第139話 時に怒られる事も必要
「それで? 久々に連絡を取ってきたと思ったら……」
いまランディとリズは、キャサリンとレオンを伴って、セドリックに会いに王都にある侯爵家別邸を訪れている。高級魔石ストーブの火が暖かなセドリックの執務室だが、その場にいる全員が冷ややかなセドリックの視線を感じていた。
呆れ顔のセドリックが、「まさか聖女様もご同行とはね」と肩をすくめてみせた。影の報告で様々な事を知っているだろうに、セドリックの言葉には隠しきれないトゲが含まれている。
事実彼の後ろで控えるミランダも、わずかに呆れた顔を浮かべているのだ。……何をやっているのか。とでも言いたげな視線から、ランディはそっと目を逸らした。
だがその先にあるのは射抜くようなセドリックの視線だ。刺すような彼の視線に、ランディも何と言えばいいか言葉を探している。
普段なら内輪な雰囲気が感じられる彼の執務室も、今だけはドライでビジネスライクな雰囲気だ。まるで〝必要な用件だけ聞こう〟。そう言いたげな雰囲気に、ランディを含め全員がのまれかけていた。
ランディ達がここに来た理由は、少々時間を遡る……
――――――
一先ず布の形状が決定し、三人娘が構想を練り直した銅製熱源装置も一応の形が出来上がった。本音を言えばルーンを埋め込んで、更に効率を上げたい所だが、ルーンの刻印にはまだまだ大きなハードルが存在する。
リズやエリーのように、ポンポン施せるほうが異常なのだ。生産体制を考えれば、まだまだルーンを使用する事は無理である。故に、ルーン抜きで出来上がった装置だが、流石に時間をかけて練り上げただけあって、効果は上々といった所であった。
まだまだ下に嵌め込む為の机の形状や、布の選定などがあるが、既に暗くなってきた空に合わせるように、試作は一旦終了ということになった。
なんせ銅の確保と加工が上手くいかなければ、話が全て白紙に戻るのだ。これ以上の試作は、早計と言えるだろう。
最優先はまず安定した銅の確保。それと生産体制の確立。販売経路の開拓……やるべき事は山積みだ。正直に言えば、どれもこれもブラウベルグを頼るのが一番早い。だが今回はキャサリンの発案だ。
ブラウベルグが「喜んで」と言ってくれるとは思えない。だが頼れないからと、話さない事は別だ。
(筋は通すべきだよな……)
いくらリズが既にヴィクトールの人間とは言え、やはり通すべき筋というものはある。それは家同士の信頼でもあるし、何よりランディがそこを疎かにしたくない。
銅の確保もだが、それも最優先と考えたランディが、装置の完成に湧く全員を他所に、明後日の方向へ向けて手を振った。
「なにして――」
キャサリンが眉を寄せたその時、真っ黒な影が一人ランディ達の前に現れた。
「すみません。呼び出すような形をとってしまって」
頭をかくランディに、「構いません」と影が首を振る。
……侯爵家が有する影。ミランダの配下だろう男は、未だに一定の距離を保って、毎日リズを見守っている。彼らもランディの強さは理解しているだろうが、ランディとて完璧ではない。
ランディの穴を埋めるよう、日々リズを護る彼らの忠誠心の高さは、見上げたものだとランディは思っている。
そんな影を呼び出したランディが、先ほどの「すみません」に続いてまた口を開いた。
「すみませんついでに、メッセンジャーをお願いしたいのですが」
言いにくそうなランディに、「セドリック様でしょうか?」と影が答えた。
「ええ。面会のお約束をと思いまして」
ランディがそれだけ言うと、「しばしお待ちを――」と言って影がその場を離れた。
「な、何なのあれ……」
頬をヒクヒクさせるキャサリンに、「リズの護衛だ」とランディが周囲に視線を飛ばした。
その行為の意味を理解したのだろう。キャサリンが「よくアタシ殺されなかったわ」と冷や汗を流している。確かにキャサリンの言う通りリズを罠に嵌めた時点で、殺されてもおかしくない防衛体制だが、それが敷かれるようになったのはつい最近の話だ。
ランディも一度気になって聞いたことがあるのだが、本来王都やその周辺に、影を潜ませる事はタブーだそうだ。王家を狙っていると思われかねない行為な上に、王家が所有する暗部を信用していないというメッセージにもなる。
事実リズが追放刑を言い渡された時も、ルシアン侯は王都に居たが影は遠く離れたブラウベルグ領で留守番中であった。王太子の婚約者であるリズやその父も王家の暗部が護るのが筋だったというわけである。
そういった背景と、一気に進んだ追放のせいで、リズはまともな護衛もなく、たまたま侯爵別邸に居合わせたリタをねじ込めただけだったわけだ。
そんな事など知らないキャサリンは、今も「アンタ本当にお嬢様じゃない」とリズから一歩後ずさっていた。
「ウフフフ。キャサリン様が悪巧みをされたら、すぐにバレるようになってますから」
悪い顔で笑ったリズに、キャサリンが「もうしないわよ」と頬を膨らませたのとほぼ同時、先程の影がまた現れた。
「明日の午後、お会いになるそうです」
「えらく早いな」
苦笑いの止まらないランディに、「お察しください」とだけ影が言い残して、また姿を消した。
(さっすがシスコン……って済む話じゃねーよな)
そんな事を思いながら、ちらりと振り返った先で、リズはまだキャサリンやセシリアと話し込んでいた。
――――――――
そんなこんなで、急遽アポが取れた今最も忙しい男に会いに来たわけだが……セドリックの態度を見るに、ごきげんではないのは確かだ。
「すみません」
思わず頭を下げるリズに、「いやいや。リザは悪くないよ」とセドリックが執務机の向こうで慌てて首を振っているが、ランディに向けられる視線には微妙な非難の色が浮かんでいる。
無理もないだろう。事情が事情だ。リズ本人がもう気にしていないとは言え、キャサリンのせいでリズは殺されかけたのだ。そのことについて、侯爵家が忘れる事などない。
もちろん彼らも、いつまでもそれを蒸し返すつもりはないだろうが、それでも雪解けには早すぎるのは同意しか無い。
(ま、俺も結局あの雨の日で絆された側だからな)
あの日、リズに語った通り関わってしまったキャサリンは、完全に黒と断罪するには色々と思うところがあったのだ。
――もしかしたら、彼女は自分だったかも……と。
ゲームの世界だと思って、自分の好きなようにやってきた。その結果、父や家族に迷惑をかけた。だがあの事件があったからこそ、ランディはこの世界でランドルフ・ヴィクトールとして生きていく切っ掛けになったと言える。
リズに「自分はずっと前からランドルフだ」と言ったのは、そういう思いも込めてだ。
だがあの時、あの間違いを犯していなければ……。もしくは間違いに気づいて居なければ……。キャサリンのように、もっと大きな失敗をしていた可能性は大いにある。
だからこそ、彼女が幸恵ではなく、この世界のキャサリンとして生きていく事を決めたのなら応援したいとは思っている。
だがそれはランディの感想であって、キャサリンという一人の人間が、やってきたことが無くなるわけではない。実際に被害にあった侯爵家からしたら、リズやランディがキャサリンと打ち解けているほうが不思議だろう。
「……父上も『リザが決めたことなら』と仰っているが、内心腸が煮えくり返る思いは変わらないだろう」
ため息混じりのセドリックが、ランディ達の後ろで小さくなっているキャサリンを睨みつけた。顔を青くして俯くキャサリンに、ランディは連れてくるべきでは無かったと若干の後悔を感じている。
だがこの場にいることを選んだのは、彼女の意思だ。
自分が発案しリズやランディに協力してもらう以上、筋を通す必要がある。ブラウベルグは絡まないにしても、やはりリズがブラウベルグの令嬢だという認識は、未だに健在なのだ。
望む望まざるに関わらず、ブラウベルグの名前が出てしまう。ならばしっかりとキャサリン本人が、話を通す必要がある。例えそれが針の筵だとしても、己で出向く必要がある。そう語ったキャサリンの言葉に、ランディとリズが同席を許した形だ。
キャサリンとて覚悟はしていただろう。だがまさか、リズの兄がここまでの実力者で、その殺気を一身に浴びるとなれば話は別だろう。今も小さく震える手を握りしめるキャサリンに、レオンが「聖女様」と呟いた。
「大丈夫……」
それに笑顔を返したキャサリンが、セドリックを真っ直ぐ見つめ返した。
「すみませんでした」
深々と頭を下げたキャサリンに、セドリックの眉がピクリと動いた。その凍りつくような表情からは、ランディにはセドリックが何を考えているかまでは分からない。
だが立ち上がった彼に、流石にマズいと……
「セドリック様――」「お兄様――」
「二人は黙っていたまえ」
……リズとほぼ同時にかけた声は、セドリックの冷ややかな声に遮られた。それ以上は有無も言わせない覇気は、ランディやルークにはない迫力だ。
執務机を迂回して、ランディ達を横目にセドリックがキャサリンの前に立った。セドリックの放つ圧を前に、レオンがキャサリンを庇うように一歩前に出る。
「……仔犬が。立ち塞がっているつもりか?」
冷ややかなセドリックの視線に、「当たり前だよ」とレオンが冷や汗の伝う頬を無理やり吊り上げている。
「俺、こんなんでも聖女の護衛騎士なんだよね。ここで退いちゃ仕事がなくなるんで」
軽口を叩いているが、レオンの実力ではセドリックの相手にならない。それでも前に立ち続けるレオンに、キャサリンが「下がりなさい」とその裾を引っ張るがレオンは一歩も退かない。
「この女に護るほどの価値があるとは思えないが?」
「俺にとっては、価値があるからさ」
「ほう?」
相変わらず殺気混じりのセドリックを、リズが堪らず止めようと……するその肩をランディが掴んだ。
――なぜ?
そう言いたげなリズの視線にランディが首を振る。ランディの知っているセドリックは、こんな事を喜んでするタイプではない。賢く、誰よりも頭が回り、そして常に冷静沈着な男だ。
確かに妹ラブを拗らせた、超シスコンの残念な一面を持っているが、普段のセドリックからは考えられない行動は、何か意図があっての事だとランディは思っている。
なんせあのミランダが一歩も動いていないのだ。セドリックの言葉が全て本心なら、いくらなんでもミランダの制止が入る。どんな理由があろうと、この場でセドリックが勝手にキャサリンを断罪するなど、法の下で許される行為ではないからだ。
(折り合いをつけてんのか……それとも、他に理由があるのか)
普段絶対に感情を表に出さないようなセドリック。ランディが知る限り、常に自分の機嫌を自分で取れる出来た男だ。そんな男が、怒りを顕に年下の女性に凄んでいるのだ。間違いなくセドリックの中でも自己嫌悪の嵐なのは間違いない。
恨みつらみを昇華させるための行動か。はたまた別の意図があってか。それは分からないが、ランディに分かるのはセドリックが必要な事だと考えての行動だ。
ならばランディやリズがしゃしゃり出るのはお門違いである。
だから……リズの肩を掴むランディの手に、わずかに力が籠もる。セドリックもキャサリンも信じろ、と。それを理解したリズが、小さく頷いて一歩下がった。
今も睨みつけるセドリックに、キャサリンは「すみません」ともう一度頭を深々と下げた。先ほどと変わらない、キャサリンの声音と震える肩。キャサリンに出来ることは、こうして誠心誠意あやまることくらいなのだ。
その謝罪を前に、セドリックは何かを吐き出すよう、ため息をついた。
「君の事情はリザに聞いてある程度は把握している……。物語の中なのだろう?」
眉を寄せるセドリックに「はい。正確には、〝でした〟」とキャサリンが頷いた。正確には物語ではなくゲームだが、ストーリーという点では似ているだろう。
「そうか。ならこの物語では、僕は君を許すのかな?」
ランディをしても背筋に走るものがある。そんな殺気に、キャサリンが黙って首を振った。
「ここは物語じゃなくて、現実なので……私には分かりません」
首を振るキャサリンに、セドリックがもう一度「そうか」と呟き、踵を返した。その横顔を見たランディは、何となくだがセドリックがこんな事をした理由に思い当たった。
(なるほど。物語と現実か……)
椅子に座ったセドリックは、ランディの視線に気付いたのだろう。少しだけ視線を逸らしたセドリックが、机の上で指を組んで頭を預けた。
セドリックの吐き出したため息が、執務室に響き渡る。
その後しばし流れる沈黙を破ったのは、「分かった」と呟いたセドリックだ。
「好きにすると良い」
その言葉に、「ありがとうございます」とキャサリンがまた深々と頭を下げた。
「ミランダ、客人に茶の一つも出さないのは侯爵家として恥だ」
振り返ったセドリックに、「すぐに手配しましょう」とミランダが頷いて、キャサリンを筆頭に、全員を外へと促した。
「あ、ランドルフ君。君はちょっと――」
ランディを呼び止めたセドリックが「話があるんだ」と、いつになく真剣な表情を浮かべていた。




