第159話 エドガー達が息をしてないって? 大丈夫だ奴らのステージはまだ先だ……多分
リヴィアが学園へと向かっていた頃、ランディはアナベルに連れられ大聖堂前の広場までたどり着いていた。
いつも通り、多くの信者や一般人で溢れる大聖堂前だが、ランディにはどうも空気が張り詰めている気がする。もちろん緊張し張り詰めた空気の原因は、いつもより多く感じる教会騎士と、大聖堂を囲むように警戒する暗部のせいだが。
ぐるりと周囲を見渡しても、かなりの数の暗部が大聖堂を守るように辺りを警戒している。
(アナベルが知らないだけで、ここにも何らかの襲撃があったのか?)
そう思えるほどの警備なのだ。
「アナベル嬢。いつもより教会騎士の警備が厳重な気がしますが」
隣を歩くアナベルに尋ねれば、「い、言われてみたら……」とアナベルがキョロキョロと辺りを伺った。
「あ、そう言えば……」
思い出したように手を打ったアナベルが、父であるリドリー大司教に、帝国から教会関係者が訪れると聞いていた事を話しだした。アナベルの話によると、なんでもあの王国転覆に関与してた枢機卿の一人が、帝国の取りまとめだったらしく、現在帝国側もトップが不在なのだとか。
教会全体でも教皇というトップが不在で、その後釜であった枢機卿も軒並み捕縛されている状況だ。
各国の教会関係者が、リドリー大司教に面会に来ることは珍しくないという。
「へー。そういう時は、いつもこんな警備体制なのか?」
首を傾げるランディが尋ねているのは、教会騎士だけでなく暗部についてもだ。だがアナベルが暗部の存在にまで気づいてるわけもなく……。
「そ、そうですね。大体こんな感じだったと――」
アナベルが返したのは、教会騎士の配置についてだけだ。微妙なすれ違いだが、ランディの中では教会関係者と言えど、外国からの来賓には違いない。と妙な部分で納得してしまっていた。
そんなこんなで、アナベルに案内されるままランディが大聖堂の扉をくぐった時、それは起こった。
空気が一瞬だけ張り詰めたのだ。まるで、今から殺し合いでも始まるかのように。ほんの一瞬、だがその一瞬だけで、ランディには彼らからの警告だと言うことが分かった。
(こりゃただ事じゃねーな)
苦笑いを浮かべたランディは、大聖堂の中に無数の気配を感じている。大聖堂の中に多くの信者がいたせいで、大聖堂の外で暗部がウロウロしていたせいで、彼らの気配に気づかなかった。
だが今は嫌という程分かる。
大聖堂の中は完全厳戒態勢だということが。
暗部に教会騎士はもちろんのこと、暗部のような姿を見せぬ実力者たちという第三勢力までいる。
彼らが暗部ではなく別勢力だとランディが判断したのは、暗部と協力というより牽制し合っているような雰囲気だからだ。まるで今から戦闘でも始まるのか、と言わんばかりの緊張感のせいで、教会騎士達もいつになくピリピリしているようだ。
「あ、司祭様。大司教様は――」
知り合いに話しかけるアナベルは、やはりこの雰囲気に気づいていない。「そ、そうなんですか?」と今も知り合いなのだろう男性司祭と話し込んでいる。
アナベルが気付けないのも無理はない。戦闘という荒事に縁のないアナベルや一般信者に対して、空気を悪くしている連中は曲がりなりにもプロだ。そんな張り詰めた雰囲気を、一般信者に悟られない程度にはコントロールしている。
だがコントロールしたとしても、ランディのような人間には分かるものだ。しかもその警戒する視線の一部が、自分に注がれていては、嫌でも気がつく。
(こりゃ面倒事の臭いがするな。それも特大の)
眉を寄せるランディだが、ランディに警戒する視線を向けている王国暗部から言わせれば「お前が言うな」案件だろう。なんせ、暗部からしたらランディなど要注意人物以外のなにものでもない。そんな男がこのタイミングでこの場所に現れたのだ。
暗部からしたら、何も知らない教会騎士やもう一つの勢力が羨ましいだろう。とは言えその二勢力に協力を求めるような雰囲気はない。
(なるほどね。こりゃ日を改めるか)
間違いなく誰か偉い人間がこの場に来ている。そしてそれは暗部をしても、護衛が王都へ入ることを認めざるを得ないほどの人物だ。間違いなくただの教会関係者ではない。
面倒事の臭いしかしない状況に、ランディはちょうど話が終わったアナベルに声をかけた。
「アナベル嬢――」
「ラ、ランドルフ様すみません。ど、どうやらまだ来客中らしくて……」
「そりゃ仕方がない」
逆に好都合だ、とランディが弾みそうになる声を抑えて……こちらも用事を思い出したから止めておく。その言葉を紡ぐより前に、ランディの眼の前で聖堂奥の扉が開いて数人の男女が歩いてきた。
中央を歩く二人の男性のうち、一人はアナベルの父であり、現教会の暫定トップでもあるリドリー大司教だ。だがもう一人の男は見たことがない。神職が着るローブを羽織、目深にフードを被っているが、溢れる高貴な雰囲気は隠せていない。
なんせ男と同じ様にフードを被る周りの男女は、明らかな警戒の視線を周囲に向けているのだ。護衛だとモロバレだぞ、と言いたいランディだが、それでも周りの信者たちは気づいていない。
(あれが元凶か……)
ため息混じりに男を眺めたランディだが、別に好きで面倒事に首を突っ込みたいわけでは無い。面倒事が帰るならば大人しく待つだけだ、とランディはアナベルと二人で、彼らに進路を譲るために脇へ避けた。脇へ避けたランディは、なるべく男と目を合わせぬよう俯いた。このまま黙って面倒事が通り過ぎるのを待とうという肚である。
だが面倒事は、ランディを放っておいてはくれないようだ。
斜め下を見つめるランディへ、男が視線を移した。もちろんランディも、ヒシヒシと額の辺りに視線を感じている。とは言えランディも負けるわけにはいかない。斜め下を見つめるランディが、(多分別のやつの視線)と願いながら隣のアナベルに、「なあ、なんか見られてる?」と囁いた。
「あ、はい。お父様の隣の人が、ランドルフ様のことを見ていますね」
勘違いではなく、男の視線だったようだ。わずかに視線を上げたランディの瞳には、ちょうどその男が、隣のリドリー大司教へ何かを囁いていた。
『そうですね』
リドリー大司教の唇の動きと頷きから、何かを肯定したのは間違いない。そうして男がまたまた何かを囁くと
『よろしいのですか?』
リドリー大司教の唇の動きを見たランディは、思わず「よろしくないですよ」と苦い顔で呟いていた。隣でアナベルが「な、何がでしょう?」と首を傾げるが、ランディは再び戻ってきた視線に目を伏せた。
なんせ男がランディに興味を持ったような視線を向け、周囲の男女は分かりやすく狼狽えていたのだ。
「アナベル嬢……どうも面倒事の臭いがするんで逃げてもいいですか?」
「え、ええ? 逃げる、面倒事って――」
アナベルが思わず声を上げた時、リドリー大司教がランディとアナベルへ向けて小さく手を挙げた。
「ラ、ランドルフ様。お、お父様が呼んでるように見えますが」
アナベルの言葉にランディが視線を上げれば、なるほど確かにランディに向けてにこやかに手を挙げている。
(逃げられなかったか)
リドリー大司教にああして認識された以上、挨拶もなしにこの場を去ることなど出来ない。諦めたランディがため息をもらし、「挨拶に行きましょうか」とアナベルを促して、大司教のもとへと歩いていく。
「ご無沙汰しております。リドリー大司教」
恭しく頭を下げたランディは、あくまでもリドリー大司教に挨拶をするだけ、と男には視線を合わせない。
「ランドルフ君、息災のようで嬉しいよ。相変わらず娘も世話になっているようだ」
にこやかなリドリー大司教に、ランディも笑顔で首を振った。
「いえいえ。私こそアナベル嬢の深い知識には、いつも助けられています」
「それなら良かった」
満足そうに頷き、アナベルに笑顔を向けたリドリー大司教がまたランディへ視線を戻した。
「ランドルフ君、実は――」
「大司教、今日は来客でお忙しいようなので、また日を改めて出直します」
言葉を遮るのは失礼だろうが、このままだと隣の男を紹介されかねない、とランディは深々と頭を下げたまま踵を返し……
「そう邪険にせずともよいではないか。公国の【紅い戦鬼】殿――」
……かけられた尊大な声に、ランディがピタリと止まった。どうやら相手はランディを知っているようで、しかも逃がす気はないらしい。
「邪険になど……私はただ、大司教様とそのお客人の邪魔をするべきではないと」
苦笑いで振り返ったランディの視線の先で、男が「フッ」と微笑んだ。フードの中に見える金髪と翠の瞳は、尊大な口ぶりから考えられないほど若く見える。
「大司教様、可能であれば個室をお借りしたい」
男の提案に、護衛と思しき男が「でん――」と思わずもらした声に、金髪の男が指を口元に当てた。既に聖堂の真中付近で会話して十分目立っているから、あまり意味がないぞと口元まで出そうになった言葉をランディは飲み込んだ。
「どうだろう。貴殿とはゆっくり話してみたいのだが」
「それは無理ですね。私はあなたに用がありませんし、何より人見知りなんですよ」
ランディのそっけない態度は、最後の抵抗だ。分かりやすく偉い人間のお願いを無碍にする。それだけで「学のないやつめ」と興味を失ってくれないかな、という抵抗である。事実護衛の男女から分かりやすく殺気がもれている。
護衛たちからは完全に嫌われた。つまりランディの狙いは悪くはなかった。だがランディは知らない。この世界にも「お前、面白いやつだな」という感覚を持っている偉い人間がいることを。
ランディの態度に一瞬だけ驚いた金髪の男だが、「面白い」と呟いて、またリドリー大司教を振り返った。
「大司教様、どうだろうか?」
「……一応お部屋は用意できますが」
渋々と言った雰囲気のリドリー大司教に、ランディが無言のまま高速で首を振った。だがそんなランディの拒否は虚しく砕け散る事になる。
近づいてきた男が、ランディの耳元で囁いたのだ。
「ランドルフ・ヴィクトール殿、我が名はユリウス・エル・ヴァルクレイス。エルディア帝国元第三皇子とでも言えば分かるか?」
想像以上の大物の名前に、流石のランディも固まるしか出来ない。
「是非、貴殿と語らい合いたいのだが、どうだろうか?」
どうもこうもあるか。口元まで出かかった言葉をランディはまた飲み込んだ。相手は元とは言え超大国帝国の第四皇子だ。帝国の事情は知らないが、第四とは言え皇子の身分を返上し、今は教会の関係者など確実にややこしい人間だ。しかも本人の名乗りとは別にこの大量の護衛である。
(面倒事だ……しかも超特大の――)
引きつる笑いのランディに、「どうだろうか?」とユリウスがまた微笑んだ。
こうして公国の貧乏貴族は、また新たに乙女ゲーのお助けキャラと出会うのであった。
☆☆☆
時はしばし戻り、ランディが大聖堂に向かっていた頃……
リヴィアは王立学園の門の前で門番を務める兵士に止められていた。門の向こうに見えるのは、馬車が通れる広い道と、その先に続く校舎とグラウンドだ。裏門は正門と違い、横並びの校舎とグラウンドのちょうど真ん中辺りにある。
つまり学園全体がよく見えるのだが、今リヴィアは眺めるだけでお預けを食らっている状態だ。
「えー。ちょっとだけ入らせてよ」
口を尖らせるリヴィアに、門番は頑なに首を縦に振らない。当たり前だ。学生かその関係者以外は入れないのが学園なのだ。だがリヴィアからしたら、単に意地悪をされているようで面白くない。
「通してくれないなら――」
リヴィアが全身から殺気を放ったその時、門の後ろに金髪の男が現れた。ユリウスを彷彿とさせた金髪に、リヴィアが思わず顔を向けるが、そこに立っていたのは彼女の知己ではなく、ランディの親友ルークだ。
リヴィアが学園に近づいている事を察し、セシリアに断りを入れて偵察に来ていたのだ。
「……やたら強い気配が近づいてると思って来てみりゃ」
苦笑いのルークを前に、リヴィアの瞳が分かりやすく輝く。
「お兄さん誰? 【紅い戦鬼】じゃないよね?」
「俺か? 通りすがりの騎士Aだ」
肩をすくめたルークに「ふぅん」とリヴィアが獰猛な笑みを浮かべた。




