第161話 誰も知らない重要キャラとか、それはもう創造神の悪意
ルークがリヴィアと約束を交わした頃、ランディは抵抗虚しくユリウスと名乗る男と、教会の一室にいた。さほど広くない部屋で、机を挟んで向かい合う二人は、どちらも笑顔だ。……ランディの笑顔は若干引きつっているが。
もちろんこんな部屋に二人きりではない。元とは言え相手は帝国の皇子だ。ユリウスに同行していた護衛と思しき男女が、ユリウスとランディの後ろにそれぞれ二人ずつ控えている。
ランディとしては、なんとも居心地の悪い緊張感だが、それ以上に妙な違和感を覚えている。厳重な護衛だと思うが、そうだとしても、やたらと警戒している気がするのだ。
(確かに元とは言え皇子だが……)
違和感の正体を探るランディに、ユリウスが微笑みかけた。
「無理を言ってすまんな」
無理だと思ってたら誘うんじゃない。そんな言葉を飲み込んだランディは、とりあえず黙ったまま笑顔を返した。年の頃は変わらないだろうが、一応相手は大国の関係者だ。大人しくしておいた方が無難である。
「君の噂は聞いている。前々から興味があってな」
笑顔で椅子に座るユリウスに、ランディは「そーですか」と諦めた顔を向けている。何度も相手の名乗りに「与太だろう」と言い続けたランディだが、それが嘘ではなく本当だという事は、護衛を抜きにしても仕草だけで一目瞭然だ。
話し方も態度も、尊大だが鼻につくわけではない。生まれながらの強者、カリスマ性とでも言うのだろうか。そうしていることが当たり前とも思える仕草は、〝元〟がつくが流石帝国の皇子とでも言うべきだ。
一朝一夕に身につくカリスマではない。それこそ前世は庶民、今生でも貧乏貴族のランディでは、逆立ちしても手に入らない才能だと思っている。
だがその程度で飲まれるランディではない。生まれながらのカリスマで言えば、ルシアン侯もセドリックも十分すぎるほど兼ね備えている。二人とは違うタイプのカリスマではあるが、ランディからしたら相手の立場を測る物差しの一つにすぎない。
ただ一つだけ分からないのは、そんな男がなぜランディに興味を持っているのか、という事だ。
(噂が尾ヒレどころか滝登りまでして、龍にでもなったか?)
考えた所で分からないランディは、小さくため息をついて口を開いた。
「噂は知りませんが、実際に会ってみら案外ショボいもんでしょ?」
肩をすくめるランディだが、「いや、そうでもない」とユリウスは興味を失くしてくれない。
「確かに噂の人物とは思えないほど、君の気配は普通だ。それこそ一般人かと勘違いしてしまうくらい」
机の上に身を乗り出したユリウスが、「だが……」とその瞳の興味の色を輝かせた。
「君の立ち振舞いには隙が無い。まさに歴戦の猛者のそれだ」
ユリウスの指摘に、ランディは「チッ」と舌打ちをもらした。気配を偽装出来たとしても、染み付いたクセまでは隠せていないらしい。キース辺りに聞かれたら、「坊ちゃま、ツメが甘いですな」と笑われそうである。
「是非仲良くしてくれるとありがたいな」
「仲良く、ですか?」
笑顔のユリウスだが、彼の後ろの護衛は終始しかめっ面だ。ランディの後ろの二人もそうなのだろう。なんせランディは、ずっと背中に敵意にも似た視線を感じているのだ。
そう、敵意にも似た視線だ。正確には敵意ではない。ランディが知る一番近いものは、魔獣が最大限警戒しているかのような……そんな視線である。
護衛の態度と視線に、ランディは(ああ。なるほど)とユリウスに会ってから抱いていた違和感の正体に気がついた。しかもそれが、ユリウスの興味に繋がっている可能性にも。
(さてどうしたもんかな。個人的にはこのまま帰りてーところだが)
ランディの本音を言うならば、このままのらりくらりと会話を終わらせたい。だが相手は曲がりなりにも帝国の関係者だ。そしてつい最近、帝国の勢力と思しき集団に襲われている。
もし、ランディの予想が当たっているならば、ユリウスを突いてみる価値はある。
面倒くささと、やらねばという思い。その狭間に揺れるランディに、ユリウスがまた口を開いた。
「歳も同じだしな。どうだろうか?」
今も笑顔のユリウスにランディはチラリと後ろの護衛を振り返り、そして今度はユリウスの後ろに控える護衛を見て、「仲良く、ね」とため息をついた。ランディは決めたのだ。突いてみようと。
「あなたの護衛は、そうは言ってないみたいですが?」
ランディがヘラヘラと笑って自分の後ろを指さした。ランディの態度と言葉に、護衛達が発する空気がまた一段と固くなった。
「彼らの事は……」
一瞬だけ顔を曇らせたユリウスだが、またそれを明るい笑顔に変えた。
「気にするな。心配性なんだ」
ユリウスが見せた完璧な笑顔に、護衛の空気がまた少し緩むがランディはヘラヘラとしたまま首を振った。
「嘘はいけませんね。仲良くしたいなら、本当のことを言ってもらわないと」
ランディの見せた悪い笑顔が、また場の空気に緊張をもたらした。
「それとも何か? 流石にこの場では言えねー内容なのか?」
口調も変え、悪い顔でふんぞり返るランディに、ユリウスが驚いたように目を見開き、身体を起こした。
「……面白い冗談だ。私が何を隠していると?」
前のめりになっていたユリウスだが、今は思い切り背もたれに身体を預けている。言葉とは裏腹な態度に、ランディが鼻を鳴らした。
「どうした? 図星をつかれて、ビビったか?」
ランディが机に片肘をつく。後ろに引いたユリウスに代わり、半身を前に出したランディが、「顔が引きつってんぞ、男前」と今日一番の悪い顔を見せた。
ランディの悪い顔に、初めてユリウスが顔を引きつらせた……その時、
「貴様。先程からユリウス様に対して――」
護衛の男が鼻息荒く口を挟んだ。他の護衛もいきり立っているのは間違いないようで、ユリウスの背後の二人など今にも剣を抜きそうな雰囲気だ。
(はい、アウトー。真っ黒です。ありがとうございます)
内心ため息をつくランディだが、ランディの呆れ顔が気に食わないのか、護衛の男が更に「貴様――」と口調を強めた。
「お前たち。やめろ」
ユリウスの言葉で一旦下がった護衛達だが、四人は納得していないと相変わらず敵意に似せた視線を向けたままだ。ランディとユリウスにも。
そのやり取りを見て、ランディの予想は確信に変わった。
彼らは正確にはユリウスの護衛ではない。ずっと感じていた違和感。警戒するような視線が、ランディだけでなくユリウスにも向いている感覚。
それを確定させたのは、今の護衛の短絡的な行動だ。
元とは言え、帝国の皇子についている護衛が、主人の断りなく客に凄む。そんな事などありえないのだ。どんなに質の悪い護衛でも、せいぜい殺気を飛ばすのが限度だ。
ユリウスが帝室の関係者で、ランディが木っ端貴族の倅だとしても。
そしていくらランディの態度と口が悪いとしても。
ランディはそのユリウスが招いた客人だ。主人の客に凄むなど、主人の顔に泥を塗る行為でしかない。
つまり連中の本当の主人は、ユリウスではない。彼らの役目は恐らく監視だろう。違和感の正体は、護衛達がユリウスを監視していた事である。
(大聖堂に入った時は、暗部と監視しあってると思ったが……)
見張っているような雰囲気、それが外ではなく内側に向いている。暗部がいたから分かりにくかった。暗部がユリウスやその護衛を監視するのは当然だからだ。
(監視される元皇子。本国の意図にそぐわない。てことは、こいつは襲撃とは無関係だろうな)
ランディとしてはもう知りたいことは粗方分かった。だから後は相手が解放してくれるのを待つだけなのだが、どうも眼の前のユリウスからそんな気配は感じられない。それどころか、ランディへの興味を更に増している様子すらある。
(おいおい。面倒事はゴメンなんだが……)
監視がついている状況で、何とかランディと仲良くなろうとする元皇子。確実に面倒ごとの匂いしかしない。しかもユリウスの表情を見るに、相手はランディが監視を察していることに、気がついている様子すらある。
事実……
「すまんな。忠誠心が高すぎるんだ。俺も困っててな」
肩をすくめ口調を崩したユリウスの瞳の奥に、切実さが伺える。とは言えそれにランディが応える義理はない。ユリウスがひた隠している思惑など、ランディからしたら知ったことではない。
心底興味がない。そんなランディの瞳に、ユリウスが自嘲気味に笑って口を開いた。
「大層な扱いも。後継者を巡る駆け引きも。どれもこれもが嫌で、身分を捨てたというのに……」
護衛を見回すユリウスが、「お前たちも大変だろう」と労いの言葉をかけた。
「いえ。我々はこれが仕事ですから」
努めて平静に振る舞う護衛四人だが、ランディからしたら「好きにしてくれ」と言いたくて仕方がない。
「お前も気を悪くしないでくれ」
「気にしてねーよ」
心底興味がない。そう言いたげな口調と態度だというのに、ユリウスはまたランディをテーブルから離す気はないらしい。
「それにしても噂はあてにならんな」
笑顔を見せたユリウスが再び身を乗り出した。
「俺の所に届いていた噂以上だ。お前の腕も、そして様々な事業のきっかけとなった頭脳も」
「買いかぶりすぎだ。俺一人でやったことじゃねー」
首を振ったランディに、「謙遜を」とユリウスが笑顔を見せた。
「あの【銀嶺】と対等にやり合えるという噂が、本当だった事を痛感しているぞ」
「そりゃお互い腹を割ってるからな」
こちらも身を乗り出したランディが、ニヤリとした笑みを見せた。ハッキリ言えば、応える義理もないし興味もない。だがこの厳重な監視の中、何とかしようと藻掻いた点だけは好感を持っている。
状況が悪いから、と諦めるのではなく、その中で出来ることを考える。ランディとしては嫌いなタイプではない。事実自分たちがそうやって生きてきたし、生きているのだ。
(とは言え、人を面倒事に巻き込むのは――ああ。そういう事か)
少しの時間だが、話す限りユリウスは他人を巻き込むタイプではない。それなのに、危険を顧みずしかもランディを巻き込むような様子だ。そして捨てたと言いながら、一番最初に名乗ったのは、帝室にいた時のフルネームだ。
つまりランディは既に巻き込まれている。それも帝室の何かに。そしてユリウスは、ランディを襲わせた人間と対立関係にある。
(それでこの警戒具合か)
全てが繋がったランディは、もう一度ユリウスを見た。なるほど。大胆不敵な若獅子は、今回の黒幕が警戒するのもよく分かる。様々な事が繋がったランディが、呆れたような顔を見せると、ユリウスも察したようにランディに笑みを向けた。
流石にこれに応えないのは、男としてどうか。そんなランディが、今度こそ本当の意味でユリウスに向き合った。
「噂通りだったか?」
鼻を鳴らしたランディに、「噂以上だ」とユリウスが笑みを見せた。
「もう会いたくねーが――」
立ち上がったランディが、護衛の男たちの間を通り抜け、「どうせまた会うだろ」とユリウスを振り返った。
「茶ぁくらいは出してやるよ。知り合いだからな」
鼻を鳴らしたランディが、「じゃあな――」と手をヒラヒラと振って部屋を後にした。
部屋に残ったユリウスは、しばしランディの消えていった扉を眺めていた。
「知り合い……か」
呟いたユリウスに、護衛の一人が声をかけた。
「ユリウス殿下。今日のことはレオニウス殿下へ報告させていただきますよ」
その言葉にユリウスが首を振った。
「好きにしろ。その代わり俺も好きにさせてもらうぞ」
まさかの発言に、護衛たち四人が驚きの声を上げた。
「な、何を馬鹿なことを言っているのです。勝手な行動は、レオニウス殿下に――」
「またレオニウス殿下……か。なぜ皇子を辞し、教会所属になった俺が、兄上の意向に従わねばならぬ? しかも皇太子であるラグナル兄上でなく、第二皇子のレオニウス兄上の」
ユリウスが見せる闘気に、護衛の四人が「それは……」と言葉を詰まらせた。
「だから俺は好きにさせてもらう」
一歩も退かないユリウスに、護衛たちが困ったように顔を見合わせた。
「ひとまず報告だ――」
腕を組んだユリウスと、護衛を一人残して三人は部屋の外へ駆けていった。
「ランドルフ・ヴィクトール……。まずは詫びねばならぬな。もう捨てたはずの身分をひけらかし、やつを引き止めたことを」
呟いたユリウスの瞳には、先程まで見せていたランディの悪い笑顔が確かに映っていた。
乙女ゲーム『うせやろ』でお助けキャラとして登場する、ユリウス・エル・ヴァルクレイス。後継者争いを嫌い、若くして地位を捨てて教会にその身を寄せた男。
だが身を寄せた教会でも、熾烈な権力争いと腐敗に直面し、己の力の無さを嘆いていた。
そんな折、キャサリンによる教会上層部の一掃と浄化があり、それに感銘を受けたユリウスは、身分を完全に捨て教会を立て直すために王国を訪れる。
立場的にはお助けキャラ。
教会再建のミニゲームなどで出てくるキャラクターである。
ただゲームで語られぬ裏側は違う。いくら身分を捨てたとしても、王国政府がそれを鵜呑みにするはずはない。
ユリウスは来るタイミングが悪すぎたし、ある意味で良かったとも言える。
侯爵家の反乱、教会勢力の一掃と続く騒乱で混乱の最中にあった王国だが、ユリウスが王都に来た事で大きく舵を切った。弱ったはずが着実に大きくなる教会と、その背後にいる元帝国皇子。
これほど露骨な侵略はない、と王国政府は領地貴族の不満を、ユリウスという分かりやすい敵へ押し付けたのだ。ユリウスの活動は、帝国政府の思惑がある、と。
もちろんユリウスにそんな裏などない。 自分に道を示した主人公への恩返しに来ただけだ。ミニゲームを助ける要員として。
だが実際に弱った王国を帝国が狙っていたという背景もあり、王国の貴族たちは団結したのだ。
ブラウベルグの乱で中央へ疑惑を向けていた貴族たちも、帝国という大きな敵を前に団結する事になる。そしてそのまま敵がエレオノーラへとシフトするのだ。
つまりユリウスはゲームでは語られることのなかった、政治的なキーマンだ。大貴族の反乱があったのに、王国が分裂しなかったという整合性を保つための。
誰も知らないユリウスという男の重要性。
乙女ゲー『うせやろ』では、ゲーム本編とは全く関係ない、ミニゲームのお助けキャラにして、語られることのない政治的な裏側を担ったユリウス。だがそんなミニゲームお助け男は、キャサリンではなくランディに興味を持ってしまった。
祖国との微妙な関係を保ったままで。
この結果が、盤面にどのような影響を与えるかなど、今は誰にもわからない。




