想いと言葉とバレンタイン
この作品は、作者・藤乃 澄乃主催の『バレンタイン恋彩企画』参加作品です。
窓を揺らす風の音で目が覚めた。
カーテンを開け、曇天を仰ぎ見る。
昨夜降らせた雪雲は、風に吹かれてのっそりと動いているようだ。
天気予報では昼頃からよく晴れて、午後は冬日和になるという。
週の真ん中、水曜日。典型的な冬の朝だ。
寒風の中、道路に残る雪に足を取られないように歩く。彼女がいればこんな寒い日も、寒さを笑い飛ばしながら、雪に大はしゃぎして歩くのになあ。
本来なら幼馴染みとの通学時間を楽しむべく、いつものように身支度を整え、俺は高校へと歩みを進めるのだが、この2日間、1人歩く道程は、いつもより長く感じる。
高校への行き帰りの、俺のささやかな楽しみは、風に乗ってどこかへ吹き飛ばされていった。
今の心はこの曇天と同じく、灰色に覆われている。
同い年の幼馴染み、奈由とは子供の頃からずっと一緒で、高校生になってからも待ち合わせて2人で通学していた。もちろん友人として。
しかしお互いに想い合っていることがわかり、一昨年のバレンタインデーに付き合い始めたんだ。
あの日から丸2年。
今日も学校は午前中まで。一度家に帰って制服から私服に着替えて、俺と奈由はバレンタインデーを楽しむべく待ち合わせをしていた。そして去年のようにチョコをもらって、その後デートをする予定だった。
だけど3日前の日曜日、デートの帰り際に些細なことでケンカをしてしまい、あれ以来、連絡を取り合っていない。もちろん高校への行き帰りも別々。
たった3日だけど、心に重石が乗っかって、息苦しい。
些細なこと……いや、彼女にとっては些細なことではなかったのかもしれないな。
時間を過ぎても、奈由は待ち合わせ場所には現れなかった。
いつも時間には正確な彼女が遅れるはずがない。
仲直りする気はないのか。よほど腹が立っているのか。
3日前の日曜日。デートの帰り道。
はじめは、たわいない話をしていたんだ。
『今度の水曜日、バレンタインデーだねー』
『おう。チョコ楽しみにしてるよ』
『美味しそうなチョコ見つけたから、楽しみにしててね』
俺はうなずき、微笑んだ。
『待ち合わせてデート。忘れるなよ』
『うん。私たちが付き合いだした記念日だしね』
少しはにかんだ様子で奈由が言う。
『うん』
俺も照れながら答える。
それからそのまま前を向いて歩いていたが、しばらくの沈黙の後、『ねえ』と奈由が話しかけてきた。
俺は彼女の方を向く。
『大志』
『ん?』
『私のこと好き?』
なんだよ急に。
『え、まあ』
好きに決まってんじゃん。
『どこが好き?』
そりゃ、明るくて優しいところと、つぶらな瞳に……言い出したらキリがない。
でも。
『いや、その……』
そんなこと真面目に聞かれたら、恥ずかしくてすぐに答えられるわけがない。
だから俺は言葉を濁した。
『え、好きじゃないの?』
『いや、好きだけど』
俺は照れ隠しに頬を指でかいた。
『じゃあ、答えられるはずじゃん!』
『そんなの恥ずかしくて言えるかよ!』
『言わないとわかんないよ!』
『じゃあ、奈由は俺のどこが好きなんだよ』
『そんなの言わない!』
『それじゃあ、お互い様じゃん』
俺は笑いながらそう言った。
すると彼女は『もういい! チョコあげない!』と怒って行ってしまう。
「あ」
俺は追いかけて「奈由!」と声をかけたが、「ほっといて!」と言われ、今はそっとしておこうと追いかけるのをやめる。彼女はそのままずんずん歩いて帰ってしまった。
約束の日に彼女は来るだろうかと少し不安になり、俺は彼女にどこが好きか言わなかったことを、後悔した。
まさかケンカになるなんて……とはいっても、俺はケンカをしたつもりもないのだけれど、彼女が怒っている事実に変わりはない。
だけど今日はバレンタインデーだから、何事もなかったかのように彼女は待ち合わせ場所に来てくれるだろうと、俺は根拠のない決めつけをしていた。
なんてったって、俺たちの記念日なんだから。
それでいつものように『お待たせー』とか言って手を振りながらやって来るんじゃないかって。
俺は勝手な思い込みをしていたのだろうか。
明るく前向きで爽やかだからか、男子からも女子からも好かれている奈由。
その彼女を傷つけてしまったのだろうか。
彼女を待ちながら、いろんなことが頭を巡る。
もう1時間経った。上空の雲はまだ厚く空を隠している。
奈由は待ち合わせには来ないつもりだろう。
まあ、ケンカをしたような状態で待ち合わせに来るはずもないか。
あの時、彼女への想いをもっと素直に言葉にしていればよかった。
どうして言えなかったのか――付き合って2年も経つし、幼馴染みだから照れが前に出て、言葉を後ろに追いやったからだ。
俺はふうと息を吐いた。
そろそろ帰るかな。
俺はもやもやした気持ちを抱えたまま一歩を踏み出し、家路に就く。
いや、このままケンカしたままなんて嫌だ。
いつも隣には奈由がいて、それが当たり前だと思っていた。今までもちょっとした口げんかはあったし、それでも次の日はお互い何もなかったみたいに、また普段通りに話したり笑い合ったりしていたのに。今回はなぜだ?
いろいろ考えていても仕方がない。
俺は奈由と仲直りがしたい。
そしてこれからもずっと一緒にいたい。
ただそれだけだ。
どうするか考えた。
考えて考えて考えた。
俺の気持ちを伝えよう。
幸い今日はバレンタインデーだ。
日本では女性から男性にチョコレートを贈り、好きと伝える日だけど、海外では男性から女性にプレゼントを贈り、好きと伝える日だと聞いたことがある。
そうだ。そうしよう!
いろいろ悩んだが、花束を贈ることにした。
女の子に花束を贈るなんて大人っぽいこと初めてだから、どんな花を選んだら良いのか解らなくて、お店の人に聞いて一生懸命考えた。そして俺は淡いピンクのバラにかすみ草を選んだ。
意気揚々と花屋を後にした俺は、その足で奈由の家に向かった。
家の前から電話して、外に出てきてもらおう。
『はい』
「俺」
『うん』
「この前はごめん」
彼女は答えない。
「今日のデート」
『うん』
「今、家の前にいる」
『え?』
「ちょっと出てきてほしい」
『え、でも』
「話したいんだ。とにかく来てくれ」
彼女は無言のまま電話を切った。
緊張で心臓が身体から駆け出して行きそうだ。
玄関の扉が開き、彼女が顔をのぞかせた。
花束は右手で後ろに隠して持って、俺は「おう」と反対の手を上げる。
少々面倒くさそうに奈由がこちらにやって来た。
「日曜日はごめん」
俺はそう言って、奈由に花束を差し出す。
「え」
驚いた表情の彼女は動かない。
「今日はバレンタインデーだ。男から好きな人に贈り物をしてもいいだろ? さあ、受け取って」
奈由は手を差し出して花束に添え、ニコリとした。
「ありがとう」
やった! 受け取ってもらえた。
「ちゃんと言うよ」
「何を?」
「この前さ、奈由のどこが好きかって聞いただろ」
「うん」
「奈由とは幼馴染みで子供の頃からずっと一緒じゃん。そんで気づいたら好きになってたっていうか。どこが好きとかそういうんじゃないんだよ。優しいとこも笑顔が可愛いとこも、詩的なとこも、おっちょこちょいなとこも、頑固なとこも怒りっぽいとこも、全部ひっくるめて奈由が好きなんだよ。どこが好きとかじゃなくって、奈由が好きなんだ」
「大志……」
「これから思うこと、言いたいことがあれば、その時にちゃんと言葉にしてほしい。言われないと気づけないこととかあるから。
そのままにしてどっちかが我慢したり、ぷいって怒ってどっかにいってしまうんじゃなくて、たとえケンカになってもお互いの気持ちや想いをちゃんと言葉にして伝え合おう」
「そうだね。時にはケンカって大事なことかもしれないね」
「そんで、その場で仲直りしようよ」
「それがいいね」
奈由は続ける。
「でもさあ。お花、すぐに枯れちゃうじゃん」
「そうだな」
「そんなのもったいないよ。せっかくのプレゼントなのに」
口をとがらせた彼女の嬉しい言葉に、耳を疑った。
「え」
「お花は綺麗だしもらって嬉しいのはもちろんだけど、一生懸命考えて選んでくれた時間が嬉しいの。その間は少なくとも私のことを想って選んでくれたんだから。その気持ちが嬉しいのよ」
奈由が優しく微笑んだ。
俺は嬉しくて奈由を抱きしめる。
すると頬を赤らめた奈由が言う。
「ありがと。ドライフラワーにして飾っておくね」
「ああ」
「それから……私もごめんね。私も大志のどこがじゃなくて、大志が好き」
また俺たちはいつもどおりの2人に戻って、たわいない話を続けた。
「え、マジでチョコなかったの!?」
「だって、大志来るの遅いし。自分で食べちゃった」
といたずらっぽい表情で肩をすくめる奈由。
「えー! そりゃないよ」
それを聞いて、俺はがっくりと肩を落とす。
「でも。ま、いっか。こうやって仲直りできたんだから」
ふふふと彼女が笑う。それにつられて俺も笑う。
いつもと同じ、楽しい時間。
「来年に期待だな」
「まあ、それまで付き合ってたらね」
奈由は無邪気にウインクしてみせた。
煌めく光が彼女の笑顔を照らしている。
いつも通りの2人に戻ることができてよかった。
幼い頃からの日常がどれほど大切なものなのか、奈由のことをどれほど想っているのか、今回のことで再認識した。
予報通り冬日和の穏やかな太陽が顔を出し、雪を溶かすようなその温かさが2人の心を溶かしたのだろう。
大事なものは失ってから気づく。
何気ない日常こそ大切に過ごしたいですね。
お読み下さりありがとうございました。