第120話 〝どっちか〟じゃなくて〝どっちも〟って言えるくらいの絆はあると思う
冬の日差しが暖かなある日……。ヴィクトールから戻り、怒涛の課題地獄を終えたランディは、リズやセシリアとともに、三学期の始業式に参加していた。
学園の大講堂に全生徒と学籍従者――リズのように、授業に参加している従者――が全員集合して行われているのだが、この形の大々的な式は本来学年の最初と最後くらいのものだ。
つまり学園がこの形を取った理由は、昨年末に起きた〝王太子暗殺疑惑〟の余波を懸念してだろう。
事実、今も「昨年は――」とダラダラと続く学園長の話に、誰も彼もが耳を傾けているのだ。本来ダラダラと続く偉い人間の話など、誰も聞かないのが一般的だというのに、今も全員が彼の話にザワめきでリアクションを返す始末である。
既に裁判などが始まり、多くの生徒が事の顛末を知っているだろうが、やはり学園の関係者から事実を聞かされるのは衝撃の度合いが違う。なんせ生徒――洗脳されたという体のクリス――が暗殺者を手引して、王太子を暗殺しようとしていたのだ。学園に通う生徒からしたら他人事では済まない話だ。
学園長の祝辞ではなく、完全に問答形式で進む異様な挨拶は講堂全体を揺るがす程の騒がしさを見せていた。
そんな普段と違い騒がしい式の最中、ランディはと言うと……
「起きて下さい」
……居眠りをリズに咎められていた。
「別に良いだろ。どうせ知ってる事なんだ」
顔をしかめて「あと五分」というランディに、リズが「駄目です」とその脇をもう一度突いた。
「ランドルフ様……。休みだからと、夜更かしばかりしていたのですか?」
リズの隣から、セシリアが呆れた顔を見せた。そんなセシリアを一瞥したランディが口を開く。
「セシリア嬢。男には昼夜を問わず、戦わねーといけない時があるんだよ」
意味深な顔で「フッ」と笑うランディだが……
「課題が終わってなくて、二徹してるんです」
「あー」
……あっさりとリズにバラされ、セシリアにも馬鹿をみるような眼差しを向けられる事となった。
何とも情けないが、ランディらしいと言えばランディらしい。そんな理由に、セシリアが小さく笑った頃、ようやく長々と続いていた式も終わりを告げた。
「……で? この馬鹿は二徹したと」
式の間、外に待機していたルークが机に突っ伏すランディに盛大なため息をついた。
今日は午前中に始業式と課題の提出のみだったのだが、折角ならと四人でいつものテラスに集まったのだが、二徹明けのランディは注文が届くより前にダウンしたのだ。
机に突っ伏し、スヤスヤと眠るランディに、ルークがもう一度ため息をついて周囲を見回した。ルークの瞳には多くの生徒が映っている。今まで半個室のようだった四人の定位置は、防犯の観点からオープンテラスに変わっているのだ。
「まあ殺気でも感じれば起きるでしょうけど」
起きるだろうが、公共の場でランディが眠るのはルークをしても見たことがない。そのくらいランディが無防備なのは珍しいのだ。しかもこれだけ注目を集める中で。
ヒソヒソと聞こえる声の中に、Sランク冒険者【血染めの暴嵐】が引退したという物がある。それと同時にランディへと視線が注がれているので、間違いなく決闘騒ぎが王国まで流れているのだろう。
「まあ、この体たらくなんで、そのうち〝与太〟扱いになりそうですけど」
苦笑いのルークが、スヤスヤと眠るランディを見下ろした。何も知らない人間からしたら、Sランク冒険者を倒すほどの猛者に見えない穏やかな寝顔なのだ。
「それにしても、よほどお疲れなんでしょうね」
「真っ白でしたから……課題」
苦笑いのリズに、「逆によく二日で終わらせましたわね」とセシリアが驚いた顔を見せて、納得したようにランディの寝顔に頷いた。ランディが選択している授業が少ないとは言え、通常より長い冬休み用の課題だ。それを詰め込まれた二日は、まさしく戦場と言えるかもしれない。
「なので、注文が来るまでは……」
リズが優しくランディの髪を撫でる。
珍しく暖かい日の光。
幸せそうなランディの寝顔。
初めて見る寝顔に、リズがランディの頬を突いた。ムニャムニャと反応するランディに、リズが思わず笑みをこぼしたのだが……はたと気づいて顔を上げれば、ニヤニヤと笑うセシリアとルークの姿があった。
「ち、違うんです……」
「何も言ってませんわ。ねえルーク」
「はい」
ニヤニヤとする二人に、リズが顔を赤らめた。
「そう言えば、二人は何処まで行ってるんですの?」
机に肘をついて身を乗り出したセシリアに、「ま、まだ何も」とリズがブンブンと首を振った。
「エレオノーラ様もですか?」
悪乗りするルークに、「妾は関係なかろう」とエリーが現れ頬を膨らませる。
「ランドルフ様はどう思ってるんでしょう。リザのことも、エレオノーラ様の事も好きだと思うのですが」
呆れ顔でランディを見るセシリアに「す、好きかどうかは」とリズが慌てているが、ルークとセシリアが顔を見合わせリズに首を振った。
「どう考えても好きでしょう」
「ですね。好きどころか、大好きですよ、絶対。こいつがここまで女性に気をかけたのなんて、見たこと無いです。エリザベス嬢とエレオノーラ様だけですよ。この馬鹿がここまで気にかけてる女性は」
二人の追撃に、リズが赤い顔で俯き、エリーに至っては出てくる素振りすら見せない。
「どちらを選ぶか、気になりますわ」
スヤスヤと眠るランディを見るセシリアに、「どちらか、ですか」とリズが少しだけ寂しそうな顔を見せた。
「〝どっちも〟とか言いそうですけどね」
苦笑いのルークに、リズが顔を上げた。どうやらその選択肢を失念していたようで、「どっちも……」とそれを噛み砕くように反芻している。
「ほら、こいつ欲張りですから」
ルークが肩をすくめるが、セシリアは何処か不満げだ。
「どちらもは少々失礼ではありませんか? 確かに側室を設ける方もいらっしゃいますが」
大きく吐き出された息は、セシリアの抗議の意思だろう。女性だって好きな男性を独り占めしたいのだという。ただリズは違うようで……
「どちらも……なら素敵かもしれませんね。エリーもランディも私にはどちらも大事なので」
微笑んだリズが、これからも三人で過ごせるなら、それがどれだけ素敵かを語る。出会ってから、いや知り合ってからずっと三人四脚で歩いてきたのだ。これから先に続く未来も、リズの中ではこの三人で……という思いが少なからずあったのだろう。
「それに、もしもの時はエリーと共闘出来ますから」
拳を握りしめるリズの中で、エリーが何と言っているのかは分からない。ただ嬉しそうなその顔を見るに、エリーも満更ではないのだろう。
「共闘ですか……」
「目に浮かびますね」
顔を見合わせ、仕方がないと微笑んだ二人の脳裏には、リズとエリーの尻に敷かれるランディが映っている事だろう。何だかんだでこの三人だから、というのはルークもセシリアも納得の部分なのだ。
「なら、早くエレオノーラ様の身体を見つけなければ……ですわね」
セシリアが今後の方針を提案したちょうどその頃、それぞれが注文していた品がテーブルに届いた。
「おいこら、起きろランディ。お前が邪魔で皿が乗らねえ」
ルークの声で、ゆっくりと顔を上げたランディが、大欠伸とともに顔を洗うように擦った。
「もう朝か――」
「朝じゃねえ。昼だ馬鹿」
ルークのジト目を受け流し、ランディがまたも大あくび。それに引っ張られるように、伸びをしたランディの関節がポキポキと音を立てる。
「さて。明日から早速エリーの身体探しも再開だな」
自分の目の前に置かれた巨大バーガーを引っ掴んだランディに、全員が目を見開いて視線を集めた。リズなど思い切り顔を赤くしているのだが、注がれた視線にランディが「何だ?」と眉を寄せて三人を見回した。
「……お前、もしかして起きてたのか?」
「寝てたっつったろ。寝ぼけてんのか?」
「寝ぼけるか。起きてたわ……じゃなくて――」
と再び起きてたのかを問うルークに、ランディがもう一度寝ていた事を面倒そうに説いている。
「なるほど。ちょうど俺が寝てる時にエリーの身体が……って話を三人でしてたわけか」
豪快にバーガーに齧り付くランディに、「驚きましたわ」とセシリアがなぜが胸をなでおろしている。セシリア発端の話題だっただけに、もしランディに聞かれていたとなれば、リズに申し訳が立たないのだろう。
「元々そういう約束だし、何より三人でワチャワチャやりてーからな」
コーヒーを飲むランディが「楽しそうだろ」と笑顔で色々と語る。まだ途中の地中熱式暖房器具も、生産ラインの目処が立っていない発熱インナーも、そしてルーンの研究もである。
「身体を見つけるなら、【時の塔】が一番手がかりになりそう、という話でしたわね?」
首を傾げるセシリアに「だな」とランディが頷くが、残念ならが【時の塔】に行くにはハードルが上がっているのが現状だ。
あの騒動のせいで、夜間に学園に入ることが出来なくなったのだ。新月の夜に学園の校庭に忍び込み……が出来なくなった以上、【時の塔】が隠された別次元に正式ルートで入るしか無い。
学園の近くから別次元に入り、そこから【時の塔】を目指す……のだが、そもそも正式ルートはエリーですら知らないのだ。以前のように大魔法で次元の壁をこじ開けられなくはないが、やはり目立つのは良くない。
「【時の塔】と同じ頃の、古代遺跡に何かヒントとかあるのでは?」
ティーカップを傾けるリズに、「当たってみる価値はあるな」とランディが頷いた。
「古代の遺跡でしたら、遅れていたダンジョン探索研修がありますわね」
セシリアが言うのは、戦闘系教科を履修している生徒向けの講習だ。そのダンジョン探索研修の行き先が、古代遺跡の地下らしいのだ。貴重な古代遺跡の地下がダンジョン化しているらしく、その浅層から中層でダンジョン研修が行われるのだとか。
とは言えランディもリズも授業は履修していない。唯一セシリアだけが、魔法教練の授業を履修しているので、行こうと思えば行ける状態である。
「つっても、ダンジョンなら冒険者として入れば良いんじゃね?」
「あら。知らないんですの? 研修先の上は国が管理する貴重な遺跡ですから、冒険者として入るのは難しいはずですわ」
ダンジョン化していない上の遺跡は、残っている壁画の解読など、未だ国の研究機関の手が入っている。同じ遺跡である以上、地下も重要遺物として国が入場を管理しており国の許可が無いと入れないのだという。
そうして管理が徹底されているからこそ、学生の研修先としても選ばれるわけだが。……なんせ、暗殺疑惑があったばかりだ。学園としても最大限の配慮と言える。
「何とかして潜り込めねーかな」
腕を組むランディに、一応護衛として冒険者が同行する事があるらしい、とセシリアから有益な情報がもたらされた。とは言え、学生たちの護衛につく冒険者など、高ランクがお約束だろう。
未だDランクをウロウロしているランディには、縁のない話ではあるが……
「とりあえず、ダメ元でギルドに行ってみるか」
……方針が決まったことで、セシリアとルークに別れを告げて、ランディとリズが立ち上がった。
テラスを後にする二人の背中を眺めるルークとセシリアが、ため息をもらした。
「ランディもでしたが、エリザベス嬢……注目されていますね」
「冤罪ですからね。皆、掌返しのタイミングを見計らっているのでしょう」
呆れた表情でティーカップを傾けたセシリアに、ルークも「なるほど」と頷いた。二学期終盤頃から、リズの評価は確かに回復してきていたが、ここに来て教会による聖女の洗脳疑惑だ。
飛び交う噂で、リズの国外追放が冤罪だったことは周知の事実だ。
そうなれば、今勢いのあるブラウベルグと友誼を結びたいと考える家が出てきてもおかしくはないだろう。
「もしかして、王太子も……とか言いませんよね?」
「さあ? ただ――」
「ただ?」
「あの二人の、いえ三人の間に誰かが入れると思いまして?」
不敵に笑うセシリアに、「確かに」とルークが笑顔で頷いて、紅茶を飲み干した。
「では、私もお嬢様に近づく不逞の輩を遠ざけるとしましょう」
「お願いしますわ」
ルークの手を取って立ち上がったセシリアは、自分にも向けられている視線を無視するようにその場を後にした。