第117話 ――踏み出した一歩に、人は心を動かされるのだろう
ランディ達がキャサリンのために一肌脱ぐと決めた翌日……丁度クリスマス・イブにあたる今日は、街は朝から大賑わいを見せていた。
特に大聖堂前の広場で行われる〝聖女の祝福市〟では、聖女キャサリンも積極的に、顔を出し、例年にない程の賑わいを見せている。
そんな中、ランディ達はと言うと……
「よし……オペレーション〝コメット〟の最終確認だな」
……巨大な作戦書を前に、全員が大聖堂の一画で膝を突き合わせていた。
「ポイントα、ポイントβともに無人を確認したっす」
「障害物もなしだ」
「ただ風が昨日より弱いですわ」
「OK。その辺は現場で調整しよう――」
皆が意見を言い合う中、既にアナベルは〝聖女の行進〟の最終準備へと入っている。つまりここにいる五人とエリーで、今回の作戦を完遂させねばならない。
もちろんアナベルも、〝聖女の行進〟を時間通り引っ張る大役があるのだが。
そんな作戦も大詰めを迎えた頃、「ほ、本当にやるのよね……」とキャサリンが、作戦ルームへ現れた。ギリギリまで顔を出していた〝聖女の祝福市〟から帰ってきたわけだが、休んでいる暇はない。
「リズ、頼む――」
ランディの指示にリズが頷いて「え? 待って……心の準備が」と慌てるキャサリンを半ば拉致するように、連れて行った。
今回ランディによって『オペレーション〝コメット〟』と名付けられた作戦の概要は、キャサリンにも内容を伝えてOKを貰っている。貰ってはいるのだが、いざやる段になったら尻込みしたのだろう。
だがもう無理だ。作戦は走り出してしまったのだから。
「じゃあ、俺は迎え役に行ってきまーす!」
敬礼を残してレオンが部屋を飛び出してしばらく……
「準備OKです!」
にこやかなリズとともに出てきたのは、厳かな衣装に身を包み、背中に天使の羽を模した飾りをつけたキャサリンだ。
そんなキャサリンを一瞥した全員が、「最終確認だ」とランディの声で再び作戦書へと目を落とした。
「ちょ、ちょっと! こういう時って、『似合ってる』とか『綺麗』とか、なんかあるんじゃないの?」
一人憤るキャサリンに、ランディは目も合わせず「あー。はいはい。きれーきれー」と適当な相槌を返した。
「ホント、アンタって――」
「うるせー。そういうのは、本当に好きなやつから貰え」
鼻を鳴らしたランディに、キャサリンも「わ、分かったわよ」と口を尖らせた。
「よし。そろそろ時間だな。リズ――」
「はい」
頷いたリズが、全員を転移で目標地点へと飛ばした……エリーに教えてもらい、転移まで身につけたリズに、キャサリンが「アンタ何なのもう」と呟いたのはまた別の話だ。
リズの転移で飛んだ先は、王都の中央広場が見渡せる時計台の真上だ。中央広場を挟んで時計塔と真逆の位置、広場手前の通りには、既に〝聖女の行進〟に使う山車と、それを取り囲む沢山の信者がスタンバイ済みだ。
〝聖女の行進〟の行程は、中央広場前からスタートし、広場を一周して大聖堂までという道のりである。
ただいつまで経っても現れない聖女に、観衆の誰も彼もがキョロキョロと周囲に忙しなく視線を彷徨わせている。……そんな中ただ一人、時計塔の上を気にするのはアナベルだ。
広場の向こうに見える時計塔から、合図があったら〝聖女の行進〟をスタートする。それがアナベルの役目なのだ。
「よし、全員配置につけ」
ランディの号令で、ルークが時計塔の上から広場を挟んだ向かいの建物へ飛び、リズは転移で姿を消した。遠くの屋根の上で手を挙げるルークに、ランディが手を挙げて、準備完了のを示す狼煙を上げる。
それを確認したアナベルが、〝聖女の行進〟の出発を告げる鐘を打ち鳴らした。
聖女不在で始まった〝聖女の行進〟に、観衆がザワザワと騒ぎ始めるが、それを気にせずアナベルがゆっくりと一歩を踏み出した。
今回ランディ達が選んだ盛り上がる方法……それは、逸話を完全再現するという事だ。
不毛の大地を捨て、人々が宛のない旅へと発つその時、天から一人の少女が舞い降りた。まるで天の御遣いのような少女を民衆が受け入れると、少女はわずかな穂を片手に、彼らの先頭に立った。
少女が穂を振りながらが歩けば、彼女たちが歩いた場所に、新たな命が芽吹いた――エリー曰く、教会による女神のプロパガンダ――そんな伝承を完全再現しようというのだ。
そう。つまり……
「準備はいいか?」
「ちょっと、待って……まだ――」
……キャサリンが空から現れる、というわけである。
「んじゃまー。短いフライトだが、楽しんでくれ」
「だから、まだ心の準備が――」
慌てるキャサリンを無視して、ランディが翼に仕込んだ二つの持ち手を掴んだ。背中に生えた持ち手を掴まれ、プラプラと揺れるキャサリンの足は、どう見ても神聖さからはかけ離れている。
だが下からは見えないので問題はない。作戦の第一段階は、この位置から山車の上空目掛けてランディがキャサリンを放り投げるのだ。
「風向き、風力から方角を微調整……西に十度、射出角度はそのまま」
魔力を練るセシリアの指示に、ランディが「りょーかい」とキャサリンの角度を変更する。
「じゃー、三秒前。さん、にー」
「だから待っ――」
「いち、テイクオフ!」
ランディによって放り投げられたキャサリンを、セシリアの風魔法が寸分の狙い違わずに目標地点の上空まで運ぶ。
「ぎええええ。し、死ぬー!」
風魔法は上空で叫ぶキャサリンの悲鳴をかき消す為の、防音措置としても大活躍だ。
高速で飛んだキャサリンの眼下に、動き始めた山車が映った。その時、近くの屋根から飛び出したルークが、キャサリンと羽を固定しているハーネスを一瞬で切り裂いた。
分かたれるキャサリンと羽。
風にのる羽を回収したルークが姿を消した。
上空で羽をなくしたキャサリンが、重力に従いゆっくり落ちていく……が、このままだと確実に山車を飛び越える上に、着地で大惨事だ。
だが手足をバタバタとするキャサリンが丁度山車の真上に辿り着いたその時、山車の中央から光の柱が立ち昇った。
それが上空のキャサリンを包み込むと……キャサリンの身体がゆっくりと山車へ引き寄せられるように降りてくる。
立ち上る光の柱。
その中を降りてくる聖女の姿。
伝承にある一ページの再現に、戸惑っていた観衆から大歓声が巻き起こる。
それを遠くから見ていたランディとセシリアは、ハイタッチを交わしていた。
光の柱の正体は、転移で山車へ忍び込んでいたエリーの魔法だ。重力すら操るエリーの大魔法が、キャサリンを捉えてゆっくりと山車へと引き寄せているのだ。わざわざ光の柱にした理由はただ一つ。
神聖魔法っぽく見せるためである。
今回の〝聖女の行進〟は、キャサリンの神聖魔法がメインでないといけない。この奇跡も、これから起きる奇跡も、キャサリンという聖女がもたらした物だという、刷り込みが必要なのだ。
「妾の大魔法を、下らん見世物に使いおって」
そう言いながらも、楽しそうなエリーが見つめる先は、完全に聖女の顔を作って降りてきたキャサリンだ。
ドヤ顔で降りてきたキャサリンに、村人に扮したレオンが伝承通り一本の穂を渡す。それは天が遣わした聖女という存在に、当時の彼らが出来る最大級のもてなしだ。食べる物もない中、彼らは荷車に残っていた一本だけの穂を聖女に手渡し、「もてなしは出来ませんが」と謝ったという。
そんな穂を受け取ったキャサリンが、聖女スマイルでそれを軽く振った。すると辺りを神聖魔法の温かな光が包み込んだ。
湧き上がる沿道の観衆。伝承を再現するかのような神聖魔法に、誰も彼もが手を合わせてキャサリンを拝んでいる。
舞いながらキャサリンが振っているのはもちろんただの穂だ。……だが穂の先、キャサリンの手の中に隠れている小さな木の持ち手には、リズによってルーンが刻まれている。
――緊張緩和
それだけだ。リズとエリーの見立てでは、キャサリンが鍛え上げた神聖魔法ならば、人々に癒やしと感動を与えるくらいわけない……らしい。
それの手伝いをするための、ちょっとした おまじない である。
実際ドヤ顔を決めたキャサリンが舞うように穂を振るう度、キラキラと輝く神聖魔法が、沿道の観衆を癒やしているのだ。
来年の豊穣と息災を願って。〝聖女の行進〟の大きな目的である、人々への祈りを届け響かせていく。
「黙ってると聖女っぽいな」
「聖女ですわよ」
呆れた顔のセシリアに、「そうだったな」とランディが肩をすくめた。もう間もなくパレードも佳境だ。最後は大聖堂前で、特大の神聖魔法を放つ事になっている。
「聖女様、ハイペースだけど最後の魔法まで持つのか?」
羽を担いだルークが、心配そうな顔で現れた。遠くから見ていたはずだが、何だかんだで心配になって駆けつけたようだ。
「さあな。ただ……やると言ったからには、根性見せんだろ」
高い時計塔の上からも、既に〝聖女の行進〟は小さくなってほとんど見えない。だが、今もキャサリンが放つ神聖魔法の柔らかな光だけは良く見えている。
「最後の頑張りくらい見届けてやるか」
ランディが立ち上がり、ルークがセシリアを抱えた事で、三人は大聖堂の近くまで一直線で駆け出した。
(やばい……ペース配分をミスったわ)
大聖堂まであと僅かという所で、キャサリンは焦っていた。大観衆に迎えられ、気を良くした事で、最初からハイペースで飛ばしすぎたのだ。
(豚も煽てりゃ……ってやつね)
内心溜息をつくキャサリンだが、本心ではそうでないことなど分かっている。
初めてだったのだ。
この世界に来て、初めて〝キャサリン・エヴァンス〟として、自分がやりたいと思った事は。
初めてだったのだ。
この世界に来て、初めて〝佐野幸恵〟を認め、対等に話をしてくれた人間は。
友人とはまた違う。だがこの世界で初めて対等に話が出来た彼らの、期待に応えたいと思ったのだ。
(だから……負けない。ここが私の戦場)
笑顔のまま歯を食いしばるキャサリンに、山車の中からリズが声をかけた。
「キャサリン様、魔力回復薬を――」
「要らないわ」
笑顔を崩さず器用に応えたキャサリンが、チラリとリズを振り返った。
「そんな無様な姿、信者に見せられないでしょ」
冬の寒空に、キャサリンの笑顔と汗が輝く。
「それに……こんな事で負けてたら、アンタを超えられないじゃない」
歯を食いしばったキャサリンが、最後の大技を披露する。大聖堂すら包み込みそうな、広範囲の神聖魔法が弾けるように消え……温かな光の粒となって、周囲に舞い降りた。
肩で息をするキャサリンが、詰めかけた民衆へ完璧なスマイルを見せて口を開いた。
「来年もぉ。皆さんがぁ平和で健康に過ごせますようにぃ」
大歓声に包まれるキャサリンが、汗も拭わず手を振って応えている。
「……あの喋り方はどうにかなんねーのかよ」
「さあ?」
「アナベル嬢に矯正してもらうしかねえだろ」
そんな事を言い合う三人だが、近くの建物の上から笑顔でずっと拍手を送っていた。めちゃくちゃな作戦をやり遂げ、そして最後までガッツを見せたライバルに。
☆☆☆
〝聖女の行進〟が終わり、一旦自室に戻ったキャサリンは、ベッドに倒れ込むように気絶していた。
オーバーワークの彼女を、そっとするようにランディ達がアナベルとレオンに別れを告げ、その場を後にして……日が傾き始めた頃。
「……あれ? もしかして寝てた?」
慌てて顔を上げたキャサリンの目の前には、レオンとアナベルの姿があった。
「に、二時間ほどですけど」
「寝言がうるさかったっすよ」
そんな二人に、恥ずかしそうに顔を赤らめたキャサリンが「アイツらは?」と暗くなり始めた部屋を見渡した。
「み、皆さんもうお帰りになりました。流石に夜はご家族と過ごすそうで」
頬を掻いたアナベルに「そう……」とキャサリンが少しだけ寂しそうに呟いた。たった一日だが、同年代の人間とギャーギャー言いながら準備が出来たのは、何だかんだで楽しかったのだ。
だから、せめて最後のお礼くらいは……と思っていたのだが、相手は既に帰っているという。彼らにとってキャサリンは友人ではない。単に協力してくれただけ。だから、用が済んだら帰るのは当たり前だ。
パレードに雇ったエキストラのようなもの。
それでも少しだけ寂しさを感じたキャサリンだが、仕方がないと首を振った。
「ま、自業自得か」
今まで世界に、他人に真っ直ぐ向き合わなかったツケ。そんな諦めに似たため息をつくキャサリンに、「え、えっと……」とアナベルが言いにくそうに口を開いた。
「み、皆さんから伝言を預かってまして……」
と言ってキャサリンに聞かせるのは、ランディ達が彼女に残した伝言だ。ナイスガッツや、見直しただの賛辞が並ぶ中、リズの「ようやく一歩ですね」という言葉に、図らずもキャサリンが少しだけ涙ぐんだ。
「それと……ランドルフ先輩からはこちらを――」
アナベルが渡したのは、手紙だ。まさか一番自分を毛嫌いしていたと思う男が、手紙を認めるなど。その事実にキャサリンが慌てて涙を拭い、何故かベッドの上で正座をして手紙を受け取った。
震える手で開いた手紙……そこに書かれていたのは、日本語だ。
『負けんなよ』
ただそれだけ。だが手紙の中央に力強く書かれた、懐かしい文字にキャサリンの瞳からまた涙が溢れ……
「あれ、もう一枚――」
……二枚目に気がついたキャサリンが、涙を堪えながら手紙を捲る。そこに描かれていたのは
『請求書 キャサリン・エヴァンス様』
という感動もクソもない文字であった。
曰く、羽の加工費から始まり、人件費に果てはルーン加工代まで。とても個人が払える額ではない。
その額にプルプルと肩を震わせ「あのデカ男……」と手紙を握りしめるキャサリンだが、その顔はそこまで怒っているようにも見えない。なんせ請求書の下に、『出世して払え』と書いてあるのだ。
キャサリンなら上に行けるだろう。このくらいなら払えるようになるだろう。そんな期待が見える文面なのだ。
「上等よ。耳を揃えて払ってやるわ!」
ベッドから飛び降りたキャサリンが、レオンとアナベルに声をかけて部屋を後にした。この後はまだ〝祈りの灯火〟も待っている。
大聖堂から出てきた聖女を、大観衆の声援が迎え入れた。キャサリン・エヴァンスの道のりは険しいが、確実に前を向いて大きな一歩を踏み出したのだ。
☆☆☆
「キャサリン様に挨拶しなくてよかったのですか?」
「良いんだよ。そんな仲でもねーだろ」
肩をすくめるランディは、眼下に広がる観衆と、それに応えるキャサリンを眺めている。あの日、炎上騒ぎの大聖堂もこの位置から眺めていた。その時には、まさかあの聖女が大観衆に迎え入れられるとは、想像すらしていなかった。
「足掻いて藻掻いて踏み出した一歩……か」
ポツリと呟いたランディに、「そうですね」とリズが懐かしそうな顔で微笑んだ。侯爵令嬢という立場を捨て、それでも生きるために頭を下げたあの日を思い出しているのかもしれない。
「私も頑張らないと、です」
笑顔のリズに、「だな」とランディが頷いた。
「なーにが、『だな』だよ。お前も頑張れよ。主に勉強を」
「そうですわ。ランドルフ様も、いい加減テストで良い点取れるように、足掻いた方が宜しいのではなくて?」
耳が痛い言葉に、ランディが「ぐっ」と声をもらした。
「お、俺の事はどうでもいいだろ」
「良くねえ。ヴィクトールの跡取りが、馬鹿というのは非常に良くねえ」
「そうですわ。ビジネスパートナーが馬鹿は嫌ですわ」
二人の口撃を前に、ランディが助けを求めるようにリズを振り返る……が、
「三学期は、勉強も頑張りましょうね」
満面の笑みでカウンターをもらうだけである。
「善処します」
ランディが肩を落とした時、建物下の通りがにわかに騒がしくなり始めた。
「そろそろ火が灯るのかな?」
通りを覗き込むルークの言う通り、聖女の持った火からゆっくりと灯火が移されていく。様々な場所でも灯火が灯されたのだろう。王都全体へ広がる灯火が、幻想的な光景を四人に見せている。
「綺麗です」
「平和の象徴だな」
揺らめく灯火をしばらく見ていた四人だが、ゆっくりと沈む夕陽に誰ともなく立ち上がった。キャサリンではないが、ランディ達にもまだまだ試練や問題が山積みだ。
それでも今はこの灯火の喜びが、その余韻が全てを洗い流してくれている気がしている。
「名残惜しいが、帰るか」
「はい」
「ええ」
「おう」
頷いたルークやセシリアを連れて、リズが転移でその場を離れた。彼らが去った後も、小さな灯火の集まりがいつまでも王都を照らし続けていた。