第154話 色々分からないことが多いので、案内してもらおうと思います
調べてみるか、とは言ったもののランディに特にアテがあるわけではない。ならばまた来てもらうか、とランディは現れるまで試験勉強をして待つことにした。
だが結局その日は現れること無く……迎えた翌日、ランディは苦手とする数学の再々試験も手応えを感じて終了していた。結局あれ以降姿を見せない監視のお陰で、試験勉強に集中できたとも言えるか。
残す試験もあとわずかとなり、完全に楽勝ムードすら漂い始めている。
リズが迎えに来る予定は来週の中頃。そして今はちょうど週の真ん中。あと一週間ほどあれば、それまでに残る試験も合格出来ることは間違いない。苦手な数学を先に潰しておいたのは、戦略的に正しいと言えよう。
ホッと一安心のランディは、昨日同様早めの家路についていた。早めに勉強に取り掛かり、十分な睡眠時間を確保する。奇しくも規則正しい生活を送り始めたランディの、陽気な鼻歌は……家の扉をくぐった所でピタリと止まった。
違和感だ。それもわずかな。
匂いというか、空気が違う。自分たちの家が持つ匂いとでもいうか、それがわずかに薄く感じられたのだ。
まさに野生の勘。そんなランディが扉を閉めて周囲を注意深く観察した。わずかな違和感が、確信へと変わっていく……
(どうやら留守中に侵入されたか)
既にリタが居なくなって数日。家の中は少しずつホコリが溜まっていたはずだ。もちろんランディが出来る範囲で掃除はしているが、一人では広い家の中、隅に溜まったホコリ全てを除去できたか、と言われると自信がない。
なんせ学校、勉強を最優先させていたのだ。掃除の時間など本当にわずかにすぎない。
だが今、ホールを見渡す限り綺麗に掃除が行き届いている。まるでリタが居た時のようだ。痕跡を丁寧に消した結果、ランディに違和感を覚えさせるとは、何とも因果な話である。
もちろんランディが気づいたのは、〝待っていたから〟という側面もある。ランディだけしかいない家。留守をする人間がいない家など、この世界の裏の人間からしたら、狙ってくれと言っているようなものだ。
もしもの時を考えてリタを旅に同行させていて良かった、とランディは内心安堵のため息をついていた。今回の旅で、ランディとリズが別々になると決まった時点で、ランディがリタの同行を決めたのだ。リズの護衛としてハリスンが同行する以上、日中リタが一人きりになる。
最近は穏やかなランディとリズの周囲だが、もしもを考えてリタも同行させたことが、どうやら上手く働いてくれたらしい。
だからある意味で準備万端だったと言える。大事な物は全てリズのアイテムボックスの中で、家にあるのは学業に必要な諸々くらしか残っていない。
とは言え本当に侵入された事実は、ランディをしても気持ち悪さを拭えない。ひとまず今後の方針を考えるべく、ランディは一旦リビングへと向かいソファに腰を下ろした。
リビングもぐるりと見渡せば、よく掃除が行き届き綺麗だ。
立ち上がり、キッチンに向かったランディが戸棚を開く。そこには見知った茶葉やコーヒーが並んでいた。いつもと変わらない。今朝と変わらぬ風景だが、その茶葉やコーヒーを全てゴミ箱へと捨てた。
一度侵入を許した以上、口に入る物は全て新しく買い直す必要がある。
面倒さと微妙に痛む懐――リズ御用達の茶葉は高いのだ――にランディが少々苛立ちを覚えながら、もう一度ソファに腰を下ろした。
(家の中にあるのは、学園関係のものばかりだ)
どう考えても侵入者が目ぼしい情報を手に入れたとは思えない。そんな侵入者が次に何をしてくるか、だが。それはランディにも予想はできない。そもそも相手の背後も、目的も分からないからだ。
王家はルキウス学園長が渡した情報で、かなり盛り上がっていると聞いている。本来ならば厳密には王家と政府は別の組織だ。王家は政府のトップではあるが、王家が機能せずとも政府として動けるよう、宰相にある程度の権限が渡されている。
だが今の宰相はセドリックによって、お飾りにされたワイスマン侯爵である。勝手に動くとは思えない。
そうなってくると、残るは【北壁】の関係者か別の組織という事になる。
ため息をついたランディが、天井を見上げて考えをまとめ始める。
仮に【北壁】の関係者だとすると、わざわざリスクを冒して侵入する理由が見当たらない。セドリックから、面会の要望とある程度の話を通しているからだ。その状況でランディ達が暮らすこの家に侵入する目的が分からない。
(他国と通じてる……ってんなら話は別だが)
天井を仰いだまま考えるランディだが、その考えを頭の隅に追いやった。
確かにアーサーの婚約者でありながら、今の今まで沈黙を保ってきた不気味さはある。それこそ国を見限り帝国と裏で通じていると言われたほうが、納得できる程度には。
だが仮にそうだとして、この家に侵入する目的はない。会談の主体となるのはあくまでもセドリックやキャサリンで、ランディやリズは補助要員でしかないのだ。
(セドリック様の弱みを握る……ってんなら分かるが)
セドリックのアキレス腱とも言えるリズ。その秘密を暴くために、わざわざここまで侵入したというのであれば納得が出来るが、それこそ弱みを握る理由が見当たらない。
セドリック達に協力する気がない、既に帝国と通じているなら、会談を早々に切り上げて追い返せばいいだけだ。
「あー。駄目だ。最近頭脳労働ばかりで、全然頭が回らねー」
考えた所で推論の域を出ることはない。であれば、やはり相手にもう一度来てもらうしかない。
そう思ったランディが、相手が現れるまで、そして晩飯までのわずかな時間を有効活用しようと、自室へと上がった。
侵入者が気にならないわけでは無いが、試験も喫緊の問題なのだ。相手が見えぬ以上、そして今回の話が出てから監視が来た以上、北に向かっている面子の安全も保証されているわけでは無い。
もちろんハリスンがついているので、少々のことなら問題はないが、安全に配慮するに越したことはない。つまり絶対に試験には合格し、リズが迎えに来た時には合流できるよう準備しておかねばならない。
そんなこんなで、ランディが自室の扉を開いた――瞬間、ランディを真っ白な煙と言い表せない香りが包みこんだ。
夕暮れ前の王都は、家路を急ぐ人やかき入れ時に声を上げる商人たちの声で賑やかだ。そんな賑やかさから切り離されたような、閑静な住宅街。
学園にほど近い高級住宅街の一画を、一組の男女が歩いていた。傍目には恋人同士に見える男女だが、笑顔で交わされる会話は物騒そのものだ。
「……上手く発動しているんんだろうな?」
笑顔で声を落とした髭面の男に、「ええ。何度もテストしましたから」と隣を歩く女性が頷いた。
「まあ準備にあれだけ時間をかけたのだ。発動してもらわねば困るか」
ため息混じりの男が、前から歩いてくる女性からそっと目を逸らした。住人の記憶に残らぬよう、最新の注意を払う男が周囲に気を配って顔を上げた。その瞳に映るのは、ランディとリズが住んでいるあの借家だ。
男に遅れるように、別の通りからも複数の人間が顔を出した。バラバラに現地入りした彼らの格好は様々だ。あるものは高級そうな服に身を包み、またあるものは作業着のような服装である。
それだけで誰も彼もが入念に準備をして街に溶け込み、自然を装いこの場所までたどり着いた事が分かる。暗部のうろつく王都で、怪しい動きなどしようものなら、すぐに補足されるからだ。
統率された彼らが静かにランディ達の家を見上げる。静まり返った家の中は、誰もいないかのようだが、彼らが感じるわずかな気配は、ランディの在宅を示している。
「動かないな。しっかりと効いてるみたいだ」
「当たり前です。技術局が開発した、最新式の魔法陣ですよ」
ため息混じりの女性に、「悪かった」と男が軽く両手を上げて謝った。だがそれも短い間のやりとりだ。すぐに表情を真剣なものに戻した男が、全員を見回す。
「時間がない。あと数十分もすれば、隣家の住人も暗部の監視も戻って来る。」
男の言葉に、全員が静かに頷いた。
「二班は見張り、三班、一班は俺に続け」
男が躊躇いもせず、門を押し開けて小さな庭を駆け抜けた。扉にたどり着いた男の指示で、一人の女が鍵穴にピッキング道具を突っ込む。ほとんど抵抗なく、「カチリ」と音がして、滑り込むように男女が家の中に消えていった。
「それにしても、暗部の連中が少なくなったのはラッキーでしたね」
家の中をコソコソと進む別の男が、笑顔を見せた。彼の言う通り、遠目からであるが一昨日くらいまでは暗部がこの家を監視していたのだ。そのせいで彼らもランディや周辺住民の行動パターンを探るくらいしか出来なかったのだが、ここに来て暗部がその数を減らし、広い王都の警らシフトに変化が出たのだ。
その理由は単純で、王家の命令により一時的に【星詠の塔】に護衛を割いているからである。遺跡の封印を解くかもしれない金と銀の玉。それをラリエン星辰議長が完全に封印するまで、暗部を護衛として割いているのだ。
奇しくもランディが遺跡の情報を上げたことが、敵を助ける事にもなっていた。
とは言え完全に監視がなくなったわけではない。いくら【星詠の塔】に護衛を割いているとは言え、要警戒人物のランディを、王家と王都を守護する暗部が放っておくわけがない。
だが彼らにはその短い時間で十分であった。一瞬訪れた空白。その間に複数の男女が自室前で倒れるランディのもとにたどり着いた。
「流石大型魔獣すら昏睡させる新魔法だな」
納得するように頷いたリーダーが、ランディの顔を持ち上げて確認した。
「これから始まる悪夢の前に、良い夢でも見てると良いな」
鼻で笑った一人の男が、ランディの巨体を担ぎ上げた。
「よし、三班は二班と協力し撹乱の後合流しろ」
短く指示を出したリーダーに数人の男女が頷いて、その姿を消した。残った男女たちが息をひそめることしばらく、遠くから聞こえた爆発音に紛れるようにその姿を消した。
その日、王都の商業区、貧民街と全く関連性のない場所でも連続で起きた爆発事件は、ランディを連れ去った連中の狙い通り、暗部や衛兵達の目を完全にランディの存在から遠ざけていた。
男たちの計画通りに事は進んでいた。暗部の目をごまかし、静かなうちにランディを拉致し、更に謎の爆発事件でその目を遠ざける。完全に計画通りだ。
暗部がランディの不在に気づく頃には、彼らの目的は既に達成されている予定だ。
全て計画通り。
ただ彼らは知らない。いや、ランディを調べ上げ、事前にしっかりと準備したつもりであった。
魔の森。
Sランクとの決闘。
そして最新のインフェリオル・ロードの瞬殺まで。
しっかりと調べ上げ、ランディの実力を理解した上での行動だった。
だがそれはどこまで行っても、彼らの中での結論だ。本質は全く違う。ランドルフ・ヴィクトールという、男の真価を彼らは知らない。自分たちが巣に招き入れた者の正体を、彼らが知るのはもう少し後だ――




