第118話 一年前を思い出せるのは若い証拠
セシリアとルークをハートフィールドへ送り届け――リズがハートフィールドに行ったことがある――ランディ達がヴィクトールの屋敷に帰ってきたのは、もう日も暮れた頃だった。
そのまま急ぎ、聖誕祭の晩餐に突入する二人だが、この時ばかりはリズとランディは別々だ。
ヴィクトール一家であるランディと、身分的にはその使用人であるリズ。
屋敷の誰もが、リズにヴィクトール一家との食事を勧めるが、リズが「弁えは大事です」と屋敷にいる間は絶対に譲ることはない。
そうしていつも通りの、いやいつもより豪華な食事を終えた二人は、屋敷の二階にある小さなホールから街を見下ろしていた。ヴィクトールでパーティをする際に使うホールだが、使われたことは殆ど無い。
そんなホールの窓から見える城下は、王都やハートフィールドの賑やかさとはかけ離れた静かなものだ。それでもポツポツと灯る火と街の中央に見える〝願いの聖樹〟は、素朴ならがも温かな雰囲気が感じられる。
「静かですね」
「まあな。ヴィクトールの聖誕祭は、だいたい家族で静かに過ごすものだ」
皆で暖炉を囲み、少し豪華な食事を楽しみ、そして子供たちは、明日の朝のプレゼントを楽しみに眠りにつく。そんな素朴で静かな祭りだ。
ランディは派手な祭りも好きだが、こういう静かな時間も嫌いではない。静かな時間がゆっくりと流れる。それがヴィクトールの聖誕祭の醍醐味だと思っている。
「ブラウベルグの聖誕祭はどうなんだ?」
「そうですね」
懐かしむようにリズが語るのは、海都ハイゼンクリフでの聖誕祭の様子だ。
街の雰囲気こそ王都やハートフィールドと変わらない賑やかなものだが、ハイゼンクリフらしい催しはやはり〝祈りの灯火〟だという。
「灯火を海へ流すんです。明日への祈りを込めて。そして海で亡くなった方々が、女神のもとへたどり着けるよう」
ぼんやりと外を眺めるリズの瞳には、静かなヴィクトールではなく、暗い海に浮かぶ無数の灯火が映っているのだろう。
「その火がとても幻想的で、自室の窓からそれを眺めてベッドに横になるのが好きでした」
懐かしそうなリズに、「綺麗だろうな」とランディが窓の外を眺めながら呟いた。
「来年の聖誕祭は、ハイゼンクリフに行ってみるか」
ランディが視線を合わせる先、リズは嬉しそうに「はい」と大きく頷いている。
「去年も帰れませんでしたから、今から楽しみです」
微笑むリズに「去年?」とランディが首を傾げた。
「はい。去年は王都に居残りでしたから。ほら、ギリギリまで学園があるじゃないですか」
王太子の婚約者として、多忙を極めていたゆえの自習……以上に、聖誕祭の前々日まで学園に通っているので、リズもランディ同様居残り組なのだ。
「あー。そーいや居たな」
手を打ったランディに、「居た?」と今度はリズが首を傾げた。
「聖誕祭前後に、リズを見たのを思い出したんだよ。確か寮の近くと学園で――」
腕を組むランディに、リズが思わず顔を赤らめた。一年前はランディとまだ知り合う前だ。にもかかわらず、リズが寮に残っていた事を知っている。何をしていたかは知らないのに、寮の付近で見たという事は、当時からリズを知っていたと言っているのだ。
その事実に、少しだけ顔を赤らめたリズだが、「そ、それは寮生でしたから……」と声を上ずらせている。
「じゃあ、去年の聖誕祭は王都の散策でもしてたのか?」
首を傾げるランディに、リズが同じ様に首を傾げた。
「勉強ですけど?」
不思議そうなリズの表情と言葉に、「べ、勉強ぉ……?」とランディがわずかに仰け反った。
わざわざ祭りの日にしなくても。と言いたげな表情のランディに、リズが「ランディこそ、何してたんです?」と首を傾げたまま続ける。
「俺はアレだよ。街を散策して、祭りの雰囲気を楽しんでたよ」
窓辺に頬杖を突き再び城下を見るランディに、「一人で、ですか?」とリズがおずおずと聞いた。
「誰か一緒に行ったと思うか?」
自嘲気味に笑うランディに、リズが苦笑いで首を振った。
「確かにずっと学園でも一人でしたもんね」
苦笑いのリズだが、ランディにとってその言葉は、別の意味でしかない。
「何だ。俺の事知ってたのか?」
認識されていたという、微妙な喜びだ。
「知ってましたよ。目立ってましたから」
微笑んだリズが「駄目な意味で」と悪戯っぽく微笑んだ。その微笑みに、「何だよ」と舌打ちをもらしたランディだが、ずっと前からリズが自分を認識していたという事実に、少しだけ頬が緩む。
無理もない。こちらも一年前だとリズと言葉すら交わした事がなかったのだ。悪名ではあるが、それでも彼女の意識に残っていたならば、喜んでしまうものだろう。
実際「思い出しました」と手を打ったリズが、聖誕祭も終わった後の学園の中庭で、ボーっとするランディを見たと言い出したのだ。
「覚えてねー。それ、本当に俺か?」
「間違いないです。ランディを見間違うわけがありません」
「知り合ってもないのに?」
首を傾げたランディに、「目立ってましたから」とリズが大きく頷いた。そう言われてしまえば、ランディとて記憶を辿ってリズを探し出さねば気がすまない。
しばし考え込んだランディが、「あ」と手を打った。
「リズも。食堂のテラスで紅茶飲んでたろ?」
「それは……まあ。その時ランディを見ましたし」
「お、おおう。そりゃそうか」
まさかのカウンターに、ランディは微妙な返事をするしか出来ない。
「それにしても、やっぱりランディも私の事を知ってたのですね」
はにかむリズに、「そりゃそうだろ」とランディが苦笑いを返した。
「目立ってたからな。【氷の美姫】って呼ばれてたんだぜ?」
悪い顔のランディに「むぅ」とリズが少しだけ頬を膨らませた。ランディ同様、目立っていた自覚がある以上、この返答は受け入れざるを得ないのだろう。
「つっても、そんなモンは後付けだけどな」
「後、付け?」
首を傾げたリズに、「後付けだ」とランディが照れを隠すように頭を掻いた。
「実はよ。最初は名前も何も知らなかったんだよ」
そう切り出したランディが語るのは、ランディがリズを初めて認識した瞬間だ。入学式の代表挨拶でもなく、試験結果の貼り出しでもなく、ましてや王太子との婚約でもない。
「俺がリズの名前とかを知ったのは、学期末のダンスパーティだ。そこで踊ってる姿がギャップがあって格好良くてな」
照れ笑いを浮かべたランディが続けるのは、一年一学期末でリズが見せた見事なダンスだ。王太子との婚約が――公式発表は夏休みだが――決まっていたリズは、一番最初にエドガーと踊ったのだが……そのダンスでもないような口ぶりに、リズは思わず首を傾げた。
「ギャップですか?」
「ああ。ギャップだ」
頷いたランディは、そのダンスより前からリズを知っていた。正確には顔だけだが。
「まさか、学園の裏庭で猫に話しかけてた真顔のレディが、王太子の婚約者で侯爵令嬢だとは思わなかったけどな」
……格好良くダンスをするリズを知るより前に、リズがコソコソと裏庭で猫と戯れている姿を見ていたのだ。
「み、見てたんですか?」
「次からは周囲だけじゃなくて、上にも気をつけねーとな」
「もしかして――」
「あそこの渡り廊下。裏庭側に縁があって、サボるにはちょうど良いんだよ」
悪い顔のランディに、リズが顔を赤らめた。誰にも見られないように、コソコソと野良猫を可愛がっていたつもりが、その一部始終を上から見られていたというわけだ。
「だから俺にとっちゃ、リズは色んな後付けよりも、猫好きの女の子の方が先だな」
もう一度笑ったランディが、「ただ真顔で迫ってやるなよ」とまた悪い顔で笑うのだ。
「き、緊張してたんです」
頬を膨らませたリズが、実家では猫など触らせて貰えなかったため、初めて見た野良猫にどう接していいか分からなかったのだと、今も「聞いてますか?」と必死に弁明している。
「それにしても不思議なもんだな。あの時は、まさか【猫追い姫】と仲良くなるとは思いもしなかったが」
笑うランディに「【猫追い姫】ってなんですか?」とリズがまた頬を膨らませた。
「そのまんまだろ。真顔で迫って、毎度猫に逃げられてたんだ」
ケラケラと笑うランディに、「だから緊張してたんです!」とリズが口を尖らせた。周囲をキョロキョロと伺い。真顔で猫に話しかける少女。ランディでなくても印象に残る存在だろう。
「私だって【燃えない炎】と仲良くなるだなんて、思ってませんでしたよ」
ランディを覗き込むリズの顔は、いつになく悪戯っぽい。
「【燃えない炎】って、まさか俺のことかよ?」
「はい。他には【怠惰のルージュ】とかもありました」
何ともトンチの聞いた渾名に、ランディが思わず「そりゃ良いな」と豪快に笑い飛ばした。まさかそんな渾名まで付けられていたとは、目立たないようにと思っていた事が、想像以上に目立っていたのは間違いない。
ひとしきりランディの渾名とリズの猫騒動で盛り上がった二人が、どちらともなくまた街の明かりに視線を向けた。
「それにしても面白いですね。その時の私に、一年後を聞かせても絶対に信じてくれませんよ」
「そりゃこっちの台詞だ。『与太飛ばすな』って一蹴されるぜ」
顔を見合わせた二人が、どちらともなく笑い出した。【燃えない炎】が【氷の美姫】をとかした。一年前の自分達に聞かせても、いや誰に聞かせても信じてもらえないだろう。
だがそれでいい。一年前、まだ知り合う前の二人は、学園の一画で確かに同じ時間を過ごしていたのだ。お互いがお互いを認識し、二人それぞれの時間を過ごす中でのわずかな交わり。それだけで、いやその事実がたまらなく嬉しいのだから。
「卒業までにもっと思い出が出来そうですね」
「卒業してからもな」
間髪を入れないランディの言葉に、リズが目を丸くしてしばらく……「はい」と小さく頷いた。
「まずは、学園を存分に楽しもうぜ」
「勉強もですね」
拳を握りしめるリズに、「ま、まあ……」とランディが歯切れの悪い言葉を返す。
「そういえば、ランディが学期末のダンスパーティで踊ってるのを見たことがないですが……」
「相手がいねーんだよ。あと……」
「あと?」
「ダンスが好きじゃねー」
顔をしかめたランディが、そもそもダンスレッスンなど受けていない事を明かした。無理もない。基本的に領地に引きこもってるヴィクトールだ。ダンスの必要性など皆無の連中である。
「なら……折角ですし私が指導しましょうか?」
「えー? 良いよ……」
首を振るランディに、「学園、楽しむのでしょう?」とリズがにこやかに微笑んで手を差し出した。
女性から差し出された手を、掴まないわけにはいかない。仕方がない、とランディがリズの手を取ってホールの中央まで進み出た。
「では、一番簡単なステップから――」
リズのアドバイスでランディがワルツのステップを踏み出す。
「そうです。左、右、左――1、2、3――」
足元を見ながら、ぎこちないステップを繰り返すランディ。あまり見ることのない必死な姿に、リズが柔らかく微笑んだ。
聖誕祭の夜。ランディとリズのダンスレッスンは、夜遅くまで続いていた――。
「戯け! ステップがデカすぎるわ!」
……時折現れるエリーも交えながら。
※これにて断章『冬のヴィクトール』は終了です。
本当は年越しのシーンのはずだったのですが、聖誕祭続きでここに収まってしまい……。なんか綺麗に終わったので、これにて断章は終了です。
(シャドラー達との会談の結果は、穏便に進んでいます。次話の頭で少し触れます)
さて、長々と続きました断章も終わりました。
まさかここまで長くなるとは思っておらず……。認識の甘さを痛感しております。
至らない作者ではございますが、ぜひこれからも彼らの冒険を楽しんでいただければ幸いです。やはり読み続けて頂ける事が一番の喜びですから。
それでは四章(第二部)をお待ち下さい。