第153話 リズのパワーアップにと思いつきで書いた魔法理論が楽しそうなので、いつかちゃんとした魔法モノを書きたいと思いましたが、多分自分の頭がついていかないだろう、と駄目な気がしてきたので保留にします
ランディが再々試に挑み、エドガー達が壁画の情報に騒いでいた頃、リズはヴァルトナー侯爵領へ向けてノンビリとした馬車旅の真っ最中だった。
綺麗に整備された街道は、改良された馬車だとほとんど揺れもなく快適そのものだ。小気味よい振動と車内に降り注ぐ柔らかな陽光は、熟練メイドであるリタですら主の前でウトウトとさせるほどである。
そんなまったりとした旅路の中、リズはと言うと、こちらも瞳を閉じていた。傍目にはスヤスヤと眠っているように見えるそれだが、正確には寝てはいない。
精神世界の中にいる、と言えばいいだろうか。とにかく、己の中でエリーとリズは膝を突き合わせて対話中なのだ。
『よいかリズ。今までお主に教えてきたのは、魔法における基本中の基本じゃ』
リズと全く同じ顔、だが黒髪に赤眼のエリーがニヤリと笑ってその指先に炎を灯した。
『今回お主に覚えてもらうのは、累唱と呼ばれる技術じゃ。これが出来るようになって初めて、お主は魔法の深淵を覗く資格が得られると言えよう』
『累唱ですか? 言葉通りに聞けば重ねがけのように聞こえますが……多重詠唱と何が違うのでしょう?』
首を傾げるリズに、『あんな子供だましと一緒にするでない』とエリーがまた笑った。
多重詠唱とは、一度に二つ以上の魔法を展開する高等技術だ。魔力の制御とイメージ、それらを同時に進行させる必要があるため、今の世界でも出来る人間は限られると言われる技術である。
それを〝子供だまし〟と一蹴したエリーが、多重詠唱の欠点をつらつらと述べだした。
曰く、どれだけ集中してもイメージの分散は避けられないこと。
曰く、そのイメージの不和が、魔力消費の無駄に繋がること。
曰く――
『結局、魔法を同時に発動させるだけで、無駄な労力を使うわりに、実用性に乏しいの』
鼻で笑ったエリーが、水と火を同時に出したとして何になる?と続けた。
『確かにそうですが、防御魔法と攻撃魔法の同時展開は――』
『リズや。その中途半端さが、己の命と仲間の命を危険に晒すのじゃ』
真剣なエリーが見せるのは、指先に灯った真っ白な炎だ。見た目には小さい炎だが、今のリズにはそこに込められた恐ろしいほどの魔力がよく分かる。それこそ、あの海岸でぶっ放した疑似ドラゴンブレスに匹敵する程度には、強力なのは間違いない。
人の身でそれを可能にする技術。今のリズでは、到底理解が及ばない。真っ白にそまる炎を見つめるリズの頬を、冷や汗が伝う。
『多重詠唱でこの魔法が防げるか?』
ニヤリと笑うエリーに、リズが黙ったまま首を振った。
『累唱が可能になれば、この程度朝飯前じゃ』
息を吹きかけ指先の炎を消したエリーに、『よろしくお願いします』とリズが深々と頭を下げた。
『よろしい。まず累唱とはお主の言った通り、同じ魔法の重ねがけじゃ』
あまりにも簡単に言ってのけるエリーだが、それを聞くリズの顔は強張っている。
『この言葉だけで難易度が分かるなら、やはり見込みはあるの』
カラカラと笑うエリーだが、リズの方はそうもいかない。言葉にすれば単純だ。同じ魔法を重ね掛けする。だが実際に聞くとやるでは大違いだろうという事を即座に理解した。
なぜなら、計算があまりにも膨大になるのだ。
通常多重詠唱に必要なのは、並列思考とそれぞれの魔法式の同時展開と言われている。魔力の分配や、それぞれの式が矛盾なく起動するよう詠唱をする。非常に難しく聞こえるが、実際ほとんどの魔術師が数式を感覚的に理解して、イメージとして頭の中に持っている。
そのイメージをどちらも矛盾なく展開する。それが多重詠唱と言えよう。
だが累唱はそうもいかない。
『最も基本的な攻撃魔法、ファイヤーボールを例に考えるぞ』
指先に小さな火球を灯したエリーが、『ファイヤーボールの魔法構成は分かるな?』とランディですら知っているような事を問いかけた。
『はい。生成、維持、移動……加えて爆発を入れる場合もあります』
『では、それぞれにおける魔法式を答えられるか?』
これまた基本的な問題だが、この辺りからランディは非常に怪しい。いや、恐らく出来ない。「ファイヤーボールくらい出せるわ」と言いたいランディだが、ランディの作るそれと、リズが作り出すそれは、似て非なるものである。
そのくらい、魔法式という物は奥が深く、複雑だ。だがそれらをリズはスラスラと答えていく。
例えば生成に必要な魔力量を計算する式は、〝魔力変換効率〟、〝火球の質量〟、〝火球の温度〟三つの乗法だ。この内、変換効率は術者の熟練度に比例する固定値だが、それ以外は所謂変数である。温度や質量を上げれば、それだけ魔力量が増える。至極単純な計算だ。
だがさらにそれらを維持するとなると、より複雑な式が必要になってくる。
魔法は世界に干渉する現象なだけに、それらを維持する力場を形成する必要がある。初等教育では、力場のエネルギー強度を固定値とし、火球の体積に掛けるだけである。実にランディ向けの計算式だが、高等教育になるとそうではない。
生成されたファイヤーボールの場所ごとに、エネルギー強度が違うのだ。例えば内部は、魔法に覆われている為エネルギーは小さくて済むが、外部は世界に直接触れているため、力場を構成するエネルギーが大きくなる。
故に積分を利用して、火球全体を維持する総エネルギーを算出している。この時点でランディは迷子だ。
なんせ、∫(インテグラル)など読めもしないのだから。〝細長いS〟。ランディの中でそう名付けられた記号まで利用した式の説明に『ウムウム。基本は大丈夫じゃな』とエリーは満足そうだ。
その他にも発射速度の計算や、かりに爆発を加えた場合の計算など、ランディでは到底理解できない高度な会話が二人の間で交わされる。
もちろん魔法使いが毎回複雑な計算式実行しているわけではない。先述した通り、彼らは何度も魔法を繰り返すことで、それぞれを感覚的に実行しているにすぎない。端的に言えば、何度も計算カードを繰り返し、自分の中に数式と答えをストックしていくわけだ。
この強さのファイヤーボールなら、使用する魔力量はこれだけ。
これが所謂〝イメージと魔力で魔法が放てる〟と言われる所以でもある。
そんな具合だが、累唱と言うと話が変わってくる。
『もう一度言うが、累唱は魔法式を重ねがけする必要があるわけじゃ』
いくら感覚的に覚えているとは言え、それらをもう一度唱えるとなると、計算は一気にややこしくなる。質量や温度が高くなれば、それだけエネルギーも増大する。エネルギーが上がれば、それを維持する為のエネルギーも……そこで力場の計算をミスすると、即座にファイヤーボールは暴発するだろう。
あまりにも危険すぎる技術だが、ニヤリと笑ったエリーが『ちなみに妾は魔力がある限り、どこまでも累唱可能じゃ』とリズを煽った。
『一つだけ教えてください』
真剣な眼差しのリズに、エリーが指先に吹きかけようとした息を、『なんじゃ?』と言葉に変えた。
『累唱の難しさは理解しましたが、エネルギーを込めた式を新たに構築した方が効率もいいのではないでしょうか?』
通常より二倍の威力の魔法を準備する。そんなリズのもっともらしい疑問に、『普通は、の』とエリーがカラカラと笑い、指先の火球を再び吹き消した。
『まあ、騙されたと思うてやってみよ。お主なら、累唱という技術の有用性が見えるはずじゃ』
エリーの言葉に渋々ながら頷いたリズが、ゆっくりと瞳を閉じた……精神世界から戻ってきたリズが、今度はゆっくりと瞳を開く。
外は既に日も傾き、今日の宿を取る予定の街が遠くに見えている。
「ランディも頑張ってますからね。私も頑張らないと……」
呟くリズの視線の先には、見えぬはずの王都が映っていた。
☆☆☆
「さてさて、ついに明日は数学だな……」
まだ日も暮れぬ段階から、教科書と参考書を開くランディは今日の試験の手応えをバッチリ感じている。
「……出たな。細長いSめ」
苦い顔をするランディだが、その意識は参考書ではなくある一点に集中されている。気取られぬように、されど相手をつぶさに観察するように……。向かいの屋根に潜む、気配へ意識を向けたままのランディが、小さくため息をついた。
「試験勉強に集中したいんだが」
面倒だ、とランディが再びため息をついた頃、気配が遠ざかっていく。ランディに気取られている事に気づいたか、それとも目的を達したのか。この場所からだとランディにはどちらか分からない。
「さて、誰の差し金かな……暗部か、【北壁】か、それとも別の連中か。リズ達が迎えに来るまで、もう少し時間があるし、調べるか」
ボンヤリと窓の外を眺めるランディの瞳には、ゆっくりと夜が訪れる街が映っていた。




