第107話 実家が太すぎると勘違いされるよね
アーロンに先導される形で、二人はギルドの直ぐ近くにあるアーロンの屋敷を訪れていた。屋敷と言っても、ランディ達が王都で借りている家と然程変わらない大きさだが。
それでもアーロン曰く、職場に近い上、男やもめの彼にとっては十分過ぎる広さなのだそうだ。
そんな屋敷の一室丸々を使ったコレクションルームに、ランディ達の求める物はあった。
「ここには私が生涯をかけて集めた色々があってね……古文書は向こうだな」
アーロンが示す場所は、部屋の隅にある一画だ。アーロンの指を追うように、そちらに視線を向ければ、マガジンラックのような形をした、少々大きめの本棚が置いてあった。
表紙に美しい絵が書かれた数冊が、存在感を示すようにディスプレイされてある。
ディスプレイされた表紙には、ランディにとって見知った文字が並んでいた。
思っていた通り、【時の塔】で古代語として日本語が記されていたので、古文書も日本語表記なのだ。つまりランディには難なく読めるのだが……
読めるのだが……その内容は、「古文書?」と呟いてしまうようなものだ。
例えば
もう迷わない。これ一冊で一年丸ごと献立365選
エルフと付き合う方法
季節とともに生きる
部下の正しい叱り方
これでバッチリ。会話術
などなど、どれもこれもが役に立たなそうな古文書である。もちろん中には、『草花辞典』のような実用性の高そうなものもあるが、大多数は上記のような内容である。
そんな中、アーロンはと言うと、「これは、古代の野営についての専門書だ」と『入門! サバイバル』を手に、恍惚とした表情を浮かべている。
(確かに野営っちゃ野営だが)
苦笑いのランディが、アーロンから視線をそらして、ディスプレイされている物以外に目を向けた。ディスプレイの下の本棚に収められた、背表紙の数々を目で追っていく。
部屋の隅の一画と言えど、一〇〇冊を超える本の背表紙を追うのは、中々に大変だ。中には日記のように背表紙の無いものもある。
実際に日記と思しき古文書を手に、それを開いたランディの目に飛び込んできた内容は
『許さない。絶対に慰謝料ふんだくってやる』
血文字かと言えるほど怨念が籠もった文字と内容だ。静かに日記を閉じたランディの目が、近くにある『浮気調査書』まで捉えたものだから苦笑いは止まらない。
(変な所で創造神の世界とリンクさせんなよ)
苦笑いとため息が止まらないランディだが、根気よく背表紙を追い続けた結果、ようやく一冊の本に巡り合った……
『解説つき。ルーン語辞典』
……どストライクの辞典だ。
辞典を手に取ったランディに、アーロンが「それか……」と頷いた。
「ドワーフに伝わっていたルーン語が書かれている……のは分かるのだが、それの解説が古代語でね」
ため息混じりのアーロンが、古代語がどれだけ複雑かを語っている。無理もない。漢字、ひらがな、カタカナの三種類だけでなく、独特の表現に同音異義語。元日本人でなければ、こんな言語習得できるか、とランディも叫びたいだろう。
とはいえ分かりきっている事だ、とアーロンの苦悩を聞き流しながら、ランディとリズが辞典を捲る。ランディは前世の知識で。リズは脳内エリー翻訳で。パラパラと捲った二人がたどり着いたのは……
〝熱〟
……を表すルーン文字だ。それを見つけた二人が、勢いよくアーロンを振り返った。
「統括。この古文書、お借りする事は出来ますか?」
唐突なお願いに、アーロンが分かりやすく難色を示した。なんせアーロンが生涯をかけて集め続けた貴重な資料である。
「確かに見せるとは言ったが」
難色を示すアーロンに、ランディが「それなら」と手を打った。
「写しを撮らせて貰うことは?」
「写し? 写本かね。……まあその程度なら」
渋々頷いたアーロンに、「よっしゃ」とランディがリズに「ちょっと持ってて」と辞典を見開きの形で持たせた。
「なにを……?」
首を傾げるアーロンを他所に、ランディがマジックバッグから取り出したのは、カメラと大量のフィルムだ。開発者特権。開発途中で余っていた素材で、自分用のカメラとフィルムを拵えていたのである。
しかもフィルムを何枚も収納できるよう改良まで加えて。
「それは確かカメラとか……」
「ええ。我々が開発した魔道具ですね」
頷きながらランディが辞典の内容を写し撮っていく。
シャッター音が響く中、アーロンは「まさかとは思うが、読めるのかね?」とランディに声をかけた。
カメラを構えたままのランディが「読めますよ」と頷いて、いくつかの背表紙を読んでみせた。例えば『簡単。魔法理論』といった出来るだけ真面目そうな物を選んで。
「確かにそれには魔法陣などが描かれていた……本当に読めるのかね」
目を見開くアーロンに、ランディがもう一度頷いてシャッターを切った。
しばし考え込むアーロンが「……もし」と絞り出すように呟いた。仮にランディが解読表などを作ってくれるなら、辞典は譲ろうという内容だ。
「出来るかもしれませんが……結構難しいし時間もかかると思いますよ」
カメラを下ろしたランディに、「構わない」とアーロンが大きく頷いた。今まで謎だった内容が分かる可能性があるなら、それに手を伸ばしたいのは道理だろう。
「……分かりました。出来る限り協力しましょう」
条件を飲み、カメラをしまったランディにアーロンの顔が分かりやすく明るくなった。
とりあえず初歩の初歩という事で、ランディがその場でひらがな、カタカナの五十音を書き記し、アーロンへと手渡した。
「まず基本中の基本です。古代語は複数の文字、表意文字表音文字の組み合わせです。表意文字だけで一〇〇〇を超えるので、まずは表音文字を覚えてその音が表す意味を覚えた方がいいでしょう」
仮名が読めるようになったからとて、意味が分かるわけではない。それでもまずは読めねば読解する上では話にならない。
「後日、日常会話で使用するワードを選んで手紙で送ります」
「分かった。私のほうでも知りたいワードをピックアップしておこう」
頷くアーロンだが、その目は五十音表に釘付けである。
「約束通り、辞典は持っていくと良い」
そう呟いたアーロンだが、思い出したように顔を上げた。
「……一つだけ聞きたい、何に使うつもりだね?」
「ウチの領を強く、大きくするためです」
笑ったランディが、今進めている暖房設備の話を語る。話半分で聞いていたアーロンだが、確かにルーンを埋め込んだ魔術刻印があれば実現する可能性は非常に高い。
「面白い事を考えるな。いいだろう。使いたまえ」
アーロンが頷いた事で、ランディとリズがハイタッチを交わす。これで必要な物は揃った。後は作るだけだ。
喜ぶ二人を前に、アーロンがリズに向き直った。
「時にエリザベス・フォン・ブラウベルグ嬢」
不意にフルネームで呼ばれたリズが、「元です」と首を振った。侯爵家と親子の縁は切れていないが、国籍が公国に移ったままの今は、リズはただのエリザベスだ。
「失礼。……エリザベス嬢。元侯爵令嬢として、この街をどう思うかね?」
唐突な質問に、リズが首を傾げながらも口を開いた。
「立派な港湾都市、かと」
そう言いながら、窓から見える水路を眺めるリズに、「立派。確かにそうだね」とアーロンが頷いた。
「確かに立派だろう」
そう言いながら窓辺に手をかけ、外を眺めるアーロンが「立派か」とまた呟き、リズを振り返った。
「ちなみに、侯爵領の領都ハイゼンクリフとどちらが立派かね?」
見透かすようなアーロンの瞳は、返答が分かっているとでも言いたげだ。
「えっと……それは――」
言葉に詰まるリズは雄弁に物語っている。実際に公国では最大の街と言っても、リズの実家がある、ハイゼンクリフと比べると劣ってしまうのは無理もない。
そんな分かりきった事を聞くアーロンに、リズが不思議そうに首を傾げた。
「すまない。おかしな事を聞いた」
首を振ったアーロンが、「では古文書の解読表をよろしく頼む」とだけ言って二人を帰した。
二人の背中を見送ったアーロンが、小さくため息をついた。
先程の質問、あのリズの返答こそが公国と王国の国力の差と言ってもいい。いや単純に大公家とブラウベルグ侯爵家との、力の差とも言えるかもしれない。
異大陸との間に流れる、海流を超えるだけの力があるブラウベルグ。
それを超えられず、王国や帝国とだけ貿易をする公国。
どれだけ逆立ちをしようとも、大公家がブラウベルグ侯爵家に勝てない理由の一つだ。だからこそ、大公家はブラウベルグと結んだヴィクトールを危険視している節もある。
……なんせヴィクトールには、ルークという大公の落とし子がいるからだ。
言い方を変えれば、公国はブラウベルグ侯爵家という、巨大な影に怯えているとも言える。
今ヴィクトールで発展中の、港湾都市などがいい例だ。だが今のやり取りでアーロンは理解した。
真に恐るのはブラウベルグよりも、ランディとリズの二人だと言う事に。
「此度の騒動は、おそらく君たちに軍配が上がるだろう……」
見えなくなった背中に、アーロンが小さく呟いた。それでもブラウベルグの影に囚われた公国が、真実を正しく受け入れられるとは思えない。
新たな火種になりそうな騒動は、冒険者ギルドとしては歓迎出来ない。それでも「落とし所に気をつけろ」と言わなかった理由もある。
アランとゴルディス。ヴィクトールとシャドラーの騒動を知っていれば、そんな事など言えるはずもない。
「これはシャドラーが、落とし所を見誤った結果なのかもしれんな」
誇りを奪った事のツケ、それが回ってきたのだろうとアーロンは不穏な予想に蓋をして部屋を後にした。
☆☆☆
同時刻、リヴェルナント郊外の廃屋……
「『待て』だと?」
奥歯を鳴らしたカインが、近くにあった古い椅子を蹴り上げた。もろくなっていた椅子が砕け、同時にホコリを舞い上げる。
「こっちはもう、火がついてんだ」
鼻息の荒いカインを前に、文官と思しき男性が飛び散った椅子を一瞥し、ため息とともにカインを見た。
「カイン殿。貴殿の怒りは分かるが、ここで闇討ちなどしては貴殿の名誉は回復されまい?」
もう一度ため息をついた文官が、「どういう事だ」と眉を寄せるカインに状況を説明する。
非公式かつ武器を使用していなかったとは言え、ギルドの統括が立会い、更に衆人環視のもとで一旦の決着がついたのだ。ここで仮にカインが闇討ちでヴィクトール子爵子息を殺そうものなら、市民から後ろ指さされるのはカインだ。
――一対一で勝てなかったから、卑怯な闇討ちで相手を殺した。
そう言われても反論する事が出来ない。最悪の場合、パーティメンバー全員で襲いかかったと言われる可能性すらあるのだ。
ならば正々堂々と、衆人環視のもとで決闘を挑めばどうか。
それも効果はないだろう。そもそも相手に決闘を受けるメリットが無い。それどころか、既に問題が大きくなりすぎて市民の関心を集めすぎている。
無用な場外乱闘は、政府が不都合を隠したがっていると勘ぐられる恐れしか無い。
「ならどうすりゃ良いんだよ」
眉根を寄せるカインに、「だから待て、と言っているのだ」と文官がまたため息を返した。
「貴殿には、相応の場にて相手とのリベンジマッチを果たさせてやろう」
「本当だろうな?」
「無論だ」
頷いた文官が、不快感を隠さないように鼻を鳴らして続ける。
「辺境を守っているからと、大目に見ていたが……」
奥歯をギリギリと鳴らす文官が、「とにかくしばし待て」とだけ言いつけて、その場を後にした。
文官が去り、静かになった廃屋に「チッ」とカインの盛大な舌打ちが漏れた。
「……カイン?」
珍しく大人しいカインに、仲間の男性が首を傾げた。
「仕方ねえだろ。国が盛大な舞台を準備してくれるって言ってんだ」
大きく深呼吸をしたカインが、別の椅子を蹴り上げた。砕けた椅子がまたホコリを舞い上げる。
「……我慢してやるよ。せいぜいその日まで、余生を楽しめ! ランドルフ・ヴィクトール!」
カインの咆哮が廃屋を揺らす。こうして国、シャドラー。ヴィクトール、の思惑は直接対決――と言う名の対談――へと進むことになった。