第162話 キャサリンが聞けば泡を吹いて倒れるかもです
ユリウスに解放された――否、勝手に出てきた――ランディは、暗くなり始めた大通りを歩いていた。どうやら数人の監視がついているようだが、王都は暗部達の庭でもある。彼らに遠慮しているのか、監視はかなり遠巻きだ。
遠くから注がれる警戒の視線を感じながら、ランディはボンヤリ考えながら歩いていた。
ヴァルトナーと手を結んでいる素振りを見せた集団。彼らが北を陥れたいのは、王国でヴァルトナー侯爵を孤立させたいからだろうか。仮に孤立させたとして、どうするつもりなのか。
(普通に考えたら、孤立したヴァルトナーを飲み込んで、王国侵略への足がかりなんだろうが)
ランディがそう考えているのは、あの集団が帝国の勢力だと思っているからだ。先程ユリウスといくつか交わした言葉で、帝国が何かしらの思惑を持って動いている事は確定している。だがユリウスの懸念と、あの集団の思惑が完全に合致しているか、と言われれば頷く事は出来ない。
(まだ点と点って感じだからな)
恐らく何かしらの繋がりはあるだろうが、完全に結びつけるにはまだピースが足りない。そんな状況なのだ。
「あー。セドリック様あたりなら、何か分かりそうだが」
思わず呟いたランディだが、よくよく考えれば明日にはリズが迎えにくるはずだ。その時にでも色々情報交換するか、と謎の企みを頭の隅に追いやった。結局ランディの頭と、インプットされている周辺地域の知識では、考えられる事に限りがある。
しかも空きっ腹では、より思考回路も鈍るというものだ。
「腹が減ってはなんとやら、ってな」
呟いたランディの鼻腔を、美味しそうな匂いがくすぐる。ちょうど大通りの脇に伸びる、飲食店街の通りに差し掛かったのだ。
もうこうなっては、思考回路は完全に『謎の組織<今日の晩餐』である。
「さてさて。お一人様最後の夜は――」
匂いにつられ、飲食店通りへ足を向けようとしたランディは、感じた気配に視線を大通りへと戻した。そこにあったのは、ちょうど大通りから貴族街へと向かうセシリアの馬車だ。
向こうもルークが気付いたのだろう。窓の中からランディに手を振っているのが見えた。ランディがそれに手を挙げて応えれば、馬車が通りの端にゆっくりと止まった。
ランディが馬車へ駆け寄ると、中からルークとセシリアが降りてきた。
「お前、どこ行ってたんだよ?」
「ちっと大聖堂にな」
苦笑いのランディが、「散々な目に遭ったが」と続けると、ルークも「俺もだ」と苦笑いを浮かべた。
そうして三人で情報を交換することしばらく……
「剣聖……」
「それと元第四皇子か」
二人してまた苦い顔を浮かべて顔を見合わせた。
「ランドルフ様、トラブルに愛され過ぎではありませんこと?」
苦笑いのセシリアに、「剣聖はルークの方だろ」とランディが鼻を鳴らすが、
「元はお前に会いに来たんだからな」
ため息混じりのルークからしたら、剣聖リヴィアも元はと言えばランディに会いに来たので、ランディが原因だ。
「ンなもん、向こうの都合だろ」
痛い所をつかれたランディだが、相手が勝手に来たものはどうしようもない。だがそれを口にすると……
「だからトラブルに愛されてるのですわ」
肩をすくめたセシリアが繰り返した言葉に帰結する。出口のないやりとりに、ランディが大きくため息をついて、「とにかく――」と話を切り替えた。
「話を聞く限りだと、そのリヴィアとか言う女は他の奴らと毛色が違うな」
「だろうな。他の連中は監視だが、リヴィアはユリウスって野郎の顔を立ててたからな」
ルークが続けるのは、リヴィアに剣を退かせた時の言葉だ。
――ユリウス様の顔に泥を塗ることになりますぞ。
「凶暴女に懐かれる元皇子か」
「そしてその皇子に懐かれるお前と……」
悪い顔をしたルークのツッコミに「やめてくれ」とランディがガックリと肩を落とした。
「まあ何にせよ、北でも気をつけるんだな。今もほら――」
遠巻きに感じる気配にルークが視線を向けて「大人気だからよ」とまた悪い顔で笑った。
「ったく……面倒なことこの上ねーがな」
ため息まじりのランディに、セシリアが「大丈夫ですの?」と首を傾げた。
「問題ねーよ。蝿みたいなやつらだ」
鼻で笑うランディだが、セシリアが「そうではありませんわ」と別の懸念を口にした。
「リザ達が明日には迎えに来るのでしょう?」
「そっちも問題ねーだろ。一過性のもんだ」
ランディが話すのは、彼らの監視対象はあくまでもユリウスで、ランディは念の為警戒されているだけという事だ。今日一日大人しくしていたら、遠巻きの監視たちも、自分たちの仕事へ戻る事は間違いない。
事実ランディが大聖堂を出てからここまでに、監視の数が少し減っているのだ。それでも明日の朝までいなくならなければ、明け方の王都に、また全身タイツの大男が出現するだけである。
……ランディがあの〝もじ◯じスーツ〟を捨てずに取っている事は、ルークにすら内緒だ。実はちょっとだけ気に入っていたりする。
ランディの思惑など知らないセシリアは、ルークをチラリと見た。ルークも一過性のものだろう、という意見はランディと同じようで、黙って頷いている。
「それならいいのですが」
安心したようなセシリアが、大きくため息をついて「そろそろ行きますわ」と暗くなった西の空を見た。
「ああ。ルークもセシリア嬢も、ありがとな」
馬車に乗り込む二人へ、ランディが「試験も頑張れよ」と手を振った。
「じゃあな。土産話期待してるぞ」
「おきをつけて」
去っていく馬車にしばし手を振っていたランディは、再び今晩の飯を探して彷徨うのであった。
☆☆☆
ランディが大通りで飯処を探している頃、大聖堂を後にしたユリウスは、巡礼者が使用する簡易宿泊施設へとたどり着いていた。
王国側は高級宿、もしくは王城の一室を提供する姿勢を見せたが、ユリウスがそれを丁重に断った形である。帝室の関係者ではなく、あくまでも教会の人間としてここへ来た。そんなユリウスからのメッセージでもある。
もちろん王国政府が、それを鵜呑みにするわけはない。それでも書類上は帝室関係者ではないユリウスが断った以上、王国もあまり強く出られない。特にユリウスは、書類上の身分で言えば教会関係者だ。
あんな事があった後で、教会関係者を優遇することは、王国政府としてもあまり望ましくはない。
国同士の対応と、教会への対応。その狭間で揺れた王国政府に出来るのは、簡易宿泊施設の周りを最大限警戒することくらいだ。ユリウスという存在への警戒もだが、ユリウスに何かあった場合の警戒もせねばならない。
何だかんだユリウスは帝室の以下略……なのである。
「我が身が嫌になるな」
ユリウスは場違いとも思える厳戒態勢に、大きくため息をついた。壁は薄く、ベッドは安物。明かりは今どきロウソクで、それが照らすパンも、固く質素なものなのだ。
そんな安宿に泊まるユリウスが、数え切れないほどの監視の目に晒されているのだ。己が捨てたはずの身分の大きさと影響力に、ユリウスでなくともため息をつきたくなるものだろう。
「捨てたと思ってるのは俺だけか」
窓の外を眺めていたユリウスは、ふと覚えのある気配に扉へと視線を移した。ノックもなしにいきなり開け放たれた扉の先には……
「やっほー。リヴィアだよー」
……幼馴染でもあるリヴィアの姿があった。
「リヴィア……それと――」
「お初にお目にかかります。ユリウス皇子殿下。王立学園で学園長をしていますルキウス・エルダーウッドと申します」
恭しく頭を下げたルキウスに、「殿下はやめてくれ」とユリウスが頭を振った。
「それで? 王立学園の学園長がなぜ私に?」
首を傾げるユリウスに、「このリヴィア嬢について……」とルキウスがリヴィアをチラリと見て、昼間の騒動を説明した。学園に乗り込んできたこと、そこでとある貴族令嬢の従者と切り結んだこと。
説明が始まってすぐ、ユリウスは頭を抱えていたが、今はリヴィア相手に戦えた人物がいた事に驚いている。
「帝国軍所属のリヴィアが迷惑をかけた。そのことについて、元とは言え帝室の人間として謝罪しよう」
頭を下げたユリウスに、「以降気をつけていただければ」とルキウスも頭を下げた。
「きつく言い含めておこう。ルキウス殿、国には私から苦情を入れておく」
ユリウスがそう約束したことで、ルキウスもそれ以上は何も言わない。ただ「良い夜を」ともう一度頭を下げて、部屋を後に――しようとするルキウスの背中に、ユリウスが声をかけた。
「ルキウス殿。一つお聞きしたい」
ユリウスの真剣な表情に、「なんでしょうか?」とルキウスが振り返った。
「……私が貴殿の学園に通いたい、と言ったらどうする?」
特大の爆弾発言に、流石のルキウスも一瞬顔が引きつった。なんせ帝国と王国は最近こそ関係が大人しいが、昔は小競り合いが絶えなかった間柄である。
本人は身分を捨てたとは言え、そんな国の皇子が国立の学園に通うとなれば様々な問題が考えられる。国を跨いだ組織である教会の巡礼とはわけが違う。
「それは非常に高度な外交になります。私の一存では何ともですが……もし許可が降りるならば、歓迎はしましょう」
それだけ言い残すと、ルキウスは今度こそ扉を閉めて部屋を後にした。
「ユリウス、学園に通うの?」
「出来たら、な」
呟いたユリウスが、もう一度監視だらけの窓の外を眺めた。ただの願望だ。この監視の山を引き連れて、人並みに学園生活が送れるとは思っていない。ただ興味が惹かれたものを、初めて躊躇わず求めたにすぎない。
「そう言えばリヴィアはなぜここに? もしかして兄上か?」
眉を寄せたユリウスに、「そだよー」とリヴィアが懐から一枚の手紙を差し出した。帝室を示す印で封がしてある手紙を、ユリウスが開いた。
『リヴィアをお前の護衛にあててやろう。あとはお前の好きにすると良い』
それだけ認められた文に、ユリウスは顔をしかめた。
(好きにしろ。何をしても掌の上……というわけか)
苦虫を噛み潰したユリウスが、もう一度窓の外を見た。先程より確実に減った監視は、リヴィアが来たからだろうか。
「リヴィア……お前は――」
「もし学園に通えるなら、リヴィアも一緒に行くねー。ルーカスもいるし」
満面の笑みを見せるリヴィアに、幼い頃から一緒に育った彼女に、ユリウスは湧いた疑惑を振り払った。スパイなど出来る人間ではない、と。
彼らの出会いと思惑が、両国に影響を与え、更にエドガーの暴走を加速させていくのは、まだもう少し先の話だ。




