第143話 盛り上がった席の帰りに、「あー。調子乗ったわ」ってなることは良くある。……よくあるから若人は気をつけるんだ
「……よろしかったのですか?」
ランディ達を見送るミランダが、セドリックに視線だけ向けてため息をついた。彼女が尋ねているのは、もちろん先程ランディに約束したルシアンへの口利きだ。
「かまわないよ。父上も間違いなく食いつく」
笑顔でリズに手を振るセドリックに、「そうでしょうけど」とミランダがもう一度ため息をついた。その視線の先では、振り返ったキャサリンが頭を下げている。
会釈を返すミランダに、セドリックが「それに――」と視線を明後日の方向に向けた。
「既に暗部がこの出会いを掴んでるからね。どの道勘ぐられるなら、思い切り手を貸したほうが面白いと思ってさ」
セドリック同様、視線を動かしたミランダが「本当に……」ともう一度ため息をついた。
「不思議なものですね」
もう一度セドリックを見た。つい数時間前までは、聖女キャサリンが尋ねてくる事に、ピリピリしていたかと思えば、今は彼女に対して何も感じていない風なのだ。
「……見損なったかい?」
もう既に見えなくなったリズの背中に、セドリックが手を下ろした。先程まで怒っていたにも関わらず、大切な妹の敵だと宣っていたにも関わらず、金になるとなればその態度を変えた。そう見られてもおかしくない行動に、セドリックは自嘲気味た笑みをミランダへ見せた。
「いいえ。私も似たようなものです」
セドリックの心変わりには驚いたが、それはミランダをしても、である。
侯爵家に仕える身ではあるが、リズとは幼い頃から一緒に過ごしてきた仲だ。リズもミランダを姉のように慕い、ミランダもまたリズを妹のように可愛がってきた。だからこそ、教会の上層部も聖女もミランダにとっては敵でしかなかった。
教会の上層部こそ一掃出来たが、その代わり聖女の罪は不問となった。その事にセドリックと二人、憤ったのは昨日の事のように覚えている。
だと言うのに、今は少しだけ毒気を抜かれた気分なのだ。
「意思は強いほうだと思ってたんだけどね」
「左に同じです」
肩をすくめるミランダに「お金の魔力かな」とセドリックがおどけて笑った。
「まさか……ただ――」
セドリックの笑みに首を振ったミランダとて、そんな浅い話ではないということなど、十分すぎるほど理解している。ただランディと二人きりの間に、何があったのか……それが少しだけ気にならないわけでは無い。
「ただランドルフ様に、してやられた感はありますね」
既に見えなくなった四人の背中に、何度目かのため息をついたミランダに、「それはないよ」とセドリックが笑顔で屋敷へ振り返った。
「僕も少しだけ、思い違いをしてたからさ」
笑顔のセドリックが、ミランダを伴って屋敷へと入る。肩を並べて歩く二人が交わすのは、ランディという男への評価だ。
「さっき二人で話した時に、ランドルフ君にも八つ当たりしたんだけどさ……」
そう切り出したセドリックの話は、ランディくらい機転の回る男であれば、侯爵家と教会、そして国の微妙な立ち位置を把握していると思っていたという内容だ。
「そうですね。ランドルフ様なら、その程度思い当たりそうですが……」
呟くミランダが思い出すのは、ランディという男の言動だ。基本的にリズやエリー、そして自分の実家を最優先にするが、関わりのある人々への心遣いも忘れない。特にブラウベルグやハートフィールド両家には、非常に細やかな気遣いを見せるとミランダも理解している。
だからこそ、今回の訪問が驚きだったのは間違いない。
確かに気遣いという点で見れば、筋を通しに来たと言えるが、それ以上に大きな問題があるのだ。筋を通すだけなら、別に伝言や手紙でも良かった。
「ランドルフ君はさ、もう既に王国政府なんて見てないんだよ……。いや、もしかしたら最初から相手にしてなかったのかもしれないな」
自嘲気味に笑ったセドリックが、執務室の扉に手をかけてゆっくりと開いた。
「……どうぞ、お嬢さん」
優雅に促すセドリックに、ミランダがわずかに頬を膨らませた。自分が分かっていないことを丁寧に説明するセドリック、それを体現するような仕草は、少々子供扱いされている気がするのだ。
それでも一応の主に、そのままの格好はさせられない、とミランダは非難の視線だけを向けながら扉をくぐった。
そうして扉をくぐり抜けたミランダは、無言でテキパキとコーヒーの支度に取り掛かった。最近セドリックが嵌まっている為、コーヒーを淹れるのもお手の物だ。
とは言えまだ会話の途中だったというのに、無言でコーヒーの準備に取り掛かるミランダに、「……あの、ミランダさん?」とセドリックが苦笑いを浮かべている。
セドリックの声を背中に、ミランダが先程投げられた「政府など眼中に無い」発言を噛み砕き、自分の中に落とし込んでいく……ちょうどドリップされたコーヒーがゆっくりとカップに注がれていくように。
カップをソーサーに乗せ、仏頂面で運んだミランダがセドリックの前に
「つまりランドルフ様は、王国政府とブラウベルグとの関係を忘れていたと――」
話の先を促すように、コーヒーを差し出した。そんなコーヒーとミランダを見比べたセドリックが、「ありがとう」と微笑んでカップを手に取った。
「身も蓋もない言い方をするとね」
優雅にカップを傾けるセドリックが続けるのは、そもそもランディにとって、王国政府も教会もリズと言うフィルター越しの相手に過ぎない事だ。
だからはじめから――本当の意味で――相手にしてない。リズの心次第とも言える。そんな事を嬉しそうに語るセドリックを、ミランダは黙ったまま見ている。
「リザが助かった時に、復讐なんて口にするとは思えない」
「つまり――」
「そ。ランドルフ君は、最初から自分で王国政府をどうこうしようなんて思ってなかったんだろうね。立ちふさがるなら、叩き潰すくらいなもんで。だから忘れてた……と言うより、そんな意識がスコンと抜け落ちてた」
そんなめちゃくちゃな。と思わないわけではないが、ランディの強さを思い出したミランダが、あり得ると頷いてしまった。
「さっき、八つ当たりした時の彼の顔、見せてあげたかったよ」
カップを片手に爽やかに笑ったセドリックが、ランディが見せた「あ」という表情を語っている。そういえばそうだった、とでも言いたげな表情に、セドリックは毒気を抜かれたのだ。
「『まだそんな所にいるのか』。そう言われた気分だったよ」
「それは流石に――」
失礼が過ぎるだろう、と眉を寄せるミランダに「言葉の綾さ」とセドリックが首を振った。実際にランディがそんな事を思うはずがない。単純に失念していた事への羞恥だが、セドリックからしたら楽しそうに毎日を生きるランディやリズが、眩しく見えていた。
「彼は彼なりに、ウチへの気遣いを忘れていないし、僕らの気持ちも汲んでくれている」
コーヒーを飲み干したセドリックが、空になったカップを見つめてため息をついた。
「僕らの傲慢な思い違いさ。彼は僕らの都合に付き合ってくれてるに過ぎない。それこそリザを介して、ね。つまりリザが見ていない相手なんて、もう眼中にないんだよ」
ため息混じりのセドリックが続ける。
「そして、いつまでも彼を付き合わせるわけにはいかない」
カップとソーサーが立てる「カチャリ」という音が室内に響き渡った。
「とは言え……とは言えだ――」
セドリックの瞳に宿る炎に、ミランダが息をのんだ。
「我々は国に対価を支払わさねば、前に進めないのも事実」
真っ直ぐなセドリックの視線に、ミランダが大きく頷いた。それは復讐と言われたらそうかもしれないが、侯爵家にとっては必要な過程でもある。
大事な一人娘に舐めた真似をした輩には、徹底的に分からせねばならない。それでこそブラウベルグであり、それこそ貴族の本質だ。舐められたまま引き下がれば、それは自分達の格を下げる事になりかねない。
「父上が敢えてリザの籍を、戻さない理由を痛感したよ」
「リザ様は優しすぎますからね」
「そういった意味でも、ランドルフ君が保護してくれたのは、最適だったかもしれないね」
小国の田舎貴族。そんなランディが、王国や教会に楯突かずとも、誰も何も言わない。それどころか自由闊達に二人の生を楽しんでる姿は、舐められるどころか、羨望の眼差しすら向けられている。
彼らが好き勝手自由に生きることで、結果としてリズを陥れた連中が破滅していっているのも、何とも因果な話でもある。彼らにはその気がないから、相手からしたらタチが悪いだろう。
しがらみのない二人が、好きなことに取り組み、少しずつ力をつけている。その結果、自分を陥れた連中よりも先へと歩いていく――
誰が聞いても羨むサクセスストーリーだ。
「だから僕らも、リザに恥じぬ実家であらねばならない」
大きく息を吐き出したセドリックが、「いつまでも政府ごときに構っていられない」と笑みを浮かべた。
「僕もそろそろ彼に追いつかねば」
先程の発言と矛盾するような言葉だが、ミランダにはその真意がはっきりと分かっている。
「次の一手が決定打になる。と……?」
「さあね。僕らは手を下さないよ――」
椅子に深く座り直したセドリックが、窓の向こうをチラリと見た。見えるのは綺麗に整理された庭だが、その向こうには間違いなく王宮があるはずなのだ。
「――自らの命運を選び取るのは、いつだって彼ら自身さ」
セドリックの瞳には、見えぬはずの王宮が映っていた。
☆☆☆
侯爵家別邸を後にしたランディは、セドリックやミランダが見えなくなった途端、分かりやすく落ち込んでいた。会談の最中こそあまり気にしなかった事だが、こうしていざ冷静になってみると、自分のやらかしが重くのしかかってくる。
どこか覚えのあるその感覚を探るランディが、ようやくたどり着いたのは前世の記憶だ。飲み会の帰りに、「あんな事言わなきゃ良かった」と思うのに良く似ている。
「あー。やっちまったな……」
項垂れるランディに、キャサリンが「ごめん」と頭を下げた。流石のキャサリンも――詳細こそ分からずとも――ランディのやらかしが、自分由来だという事くらいは理解している。
「いやいいよ。完全に忘れてたのは俺の方だし」
そうは言うが、セドリックにキャサリンを引き合わせるのは、流石に早かったとランディの中で後悔が止まらない。セドリック達の立場を完全に失念していたのだ。
エリーの過去を利用する教会上層部を一掃した。
リズの中でキャサリンとの決着がついた。
そもそも王太子や王国に何の感慨もない。
そんなこんなで、セドリック達が現在進行系で王国政府とバチバチなことをすっかり忘れていたのだ。
「それは……私もすみません」
リズも完全に自分の立場を忘れていた事を、ランディに謝った。なんせここ最近一番ノリノリで様々な事に手を出しているのだ。リズとてはしゃぎすぎたという自覚がある。
「唯一の救いは、セドリック様の協力が得られそうな事くらいか」
項垂れていた背筋を伸ばすランディに、キャサリンもリズも不思議そうな顔を見せた。二人の顔には「よく協力が得られたな」とでも書いてあるようだ。
「まあ、色々あってな」
まさかこんな白昼の大通りで、〝国に一杯食わせる〟などと言えるわけがない。それでも勘の良いリズは何かに気がついたようだ。
国が取り上げた教会の荘園。
教会が運営していたいくつもの孤児院。
国と教会との微妙な立ち位置。
そしてキャサリンが開発したコタツ。
これらが繋がったリズは、「つくづく私は政治には向きませんね」と呟きキャサリンに向き直った。
「もしかしたら、キャサリン様は私の救世主だったのかもしれませんね」
急に突飛なことを言うリズに「ぅ゙ぇええ?」とキャサリンが素っ頓狂な声を上げて仰け反った。
「気持ち悪いんだけど……。何企んでんの?」
眉を寄せるキャサリンに「本心です」とリズが意味深に笑うだけだ。
「ちょっと、教えなさいよ!」
リズの肩を叩くキャサリンだが、リズは「さあ?」と言うだけで取り合わない。そんな女子二人を眺めるランディとレオンが、顔を見合わせて肩をすくめた。
「俺にも何が何だか分かんねーっす」
「キャサリン嬢は、聖女だったってことでいいんじゃねーか」
レオンに笑顔を見せたランディが、王宮のある方を振り返った。
「次の一手で、『ごめんなさい』してくれりゃ良いけどな」
ランディの呟きは、「教えなさい」「駄目です」と笑う二人の声にかき消されて消えるのであった。




