛び散ったオレンジの残骸だ。夢中になりすぎるのは良いが、これは掃除をせねばリタに怒られるやつだろう。


 それでもキッチンを掃除するランディは満足げだ。


「よし。リズとエリーを驚かせてやろう」


 掃除をしながら、明日の事を思い笑顔になるランディであった。



 ☆☆☆


 ランディがまだ水をブクブクさせていたころ……。


「なんすかこれ!」

「ホントです、ピリッとするというか……」


 ……ハリスンとリタは、キャサリンの作った炭酸水に感動していた。


 お菓子作りの友、ベーキングパウダーをリズの分解で成分ごとによりわけ、炭酸水素ナトリウム――主成分なので一番多い粉――を抽出したのだ。いわゆる重曹をレモン汁(クエン酸)と混ぜ合わせて、お手軽な炭酸水を作ったキャサリンに、ハリスンとリタは感動している。


 感動する二人を尻目に、「そんなに……?」とリズが自分用にと準備された炭酸水に口をつけた。


 口に広がる刺激に、リズが反射的に顔を上げそして目を丸くした。


『エリー、これ凄いです』

『代われ。妾にも体験させい』


 こうしてランディの苦労など知らぬ女子二人は、化学反応によって得られた炭酸で、その感動を味わっていたのだった。


『ランディにも教えてあげましょうか』

『そうじゃな。驚かせてやろう』


 奇しくも、ランディと同じような事を思いながら。

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