第97話 幕間 収穫祭だよ全員集合(本祭編)
「ヴィクトール領、収穫祭メインイベントを始めるぞ!」
舞台の上で声を張り上げるランディに、周囲を歩いていた人間が何事かと集まりだした。
前夜祭の山車も大盛況に終わり、本来であればメインイベントは、夕方から始まる山車の焚き上げのはずである。本来ヴィクトール領の収穫祭は、前夜祭と本祭の二つだけだった。
それを今年からランディが、二日目の日中を本祭に、夕方を後夜祭にと、二つに分けたのだ。
理由は一つ。単純に日中のまったりが勿体ない、もっと祭りを楽しみたい、という理由からである。
そうして日も高く上った頃、ランディが冒頭のように領民たちへ呼びかけたのだ。
いわゆる大通りの広場。普段は住民たちの憩いの場所に設置された舞台は、周囲に昨日の山車を三基侍らせ、中々の雰囲気を醸し出している。
誰も見たことがない舞台と、その上に盛られた土。全員が気にしていた物だが、彼らが分からなくても仕方がない。なんせ、これはランディの発案で作られた〝土俵〟なのだ。
祭りと言えば神事。神事と言えば相撲。相撲と言えば土俵。と日本人思考で、ランディが用意したのがこの土俵と、屈強な男たちによる相撲っぽい何かだ。
異様な雰囲気の中、ハリスンがメガホンを片手に声を張り上げる。
「今から、あの土俵と呼ばれるフィールドで、一対一の勝負をしてもらうっす。そして、勝った人間が次の試合に進む。そうして優勝者を決めるわけっす」
興行としての見世物。娯楽の少ない田舎では、十分過ぎる催しだ。優勝者には賞金と賞品。そしてもちろん、本来の相撲とは違い、こちらの世界でも馴染が出るようにカジュアルにしてある。その最たるものが……
「ちなみに、一人一回、誰かに小銀貨一枚まで賭けられるっす」
ハリスンの言葉に、領民たちが分かりやすくザワついた。なんせ娯楽の少ない田舎だ。見世物だけでなく、それで賭け事まで出来るというのだ。
「掛け金を預かって、優勝者にかけた人達で山分け……単純だろ?」
笑ったランディが、「とりあえずルール説明だ」と、昨夜通りで絡んできた冒険者二人を舞台へと上がらせた。
「約束通り、合法的に戦いましょうか」
ニコリと笑うランディに、冒険者達も「待ってました」とニヤリと笑った。酔いは覚めているはずだが、ランディについてあまり知らないという事は、ヴィクトールに来たばかりなのだろう。
だがそちらの方が都合がいい。変に腰が引けた相手と戦っても面白くない。
「ルールは単純。相手を転ばすか、土俵の外に出した方が勝ち。ちなみに殴ったり蹴ったりは反則です」
「そんなんで面白いのかよ?」
冒険者の一人が眉を寄せるが「意外に奥が深いんですよ」とランディが笑って続ける。
「参加者は基本的に裸足と上裸でお願いします」
そう言いながらランディが上着を脱げば、観衆の中から声援が上がる。ヴィクトールを象徴する様な鍛え抜かれたランディの身体は、領民からしたら憧れの的だろう。
「へっ、お貴族様にしちゃ鍛えてんじゃねえか」
少し声が上ずる冒険者たちも、ランディに倣って上着を脱いだ。彼らも鍛え抜かれた身体ではあるが、ランディに比べると少々見劣りしてしまう。
「ではルール確認用のエキシビションを始めましょうか」
ランディの合図で、行事役のハリスンも土俵へと上がり……「『はっきよい』の掛け声で――」と開始の合図を説明している。
それを聞きながら、ランディは土俵上で蹲踞して両拳をついた。完全に受ける構えだが、冒険者たちには構えの違いなど分からないだろう。
ちなみにこの時のために、コソコソ廻しまで作っていたのだが……、先程それを巻いて館を出ようとした所、リズに全力で止められたのだ。
――駄目?
――駄目です。絶対に。
鬼気迫るリズの表情に、仕方がないと諦めたランディだが、相撲が普及したら是非廻しも広めたいと考えている。
ランディがそんな事を考えていると、どうやら冒険者たちも準備が終わったようだ。
「どうします? 二人いっぺんに来ますか?」
挑発するようなランディの笑顔に、「舐めるな」と冒険者が眉を寄せた。
「舐めてませんよ。私が発案者ですし、ルールについては熟知してますから」
そこまで言われれば、冒険者たちも「いいだろう」と二人でランディの前に拳をついた。
「はっきよい――」
ハリスンの声で、冒険者たちが前のめりになる。「――残った!」低い姿勢のまま冒険者二人が加速。
ほぼ同時にランディへタックルを食らわした。
肉と肉が打つかる音が響き渡り……
「う、うごかねえ」
「マジかよ」
……ランディが二人を真正面から受け止めていた。
それだけでなく、ランディが一歩前に出れば、二人がズルっと足を滑らせ後ろへ下がった。
更に一歩。
また下がる。
それを繰り返し、冒険者たちの足が土俵の際に敷かれた麦の注連縄にかかった。
「このまま押し出しても勝ち」
そう言って観衆を見るランディが、「それか……」と一人の冒険者を上から抑えつけて土俵に叩きつけた。
「……土俵に転がしても勝ち」
一瞬で倒された仲間に「へ? は?」ともう一人が呆けるが、状況が悪い事に気が付き、慌ててランディへ組み付いた。
奇しくもがっぷり四つの形に、ランディが思わず口角を上げた。まさか異世界に来てまで相撲が出来るとは。上機嫌のランディが、「投げてもOK」と腰投げで残った一人を土俵上に転がした。
まだ負けてないと喚く冒険者二人だが、ランディにそれぞれ片手で掴み上げられた途端、借りてきた猫の如く大人しくなった。こうなっては、流石に力の差を実感したのだろう。
大の男二人の首根っこを掴み上げたランディが、観客達へ笑顔を見せた。
「どうだ? 単純だから――」
「待てぃ!」
ランディの口上を遮る怒声に、全員が振り返った。そこに居たのは……
「ゲゲっ、ジジイ……」
……ランディに見劣りしない偉丈夫だ。真っ白な髪と、口髭。そして左目を眼帯で覆った大柄な老人。だがその肉体――何故か既に上裸――は、鍛え抜かれた戦士のそれだ。
「ランドルフ……そんな小物相手で、エキシビションと言えるのか?」
豪快に笑う老人に、観衆からは「先代だ」「先代様だ」と声が上がっている。ヴォルカン・ヴィクトール。先代のヴィクトール領領主であり、ランディの祖父でもある。
「エキシビションなら、儂を呼ばぬか」
ガハハハと笑ったヴォルカンが、「とう!」と一足飛びで土俵の上へ飛び乗った。
「帰れジジイ。テメーは呼んでねー」
「帰らん。儂はお前と遊びに来たのじゃ」
全く話を聞かないヴォルカンが、「ハリスン。合図をせい」とハリスンへ声をかけた。
流石のハリスンもランディとヴォルカンであれば、ヴォルカンの言うことを聞くしか無い。
「じゃ、じゃあ……お二人さん、位置についてくだせえ」
行司に言われては、ランディとしても従わざるを得ない。舌打ちを漏らしつつも、「漁村までぶっ飛ばしてやる」と両拳をついた。
「馬鹿者。儂が帰るのは、お前の嫁さん候補を見てからじゃ」
「だから嫌なんだよ」
二人が対象的な顔を見せた時、「はっきよい――」とハリスンの声が響いた。
同時に口を噤んだ祖父と孫が、これまた同時に表情を引き締めた。
「――残った!」
その瞬間、ランディが一気に加速。
ヴォルカンの胸目掛けて、両手を突き出した。
ランディの諸手突き。
それをヴォルカンが真正面から受け止めた。
「ぐぅう……」
突きに仰け反ったヴォルカンの足が土俵を滑る。
土俵際で止まったヴォルカンに、ランディが追撃。
迫るランディに、ヴォルカンが身を翻す。
「こなクソ……」
ランディが逆に土俵際で蹈鞴を踏む形に。
「隙ありじゃ」
ランディの脇からタックルを食らわすヴォルカン。
だがランディの腰は重く、わずかにランディを仰け反らせただけだ。
「……孫よ。また強くなったな」
ランディの腰を抱えるヴォルカンは嬉しそうだ。
「おかげさまでな」
ニヤリと笑ったランディが、ヴォルカンのベルトを左手で掴み、頭を右の小脇に抱えた。
「リズとエリーにテメーはまだ早い」
「二人も居るのか!」
「やかましい。反応すんな! テメーは二人にはショッキングが過ぎる。もっとヴィクトールに慣れた後に会いに行くから、それまで待ってろ」
そう言ったランディがヴォルカンを思い切り持ち上げた。
逆さに抱え上げられたヴォルカンに、観衆から大歓声が上がった。
「安心しろ。婆さんの所に送り届けるだけだ」
「そりゃあの世――」
「死ね!」
悪い顔のランディが、そのまま後ろへ倒れる……
――ブレンバスター
……巨体が倒れる音が、周囲に轟音となって鳴り響いた。
「ぐぅ……容赦のない、いい一撃じゃ」
腰をさするヴォルカンに、「ちっ、まだ息があんのか」とランディが頑丈過ぎる祖父に眉を寄せた時、
「勝負あり。勝者、ヴォルカン様!」
ハリスンがヴォルカンの方へ軍配を上げた。
「はぁ? 馬鹿言うな。決まり手はブレンバスターだろ」
眉を寄せるランディに、「駄目っす。若の方が先に肩がつきました」とハリスンが首を振った。
勝負的にはランディの勝ちだが、ルール上ではランディの負け。それでも観戦していた観衆は大盛りあがりである。乱入には驚いたが、エキシビションとしては大成功だろう。
ならばこの勢いに乗らねばならない、とランディが頭を掻いて口を開いた。
「単純だから奥深い。さあ、初代ヴィクトール領王者を決めようか」
ランディの宣誓に、一瞬だけ観客が静まり返るも……舞台に上がった男たちを見て、観客たちのボルテージが一気に上昇した。
街でよく見る冒険者から、騎士隊の人間まで。戦うことに特化した男たちが、全員裸足と上裸の準備万端の姿を見せたのだ。普段から「誰が一番強いか」という話題で盛り上がる冒険者たちなどの盛り上がりはひとしおだ。
そんな冒険者にあてられ、領民たちも「面白そうだな」と興味を持ち始めている。
「じゃあ、対戦相手をくじ引きで決めてくれ。そして、賭けたい奴らは、あっちの受付までな……」
舞台から飛び降りたランディが、「勝ち抜きだからな。対戦相手と順番が大事だぞ」と大声で叫ぶと、賭けの受付へと走ろうとしていた人達が、一旦組み合わせを見ようとまた戻ってきた。
どうやら盛り上がりそうだ、とランディが胸を撫で下ろしながら、舞台脇に設置した特別観覧席へと腰を下ろした。
「お祖父様に、もう少し優しくしては……?」
ジト目のリズが、ヴォルカンへ回復魔法をかけている。
「はぁ……効くわい。どこぞの馬鹿孫と違って、エリザベスちゃんは優しいのう」
ニヤニヤと笑うヴォルカンに、「なら、傷を増やしてやろうか」とランディが指をポキポキと鳴らした。
「エリザベスちゃん。孫が虐めるんじゃ」
「駄目ですよ、ランディ」
「騙されるなリズ。そいつは妖怪だ。殺しても死なねー」
「ようかい? とは?」
「魔獣の一種だ」
口を尖らせるランディが、幼い頃から修行と称してヴォルカンに鍛えられていた事を話した。そもそも始めにランディを山籠りに誘ったのはヴォルカンである。
ランディにとっては師匠の一人であるが、それと同時に「ランドルフ。嫁候補《彼女》は出来たか?」と事あるごとに聞いてくる、面倒な相手でもあり。そして何よりヴィクトールを体現したような、クセの強い親類だ。
お嬢様育ちのリズには刺激が強すぎる。だからこそずっとリズと会わせないように、調整していた訳だが……どうやら痺れを切らして、こちらまで乗り込んできたらしい。
「一応漁村での主役だろうが……。婆さんの墓にチクるぞ」
ランディのため息に、ヴォルカンが分かりやすく肩を震わせた。
「お、お前が呼んだ事に……」
「馬鹿か。あの世に行ってまで、婆さんに怒られたくねー」
ランディが鼻を鳴らしたのとほぼ同時、ヴォルカンが「用事を思い出したわい」とスッと立ち上がってリズへ向けて手を挙げた。
「それじゃあの。エリザベスちゃん。次は漁村にも遊びに来るんじゃぞ」
それだけ言うと、ヴォルカンはブーツを引っ掴んで駆けていった。
「ジジイ! 冬に帰った時は、遊びに行くからよ」
「待っておるぞ!」
ガハハハと豪快な笑い声とともに、ヴォルカンが大きく手を振っている。
「……あ、嵐のような方でしたね」
「馬鹿なんだよ」
ランディがヴォルカンへ向けて、笑顔で手を振った。何だかんだで祖父が好きなのだ。……少々、いやかなり面倒な相手だが。
「それでも、お祖父様のお陰で盛り上がりそうじゃないですか」
盛り上がりを見せる会場に、リズが微笑んだ。
「そこは感謝してるさ。だからちゃんと手加減してたろ。孫とジジイのじゃれ合いだ」
笑ったランディの瞳には、もう見えなくなったヴォルカンの背中が映っている。
「じゃれ合い、ですか。確かに楽しそうでしたけど……」
「楽しけりゃ良いんだよ」
笑ったランディが、「祭りなんだから」と青空を見上げた時、ちょうど一回戦を告げる太鼓の音が鳴り響いた。
観衆の大歓声が、会場を包み込む。
「はっきよい――残った!」
普段はただの準備に当てる時間が、こうして大型イベントで盛り上がり、後に本祭としっかり認識される時間へと変わった瞬間だった。
「そーいやルークはどうした?」
「何でもセシリーと一緒に散歩に行くって……」
「あンの助平やろう……」