第156話 行き当たりばったりで行動しちゃ駄目
時はしばし戻り、ランディが狸寝入りから本気の睡眠へと移行していた頃……セドリックはミランダと二人で馬車に揺られていた。
北へ向かう旅路は、驚くほど順調で穏やかなものだ。中央とヴァルトナー侯爵領を結ぶ大動脈とも言える街道は綺麗に整備され、盗賊の類はおろか魔獣の影もほとんど見当たらない。
一応護衛として【鋼翼の鷲】を雇ったセドリック達だが、彼らも仕事らしい仕事はなく、あくびを噛み殺すのに必死なくらいだ。
そんな暇な旅路の中、リズは教えられた累唱に集中し、キャサリンはもう何度もシミュレーションを繰り返し、とそれぞれが思い思いに時間を過ごしている。
もちろんセドリックとミランダも……だが、長い道中かつ穏やかな馬車旅だ。馬車に揺られ、セドリックがウトウトしてしまっても仕方がない。なんせここ最近では最もノンビリとした時間なのだ。
北に差し掛かったとは言え、馬車の中はサンプルで持ってきた、キャサリン印のコタツのお陰で非常に暖かい。本来の使い方とは別だが、持ち運びでき、馬車くらいの広さであればじんわりと暖める事が分かっただけでも、この旅に価値があったと言えよう。
心地よい振動と、ぽかぽかとした温もり。その二つが激務に疲れたセドリックを、包み込んでいる。そうしてまどろみの中にいたセドリックだが、扉をノックする音で目をさました。
速度は出ていないとは言え、走行中の馬車の扉をノックする……しかもそれは聞き覚えのある暗号符だ。その二つの事実に、セドリックの意識が一気に現実へと戻ってきた。
即座に覚醒したセドリックの目の前で、ミランダが窓をゆっくりと開ける。既に日が傾き始めた外から、目を覚ます北風とともに手紙が放り込まれた。
床に落ちた手紙を拾ったミランダが、それに目を通し、「セドリック様――」と顔を歪めて、セドリックに手紙を渡した。
『帝国と通じている可能性あり』
短く認められたその文に、セドリックが大きくため息をついて天井を仰いだ。
「父上が読み違えた、と思いたいんだけど」
「ルシアン様に限って、それはないかと。それに――」
言い淀んだミランダに、「だよねー」とセドリックが視線を外に向けた。セドリックとしては努めて明るく言ったつもりだが、馬車の窓にうっすら反射したセドリックの顔は、苦虫を噛み潰したままであった。
「沈黙を守っていた不気味さ……。国を早々に見限ったと思えば、確かに説明がつく」
呟くセドリックが、もう一度手紙に視線を落とした。実際セドリック達も、ヴァルトナー侯爵の沈黙が不思議で、何度か調べたことがあるのだ。それこそ国を見限り、帝国に与しているのではないか、という予想も立てて。
そんな中、唯一ルシアンだけが〝それだけはない〟と言い切っていた。そして実際今の今まで、そんな証拠は一つも出なかったのだ。だからこそ、セドリックは今回キャサリンに同行したとも言える。商機だからというだけでなく、彼らが何を考えていたか、それを見極めるためにも。
そんな折、放っていた影がついに尻尾を掴んだという。
ずっと分からずじまいだった沈黙の理由が、今こうして手に入ったわけだが……セドリックからしたら、両手をあげて喜べない。
「タイミングが良すぎるよね」
「そうですね」
ため息をつく二人の言う通り、情報を手にするタイミングが出来すぎているのだ。これから北へ向かい、やり取りをしようというタイミングで、ヴァルトナー侯爵家が帝国と与しているという情報だ。
まるでこちらの出鼻を挫くようなタイミングだ。
「政府が流した偽情報ってことはない?」
ヴァルトナー侯爵家とブラウベルグ侯爵家。両家が手を結ぶことを良しとしない中央が流布した偽の情報。それを疑いたいセドリックだが、「ゼロではないでしょうが……」と言い淀むミランダの表情が全てを物語っているのだ。
「まあ、だよね」
分かっていただけに、ミランダに否定されるともう逃げ場がない。再び天井を仰いだセドリックが、盛大にため息をついた。
中央がわざわざそんな情報を流すメリットよりデメリットが大きいのだ。もし帝国と手を結んでいるなど、偽の情報が【北壁】の耳に入ろうものなら、彼の逆鱗に触れる未来しか見えない。
――与太で我々を嵌めるつもりか?
相手はこの国でも恐らくトップに君臨する武人だ。下手な嘘で機嫌を損ねて、それこそセドリック達に靡かれたほうが中央としては困るわけだ。仮に政府が流すとしたら、セドリック達が帝国と通じているという情報だろう。
真逆とも言える情報は、間違っても政府が流す情報ではない。
そしてその方面でどれだけ探しても出なかった証拠が、このタイミングで手に入ったという事実。確かに沈黙を守っていた理由としては、文句のつけようがない。だが、やはりどう考えてもタイミングが良すぎる。
「政府でもないのにこのタイミング……第三勢力か」
セドリックの盛大なため息に、「恐らく」とミランダが頷いた。
つまり、誰かがヴァルトナー侯爵を陥れようとしているのか、もしくはセドリック達と手を結ばせたくないか。どちらか分からないが、セドリックからしたらルシアンの勘が外れていた――本当に帝国と手を結んでいた――方がよっぽどやりやすかった。
気にするのはヴァルトナーと帝国だけで良いからだ。
これが仮に第三勢力の横槍だとすると、ヴァルトナー、帝国、第三勢力と多方面に警戒する必要がある。なんせヴァルトナーが怒るだろう情報を躊躇いなく流す連中だ。ヴァルトナー側に、セドリック達のありもしない噂が流れている事は間違いない。
ランディが第三勢力の情報を掴むより前に、セドリックも同じ様に見えぬ敵を補足していた。だがそれはランディ同様、まだ影がチラつくという程度の朧気なものだ。
相手の背景も目的もまだ分からない。気を引き締めねば、とセドリックが足元で動いていた試作型コタツをオフにした。
「のんびり同窓会……と、いきたかったんだけど」
窓の外を眺めるセドリックの視界には、今日の宿である街の城壁とチラつき始めた雪が映っていた。
☆☆☆
時は戻り、侵入者たちを殲滅したランディはと言うと……
「向こうだ! 向こうに行ったぞ」
……夜の王都で、とんでもない数の暗部に追われていた。無理もない。連中の魔法で服がほとんど焼け落ちたので、殺した連中の服を奪ってクラフトで作り直したわけだが、使える部分がほとんど無かったのだ。
要は服が絶妙にピチピチなのである。
夜の王都に黒タイツの大男が現れたら、それはもう不審者以外の何者でもない。
もちろん流石のランディもこの服はマズいと、目立つ赤髪を隠すために頭も覆うスーツにしている。……そのお陰でより怪しさが増した事は御愛嬌だ。
なんせこのファンタジー乙女ゲーの世界に〝もじも◯くん〟である。目立つなという方が無理がある。ちなみにランディ本人は、〝キャッツ◯イ〟のつもりなのがタチが悪い。
腰に巻き付けた――血に染まった布で作った――赤黒いスカーフ。そんな物を作るなら、もう少しマシなフォルムにしたらいいのに。などと突っ込む人間がいないのもランディにとっては不幸だった。
もちろんこんな目立つ格好で門は論外だ、と門を通らずに城壁へ駆け上ったわけだが……。黒尽くめの連中のせいで、暗部や騎士が総出で王都を警戒していたのだ。いくらランディとは言え、暗部に衛兵、そして騎士団という多勢相手に――逆に目立ちすぎる全身タイツのせいで――完全に姿を隠すことなど出来ず。
夜の王都で暗部や騎士相手に、追いかけっこの真っ最中というわけだ。
「くそ……トラディッショナルな怪盗ファッションだろ。夜にはピッタリだろうがよ」
悪態をつくランディだが、「見つけたぞ! あそこだ!」という声に再び逃げ出した。屋根の上、路地裏、大通りに曲がり角。どこに行っても暗部や騎士がいるのだ。しかも彼らは普通に王都の治安を守るために、仕事を全うしているにすぎない。
無駄な殺生はマズい、と逃げの一手である。
「くそ……もうちょい優しくぶっ殺すんだった」
後悔してももう遅い。箪笥を漁られたかもしれない。そんなリズへの申し訳無さから、少々張り切りすぎて敵をミンチにしたのがマズかった。それでも使える物を、と無事だった連中から回収した結果がこれである。何度も言うが、スカーフをじゃなく別のものを作ればまだ……。
「いたぞ! 絶対に逃がすな!」
夜の王都を舞台にした追いかけっこは、日が変わる頃まで続いた。そして逃げ回ったランディのせいで、王都を震撼させた爆破事件の犯人は、全身黒タイツの変態だという情報が回ったのはまた別のお話。




