第147話 そりゃあれだけ夢中になれば……ね。
「全く……昨日の今日で――」
呆れ顔のセドリックだが、「リザはいつでもおいで」とリズにだけは完璧なスマイルを見せていた。
相変わらずのシスコンぶりだが、明日には北へ向けて移動を開始するセドリックが、こうしてわずかでも時間を作ってくれた事にランディは深々と頭を下げた。
セドリックの忙しさは、比喩を抜きにこの世界で一番だとランディは思っている。
様々な事業の監督。
ルシアン侯の名代としての社交会への。
王家の動向調査。
そして……最愛の妹の見守りだ。
「試験は上手くいったみたいだね」
リズに見せる満面の笑みは、彼女が「バッチリでした」と試験終わりに笑顔だった事に由来しているのだろう。
「良く分かりましたね」
「顔を見れば、バッチリさ」
今も驚くリズに、「兄だからね」と宣っているが、間違いなくリズにつけている影からの報告なのは間違いない。
忙しいなら、妹の動向などある程度に留めておけばいいのに。ランディからしたら、そんな感想を抱いてしまうが、セドリックからしたら多忙な中に出現するオアシスなのだ。
リズの見守りを止めるという選択肢はないだろう。
ひとしきりリズとの会話を楽しんだセドリックが、ランディに真剣な目を向けた。
「……それで? 話したいことがあるって?」
「ええ。これなんですが――」
ランディがセドリックに差し出したのは、壁画の写真だ。
「……これは」
ランディが説明するよりも早く呟いたセドリックは、この壁画に見覚えがある様子だ。
「この壁画って研修で行った遺跡だよね?」
セドリックの言葉にランディが「やはり知ってましたか」と頷いた。
「知ってるも何も、良く覚えてるよ。僕も学生の時に行ったからね」
ため息混じりのセドリックが、「懐かしいな」と目を細めて写真を持ち上げた。
「驚きました。セドリック様程の方が、五階層の奥までたどり着けなかったんですね」
驚くランディに、セドリックが苦笑いでミランダを振り返った。
「……若気の至りというやつです」
苦虫を噛み潰したようなミランダと、「ま、青かったってことだよ」と肩をすくめるセドリック。どうやら彼らにしか分からない何かがあったのだろう。
「お二人の学園生活は、今回の事が成功した打ち上げの時にでも聞くとして……」
話を打ち切ったランディに、セドリックとミランダも再び視線をランディに戻した。ランディとて、気にならないわけでは無いが、今はそれを話している程時間があるわけでもない。
「この壁画の内容を解読しました」
サラリと言ってのけたランディに、「それはまた……」とセドリックが驚きを隠せない表情を見せた。
「内容が内容でして。上手く使えば北との交渉中に政府の混乱を誘えるかな……と」
そう言いながらランディはセドリックへ詩の書かれたメモ紙を渡した。それは重大な事が書かれている、とは思えないようなただのメモ紙。ただのノートの切れ端。
それでもメモ紙に妙な圧を感じるように、セドリックがゆっくりとそれを持ち上げた。セドリックの肩越しに、ミランダもメモを見ようと顔をのぞかせた。
「壁画に描かれていた文字を解読した内容が、それになります」
「……これはまた、意味深な事が」
考え込むセドリックと、「この内容に間違いはないのですか?」と訝しげなミランダ。
「絶対大丈夫か、と言われるとあれですが――」
苦笑いのランディに、ミランダが「かなり自信はある、と?」真剣な表情で、メモ紙からランディへと視線を戻した。ミランダの疑問はもっともだ。今まで国の研究機関が総力を上げても、解決できなかった壁画の内容である。
その内容がこれです。と渡されて「わー凄いですね」と両手を上げて信用するわけにはいかない。
もちろん疑い深さは、ランディやリズへの不信からではない。セドリックの護衛として、起こりうるリスクへの備えと言えるだろう。
そんなミランダに迎合するかのように、セドリックも机に紙を置きながら口を開いた。
「内容は確かに気になるね。壁画の様子ともリンクしているとも言えなくない」
玉座のようなものに座る男。
その背後に見える巨大な円形の図。
渦巻く黒い炎。
巨大な黒い月と神殿。
それらは確かに詩の内容にリンクしていると言える。だが、壁画自体が抽象的な内容であり、流石にセドリックもミランダも全面的に「これはすごい」と受け入れるには、まだハードルが高い。
なんせランディが、この情報で政府を混乱させると言っているのだ。セドリックもミランダも確かに内容が本当であれば、政府の混乱は必至だと理解している。だから、なおのこと慎重になる必要がある。
これが仮に間違いで、簡単に覆されてしまえば、逆に北との交渉中に要らぬ邪魔が入るとも限らない。
二人から向けられた真剣な視線に、ランディは「そりゃそうか」と内心呟きつつ、別のメモ紙を二つ手渡した。
「元の文字列がこれです」
それはエリーやリズと書き記した文字列と、ルキウス学園長が書いてくれたものだ。
「……この字体は――」
「ルキウス学園長のものかと」
ミランダの言葉に「そうだね」とセドリックが頷いた。
「壁画に書かれている文字列は、学園長にも協力してもらって確認したので、この内容で間違いないです」
「確かに……写真と見比べても同じだね」
ローマ字の羅列と写真とを見比べるセドリックに、ランディは「そしてこれです」と平仮名で書き記した、いわゆる〝ふっかつのじゅもん〟を手渡した。
「……古代語か」
「読めるんですか?」
「まさか。存在を知っているだけだよ」
肩をすくめたセドリックに、ランディは思わず安堵のため息をついた。あれもこれも出来る男が、古代語の解読まで出来るとなれば、いよいよバケモノじみているからだ。
「何か失礼なこと考えてない?」
「まさか……」
苦笑いで首を振ったランディが、「話を戻しましょう」と呪文に漢字やルーンの意味を当てはめたもの、そして五十音表を元に暗号を解いたもの、をそれぞれ手渡した。
「なるほど。内容はわからないけど、写真のこの文字と、ここは一致してるね」
ビジュアル的な判断しか出来ないセドリックだが、先程写真をチラッと見ただけなのに、メモの中にある漢字と写真を結びつけるあたり、やはりバケモノかもしれない。
「確かに。この解読の順番を見ると、君の自信も分からなくはない」
全てのメモを机に置いたセドリックが「フー」と大きなため息をついた。
「ただ残念ながら、王家に封印の逸話が伝わっているかどうかまでは、僕でもわからない」
首を振ったセドリックに、ランディは「そりゃそうですよね」と言葉とは裏腹に落胆した顔を見せた。分かっていた。いかにセドリックと言えど、流石に王家だけに伝わるような事は知りようが無いことなど。
それでももしかしたらセドリックなら……と思わせるだけの男だ。
そんな男が把握していないとなると、本当に伝わっていない可能性も無視できない。
不確定要素が多すぎる状況で、この情報を渡すのは躊躇われる。正直ランディとリズからしたら、政府を混乱させるのはあってもなくてもいい。ランディ達のアシストがなくても、セドリックなら最終的に上手くやるだろうことは明白だからだ。
だが政府と研究機関が、あの遺跡から手を引いてくれないのは困る。あの扉を何としても調査したい二人……いや三人にとっては、連中が居なくなる保証が欲しいとも言える。
分かりやすく落胆したランディとリズに、セドリックが思わずと言った具合に微笑んだ。
「伝承は知らない。けど、今の政府がどう動くか……の予想くらいは出来るよ」
微笑んだセドリックが語るのは、まず間違いなく遺跡どころか島ごと封鎖されるという見込みだ。
「現王は馬鹿ではない小者だ」
あけすけなく国王をディスる兄に、「お兄様」とリズが苦笑いを浮かべるが、セドリックは事実だろうと笑みを返すだけだ。
「ジェラルド陛下は、基本的に事なかれ主義の、現状維持が大好きな王様だ」
わざわざ〝陛下〟を強調するセドリックが更に続ける。
「陛下は大きな変化を極端に嫌う。例えば自分の地位を脅かされたり……とかね」
肩をすくめるセドリックに、ランディも「あー」と微妙な声をもらした。その結果としてリズの国外追放。ルシアン侯の提案に乗った教会の上層部を一掃。と王国の今の立ち位置、いわば自分の地位を護ってきたわけだ。
「エドガー君の継承権を取り上げないのも、自分の身可愛さだろう」
呆れ顔のセドリックに「どういう?」と首を傾げるランディに、リズが国王には弟である公爵がいることを教えている。王国の東端に位置する領地で暮らし、ほとんど中央に顔を出すことはないらしいが。
とにかくエドガーを廃太子するとなれば、王子の居ないジェラルドの後釜は、王弟である公爵かその息子という事になるのだ。
「なるほど。そんな王様なら、治世が乱れるかもしれない謎の遺跡は封鎖一択……ってことですか」
「もちろん、必要な調査の後……だろうけど」
笑顔のセドリックが、ランディの渡したメモ紙を返すように机の上で滑らせた。意味深な笑みと返されたメモ紙に、一瞬眉を寄せたランディだが……「ああ」とセドリックの意図に気が付き手を打った。
「このメモごと研究機関に上げれば良いわけですね」
「御名答。研究機関であれば、古代語の研究もある程度はしているだろうから」
笑顔のセドリックが「あとは、誰がどうやって渡すかだが」とその顔を困った物に変えた。なんせ明日の朝には出発なのだ。そして今はすでに夕方と呼ぶには遅い時間でもある。
研究機関に渡すにしても時間がない上に、そもそも渡す人物がいないのだ。
セドリックやミランダが渡せば、王家も慎重になるだろうし、ランディやリズでもそれは変わらない。むしろ一介の学生が持ってきたとしても、どこまで受け入れられるかも謎である。
情報は渡すタイミングも渡す人物も重要だ。
それが分かっているからこそ、セドリックは悩んでいるのだが……
「それなら、心当たりが一人――」
……笑顔のランディには、もうビジョンが見えている。
「ルキウス学園長に手伝ってもらおうかと」
巻き込む形にはなるが、別に悪事を働こうというわけではない。
「学園長か……確かにいい人選だが」
眉を寄せるセドリックが気にしているのは、明日の朝に控えた出発を前に、どうやって学園長とコンタクトを取るか、という事だろう。だがもちろんランディにはそのビジョンも見えている。いや、もう会うことが決定しているとも言える。
「大丈夫ですよ。私……明日再試なので」
事も無げに言い放ったランディに、「は?」とセドリックが見たことのない表情を見せた。
「試験……全然駄目だったんです」
肩をすくめるランディに、「暗号解読に夢中になりすぎましたね」とリズが諦めたため息をついている。
「確かに元々君たちが居なくても問題は無いけど……」
悔しそうにリズを見ているセドリックは、久々に妹とゆっくり旅でも出来ると思っていたのだろう。
「大丈夫ですよ。残るのは私だけで、北に着く前にリズに転移で迎えに来てもらいますから」
自信たっぷりのランディに、リズとセドリックが「それまでに試験受かるのか?」との言葉を飲み込んだ。
微妙な沈黙に、ランディが「出来ますよ」と口を尖らせる中
「暗号は解読できる。セドリック様と対等に話が出来る。なぜ学校の試験が解けないのです?」
ミランダからもれた心の声に、残った二人が大きく頷くのであった。




