第123話 多分正解は無いと思う
学園長ルキウスの部屋を訪れた翌日。ランディとリズは早速その足で戦闘教練の見学のため、旧校舎へ来ていた。
普段なら模擬戦や基礎訓練と言った、体育の授業に近い教練だが、実習前になれば、旧校舎を利用した実戦が盛んに行われる。
ダンジョンでの研修が希望者だけとはいえ、毎年教練に参加している生徒の殆どが参加する研修だ。今年はキャサリンとエドガーの騒動のせいで、三分の一以上が参加しないが、それでも学園のカリキュラムとして、旧校舎での実戦は重要なのだ。
そんなこんなで、旧校舎前には既に生徒達が集まっているのだが……そんな集団から、少し離れた場所にランディは見知った顔を二つ見つけた。
「あれ? お前ら何してんだ?」
「お久しぶりでーす!」
「そりゃこっちのセリフだ」
緩い敬礼をするレオン――キャサリンの護衛――と、眉を寄せるルーク。レオンはまだ分かるが、セシリアの護衛であるルークがこの場にいる。つまりセシリアもいるのだが……
「セシリア嬢は、戦闘教練取ってねーだろ?」
「研修までは、こっちにも顔を出さないといけないんだと」
ため息間じりのルークに「あー。そういう」とランディが納得して頷いた。確かにグループワークなら、魔法教練のメンバーも、参加せねば意味がない。
とは言え魔法教練から参加しているのは、セシリアくらいのものだが。
戦闘教練自体が、魔法を使った戦闘も考慮しているので、魔法教練だけしか取っていない生徒の方が珍しいのだ。
「レオンはキャサリン嬢の護衛か?」
「はい。今学期から従者として学園に通ってるんすよ」
頷くレオンだが、学籍従者ではないため、こうしてルークと遠巻きにキャサリンを見守る事しか出来ない。口調こそ緩いが、優れない表情のレオンの視線の先には、今も孤立するキャサリンが映っているのだ。
恐らくキャサリンの近くにある数人の集団が、彼女の属する班なのだろうが、キャサリンは微妙な位置で俯いたまま佇んでいる。
ちなみにもう一人、セシリアも若干浮いているのだ、そちらは何故か堂々たる王者の風格で、逆に格好良さすらある。
いくらキャサリンとて、流石にあの姿は見てられない、とランディがルークに視線を移して口を開いた。
「お前がいるなら、わざわざ顔を出す必要もなかったな」
ため息混じりのランディに、「何のことだよ?」とルークが再び眉を寄せた。
「護衛の下見、みてーなもんかな」
それだけ言ったランディに、「よく潜りこめたな」とルークが驚いた顔を見せている。ランディの強さや何やを知っているとは言え、ランディ自身は学生の身だ。
学生が学生の護衛という、何とも歪な状況を良く学園が許可したな、とルークからしたら驚きでしかないのだ。
「普段の行いだ」
「エリザベス嬢の、だろ?」
鼻で笑ったルークと、「うるせ」と鼻を鳴らしたランディ。二人がチラリと振り返るのは、真っ直ぐにキャサリンを見つめるリズの姿だ。何を思っているのだろうか。リズの真意は分からないが、それでも孤立するキャサリンを見て、笑うような彼女ではない。
ランディとルークはどちらともなく、視線をリズから集団へと戻した。
「……にしても。途中参加の俺が言うのも何だが――」
周囲へ視線だけ巡らせたルークが、声を落として口を開いた。
「結構ディープな絵面じゃねえのか?」
「まあな」
盛大なため息のランディも、ルーク同様周囲に視線だけを巡らせる。
安物の杖を握りしめ、孤立するキャサリン。
黙って様子を見るリズ。
離れた場所に見える王太子御一行。
それら全てを遠巻きにそれを見守るギャラリー。
あの婚約破棄騒動の主役が、一同に介したこの場は、ランディ達でなくともソワソワする現場だ。
そんな現場を黙って見ていたリズが、「ランディ……」と呟いた。
「どうするのが正解なのでしょうか」
ポツリと呟くリズの言葉に、「さあな」としか応えられない。恐らく彼女は、あのキャサリンの状況にすら心を痛めているのだろう。
キャサリンに向けられる視線は主に三つだ。
王太子御一行を取り巻く、高位貴族だろう面々からの蔑みに近い視線。
王太子達とキャサリンの間にいる集団からの、敵意の籠もった視線。
そしてキャサリンの近くにいる集団からの、腫れ物を扱うような視線。
様々な思惑が混じる視線だが、一様にキャサリンを避けているのだけは間違いない。
とは言え、キャサリンの今の孤独は自業自得でもある。
ゲームだからと、自分本位で好き勝手やって、王太子達を侍らせて他の生徒をモブ扱いしてきた報いとも言える。
教会の権威失墜に合わせ、王太子達への接触禁止だ。後盾を失った彼女は、格好の的と言って良い。
だから貴族は蔑み、敵意を顕にし、彼女に誰かが近づく事を許さない。もしかしたら、聖誕祭での聖女としての活躍を見た上で、脅威として排除しようとしているかもしれない。
視線に込められた本当の気持ちまでは分からない。分からないが、それをリズが許せるかどうかは別なのだろう。
今も、「私は……」と呟いてキャサリンを見つめるリズに、ランディが大きく息を吐いて頭に手を乗せた。
「落ち着け。確かに我慢ならんが……それを受け入れるかどうかは、キャサリン嬢の問題だ」
リズの頭に手を乗せたまま、ランディが真剣な表情でキャサリンを見た。先程まではただ単純に俯いていると思ってたが、あれは違う。貧弱な装備に護る者もいない。それでもあの場に立つのは、彼女なりの覚悟だろう。
その覚悟を恐らく近くで感じたからこそ、セシリアも黙ったまま見守っているのだ。
「どうするかが正解かは俺にも分からん。だがな……」
真っ直ぐなランディの視線に、リズもキャサリンを見つめた。
「ここでもし、お前が助け舟を出せば、アイツは一生お前を超える事は出来ねー……と、俺は思う」
断定できないのは、ランディも自信がないからだ。ここで例えばセシリアと合流して、キャサリンに声をかけるのは簡単だ。
「キャサリン様――」「そんな所で突っ立ってないで、こちらに来なさいな」
そんな言葉をかけるとしよう。簡単だ。二人の性格なら、そうしても何らおかしくない。何ならその絵も想像できる。
…………………
笑顔で手を挙げるリズと、ため息まじりのセシリア。キャサリンの被害者とも言える二人が、まさかキャサリンを呼ぶ姿に、全員が――キャサリンでさえ――ギョッとした表情を見せるだろう。
それでもキャサリンが、少しだけ顔を赤らめ「な、なんでしょうかぁ?」といつもの猫なで声で駆け寄る。
「あなた、その変な話し方はどうにかなりませんの?」
「そうですね。それは止めた方が良いと思います」
「う、うるさいわね」
三人で始まるお喋りに、周囲からの視線の色が変わる。もちろん男を侍らせていた事実は無くならないし、敵意も無くならない。それによる反感は少なからず残るだろうが、それすらもセシリアと一緒に呼ぶという事で緩和させられる。
男を巡ってトラブった筈のセシリアとリズが気にしていない。それは少なくないインパクトを周囲に与えただろう。
少なくともキャサリンと研修を共にする、平民出身の生徒たちには効果はあるはずだ。聖誕祭というインパクトも助けになる。
…………………
一番簡単で、一番効果的な方法かもしれない。だが、それをしてしまえば、キャサリンは新たにリズとセシリアという後盾を手に入れるだけに過ぎない。
「声をかけるのが正解かもしれない……だが――」
「それは、私にとっての正解で、キャサリン様にとっての正解ではないかもしれない……ですよね」
リズの声に「ああ」とランディが頷いた。
キャサリンが歩く道が、大変な事など彼女が一番分かっているだろう。ダンジョン研修など逃げれば良かった。針の筵に敢えて来た以上、キャサリンにはキャサリンなりの覚悟と矜持がある。
「だから俺には正解は分からん。ただな……」
ランディが顎でしゃくる先、キャサリンが顔を上げて見ているのはリズの姿だ。
傍目にはリズを睨みつけているようにしか見えないだろう。だが間違いなくリズとランディにだけは分かる。キャサリンは今、外野の声など全く聞こえていないという事が。
「不思議な方ですね」
「馬鹿なんだろ。底抜けに」
苦笑いのランディだが、不思議と嫌いではない。間違いなく初めて見た時よりも、澄んだ瞳をしているからだ。
「研修の時に、思い切りこき使えば良いだろ」
「そうします」
微笑むリズからキャサリンが視線を逸らしたのと同時、戦闘教練を担当する教官が現れた。乙女ゲーの世界に、ミスマッチなスキンヘッドのマッチョが二人。ガルドとバルクの双子教官は、学園の七不思議の一つにもなった、あの双子の元生徒である。
弟であるバルク教官が、ランディとリズを一瞥した。
言外に含まれる「授業を始めるぞ」と言う圧に、ランディとリズも黙って頷いた。
「んじゃ、俺達は待機してるからな」
授業の邪魔にならないよう、ルークとレオンが更に下がる。その先にいるのは、他の従者達だ。
「それでは、本日の戦闘教練を――」
野太い声で授業内容を話し始めるのは、兄のガルド教官だ。全員に聞こえるように、今も豪快な声で教練の目的や注意点を説明している。
ここからは二人も仕事モードだ。
「……どうですか?」
そんなガルドから視線を逸らすことなく、リズが声を落として囁いた。
「うーん。何とも。集まってるだけで、誰かがリーダーシップを発揮する感じではねーな」
こちらも声を落としたランディが言うのは、遠目に見ていた生徒達への評価だ。もちろん王太子御一行や、研修の辞退組の話ではなく、ランディ達が護衛に付き添う第二班の面々だ。
平民の彼らが、この学園で思い切りリーダーシップを発揮する機会の方が少ないのだろう。元々の割り振りは知らないが、間違いなく指示を受ける側だったのは間違いない。
「なるほど。そうなってくると、指示役はセシリー……ですか?」
首を傾げるリズに、ランディが苦笑いで首を振った。
「セシリア嬢は、火力係だろう。後衛の警戒も必要だし、全体に指示を出すのは難しいんじゃないか?」
セシリアの魔法の威力は【時の塔】で見ている。この面子ならばセシリアは、攻撃に集中させる方が良いだろう。
「そうなると、中央で回復から支援を一手に担うキャサリン様……でしょうか」
「それも大変だろうが……」
ランディが見る限り、キャサリンが組むだろうチームのメンバーは、辞退した面々や王太子御一行と比べるとマシな雰囲気だった。
キャサリンに向ける視線は、敵意と言うより憐憫に近い。今まで好き勝手やってきたツケだとは分かっていても、一人頑張るキャサリンと、掌を一気に返した貴族たちの差に辟易していると言えるかもしれない。
とは言え彼らも我が身が大事である。
不用意にキャサリンと仲良くしてしまえば、他の貴族たちからどんな目を向けられるか分からない。
分かりやすく言えば、彼らは傍観者なのだ。
「そもそも上手く話を聞いてくれるか……だな」
苦笑いのランディに、「それは……まあ」とリズも苦い顔で頷いた。
「まあ、これ以上は俺達が気にしても仕方ねーよ。あとはキャサリン嬢が踏ん張るかどうかだろ」
「ですね」
二人が結論付けた頃、ようやくガルド教官の説明も終わり、そして弟のバルク教官が、兄とは正反対の落ち着いた声を発した。
「皆、気づいてはいるだろうが、今回は見学者が二人いる」
そう切り出したバルク教官が、「自己紹介がいるか?」とランディ達に声をかけた。それに倣うように、一斉に集まる同級生たちの視線にランディは黙って首を振った。
「分かった。見学者がいるからと、気を抜くことのないように」
あえて〝見学者〟といったのは、無用な誤解や非難を防ぐためだろう。ここで下手に護衛のため……だとか言ってしまえば、先程からランディに視線を向けてきた王太子御一行から「待った」が入りそうなのだ。
「顔と見た目によらず、冷静なんだな」
「知りませんでした? バルク教官は、冷静沈着で有名ですよ」
「そのくせ七不思議になったのかよ……そっちのがよっぽど七不思議だな」
苦笑いのランディの前で、「では行こう」と教官が生徒たちを伴って、旧校舎へと入っていく。
「俺達も行くか」
少し離れた場所をランディ達もついていく。目的はあくまでもキャサリン達第二班の様子見だが、そんな事など知らない生徒たちの一部では……
「殿下。エリザベス嬢は何しに来たんでしょう?」
「お、俺が知るか」
「まあ、良いところ見せるチャンスじゃね?」
……お気楽な会話がかわされていた事を、ランディもリズも知らない。
「そういや、キャサリン嬢は何でまたダンジョンに?」
「セシリー曰く、古代に記された神聖魔法の書物があるらしいですよ」
「へぇ。流石ゲーム知識バッチリだな」
感心するランディの視線の先で、キャサリンは真剣な顔でガルド教官に続いて旧校舎へと足を踏み入れていた。
……そう。二人はエドガー達のお気楽な会話など知らない。知らないどころか、既に彼らなど眼中にないのだ。




